EP175 牢の調査
「む?」
「どうした?」
牢として建てられている別棟の入り口を見張っていた兵士の一人が声を上げる。隣にいた別の兵士が聞き返すが、声を上げた兵士はある一点を見つめたまま黙っている。他の二人の兵士もどうしたのかとそれに続いて同じ場所を見つめてみるのだが、特に変わった様子はない。
言われてみれば何かを感じる気もするが、気のせいで片づけられる程度だと言える。しかし初めに声を上げた兵士は《気配察知》のスキルを持っていることが知られている。その仲間が何かを感じたというのなら無視はできない。
「何かいるのか?」
「……そんな気配がする。でも見えない」
「気のせいじゃないんだよな?」
「ああ、間違いなく感じる」
見張で立っていた四人の兵士は顔を見合わせる。
そして頷き合い、もう一度確認しようとした瞬間に視界が揺らいだ。
『……っ!』
四人ともがすぐに声を張りあげようとするが、口は縫い付けられているかのように動く気配がない。それと同時に瞼が重くなり、そのまま倒れて夢の世界へと旅立っていったのだった。四人は重なり合うようにして倒れ、着込んでいた甲殻鎧がぶつかって大きな音を立てる。
しかし街に出現した巨大蛸の対処に追われて多くの兵士が出動しており、その音に気付いて向かって来ようとする者はいないのだった。
そして四人が完全に眠ったのを見計らって一人の人物が姿を現す。
「今頃はしっかり見張の仕事をしている夢を見ているだろうな。次に目覚めたときも記憶が混濁して、眠らされたことは覚えていないハズだ」
白いマントで顔も体も隠したクウがそう呟く。意識を逸らす幻術を使っていたのだが、やはり《気配察知》を使える兵士が混じっていたらしく見抜かれそうになった。そこで仕方なく眠りの幻術をかけて処理をすることにしたのだ。
クウは重なり合って倒れる兵士たちを移動させ、川の字に寝かせてから改めて目の前の建物の用へと振り向く。
「俺の予想が正しければ反レイヒム派の奴らはここに収監されている。問題はその数だけど……」
クウがこうして城に潜入したのは反レイヒム派の生き残りを確保するためである。何人かは既に始末されている可能性もあるのだが、可能な限りは助け出したい。しかしその人数が余りにも多いならば移動するのに目立ってしまうだろう。クウの意識を逸らす幻術も大人数にかけるのは負担が大きいのだ。
今の混乱に乗じてコッソリ移動することは出来るかもしれないが確実ではない。
「ま、考えても仕方ない。最悪は情報収集だけにして、味方の回収はまた今度にする手もある。今はこの中の調査をしよう」
外で暴れている巨大蛸はクウの幻術であり、決して倒されることはない。つまり時間はまだまだ残っているといえるのだ。慌てる必要もないし、じっくり考えて判断する余裕もある。
クウは暗く口を開いている建物の入り口を見据えて中に入っていった。
「暗い……な」
内部は節約のためか、最低限の光源しか確保されていない。逃走を阻止するためか、建物に窓のない構造をしているのが一番の理由だろう。また風が通らないため匂いが酷く、どうやって空気の入れ替えをしているのかと周囲を見回す。
すると天井付近に幾つものパイプが通って外まで伸びているのが見えた。
「なるほどアレか。それも魔道具らしいな。風属性の力で換気扇のように空気を入れ替えている」
クウの《森羅万象》にもそのように表示されたし、地球でも似たような設備は見たことがある。思いのほかハイテクなことに内心驚いていた。
(この世界の発達具合はちぐはぐだよな。魔法に関する技術が圧倒的に進歩して地球で言う二十世紀の先進国程度の生活水準になっている。まぁ、都市から離れた村は例外だけど。
でもこれなら科学もある程度発達していてもおかしくない。魔法だって誰もが使える訳じゃないから、魔法に頼らない技術が進歩していても不思議ではないハズ。むしろ魔法と科学の融合した技術が生まれていても納得いくってもんだ。何せファルバッサの年齢を考えれば世界が誕生して二千年以上、今のように安定してから少なくとも千年は経ってるしな)
地球での二千年前と言えばローマ帝国が栄えていた時代になる。水道、建築はローマ時代の栄華を示す遺跡として今も残っているし、当時の文化レベルは間違いなく現代に勝るとも劣らない。ローマ市民限定ではあるが、非常に豊かな生活を営んでいたのだ。そこから現代では海を渡り、空を飛び、人知を超えた宇宙にまでも進出する進歩を見せている。このエヴァンでも二千年あれば相当な進歩をするのは間違いないのだ。
(ま、今は置いておくか。いつかゼノネイアにでも聞くとしよう)
