Chapter2-4
※この物語は97%ほどフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。
※ヒロインがVtuberですが、作者はVtuberの仕事を引き受けたことがありません。また、顔を隠して活動している方々の仕事を引き受けたこともなく、実際の警備体制と異なる場合があります。
※作者は完全な専門家ではないので、物語の内容と現実の内容が異なる場合があります。書いてある内容が正しいと思って読まないでください。
以上を注意の上、読んでください
明良が運転する警護車両は、交通量が多くなった朝の都会の街を駆け抜けていく。
数十分ひた走り、ゼルテクサプロダクションの事務所が入っている、見上げるほどに高い雑居ビルに到着した。
この事務所は、ホームページなどで公開されている、取引を行うオフィシャルな事務所ではない。所属タレントや関係者だけが集う、住所非公開の隠れ家のような場所だ。
事前の打ち合わせで確認したスタッフ専用の地下駐車場へと入り、指定された駐車スペースに警護車両を停める。
明良が関係者の車両であることを示す許可書をダッシュボードに置いている間に、絵理佳が隣の狩桶に業務連絡をする。
「今から見回りをしますので、少々お待ちください」
明良と絵理佳が車からサッと降りた――その瞬間も気を抜かない。不意打ちを仕かけられる可能性があるからだ。
幸いにも不審者は現れなかった。
薄暗く、非常に見通しの悪い地下の駐車場だ。停められている車両の影に不審者が潜んでいる可能性がある。
飛びかかられても即座に対処できるよう神経を尖らせ、車の裏や、柱の陰、天井までも確認して、殺害予告犯がいないか確かめる……誰もいなかった。
明良はおもむろに内ポケットに手を入れた。
「危ねえ危ねえ。ほらよ、関係者パスだ」
内ポケットから、ネックストラップに入った免許証サイズのプラスチックカードを絵理佳に手渡した。
そのプラスチックカードには番号が割り振られている。
ゼルテクサプロダクションが雑居ビルを管轄する警備会社に連絡し、その警備会社から受け取った関係者を示すパスだ。
ライブなどの際はAAAパス。通称、アクセス・オール・アラウンドパス。略称、トリプエーパスとも呼ばれるパスで、このパスは決められた関係者エリアに自由に出入りできる効力がある。
絶大な効力を持つと同時に、その重みは計り知れない。万が一紛失したり譲渡したりすれば、懲戒処分や賠償責任問題を負うことになる。最悪の場合、スパイだと疑われて刑事事件にも発展しかねない、とてつもなく重たいプラスチック製のカードだ。
絵理佳は受け取って首から下げる。
「それじゃあ、憧れの狩桶様をしっかり守れよ」
「このエリートボディーガードの女勇者、絵理佳ちゃんに任せなさーい! 大好きなMONEちゃんは、この命に代えても最強の女勇者様が守るからねっ!」
絵理佳は化粧で整えた細長い眉毛をキリっと上げる。
ふたりは警護車両に戻り、絵理佳が車のドアを開けた。
狩桶がゆったりとした足取りで車を降りる。
長い髪を後ろに流し、キャップを被り直している狩桶に絵理佳は声をかける。
「それでは事務所内でも私が警護いたします。マンションと同様、私が後ろをお守りいたします。狩桶様には前を歩いていただき、案内してもらってもよろしいでしょうか?」
「わかった、よろしく」
そうしてふたりが歩き出し、建物の内部につながるエレベーターに乗った場面を明良は見届けて、警護車両に戻った。
トランクに積んでいたカバンを取り出し、中からキーボードつきのタブレット端末を取り出す。運転席に座り、椅子を引いて、開いたタブレット端末を膝の上に乗せた。
そして、メールの処理や日報を書く仕事を始める……
(MONEのあのイラスト……あの香水の匂いはなんなんだ)
作業をしながらも、考えるのは頭からこびりついて離れない狩桶の存在のことだった。
狩桶と共に仕事を始めてから、胸の内から去らない雑念が仕事の邪魔をしている。
その雑念がただの気の迷いなら構わない。だが、もしこの心のざわめきが警護の穴となるような危険の前触れだとしたら、早急に対策を打たなければならない。
