20.地の底にて待つものは
騎士団による『悪魔』狩りは、総勢百名にも及ぶ探索者と騎士団査察局員の混成部隊で行われることになった。
これだけの規模での探索行は、過去に一例しかない。
騎士団の転換点となったその一大遠征は、記録的な敗北となった。今回の『悪魔』狩りは失敗の可能性を考慮して、探索者を前面に押し立てたのだと噂されることになったが、決行前の説明会に参加したジークとヨシュアは、また違った感想を持った。
「威力偵察ではないのか?」
そういう疑念である。
探索に当たって、探索者は十班各十名に編成され、査察局員が彼らの指揮を摂る。騎士団側からは各班の指揮官である十名しか出動しないばかりか、説明会での顔ぶれを見ると、参加する騎士はあからさまに若く、経験不足に見えた。
得られた感触を、ヨシュアは次のように総括した。
「標的の詳細は一切が不明、しかし強力な戦力を有していることは明白。となれば、犠牲を前提とした斥候で情報を持ち帰り、その後に対策を取った本命の討伐隊を編成する、という算段は合理的だろう」
「敗退が前提なら、今回は討伐隊として大々的に宣伝されてないというのも、納得がいく」
だが、それでも騎士団の対応があまりにも慎重すぎることが気にかかった。深層で探索者が命を落とすこと自体は珍しくない。今回は短期間に集中的な被害が出ているとはいえ、ある程度は偶然の重なり合いということもありえる。
極論すれば『悪魔』は噂に過ぎず、存在しないということもありえる。だというのに、破格の報償ばかりか、派遣部隊に対する慎重な作意というのは、どうにも腑に落ちない。
「あるいは騎士団には『悪魔』の正体に心当たりでもあるのか?」
以前の遠征時に同系統の魔物と遭遇している可能性もある。ジークたちはリサを通じて、騎士団へ探りを入れたものの、時間のなさもあって成果は得られなかった。
当日は先行した先遣隊に持たせた要石を利用して、転移魔術で地下七階層に侵入することになった。騎士団の魔術師と先遣隊、さらに護衛が、転移先で待機し、帰還時にも転移魔術を用いて『魔窟』を脱出する。
先遣隊と護衛に二斑を用い、残り八班が『悪魔』の探索に当たる。
ジークたちは探索班に割り振られていた。
地下七階層は話に聞き、身構えていたジークたちからすると、やや拍子抜けするほど、他の階層と変わる物ではなかった。ごつごつとした岩肌や、そこに繁茂する地衣類、伝い落ちる湧水などは見慣れた光景だ。
相違点があるとすれば、この階層には鉱石の採掘場があり、採掘による崩落を防ぐための木製の柱や梁が通されている通路があちこちに点在するというところか。『魔窟』内部では維持が難しく、人工の建築物は珍しかった。
採掘場付近には、魔術理論を応用した最新の照明器具も設置されているという。
ジークの愛剣にも用いられる白鋼を始めとして、『魔窟』から採掘された特有の稀少な鉱石は、そうした維持費を差し引いても十分なほどの利益をもたらすということだろう。
それらの人工物に心休まるかと言われれば、やはりこの階層には不穏な空気が滞留しているような気がした。
「肌がピリピリするのよね」
珍しく深刻な表情を見せて、フィリンは自分の細腕を撫でた。危険は覚悟の上で参加したのだが、それでも直感が警鐘を鳴らしている。
カンテラの照明は頼りなく、行く手には深い闇が落ち、その中に得体の知れない恐怖がわだかまっている。一歩踏み出すごとに死に近づいているような、そんな錯覚さえ感じられた。
「つかよ、どっちかってーと、あれが最大の問題だろ」
不機嫌な表情を浮かべたセドリックが顎をしゃくった。彼の示す先には、階層地図を持って歩いている、騎士団査察局員の騎士――つまり彼らの班長の姿があった。
「えっと、これぐらい歩いたはずで、さっきここを通ったから……時間は、あ、あ、あっ!」
