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触れた女性から惚れられる能力を得たけれど、思っていたのと違う  作者: 鹿ノ倉いるか


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酔いどれの女神、再び

 作戦はさっそく明日からと決まると、朋花は何度も礼を述べて急いで帰っていった。妹の世話や夕食の準備もあるのだろう。


 すぐに家に帰る気になれなかった僕は、辺りを当てもなく歩いた。

 普段来たこともない見知らぬ土地を出鱈目に彷徨いていると、あちこちの家から夕食の香りが漂ってきた。

 その匂いに釣られるように歩いて行いると、いつの間にか僕は見覚えのある裏路地に辿り着いていた。


(ここはっ……)

 先ほどまで住宅街を歩いていたはずなのに、いつの間にか雑居ビルに挟まれた薄汚れた裏路地に立っていた。


 視界の先には壁にもたれて座っている女性がいる。


「お前はっ……」


 それはあの忌まわしい酔いどれの女神だった。

 女神が僕の前に現れるのは、あの小学六年生の時以来、はじめてだった。


「元気にしていたかしら?」


 女神は億劫そうに立ち上がり、薄ら笑いをよこしてきた。


「ふざけるなっ……」


 怒りなのか、それとも恐怖なのか、僕の身体は震えていた。


「私の授けた『偉大なる力』で楽しい人生を送れている?」

「なにが偉大なる力だ! ふざけるな! お前のせいで僕の人生は滅茶苦茶だ!」

「あら、ずいぶんな言われようね。せっかく願いを叶えてあげたのに。あなたが望んだのよ? 触れた女性全てから惚れられる能力」


 今日も酔っ払っているようで、女神はフラフラと足許が覚束ない。


「お前は誰なんだよ! 目的はなんなんだ! この呪いを解けよ!」

「大きな声で騒がないで。耳が痛いわ」


 女神はうるさそうに顔を顰める。


「知るか! お前には聞きたいことが山ほどあるんだ!」

「嫌よ、面倒くさい。だいたい神様にお願い事するなら供物くらい捧げてよね。私の場合お酒が有効よ」

「うるさい! 人をこんな目に遭わせておいて!」

「仕方ないわねぇ。じゃあ一つだけ質問に答えてあげる。一つだけよ」


 女神は急に酔いが醒めたように冷たい目をして僕を見据えた。

 その瞬間足が地面に貼り付いたように動かなくなってしまった。恐らくこいつの魔力でなにかしたのだろう。


「一つだけ……」

「そう。一つだけ。そのかわりその質問には嘘偽りなく正直に答えて上げるわ」


 訊きたいことは山のようにあったが、一つだけというなら考えるまでもなかった。


「この呪詛のような忌々しい能力を消す方法を教えろ!」


 そう怒鳴りつけると女神はにっこりと微笑んだ。

 それは宗教画に描かれている聖女のような、慈しみ深い笑顔だった。


「その能力を消すことが出来るのは私だけ。私を満足させたら消してあげてもいいわ」

「どうやったら満足するんだよ!?」

「質問は一つだけって言ったでしょ。もう忘れたの?」


 女神は罠にかかった獲物を見るような目でそう告げてきた。


「は、はぁあ!? ふざけるな! ちゃんと教えろよ! じゃなきゃどうやって満足させればいいのか分からないだろ!」

「なんでも聞いたら教えてくれるなんて思わないでよね。私はスマホじゃないんだから」


 飛び掛かってやろうとするものの、やはり足はぴくりとも動かない。


「そんな怖い顔しないで。そもそも私はあなたの望みを叶えてあげたのよ? 感謝して欲しいくらいだわ」


 その場で手を伸ばして捕まえようとするが、届かずに空を切ってしまった。

 完全に弄ばれている。

 僕が苦しみ、もがくのをこいつは愉しんでいる。


「頼む! もう許してくれ。お願いだ!」

「そんなに悲観的にならなくてもいいじゃない。上手に使えば役に立つ能力だと思うわよ。ほら、最近の言葉でなんていうんだっけ? チート能力?」


 女神はポケットからウイスキーの小瓶を取り出し、クイッと煽る。


「でも以前にも言ったけど一人だけあなたを好きにならない人がいるわ。残念ながらあなたはもうその人とは出会ってしまったみたいね。でもその人だけには恋をしちゃ駄目よ。なるべく近寄らない方がいい。必ずあなたが不幸になるから」


