八卦見の昴
昨日と同じ時刻の同じ場所に僕は一人で立っていた。首から『Free Hug』と書かれたボードをぶら下げて。
驚くことに朋花が考えた新たなる秘策とはこの『フリーハグ作戦』だった。
以前歩果さんと観た映画にフリーハグのシーンがあったのを思い出したらしい。
「これなら自然に、そしてがっつり步果に触れることが出来ると思うの」と自信たっぷりな策士の笑みを浮かべられ、何となくその場で却下するのは忍びなくなってしまった。
朋花は賢そうに見えて意外と馬鹿なのかもしれない。
ちなみに今のところ誰も僕にフリーハグしに来る人は現れていない。奇異の目で見られるだけだ。
こんな作戦がうまくいくとは思えない。とはいえ僕の考えてきた作戦もかなり馬鹿げていた。そちらも成功するとも思えない。
昨日彼女が現れた時刻になり人混みに目を凝らす。
(いた……)
大勢の学生の中に步果さんの姿を見つける。今日も一人だ。
向こうも僕に気付き、胸にぶら下げたボードを見て眉を顰めた。
明らかに僕を避けるように方向転換をし、立ち去ろうとしていた。
慌てて追いかけて手袋をしていない素手で彼女の手首を掴んだ。
「わっ!?」
「こんにちは」
僕の顔を確認すると步果さんは慌てて手を振り解いてきた。
「なんだよ、またあんた? しつこい」
步果さんは苛立ったように僕を睨む。
僕の毒が効いていないのかもしれない。他に好きな人がいると効果が薄れるという昨日の仮説は正しかったのかもしれない。
僕の心に希望の光がひとすじ射し込んだ。
「待って。話したいことがあるんだ」
もっと確かめたくて步果さんの手首を掴むと、肩をビクッと震わせて躊躇いながら振り返った。
「なによ……」
悔しそうに睨むその顔の頬はほんのりと色付いていた。目許も潤み、縋るような気配を漂わせている。
ギャルゲーのちょっとヤンキーな女の子が落ちる直前のような、そんな表情だった。
実験は失敗だ。毒が効いてしまっている。
まあ、朋花の願いの方は叶えられそうだけれども。
落ち込みながら僕は彼女の手首を離した。
「今日はあのお節介いないんだ?」
ファストフード店の窓際の席に座った步果さんは、ポテトを囓りながら怪訝そうに辺りを見回す。
「朋花なりに步果さんを心配してるんだよ。よくない男と付き合って酷い目に遭わないようにって」
「それをお節介って言うんでしょ。あたしが頼んだ?」
「頼まれなくても心配するのを友情っていうんじゃないかな?」
「何を心配するの? 別にあたしはあたしの責任で、好きな人と付き合ってる。どうなろうが別に誰のせいにもしないし、迷惑もかけない。それのどこがいけないの?」
身振り手振りがやや大袈裟なのは、洋画ばかりみている影響なのだろうか。そんなどうでもいいことが頭に浮かんだ。
「だいたい相手を心配して忠告してるなんてスタンスの奴、あたしは全然信用できない。そういうこと言う人があたしの人生を保証してくれる? 面倒見てくれる? そんな責任なんてとらないでしょ?」
步果さんは挑発するように僕の目を覗き込む。
「結局自分の考えと異なる相手に自分の考えの方が正しいって押し付けたいだけなのよ。私の生き方が間違ってると論破すれば自分の生き方が間違っていないと証明できるとでも思ってるんじゃない? バカみたい」
一気に捲したてると僕の反論を待ち構えるようにジッと目を見詰めてくる。
正直面倒臭かった。別に僕としては步果さんが誰と付き合おうが、どれほど傷つこうが関係がない。
むしろ僕の惚毒が効いているが、簡単に僕に靡いてこないという点に関して好感が持てた。
このまま適当に話だけして帰ってしまおうかとも思ったが、步果さんを助けて欲しいと懇願した朋花の顔が脳裏に浮かんで思い留まる。