懐から取り出した機械式の懐中時計を取り落とし、咄嗟に掴もうとした手で跳ね上げた拍子に、繋いでいた細い鎖がちぎれた。放物線を描いて時計が飛んでいく。
それに気付いたジークが空中で掴み取った。
「す、すみません」
ぺこぺこと頭を下げて、ジークから時計を手渡されたのは、以前の囮作戦の時にジークたちに声を掛けてきた新米騎士、ロッテという名の少女だった。
「うう、良かった、壊れてない。壊したらどんなお叱りを受けるか」
タイムスケジュールの確認のために、騎士団本部から貸し出された高価な品である。ロッテは安堵の息を漏らしてから、次にヨシュアに声を掛けた。
「そろそろ小休止に入ろうと思うのですが」
この頼りなさすぎる班長は、万事がこういった様子だった。経験不足は百歩譲るにしても、ドジで自信がないとあっては、とても命を預ける気にはならない。
別口で集められた班の探索者たちは、あからさまに心理的な距離を置いている。何かあれば、即座にロッテを置いて逃げるつもりなのは明白だった。
となると、ロッテが頼る先は、指揮官としての素養を持っていそうなヨシュアしかいない。ヨシュアとしては遠慮したいのだが、彼女に任せていては仕事にならないのも事実で、仕方なく地図と時計を確認した。
「魔物との遭遇もなかったから、予定より早く進んでいる。他班との時間合わせの意味でも休憩した方がいいだろう」
進路を分けての虱潰し探索の都合上、ということもあったが、組まれたタイムスケジュールにはもっと重要な意味がある。呼び子を渡された各班は、互いに並行しながら移動し、緊急時には他班から救援を得る手はずになっている。一班だけ突出するのは、援護を考えると互いに危険だった。
「そうですよね。では、この先の広間に抜けたところで休憩しましょう」
お墨付きを得て、ロッテは笑顔で指示を下した。
「馬鹿げてるぜ、こんな仕事」
「マジになるなよ。テキトーにやってりゃいいのさ、テキトーに」
「休憩中に班長が慰めてくれるんなら、俺、がんばっちゃうぜ?」
「馬鹿か、ガリガリじゃねえか。楽しめねえよ」
ぼそぼそと聞こえた会話にフィリンが振り返ると、後ろを歩いていた探索者たちがそっぽを向いた。面識のある四人組で固まった連中だった。
いずれも三十絡みの男たちで、探索者として相応に経験を積んでいるように見えた。彼らからすれば、ロッテは右も左も分からない赤ん坊にも等しく見えるのだろう。そのことはフィリンにも理解できる。
まして、こんな危険が予想される場所で、役に立ちそうもないロッテが班長というのは、彼らには我慢できないことなのだろう。しかし、それはそれとして、契約で雇用された身である。探索と『悪魔』討伐という仕事はロッテだけでなく、彼ら自身にも課せられている。
「ほっとけ」
一言ぐらい言ってやろうと思ったフィリンの肩を掴んで、セドリックがそう言った。
「どのみち、あんな連中は役に立ちやしねーよ」
「けど……」
「ああいうのが、普通の探索者ってやつなんだよ。俺らが二人でやってた理由、分かんだろ? 言っても無駄なんだよ。達者なのは口先だけで、実力なんて高が知れてる」
フィリンは渋々ながらにうなずいた。
狭い通路を抜けて広間に出ても、特にこれと言った異変はなく、そのまま休憩の運びとなった。そこへ先行して偵察に当たっていた班員の一人が戻ってくる。
猫科の姿をした亜人で、フェリッシュと呼ばれる種族の女性だった。名をカシェットと言う。身のこなしに優れたフェリッシュは隠密性に長け、そのスキルを買われて先行偵察の任に就いていた。
カシェットが先行して状況を調査している限り、不測の事態に直面する状況は避けられる。頼りない班長を不安に思ったヨシュアの進言によるものである。
「この先も特に問題はない」
