EP460 総力戦㉑
時は少し遡る。
リグレットの世界侵食《消失鏡界》によって『人形師』ラプラスは封じ込められていた。この世界侵食は鏡属性の迷宮を作り出す力と言える。意思力を侵食させることで、世界そのものを取り込み鏡の回廊を作り出すのだ。
「ぐっ……」
バハムートを破壊されたラプラスは真っ白の世界を横向きに落ちて行く。この世界には大理石のような色合いの島が浮かんでおり、上下左右の概念が曖昧だ。重力も不安定であり、色々な方向に落ちる。
「キリがないとはこのこと。そしてこれが世界侵食……オメガ様から言われていましたが、これに対抗するのは難しいですね」
先の爆発で千切れた腕を再生させ、更に新しいバハムートを召喚する。今壊されたことで、バハムートは少しだけ破壊耐性が上がった。眷能【機甲鋼竜王】には学習能力がある。ダメージを受ける度に逆算から耐性や対抗能力を獲得する。
これによってバハムートは少しずつ強化されていた。
しかし、リグレットの世界侵食はさらに上を行く。
《消失鏡界》によって取り込まれた存在は、世界によって内包する固有情報次元を解析されてしまう。リグレットは管理室から情報次元に書き込むことで、幾らでも相手を上回ることが出来るのだ。
爆発は不発に。
燃焼は不燃に。
凍結は解凍に。
それだけでなく、攻撃術式が有する情報次元を鏡属性でコピーされ、何百倍にもして返される。
数の有利は意味をなさない。
合計四体まで出現させることが出来るバハムートも、雑多ゴーレムも、全て世界侵食《消失鏡界》によって一瞬で壊された。
(私も世界侵食があればと思ってしまいますが……それは難しいですねぇ)
世界侵食は世界に意思力を侵食させ、権能で自身の力を世界そのものを味方に付ける。世界そのもの、空間自体がラプラスを追い詰める。
新しいバハムートを召喚したラプラスは、その頭部に乗って態勢を整えた。
「ならば……バハムートに命じる。自爆せよ!」
ラプラスの命令に応え、バハムートは眷能【機甲鋼竜王】の力を使う。質量をエネルギーに変換し、重力で凝縮した後、空間破壊の力を込めて発動する。
ラプラス自身も巻き込んだ自爆攻撃だが、これを《消失鏡界》でコピーするということは、空間破壊する引き起こす自爆攻撃をコピーするということだ。
結果として白い光が白い空間を照らし、ガラスの割れるような音が聞こえる。
情報次元を転写する数百枚の鏡も砕け散り、全て消え去った。
「ふぅ……これでどうですか?」
一秒と経たずに完全再生したラプラスは周囲を見渡しつつバハムートを四体再召喚する。
だが、バグのようにノイズが走っていた空間が落ち着くと、そこには大理石のように白い材質の島が浮かぶあの空間だった。
(簡単ではありませんか……)
ラプラスは流石に落胆した。
◆ ◆ ◆
「おや? 第一回廊が破壊されたね」
”どうやってです?”
「自爆だよ。いきなりのことで驚いたよ」
”自爆ですか……しかしそれで第一回廊しか破壊出来ないのでは割に合わないのでは?”
「そうだね。《消失鏡界》の回廊はまだまだ残っている。鏡の迷宮は簡単に抜け出せるように作っていないからね。自爆如きで脱出はさせないさ」
管理室で様子を眺めていたリグレットは周囲に浮かぶ鏡に指を向け、文字を書くようにして操作する。その姿を隣で見つめつつ溜息を吐くのが天星狼テスタだ。
”自爆を許したのもどうせわざとなのでしょう?”
「まぁね。エネルギー反応が増幅していたのは分かっていた。だからその威力のほどを試してみたのだよ。この世界侵食だからね。どれだけ頑張っても回廊一つ分を壊すのが限界さ。だから、あの自爆攻撃が回廊を壊し得る威力があるとだけ分かったね」
”はぁ……データ収集など今更必要ですか?”
