姉と妹
招き入れてもらってはいないが、家に入るなと拒絶されてる感じもなかった。
多少迷いながらも僕は家にお邪魔する。
「お姉ちゃんお帰り-!」
奥から小学五、六年生くらいと思われる妹が駆け寄ってきたが、僕の姿を認めてビクッと驚いた様子で立ち止まった。
「ただいま、令奈」
朋花は微笑みながら妹の頭を撫でる。その表情は僕に見せたことがない柔らかで穏やかなものだった。
令奈と呼ばれた女の子の方は姉に隠れるようにして僕のことを見詰めていた。
輪郭や口許は朋花と似ているがどこか幸薄げな姉と違い、令奈ちゃんは目鼻立ちのはっきりとした華やいだ顔立ちだった。
「はじめまして、令奈ちゃん。お姉ちゃんのクラスメイトの三田昴です」
挨拶をすると令奈ちゃんはおずおずと会釈をしてきた。
「お姉ちゃんの彼氏さん?」
「は?」
「ち、違っ」
僕たちが慌てて否定すると、令奈ちゃんはいたずらっぽく笑った。性格も姉と違って陽気なようだ。
「ねえ、こっち来て! いいもの見せてあげる」
彼氏と誤認され、焦っていたのがよくなかった。
令奈ちゃんは素早く僕の前に来て、そして手袋も嵌めてない僕の手を握った。
「あっ!?」
僕と朋花は同時に声を上げる。
令奈ちゃんはそんな僕らの動揺などお構いなしに、ぐいぐいと僕を引っ張った。慌てて手を離したがもう手遅れだった。
その一瞬の接触が命取りだったのだろう。令奈ちゃんはすっかり僕に懐いてしまった。
一緒にゲームをさせられたり、スマホの画像加工アプリで写真を撮られたり、やたらベタベタと身体を触ってきたりする。
「言っとくけど三田君、妹に手を出したら警察に突き出すからね」
「手なんか出さないよ!」
朋花は殺意すら感じさせる目で僕を睨みつけてきた。
「もう! お姉ちゃんはあっちに行っててよ! 彼女じゃないんでしょ?」
僕の毒の影響なのか、それとも元々の性格なのか、令奈ちゃんはやたら積極的だった。
朋花は疑り深い視線を僕に向けながら台所に行き、夕飯の支度をはじめる。
何とか興味をテレビに惹きつけた僕はそろっと立ち上がって台所の朋花の元に向かった。
普段から料理に慣れているらしく、包丁捌きには無駄がなかった。
「父親は二年前に浮気をして出て行ったの。だから今は母と令奈と三人家族」
切った野菜を鍋に入れながら独白のように教えてくれた。
「でも苗字は志津野のままなんだ?」
「学校ではね。戸籍上は甲斐朋花。中学時代からの知り合いもいるしね。親が離婚しましたって伝えるようなものだから学校では志津野で通してるの」
つまらなさそうに説明しながら料理をする手は休めない。
今夜は肉じゃがなのだろうか。鍋からは醤油とみりんの甘い香りが立ち上っていた。
「父親の浮気は一度だけじゃないの。何度も何度も繰り返していた。あれはもう病気といって差し支えないんじゃないのかな。もしくは麻薬。とにかく治らないの。そのたびに両親はいつも喧嘩していた」
なんと返していいのか分からず、僕は黙って聞いていた。
「それを見てね。私は絶対結婚なんてしないって決めた」
「そうなの? なんかちょっと大袈裟じゃない?」
「結婚だけじゃない。恋愛もしないって決めた。恋愛さえしなければ、そんなややこしい問題を抱えることなんてないんだから」
朋花はお玉で汁を掬い、具材の上にかけていた。まるで墓石に水をかけるように、何度も何度も意味もなく掬ってはかけていた。
「なんかその理論。ちょっとおかしくない?」
「今は私の考えが正しいのか間違っているのかはどうでもいい。私が言いたいのは、『私が恋愛をしないと固く心に誓っている』ということ」
落とし蓋をした朋花は顔を上げて俺を横目で見てきた。
「私が三田君の手に触れられてもなんにも感じないのは多分そのせいだと思う」
静かだが断定的な口調で、朋花はそう告げてきた。
恋をしないと固く誓っているから僕の毒も効かない。そういう理論なのだろう。しかしそんなことあるのだろうか。
「そうなんだ……いや、でも違うと思うよ。だって僕はお年寄りの手を取って惚れられたこともあるんだから」
「お年寄りは恋をしないって、なんでそう決め付けてるの?」
一秒も間を置かずに反論してきた。
「わたし老人保健施設内で恋をした人の話も聞いたことあるよ。今どき七十代でも恋愛をする時代だよ」
そう言われると自信がなくなった。
ひどい失恋をして恋愛をしないと言う人は案外多いかもしれない。でもその決意だって長くてひと月くらいのものだろう。
常に恋愛をしないと心に誓っている人というのは少ない気もする。
そんな変わった人に触れたのは、確かにはじめてなのかもしれない。
「なるほど……恋をしないと誓ってる、か。そういう可能性は考えたことがなかった」
「でしょ? 色恋を自戒している人というのは少ない。でもいないわけじゃない。だから私が唯一の人というわけじゃないと思うよ」
そう考えると微かに希望が湧いてきた。
もちろんそういった類の人と知り合っても、そもそも恋をしないと決めているのだから付き合ったり結婚するのは難しいのかもしれない。
でも触れても問題がない人が他にもまだまだいるという仮説は、僕の心を少しだけ穏やかにしてくれた。
「ありがとう。なんか心が落ち着いたかも」
「別に感謝されるようなことはしてないけど。でもお役に立てたならよかった」
朋花は冷蔵庫の野菜室を開けてほうれん草を取り出す。既に意識は料理へと戻っているようだった。
「じゃあ気が済んだなら帰ってくれる? 私は忙しいから」
「あ、うん」
リビングを見ると令奈ちゃんは畳の上でこてんと眠っていた。
起こさないように静かにドアを開け、最後にもう一度朋花に頭を下げる。彼女は僕の方を見もせず、顎を軽く突き出す程度に会釈を返した。
僕に対して気のある素振りを見せるどころか、徹底した無関心を貫いている。
でもそれが逆に僕の救いとなった。
僕は孤独じゃない。
この力に絶望してからはじめてそう感じていた。
その帰り道、手痛い失恋をして泣いている人を探してみた。しかし当然ながらそんな人は都合よく見つからなかった。




