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人助け

 人が苦しむのは『欲』があるからだ。欲がなければ苦しむこともない。

 そんな言葉を耳にしたことがある。


 確かに貧しくて苦しむのも、友達がいなくて悩むのも、成績が上がらなくて落ち込むのも、突き詰めれば全てその根幹には何らかしらの『欲』があるからだろう。


 でもそれは『犯罪者の九割以上がパンを食べたことがある』という言葉遊びに似たペテンも感じる。


 人はどう生きても結局は欲が出るものだ。食欲や睡眠の欲を満たさなければ死んでしまうし、種の保存のために性欲は本能的に備わっている。

 それは恐らく虫レベルでも備わっている欲望で、それらを解脱しているとなると微生物までいかなければならないのだろう。


 だから『恋をしない』なんて欲を抑えられる人がそんなにいるとは思えない。

 恋愛=性欲=種の保存という破廉恥な三段論法を用いたりはしないが、でも恋をしないなんて人間の本能に抗っているような気がする。とはいえ食欲に比べれば命に関わらないので、そういう人もいる可能性はあるだろう。

 朋花の仮説は僕にそんな希望を与えてくれた。



「私以外に恋をしないと心に誓っている人?」


 朋花は眉間にしわを寄せて僕を見る。もう見慣れてきた感のある表情だ。


「そう。誰かそういう人を知らないかなって」

「それを知ってどうするの?」

「もちろん試すんだよ。本当に僕が触ってもこの毒が効かないのかを」


 昼休みの美術室は僕ら以外誰もいない。

 意外にも相談があると呼び出すと簡単に来てくれた朋花だが、微妙に離れた位置に座っているところを見ると別に僕に対しての態度が軟化したわけでもないようだ。


「知らないよ、そんな人。だいたい調べてどうするの?」

「調べてどうなるものじゃないかもしれないけど、でも確かめたいんだ」

「仮にそういう人が私の他にいたとしても迷惑だと思うよ。万が一その力が効いてしまって、三田君のことを好きになったらどうするわけ? 責任取れないでしょ? 逆に効かない人を見つけたところで、三田君のことを好きにならないわけだし無意味でしょ?」


 白けた口調で振りかざす正論は容赦なく僕を痛めつける。

 不意に女神の『この能力が通用しない相手に恋をしないように。接触もしない方がいい』という警告を思い出した。

 確かにこんな刺々しい人と関わっていたら不幸になるかもしれない。


「別に惚毒が効かない人と恋をしたいとか、そういう意味で探しているんじゃない。毒が効かない相手がいるという事実を知りたいだけだよ。志津野……朋花には分からないだろ、触る人がみんな自分に好意を抱くという絶望が」

「なんとなく大変そうだなっていうのは分かるよ」


 朋花は少しだけ同情したように眉尻を下げる。


「でもさ、せっかくそんな力を持っているなら、有効に利用してみたら?」

「だからそれは……はじめは面白がって使っていたけど、そのせいで人の身勝手さや汚さを見せ付けられることになっただけで」


 僕に好意を寄せる女子同士の喧嘩や僻む男子の嫌がらせを思い出し、気持ちが重くなる。それにもっとひどいことも。

 もう二度とあんな思いはしたくない。


「そうじゃない。自分のためじゃなく、人のためにその力を使ってみたらっていう意味」

「人の、ため……?」

「そう。その能力を使って人助けをするの」


 考えたこともないことだった。

 朋花ははじめて僕に向けて、微笑んだ。注意してみなければ分からない、間違い探しレベルのほんの僅かな微笑みだったけれど。


「実は昨日、考えてみたの。三田君のその力を有効に使う方法を」



 詳細についてはまた放課後に説明する。

 そう言って朋花は美術室を後にしていった。

 あっさり昼休みに美術室へと呼び出しに応じてくれたのは、きっとこのことが言いたかったからかもしれない。


 いったい朋花は何を企んでいるんだろう?