気になることではあるが、今の最優先はこの場所の調査である。無駄な思考は一旦端に追いやって周囲の観察を再開する。
やはりこの場所は牢屋なのか、鉄の扉に閉ざされた部屋が幾つも並んでいた。それもアパートのように規則正しく何列にもなって大量にあったのだ。その中には人の気配がするため、恐らく罪を犯して捕まった者が入れられているのだろう。時々、中からも声が聞こえているので間違いない。
「思ったより普通だな。獣化とかその他のスキル対策で超頑丈な檻でもあるのかと思ったけど」
見た限りでは牢屋の強度は普通であるように見える。クウでも《魔力支配》で肉体を保護すれば殴り壊せるような程度でしかない。魔道具のようにも見えないため、魔法的に強度が上がっているということもないのだろう。
《森羅万象》で情報開示すれば判明するのかもしれないが、負担が大きいので敵地の真ん中で多用はしたくない。そのためクウは一旦このことを諦め、さらに奥へと歩みを進めた。
「それにしてもどうやって反レイヒム派を見分けるか……普通の犯罪者も収監されているなら出来るだけ野放しにしたくないしな。どこかに名簿でもあるといいけど」
ここにいる全員を解放すれば反レイヒム派のメンバーも混じっているのだろうが、同時に犯罪者をも解き放つことになる。クウはさすがにそこまでするつもりはないので、捕まっている者の名前や罪状などが記された名簿を探すことにした。
「名簿か……さすがにあるよな? なかったら管理が大変だし」
一瞬、名簿自体が存在するのか疑問になったが、こうして国の形を保っている以上は犯罪者の管理もしっかりしているはずだ。少なくとも【ルメリオス王国】はそうだったので、それぐらいのことは書類としてまとめているに違いないのだ。
ここは一旦、名簿があると仮定して別のことを考え始める。
「問題は名簿の場所だ。こういう場所には管理室が付き物だよな。普通は入り口にあると思うけど見当たらなかったし、もしかして城の中に管理室だけあったとか? でも非効率的だよな。これならもう《森羅万象》を使って調べてみるか……この建物の重要情報だけを開示するなら大丈夫そうだし」
細かい設備や、歴史、人員、収監されている者の情報一覧などを含めるとクウの負担が大きくなりすぎてしまう。いや、普段ならばギリギリ可能な範囲だが、今は《幻夜眼》で七体もの巨大蛸を出現させている。そのため《森羅万象》に割ける思考能力が限られているのだ。
クウは一度立ち止まって情報を開示させる。
「管理室は……そうか地下室があったのか。その降りてすぐの場所がそうなっていると。確かによくよく感知してみれば地下に人の気配と魔力があるな。けど何でそんな場所に管理室を?」
不思議な構造に疑問は尽きないが、今は考えるのを止めて目的の場所を目指す。すなわちこの建物の最も奥にある地下へと続く階段だ。誰かに鉢合せになることのないように気を配りつつ、急ぎ足で地下への階段に向かって行く。
するとすぐに石造りの階段が目に入ってきた。相変わらず暗くて分かりにくいが、どうにか明かり無しでも降りられるようになっている。
「螺旋階段か……召喚当初を思い出すな」
クウが初めてエヴァンに召喚された時、【ルメリオス王国】の王城に地下室の召喚陣から現れた。そして地上へと上がる螺旋階段を上ったのだ。
少し懐かしい気持ちになりつつも、気は引き締めて気配と魔力に注意する。この階段は前か後ろに行く事しか出来ないため、もしも誰かが来れば大変なことになる。念のため意識を逸らす幻術は使いっぱなしにしているのだが、油断して足元を掬われるような事態は避けたい。もちろんクウの実力ならばどうとでもなるだろうし、掬われたところで対処できる自信はある。しかし無関係の人物に無用な被害を与えることはクウの望むことではない。
街に巨大蛸を出現させておいて何を今更……と言われるかもしれないが、アレはあくまでも幻術であるため解除すれば全てが元通りになるのだ。死者も出ないし街も壊れないのである。
「でもこれは言い訳かな。幻術でも精神被害は出るし……まぁ、結局はレイヒムが【魂源能力】を誤った使い方したことが原因ってことでいいか」
この世は綺麗事だけで回っているわけではない。レイヒムを放っておくことは拙いことだが、それを止めるためには何も知らない一般人にも被害を与えることになる。
一般人を助けるために一般人が被害を受けるというのは矛盾しているようだが、クウも所詮は元人間であり、一人で全てを救済することなど出来ないのである。そんなことが出来るのは神か小説の中のヒーローだけだろう。
クウは自分なりに納得させてコツコツと音を立てながら地下へと潜っていくのだった。