「別に僕は步果さんが誰と付き合おうが関係ない。ただ——」
鞄から自分が考えた秘策のアイテムを取り出す。
ここに来る前に買ってきたルーペだ。
「君の手相を見て欲しいと朋花から頼まれただけだ」
「手相……?」
「そう。僕は手相を見るのが得意でね。学校でも有名なんだ。『八卦見の昴』って聞いたことない?」
「ないけど」
あったら怖い。昨日自分で考えて誰にも話していない、僕しか知らない通り名だ。
相手に触れられない僕は、当然人の手相なんて見たことがない。
「代金は既に彼女から貰っている。悪いけど見させてもらってもいいかな?」
「あたしそういうの信じない方なんだけど」
そう言いつつも占いは嫌いではないのか、素直に右手を僕に差し出してきた。
その手を握り、ルーペを翳す。見てもなにも分らない筋が円の中で拡大されていた。
「ほう。生命線が長いね。お、芸術的な才能もある。将来は芸能関係で大成するかもしれないね」
抑揚のない声で淡々とそれっぽいことを言って煽てる。步果さんをチラッと上目で盗み見るとまんざらでもない顔をして笑っていた。
感情線がなだらかとか、知能線が太いとか、適当なことを並べ立てる。
じっくりと五分ほど触れてから手を離すと、步果さんは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
完全に惚毒が回ってしまっている。ちょっとやり過ぎてしまっただろうか。
「ありがとう。よく分かったよ」
ルーペをしまうと步果さんは驚いた様子で顔を上げた。
「え? 終わり?」
「はい」
「そ、そのっ……あたしと彼氏の相性を見ていたんじゃないの?」
「そうだけど」
「じゃあ結果教えてよ」
突然湧き起こった僕へのときめきに戸惑いつつも、彼氏を想っている姿勢は崩さなかった。
いや、実際に彼への気持ちも変わっていない可能性もある。
僕の能力はあくまで相手に好感を与えるというだけで、性格を優しくしたり素直にさせたりはしない。
『彼氏は好きだけど僕のことも好き』という人はこれまでも沢山見てきた。
その場合、もちろん最悪の泥沼化に発展することも多い。
「占いは信じてないんだろ?」
「そうだけど。でも気になるじゃん!」
食い下がる步果さんの顔を見てため息をつく。
「占いは、しょせん占いでしかない。僕はあまり聞いて人が喜ばない結果は伝えないようにしている」
言ったも同然のことを口にすると、サーッと步果さんの血の気が引くのが見て取れた。
こんなあっさり騙されるところを見ると、根は真面目で素直なのかもしれない。
あと一押ししてやろうか。
「僕にはちょっとした力がある」
手のひらを彼女の眼前に翳す。
「いま、步果さんの身体は熱くなってない?」
「えっ!? ま、まあ、ちょっとだけ……」
「占いをするときの僕の神通力が視線を通して君の体内にも入っているからなんだ」
全くの出鱈目だ。彼女が火照っているのは惚毒に冒されて興奮しているからだ。
しかし体調の変化を言い当てられた步果さんは、僕の占いの力が本物だと錯覚してしまう。
「今の彼氏とは付き合っていても不幸しか訪れない。別れた方が君のためになるだろう」
翳した手を下ろすと惚けた步果さんはガクッと力を抜いて椅子の背もたれに体重を預けた。
「占いを信じるか信じないかは步果さん次第だ」
あまりにあっさり騙されてくれるからつい悪ノリしたくなって、彼女の顔の前で催眠術師のように指をパチンと鳴らした。
「ふ、ふざけんなっ……誰がそんなこと信じるかっ」
步果さんは急に怒り出して席を立つ。逃げるように立ち去っていく後ろ姿を、僕は特に興味もなく眺めていた。
果たして上手くいったのだろうか。結果はすぐには分からないが、このことは明日直接会って朋花に伝えておこう。