「僕の能力はそんなに強いわけじゃない。勝つためには情報収集が必要なんだよ。たとえそれが過剰であったとしてもね」
超越者の戦いは霊力や意思力のぶつけ合いだ。しかし、敵の権能を知るために情報戦を仕掛けることも非常に重要である。能力が完全に判明した場合、その対抗策を練られてしまうことが多い。良くに情報次元へと干渉するリグレットは万能さが売りだ。
特化した力こそないが、的確に弱点を突くことが出来る。
「今のところラプラスに弱点は見えないね。僕と同じ万能型の現象系能力者だからかな?」
ラプラスの権能【甲機巧創奏者】はゴーレムを作り出す力である。特殊な素材すらも生成することが出来る万能な力だ。
霊力を注げば国を滅ぼすほどの巨大ゴーレムすら簡単に作り出せる。
しかし、念じればゴーレムが生まれる訳ではない。
権能を扱うにはそれなりのコツがいる。
ラプラスは研究の果てに権能を使いこなし、眷属であるバハムートを生み出した。無限に進化する最強の手駒を完成させた。
「あのバハムートも成長すれば厄介なことになるだろうね。でも、まだまだ弱い。眷属を作り出す権能は自分よりはるかに強い存在を作り出せなければ意味がない。『死霊使い』オリヴィアが生み出したアジ・ダハーカのようにね」
”確かに、バハムートは弱いですね。ラプラスが幾らでも生み出せるとは言え、簡単に破壊出来てしまいますから”
オリヴィアやラプラスのように配下を生成する権能は直接戦闘能力が低い。配下に霊力と加護を注ぎ、そうして作り出した眷属を操るのが本来の戦い方なのだから。
本体である超越者は見えない場所から高みの見物をするのが正しい戦法と言える。
つまり、研究者にも関わらず前に出て来たラプラスは戦い方を間違えたのだ。
「ラプラスは僕のように隠れて戦うべきだった。そして僕のようにもっと力を蓄えるべきだったんだよ」
”リグレット?”
「これから第二回廊も破壊する。起動《災禍顕回廊》」
リグレットが指を鳴らした瞬間、周囲に浮かんでいた鏡がすべて割れた。
◆ ◆ ◆
特に動かず、バハムートの上から周囲を観察していたラプラスは異変を感じた。
同時に、背中から光の槍で貫かれる。
「ぐはっ……」
休む間もなく黒い領域が発生し、バハムートの翼が飲み込まれる。一瞬で消えた黒い領域は、球状にバハムートの翼を抉って一点に縮小した。まるで《虚無創世》である。
更には空間を裂くような雷。
世界を沸騰させるような獄炎。
魂すら凍らせる氷結。
その全てがラプラスとバハムートを蹂躙した。そして術式が発動するたびに空間の一部が壊れていく。まるで回廊そのものを犠牲に術式を発動させているかのようだった。
(この世界侵食は取り込んだ相手の術式を中和したり、コピーして反射させるものではなかったのですか……?)
これはラプラスの勘違いだった。
《消失鏡界》は鏡属性によって世界を侵食し、空間を回廊として重ねて作る迷宮だ。この世界侵食には本質がある。
それは情報次元の蓄積である。
《消失鏡界》の回廊は鏡属性によって作り出されている。故に、この場で引き起こされた現象は情報次元を自動でコピーされてしまうのだ。
リグレットはアリアを《消失鏡界》へと招待し、権能【神聖第五元素】の力で大量の情報をインプットさせた。それも三百年以上かけて。
蓄積は充分。
寧ろ、その力を解放する《災禍顕回廊》は回廊そのものを崩壊させてしまうほどの威力となっている。
(だめですね……バハムートでもこの術式密度では……)
第二回廊の崩壊率三パーセント。
既にバハムートは形を成せない。全長一キロにも及ぶ巨大な鋼の竜は、アリアが鏡の回廊に登録した術式によって瞬間的に滅ぼされていく。すぐに再生しているのだが、再生が追い付かない。
これはラプラスも同様だ。
(空間遮断を……)
第二回廊の崩壊率八パーセント。
次元すら貫通する術式がラプラスの心臓を貫く。同時に圧壊の概念が両足を潰す。
ラプラスはすぐに再生したが、同時に破壊もされている。
超越者は体を塵にされても復活可能だ。それは間違いない。しかし、再生には意思力を消耗してしまう。数度の再生ならともかく、何百回、何千回、何万回と繰り返せば消耗は大きくなる。
(では反物質とベクトル変換で攻撃を逸らす……)
第二回廊の崩壊率十四パーセント。