 女性に触れると恋心を寄せられるなんて能力が人の役に立つなんてとても思えない。

 結局その後も朋花はまったく僕に話し掛けてくることもなく、放課後になった。


 待ち合わせは学校から離れた公園を指定されている。

 帰る支度をして教室を出た。朋花はまだ教室にいたが、その際も彼女は僕に一瞥もくれなかった。

 無視してるのか、周囲を気にしているのか。いずれにせよ朋花の態度は徹底している。

 一人で昇降口に向かう途中、まるで待ち構えていたかのように前から水澤みずさわ亜莉沙ありさがやって来た。


「昴、今帰り?」


 やや明るい色の髪からは甘い香りが漂っていた。毒気じみた化粧も相俟って、何となく色彩や香りで誘き寄せる食虫植物を彷彿させた。


「うん、まあ」

「今からカラオケ行こうかなって話してたんだけど、昴も来る?」


 ついでのように誘ってくるが、目つきは真剣だ。

 水澤は元々僕を嫌っていた。『イケてないくせに友達を振った』とか言って僕に文句を言いに来たのが、まともに会話をした最初だ。

 のらりくらりと交わそうとした僕に腹を立て、いきなりビンタをしようとしてきた。

 その手を反射的に掴んで防いでしまったのが間違いだった。思わず力強く彼女の手首を掴んでしまい、それからこうしてたまに誘ってくるようになってしまった。


「ごめん。用があるから」

「ふぅん。分かった。じゃーねー」


 どうでもいいことのようにそう言って立ち去っていく。

 プライドの高そうな水澤のことだ。僕ごときに軽くあしらわれ、きっと羞恥で腹を立てたことだろう。

 いま僕に向けている好意はいつか敵意に変わり危害を加えてくるのは想像に難くない。

 去っていく彼女の背中を見送りながら、もしかすると昨日僕を襲ったのは水澤の彼氏だったのかもしれないなと思った。

 別にそうであったからといって、どうするということもないのだけど。


 朋花に指定された公園は小学校が近くにあるのか、子供が沢山遊んでいた。

 既に蝉の声が聞こえる季節なので、男の子は虫取り網を片手に木を見上げて騒いでいる。

 朋花はもう到着しており、遊具から少し離れたベンチに座っていた。

 僕を見てもなんの反応も示さず、静かにこちらを向いて座っている。

 その姿はまるでRPGでその人と話さないと物語が進まないキャラクターのようだった。


「ごめん。お待たせ」


 来る途中で買ってきたペットボトルの紅茶を渡すと、軽く会釈をして「ありがとう」と受け取った。


「それで? 人助けって誰を、具体的にどんな感じに助けるの?」

「私の幼馴染みなんだけど」


 朋花は勢いをつけるためなのか一口だけ紅茶を飲んで、まるでそこに書いてあるものを読むかのようにラベル辺りに視線を落として語り始めた。


「私の幼馴染みがよくない男と付き合っているの」

「へえ。朋花にも幼馴染みなんていたんだ。友達いなさそうなのに」

「もういい。それじゃ」

「冗談だって」


 怒って席を立とうとするのを宥める。

 幼馴染みの名前は迫田さこた步果あゆか。二人とも洋画を見るのが好きという共通項があって仲良くなったらしい。

 普段は表情の変化がない朋花だが、歩果さんの話をする時は楽しそうに顔を綻ばせていた。それがなんだか可愛くてつい凝視してしまうと、その視線に気づいたのか朋花は咳ばらいをして、またいつものような無表情を取り繕った。


「とにかくそういう具合で、私と步果は徐々に親しくなっていったの」

「それで? よくない彼氏と付き合ってるってどんな感じなの?」


 合いの手のようにそう訊ねると、朋花は神妙な面持ちで頷いた。

 中学までは同じ学校だったが、高校は別々のところに通うようになった。朋花はちょうど親の離婚などもあり、中学卒業辺りから歩果と疎遠になっていったらしい。

 高校に入り、步果はすぐに彼氏が出来た。相手は二学年上の先輩で、向こうから告白されたそうだ。


「ところがこの彼氏というのが、ろくでもない男だったの」


 朋花は半音低い声になる。


「步果以外にも何人か付き合っている女がいてね。しかもそのことを問い詰めると暴力を振るってきたらしいの」

「それは……控えめに言っても最低だね」

「ええ。でもそれに気付いた頃には、すっかり步果はその男に夢中だった。周囲の反対の声も、イケメン彼氏がいることのやっかみだと曲解して反論した。そんな具合だから女友達からも嫌われはじめて」


 パリパリッと音を立るほど、朋花が紅茶のペットボトルを握り締める。


「見た目もずいぶん変わっちゃったんだ。あんなにいい子だったのに……」


 これだから恋愛なんかろくなものじゃない。彼女の話を聞き、僕も憤った。

 きっと朋花の恋愛嫌いは親友の件もあってますます強固なものになったのだろう。


「朋花もその步果さんに忠告したの?」

「うん……したよ」


 浮かない表情を見ればその結果は聞くまでもなかった。


「幼馴染みが言っても聞かないのに、僕なんかが何をしても駄目なんじゃないかな?」


 朋花は唇をキュッと噛み締め、僕を真っ直ぐに見詰めた。


「步果に触れて三田君に恋をさせて欲しいの」

「え?」

「そのろくでなしの彼氏に興味をなくすくらい三田君を好きになれば、歩果を今の状況から救ってあげられるでしょ」


 それが彼女の言う『人助け』だった。

 確かにそうすれば步果さんはその暴力男からは逃れられるかもしれない。

 しかし──


「そんなことしたって步果さんが報われない恋をするってことに変わりはないだろ。そりゃ暴力を振るわれたり、友達から嫌われることはなくなるかもしれないけど」


 でもそれが彼女の幸せになるとは思えなかった。

 叶わない恋をすることは、步果さんにとってはむしろ今より不幸なことになるかもしれない。

 なにしろ僕はその歩果さんを好きになることはないのだろうから。


「別にそのまま步果と三田君が付き合ってもいいんだよ?」

「はあ? ないない。それはあり得ない」

「大丈夫。步果はいい子だよ」


 朋花はまだ分かっていないようだ。僕がどれほどこの惚毒の力をどれくらい忌み嫌っているのかを。

 助けてあげたいとは思う。

 しかし朋花が恋愛をしないと誓っているのと同じように、僕もこの力を使って人に好かれた人と恋愛をしたくない。


「お願い。その力で步果を助けてあげて」


 朋花は深々と頭を下げた。


「でもなぁ」

「それにこれは君にも有益なことになると思うよ」

「僕に?」

「ええ。実験になると思うの」


 朋花は僕を見て静かに頷く。


「他の人を激しく愛している人にもその力が通用するのか? 効くとしてどれくらい触れれば効果が出始めるのか? それを試せるんだよ。興味深いと思わない?」

「なるほど……」


 これまでも彼氏のいる女の子に触れて惚れられたことはあった。

 でもそもそもその女の子が彼氏のことをどれくらい好きだったのかとか、僕がどれくらい触れたら効果が出たのかなどを検証したことはない。

 しっかりと条件が分かった状態で試してみればサンプルデータとして使えるかもしれない。


 それにここで恩を売れば、朋花に恩を売れるという打算も働いた。なにせ朋花は僕に触れてもなんの変化もないという貴重な存在だ。


「分かった。引き受けるよ」

「本当? ありがとう!」


 僕が引き受けると、朋花は文字通り花が咲いたように微笑んだ。

 その笑顔に、不覚にも僕はドキッとしてしまった。



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