黒装束を身にまとったカシェットは、簡潔に報告した。しゃがれた声は過去に喉を潰されたためだという。そのためか、彼女はあまり喋りたがらない。だが、この時は「ただ」と報告を付け加えた。
「進路上の広間で多数の魔物の死骸を発見した」
「魔物の種類は?」
すっかり班長代理となっているヨシュアが尋ねると、カシェットは首を横に振った。
「損傷が激しく、白骨化している。わたしには見分けられん。数十体分はありそうだったが」
「それが『悪魔』の仕業? ……あるかな?」
ヨシュアはカシェットとともに、ジークに意見を求めた。が、まだ何とも言えない。知能の低いタイプの魔物の群れどうしが縄張り争いで殺し合いをすることは珍しくない。たまたまその痕跡を見つけた、という可能性もある。
ジークはその代わりに、現状の確認をした。
「他班も遭遇してないみたいだし、このまま空振りで終わる可能性もありそうだな」
「ああ、予定の半分ほどは探索が終わっている。件の『悪魔』が別の階層に移動していることも考えられるからな」
ヨシュアはそう言ったが、やはり『悪魔』などいなかったのではないか、という気分にもなっていた。想像力が不安と恐怖を生む。これはそうした事例のひとつなのではないか。
騎士団の不可解な対応も、実際には「いない」ことの証明を目指したもので、噂による減収を危惧しただけではないのか。百人も動員して見つからなければ、噂を打ち消すには十分な結果だろう。大々的に喧伝しないのも、居ないものを討伐するなどとは言えない、というだけのことではないのか。
考えすぎてしまっていたが、もっと単純に見れば、そういう風にも考えられる。
そうでもなければ、こんな未熟な騎士を班長として放り込んだりはしない。
「どのみち現状維持で予定を消化するしかない。カシェット殿には負担が大きく、申し訳ないが、これまで通り先行して状況を確認してもらいたい」
ヨシュアが一応の決定を下すと、カシェットとジークがうなずいた。
ヨシュアはまだロッテに説明することがあるとのことで、ジークはカシェットと連れだってその場を離れた。
いつもより疲れを感じる。少し休んだ方がいいだろうと思って、フィリンたちの方へ行こうとしたジークの隣で、カシェットはぼそりと呟いた。
「妙な予感が拭えない」
「……よしてくれ。フェリッシュの霊感はよく当たるのか?」
「そんなものはない。だが……」
ひくひくと鼻を動かして、カシェットは続けた。
「ここでは嗅いだ事のない匂いを感じる」
「俺には分からないな。いつもの湿った匂いだけだ」
「……君にはことに分からんかもしれん」
意味の取れない言葉に、ジークはカシェットの顔を見たが、元から表情の変化が少ない種族ということもあって、彼女の表情は読み取ることができなかった。
「君からも同じ匂いがする。その良し悪しは分からんが」
「そんなに俺は臭うのか? 汗はかいてるけど、昨日も湯浴みはしたんだが」
「体臭の話ではない。……いや、人は望むものに特定の印を結びつけたがるものか」
やはり意味の分からない言葉を残して、カシェットは立ち去った。その後ろ姿を見ながら、ジークは唇に指を添えて考えた。
「不安、か」
それはジークにとって記憶にない感情だった。が、それを今ははっきりと感じている。そして、この探索に参加した全ての者が共有しているだろう。分からないから不安になる、と言うよりも、それはどこか、だれもが多かれ少なかれ同じものを感じた結果のような気がした。
ジークにはカシェットのように頼りになる嗅覚はない。それでも鋭敏な感覚が、どこか得体の知れないものを感じている。幻想ではなく、それは確かにここにあると感じられると言うのは、他人には説明しづらい感覚だった。
「確かめるために来たとは言え……」
カシェットに言われるまでもない。この先に何かが待っているのだと言う、確信に近い予感は強まるばかりで、ジークは茫漠とした疲労感を覚えた。