より強力なベクトル変換。アリアの使う最強の権能により登録された術式がバハムートのベクトル変換を軽く凌駕する。反物質による対消滅エネルギーで爆発反応装甲のような防御壁を構築しようとしたラプラスだが、肝心のベクトル変換で失敗した。
故に対消滅エネルギーもまともに受ける。
(反撃でき……ない……)
第二回廊の崩壊率三十八パーセント。
呪いの毒がバハムートを構成する金属を蝕み、崩壊させる。プラズマの嵐が吹き、あらゆる存在を圧壊させる。強大な重力が質量を分解する。
(私は……こんなところで……)
ラプラスの心は折れようとしていた。
あまりにも理不尽な術式の嵐。止まることのない滅びの連続。何度再生しても情報次元を壊される事実に、研究者でしかないラプラスは力を失おうとしていた。
元からラプラスは意思力が低い。
故に扱える霊力も他の超越者に比べれば少ないのだ。
だからバハムートを僅か四体しか同時に扱えない。
(バハムートも成長しきらないままとは……研究の果てを見ぬまま滅びるのは心残りですね)
第二回廊の崩壊率五十三パーセント。
既にラプラスは三万回近く体を消し飛ばされている。これは寧ろ耐えた方だと称賛するべきだろう。ラプラスが耐えていたのは一重に魔王オメガに対する忠誠ゆえ。
意思なき魔人ばかりの中、ラプラスは意思のある魔人として生まれた。
頭の良いラプラスは、自分が周囲と異なることに気付き、そして恐れた。周囲と異なる自分はいずれ排除されてしまうのでないかと考えたからだ。
しかし、オメガによって救われた。
世界の知識を与え、ものを作り出す喜びを得た。そしてラプラスは戦闘経験ではなく、知識の開拓を求めることで超越化に至った。
超越化に必要なのは意思力。
戦闘力ではない。
この世の知識を求めたラプラスは、ただそれだけで魔人という種の限界を超えたのだ。
(そう……心残りを解決しないまま滅びたくはありませんね!)
この時を以てラプラスの意思力は増大した。
死の間際において諦めるか諦めないかは人による。しかし、仮にも超越者にまで至った存在が生半可な覚悟であるはずがない。
諦めるかに思えたラプラスは、ここで立ち向かう意思を得た。
「う……」
第二回廊の崩壊率八十九パーセント。
ラプラスに封印の槍が突き刺さる。しかしラプラスはそれを錬成能力で分解した。次々に特殊金属を錬成し、災いの如く降り注ぐ《災禍顕回廊》に対する盾とする。
勿論、そのような盾は一瞬で消し飛ばされ、鋼の針が光速で降り注ぐ。ラプラスはゴムのように柔軟な素材を盾として鋼の針を跳ね返した。代わりにその盾はあっという間に壊れた。
「召喚、召喚、召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚召喚!」
ラプラスは膨れ上がった意思力を以て霊力を引き出し、バハムートを呼び出した。それは僅か四体に留まらない。これまでの《災禍顕回廊》で受けたダメージから学習したバハムートは、強化されている。そのバハムートは既に数十体。
だが、ここでバハムートは新しい力を得る。
鏡属性によるコピーの力だ。
バハムートは鏡属性によって自己増殖する。そして唐突に出現したエネルギーは、矛盾を解消するために開かれた虚数次元からもたらされた。
特性「時空支配」は「次元支配」に強化され、新たに得た鏡属性の力でバハムート数百体に増えた。
「まだまだ増えなさいバハムート!」
第二回廊の崩壊率百パーセント。
遂に第二回廊が完全崩壊するまで《災禍顕回廊》を撃ち尽くした。しかし、次々とコピーで増殖するバハムートが盾となり、最後の方は全くと言って良いほどラプラスに当たらなかった。
◆ ◆ ◆
管理室でその光景を眺めていたリグレットは思わず作業を止めてしまった。
「あれは鏡属性!? 間違いない」
”まさか”
「まずいね。バハムートがあり得ないほど増えている。一体どこからエネルギーを……まさか虚数次元? 流石に虚数次元のエネルギーが炸裂したら僕の世界侵食も壊れる」
世界侵食は意思力を世界に侵食させる力であり、霊力が増幅する訳ではない。故に天使の霊力をはるかに超える虚数次元のエネルギーがあれば、世界侵食は力技で壊せるのだ。
「すぐに回廊を強化する」
”いえ、間に合いません!”
テスタが警告し、権能【天象星道宮】でリグレットを守る。
その瞬間、バハムートは自爆した。
《消失鏡界》による鏡の回廊は壊れたのだった。
 





