唯一触れる手
翌朝すぐに伝えたくて「おはよう」と挨拶しながら目で合図したものの、朋花はチラッと一瞥して「おはよう」と素っ気なく返してきた。
自分で依頼しておいて結果が気にならないのだろうか。少し腹が立った。
連絡先の交換をしていれば昨日のうちに伝えられたのだけど、残念ながらそれを教えもらえるほどの信頼関係はまだ築けていない。
結局朋花と話が出来たのは放課後だった。
今日も妹の世話があるということで朋花の帰宅に付き添う恰好で昨日の報告をする。
朋花の依頼でしたのになんだか扱いが酷い気もするが、もはや慣れはじめてきていた。
「へぇ。手相かぁ。考えたね、三田君。私の考えたフリーハグ作戦は? うまくいった?」
説明を聞き終えた朋花は感心したように頷く。それにしても最初の質問がそれだとは思わなかった。
「あんな作戦上手くいくはずないだろ」
「いい作戦だと思ったのに」と朋花は不服そうだ。
「そんなことより昨日は步果さんから連絡とかなかった?」
「ないよ。本当に効いてるのかな?」
「効いてると思うよ。手相を見るのに五分くらいかけたから」
あの時の彼女のリアクションは間違いなく僕の能力に冒された人のものだった。
「五分!? そんなに長い時間も步果の手を握ってたの!? ちょっとやり過ぎなんじゃないの」
「五分といってもずっと手を握っていたわけじゃないからね。手相見る振りしてちょこちょこ触ってたって感じ」
恋慕を弄びすぎると常識を逸脱させてしまうことがある。
その辺は様子を見て加減をしたから大丈夫なはずだ。
「占いする振りして彼氏と別れた方がいいなんて誘導するとは、三田君って結構悪どいね」
朋花は嬉しそうに僕を見る。
「朋花が親友を救いたいっていうから努力したんだろ。人を悪者みたいに言うな」
「ごめん。感謝してるよ。ありがとう」
今日の朋花は珍しく素直だ。表情からは読み取れないが、感謝はしてくれているようだった。
でも何か違和感を感じていた。
その違和感が何なのかを考えているうちに、彼女の住むアパート前に到着してしまった。
「たぶん少し面倒なことになると思う」と報告の最後に僕は付け足した。
「面倒なこと?」
「彼氏と別れたから付き合おうとか、そういう展開だよ」
彼氏と別れさせるのはうまくいったとしても、その後の展開を考えると気が重くなる。
自分がどうとも思っていない人から好意を寄せられるというのは、想像以上にしんどいものだ。
「別に付き合ったらいいじゃない」
「は? 無理だし」
「なんで? 色んな女の人に手を出さずに一人だけを愛して付き合うなら問題ないでしょ。はっきり言って步果は美人だし、元々性格いいし、三田君にはもったいないくらいだよ」
事も無げに朋花はそう言った。
その瞬間、僕の脳内に数々の女性の声が響きはじめる。
『昴君、愛してる』
『私だけを見て』
『先輩のこと、好きになっちゃったみたいなんです』
『どうして他の人にも優しくするの?』
『三田君、大好きだよ』
『すばる……』
ぞわっと総毛立ち、脈が出鱈目に加速する。
「絶対に嫌だ……嫌だ嫌だ嫌だっ!」
「三田君……」
「無理なんだ。僕は、僕に好意を向ける人を愛せないっ……無理なんだっ……」
足が震え、呼吸の仕方を忘れてしまう。
立っていることも出来なくなって、その場に蹲った。
「大丈夫? ごめん、無神経なこと言ってしまって」
朋花は僕の隣に座り、背中を擦ってくれた。その手のぬくもりがゆっくりと僕の中へと浸透していく。
「私も恋愛をしないように生きてる癖に、簡単に付き合っちゃえなんて言ってごめん」
朋花は振るえる僕の手を握った。
「大丈夫。怖くないよ。私は三田君の手を握っても、ほら……なんともないんだから」
朋花の手は温かくて、柔らかくて、とても心地いい。
この世で唯一、その温もりを感じられる女性の手だ。恐る恐るその手を握り返す。
「ありがとう」
なんの心配もなく人の手を握るというのは、こんなにも落ち着くものなのか。
「ちょっとうちで休んでいけば」
「えっ……いいの?」
「でもきっちり手袋をして令奈には触らないこと。妹を誑かしたら殺すからね」
「ははは……了解」
目が真剣すぎて引き攣った笑いしか浮かばなかった。
令奈ちゃんは僕を見ると飛んでやって来た。
「お兄ちゃんまた来てくれたの? こっち来て」
令奈ちゃんはすぐさま僕の手を掴んで引っ張ってきた。
「わっ!? 引っ張らないで!」
「令奈! お兄ちゃんの手を触ったら駄目って言ったでしょ! ばっちいんだから!」
令奈ちゃんは「そうだった!」という顔をして慌てて僕の手を離す。
どうやら事前に注意はしてくれていたらしい。でもどうせ嘘をつくなら、汚いじゃなくて怪我をしているとかにしておいて欲しかった。
朋花がキッチンでカルピスを作ってくれている隙に令奈ちゃんは僕にコソコソ話をしてくる。
「ねえ、お姉ちゃんともうチューした?」
「し、しないって。そういうのじゃないから」
「えー? そうなんだ。本当に付き合ってないの?」
令奈ちゃんは疑り深い目をして僕の顔を覗き込む。
「本当だよ。付き合ってない」
きっぱりと断言すると令奈ちゃんは「そうなんだー」と笑っていた。
その目には喜びが滲んでいるように見えた。
こんな子供までその気にさせてしまうなんて、僕の惚毒は本当に厄介でおぞましい力だ。