 女神はまるでそうなることを期待しているような顔をして微笑み、踵を返して僕に背を向ける。


「おい、待てよ! まだ話は終わってないっ!」


 手を伸ばしたその瞬間、僕の脳内に白い霧でも発生したかのようにぼんやりと意識が遠退いていく。


「待ってくれ。頼むからこの呪いを解いてくれ──」


 次に意識が戻ったとき、僕は家の前に立っていた。あのときと同じだ。

 きっとあの女神は僕を暇潰しの玩具にしているのだろう。

 空を見上げて、見えない女神を睨みつけていた。



 女神と五年ぶりに再会したことは、朋花には内緒にした。

『能力が効かない女性に恋をしてはいけない。なるべく近寄らない方がいい。さもなければ不幸になる』

 それを伝えてしまったら、こうして二人で会うことを朋花が躊躇ってしまうかもしれない。


「どうしたの、三田君。怖い顔して」

「いや。なんでもないよ」


 ちょっとだけ僕の顔を見た朋花は視線をまた駅の改札へと向ける。

 ちょうど電車が来たのか、彼女の親友である步果さんと同じ学校の制服を着た生徒が目立つ。

 しかしその中に步果さんはいないらしく、朋花は壁により掛かった姿勢のままだ。


「もう帰っちゃったんじゃない?」

「どうだろう。でも步果はいつも帰りが遅いらしいから。見落としたってことはないと思うし」


 既に待ち伏せをして小一時間が経過している。

 初めは緊張して步果さんを待っていたけれど、さすがに緊張がそんなに長く続くはずもない。


 僕は手持ち無沙汰でスマホを弄り、何となくインストールしていたアプリゲームを始める。今日は手袋をしていないからタッチの反応がいつもよりいい。


「手袋していると触ったときに相手に与える影響を弱められるの?」


 朋花は僕の手を見ながら訊ねてきた。


「多分そうだと思う。触れる力加減とか時間とかも関係するみたい。もちろん強かったり長かったりすれば、それだけ影響も強く与えられる」

「へぇ、そうなんだ。効果はどれくらい持続するものなの?」

「その辺りは人によるみたいだよ」


 スマホをポケットにしまいながら答える。


「一度触ったら一年以上効いている人もいるし、翌日には素っ気なくなってる人もいる。もちろん本当は効果が持続しているのになんでもない振りをしている人もいるだろうし、逆にきっかけが惚毒でもそれが本当の恋心だと勘違いして効果が切れた後も好きで居続ける人もいるんだろうけど」

「なるほどね。本当のところは見た目では分からないもんね」


 朋花は視線を改札口に向けたまま頷く。


「まあ平均すれば素手で長めに握手をしたら一ヶ月間くらいは効いている気がする」

「そんなに? 意外と長いんだね」

「風邪とかに比べたら長引くね。もっとも惚毒がきっかけでも僕の魅力に気付いて普通に恋しちゃう女の子もいるんだろうけど」


 朋花は白けた顔で僕を睨む。冗談というのは伝わったようだが、笑うはおろかツッコんでもくれない。

 気まずくなりかけたところで電車が到着してくれたらしく、改札から人が沢山降りてくる。


「あっ!?」


 声を上げ、その人混みに朋花は歩み寄っていく。どうやら步果さんが来たようだ。

 僕も朋花のあとを着いていった。


「步果。久し振り」


 朋花が声を掛けたのは、かなり明るめな髪色のショートボブの女の子だった。

 扇情的に制服を着崩しており、想像していたイメージとはだいぶ違っていた。


「なに?」


 步果さんはあからさまに迷惑そうな顔をして、足を止めようともしない。覚悟していたよりも気まずい空気で、とても挨拶するような気配ではなかった。

 それでもさすがに知らん顔は出来ず、朋花の隣を歩く。

 僕の存在に気付いた步果さんは値踏みするような視線を向けてきて、侮蔑的に口許を歪めた。


「彼氏出来たの?」

「まさか。この人はクラスメイトの三田昴君」

「はじめまして。三田です」


 僕は握手を求めるように手を出した。さっさと触れ合って惚毒で引き付ける作戦だった。

 しかし步果さんは手を握ってくることはなく、さっさと歩いて行ってしまう。


 驚くことにこの握手作戦が朋花の考えた唯一の作戦だった。欧米人じゃあるまいし、挨拶に握手など応じてくれるはずもなく失敗に終わる。


 朋花は「もっと上手くやれ」的な非難がましい目配せをしてきた。どうやろうがこんなもの上手くいくはずがない。

 この作戦が失敗したら後はもう強引にでも步果さんの身体を触るという、強引かつ無謀な作戦だった。


「ちょっと待ってってば歩果」

「なんでそんなダサい奴連れて来たわけ?」


 説教をするために僕を連れて来たと思っているのだろうか。歩果さんは敵意を剥き出しにした対応だった。


「ダサいってひどいなぁ」


 仕方なく僕はツッコむように步果さんの肩を叩いた。


「触んな! 殺すぞ!」

「す、すいません」


 聞いていたよりもかなりやさぐれている。

 僕が怯んだ隙に步果さんは走って逃げ去ってしまった。


「ちょっと三田君、なにやってるの! 步果、行っちゃったじゃない!」

「ごめん」


 すぐに追い掛けたが人混みに紛れて巻かれたらしく、見失ってしまった。


「あーあ。でも肩には触れたから。もしかしたら効いてるかな?」

「どうかな? 服の上からだったけどそこそこ強く叩いたから、効きが強い人なら効果はあったはずだよ。でもかなり怒っていたし、本気で逃げたところを見るとあまり効果がなかったのかもしれない」


 朋花はガッカリした顔をしているが、僕にとっては悪くない結果と言えた。

 嫌っていたり、怒っていたり、もしくは他の人を強く思っていると僕の能力は効きづらいのかもしれない。


「仕方ない。また明日試してみよう」

「えっ!? 明日もするの?」

「当たり前でしょ。それに毎日触れた方が効果あるんでしょ?」

「それはまあ、そうだけど」


 迷惑な話だが、朋花が親友を想う気持ちも分かるので冷たく断るのは躊躇われた。


「明日は私が来られないから三田君一人でお願いね」

「僕ひとりで!?」

「明日は妹の保護者面談でちょっと外せないの。母は仕事だし」


 あの歩果さんの蔑むような視線に一人で晒されるのは勘弁して欲しい。


「お願い。步果を救えるのは三田君しかいないの」


 朋花は泣きそうな顔をして懇願してくる。普段は無表情のくせにこんな時だけそんな顔をするなんて狡いやつだ。


「分かったよ。一応、やるだけやってみるけど」

「ありがとう。それと新しい秘策を思い付いたから明日までに用意するね」


 僕が不承不承引き受けると朋花はパッと笑顔になり、そしてさっさと改札へと消えていった。

 なんか上手いこと使われている気がしてならない。




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