しかし、この淡い動揺の真の姿が掴めない。実に厄介だ。
(そういえば忘れてたな)
絵理佳にMONEのイラストを描いている絵師を教えてもらったが、調べていなかったことをふと思い出す。
内ポケットからスマートフォンを取り出して、絵理佳から聞いた名前を検索欄にひらがなで「はたなかいっせい」と打ち込んで、エンターパネルを押す。
(ベドレクのキービジュアルも描いてたのか)
画像検索欄を押すと、一〇年前毎日プレイしていた懐かしのゲーム、ベドレクのキャラクターの立ち絵が出てきた。
(MONEのイラストもある)
紫とピンクを混ぜたライラックのような色の長髪に、青色のプリンセスドレスを着せた、羽多仲一星のテイストで描かれたイラストを発見する。
不意に、そのイラストをタッチする。無料動画サイトのアプリに移動した――ボーっとしていると、MONEの配信アーカイブが始まる。
この仕事を始めてから出会うアイドルが多すぎて、守る人の活動内容は大雑把にしか把握していない。
個人の活動の動画まで視聴するのはいつぶりだろうか。
「え? ピケールの声をしてくださいって? 仕方ないなぁ~。第一粘性術、双銃剣! これでいいか? 満足したか? …………えっ? そのセリフは言えるわけねーだろバーカ、ハハッ!」
裏での物静かな人柄からは想像できない、エネルギッシュな声量かつ、挑発的な言葉遣いで配信を盛り上げている。コメント欄の流れが一気に早くなった。
清涼感のある心地いい高い声と、淑やかなお姫様のビジュアルに似合わない尖った振る舞い。それは、明良の性癖にガツンっと刺さり……ルルエラ以来、再び心が囚われてしまいそうになった。
(なんだよ……やめろ……やめてくれ…………)
MONEの配信を見ていると、抑えきれない悲しさと切なさが胸の奥からじんわりと込み上げてくる。脳の神経に高電圧が走ってジリジリと焼かれ、耐え難い苦痛と共に……ずっと視聴していたい麻痺した感覚に見舞われる。
(初めてアイドルを抱き締めたからなのか? くっそ!)
狩桶に助けを求められたあの時、目の前の困っている人を助けたい一心で衝動的に抱き締めてしまった。アイドルを辞めるという、明良のトラウマという泣き所を突かれたら、拒むことなどできない。
しかし、己が課しているボディーガード規範を破り、こんなにも煩悶を抱えて苛まれるなら、手を差し伸べなければよかったと激しく後悔する。
「相葉から笹川へ、どうぞ」
呪縛に苛まれながら配信を視聴していると、片耳イヤホンから流れる聞き慣れた女の声で目が覚める。
気づくとMONEの配信を丸々一本、長々と視聴していた。
慌てて無線のマイクのボタンを押す。
「どうぞ」
「ただいま狩桶様のお仕事が終了しました。昼食を取りたいそうで、キッキアン・ケーキでの昼食をご所望です」
「了解。地下駐車場の見回りをしてるから出てきていいぞ」
「了解」
絵理佳から返事が返ってくると、結局仕事が進まなかったタブレットをカバンに戻し、警護車両から降りる。
ムスッとした仮面をかぶり、警戒を開始する。
(忘れるな……俺はあのとき、アイドルを追いかけることをやめたんだ)
地下駐車場をひた歩きながら思い起こす、忌々しい思い出。
ボディーガードとしてアイドルを守り抜くと強く心に誓った高校三年の冬。それは、ルルエラのファンを最後に、二度とアイドルを特別視しないと決めた日でもあった。
最悪の事態を受け入れられないトラウマも深く刻まれているが、なによりもファンたちの気持ちを汲み取って、秘密裏にアイドルと仲良くしたくない。
アイドルと個人的に親しくなることは、明良がこれまで貫いてきたボディーガードとしての揺るぎない信念を裏切る行為だ。
(MONE……かわいかったなぁ……………………っ――)
邪念が頭をよぎり、頭を左右に激しく振った。
まさか、こんなにもMONEの配信が頭に焼きついていたとは……
狩桶を抱き締めてから、確実に歯車が狂い始めているのがわかる。
(今はMONEのことは意識するな。目の前にいるのは、あくまでも依頼人の狩桶世奈様だ!)
お金を払う依頼者に対して平等に守らなければならないボディーガード魂を燃やして、警戒の仕事を続けた。




