第三話 現世人類のアタラクシア ⑪
「このコロニーには、プラネタリウムはありますか?」
カナタが国王・トンマゼオにそんな質問をしたのは、滞在から十七日目のことだった。
残念ながら国内にそれに類するものは無かったが、地球再建事業の施設にはホログラム式の立体天球儀があるという話になり、さっそく二人と一羽はそこへ向かうことになった。
横行二十メートルほどの真っ暗なホール。この国の装束ではない私服――少女趣味の黒いワンピースと銀の首飾り――に身を包んだカナタは、中央の巨大な幻燈器を操作した。まもなく、室内が浮遊する無数の光点で充たされる。まるで螢のようだった。
地球を中心に、光学的に観測できる半径一三七億光年の範囲。
カナタは星々の間を歩きながら、話し始めた。
「人が人らしく生きるには目標が要る。それは人類という〝個人史〟においても変わらない」
「誰の言葉?」とソラが問う。
「天野梯子。わたしたちの国の宇宙飛行士。彼女の姉という説もあるけど」
「宇宙飛行士……それは、この世界の外を目指す職業のことかい?」
カナタは無言で首肯した。
「人類は、地球の外を目指さないと窒息してしまいそうだったんです。だから決して達成のできない目標を自らに課した……」
「地球は、どれ?」とソラが問うと、カナタは天球儀の縮尺を広げた。
「あれ、こんなに星と星の間って狭かったかな……」
「大丈夫?」
「大丈夫、あった。これだよ。太陽の周りを廻っているんだ」
「遠いね」
「うん、遠いね。偉い学者さんたちによると、宇宙から出るための方法として宇宙の果てまで行く必要は無いんだって。というより、わたしたちが肉体と地球に囚われている限り――ううん、わたしたちが時間に囚われている限り、物理的な脱出は不可能だそうだよ。妥当な言い分だとは思うけれど」
「逆に言えば、答え一つで今からでも宇宙の外を見る方法があるはずだと?」
「そういうことになるね。その一つがオーバリズム……上霊新教が人類の最終形態だとするホモ=フェノメノンだった。人間の思惟は統合され、人類という名の一つのマインドを形成するに至って、わたしたちは高次の宇宙に引き上げられるはずだって。このバルドに自然発生した新人類はそう考えた――だけど結論から言えば、残念ながら彼らに〝迎え〟は来なかった」
「……そのヒトたちに、会いに行くことはできるのかい?」
「会うことはできませんが、その姿を見ることならできます」
「僕はそれをやりたい」
ソラは芯のある声でそう言い、カナタの瞳をまっすぐ見返した。
どこまでも澄んだ、空色の虹彩――。
カナタはソラの真意を確かめるように問うた。
「良いんですか? この国には魂の平穏があります。しあわせがあります」
「しあわせっていうのは理屈じゃない。動物的なものだ。人間である限りね」
少し思いつめたような表情のソラに、カナタは心配そうに訊いた。
「……何か、分かったのですか?」
「雲野イヲリ――キミのお兄さんの足跡を、僕のほうでも少し調べさせてもらった」
「!」
ソラはカナタの前まで歩み寄ると、この国の歴史を示した文献を差し出す。
「新人類と旧人類が共存できる可能性を模索して、地上層に向かったらしい」
「きっとお兄ちゃんも、この国のみんなと話して、同じことを思ったんだろうね」
「同じこと?」とソラが反芻する。
「なんでこんな世界になったんだろう、なんでこの時代に生きているんだろう……って」
そんなカナタに、ソラは幻燈機の照らし出す星の海原を歩きながら、自問するように言った。
「君と初めて出会ったときのことを、ずっと考えてた。あの広大な空の世界で刃を交えて、ただの創造神に過ぎないと思っていたトーテムが、同じ女の子だったってことを知った。そしてどうして君は――君たちは旧人類は、生きる活力を喪ってしまっているんだろうって」
「わたしは空っぽな人間なんです。だけど自殺は痛くてできないから、惰性のまま苦しんで生きてる、ただそれだけの存在。だから世界を軽んじてるんです。機械の神様となってしまったわたしと、この世界を生きる新人類のソラさんたち。わたしたちの距離は、近いけど遠い。それはきっと、九十億年っていう長過ぎる時間を隔てているからだけじゃない……」
「それでもいい。だけど初めて会ったとき、君は自分にはこの世界で生きる資格が無いって言い聞かせているみたいだった。探しに行こうよ、君のお兄さん。カナタはもっと自分のために生きるべきだ。地球再建事業のためじゃなく、僕との約束のためでもなく、自分のために」
それからソラは、先ほどの文献に記された地図を示して続けた。
「いずれにせよ、僕の故郷――苔むしたダヴィデに行くためには、ホモ=フェノメノンの群生地である〈我が子を喰らうサトゥルヌス〉を横断する必要があると分かった。〈ブリューゲルのバベル〉の宇宙塔を下り、地上を歩いていくしかない。長丁場なうえ、これまで以上に危険な道程となるだろうと。これはこの国の地政学者やトーテムたちとも一致した意見だ」
カナタはソラの言葉を遮ると、迷うことなく即答した。
「行きますよ、わたしは。それがあなたとの約束ですから」
「ありがとう、カナ」
ソラはそれ以上、余計なことを言おうとはしなかった。




