君の秘密
「じゃあここで」
駅に着くと志津野は申し訳程度に会釈をして、さっさと改札を通ってしまった。
「待って。まだ大切なことを話してない」
慌てて追い掛けて隣を歩く。
「なんなの? 私、本当に忙しいの」
もはや苛立ちを隠すこともなく、迷惑そうに眉をしかめられる。
「大切な相談なんだ。電車に乗りながらでもいいから聞いて欲しい」
真剣な顔で懇願すると、志津野は仕方なさそうにため息をついた。
電車は空いていたが、僕たちは腰掛けずにドア付近で立った。
遠巻きにこちらを見て話している女子がいる。もしかしたらかつてどこかで惚毒をかけてしまった人かも知らない。
けど今はそんなことどうでもよかった。
「実は──」
意を決してこれまで誰にも話してこなかった惚毒の呪いについて志津野に話をした。
酔いどれの女神と出会ったこと。
触れた女性全てに恋心を与えてしまうこと。
そのせいで普段はいつも手袋を嵌めていること。
こんな荒唐無稽な内容、信じてくれるとも思わなかったが、それでも言わずにはいられなかった。それくらい僕は浮かれていた。
僕のことを好きにならない運命の人を見付けたということは、それくらい喜ばしいことだった。
説明している最中、志津野は口を挟むことなく最後まで聞いてくれた。
「つまり私がその触られても好意を抱かない唯一の女性っていうわけ?」
話が終わると志津野は迷惑そうな顔で確認してきた。
「うん。まあ、こんなこと言っても信じてはもらえないだろうけど。でも実際どんな人でも僕の手に触れられると好意を持ってしまうんだ」
どうせ鼻で笑われて終わりなのだと思っていたが、意外にも志津野は神妙な面持ちで「なるほど」と呟きながら小さく何度も頷いていた。
「もしかして……信じてくれた、の?」
「女神とか、特殊な力とか、そういう馬鹿げた話は受け入れがたいけど」
そこで一旦言葉を切った彼女は、僕のことを爪先から頭まで睥睨する。
「そういう力があるのならば三田君が女子からモテるというのも理解できる」
「え? どういうこと?」
「三田君のことを色んな女子が好きだというのは聞いたことがある。好きじゃない子は全然興味ないみたいだけど、好きな子はすごく好きだって。それに興味ないって言っていた人もある日突然あなたに夢中になったり」
僕が知らないところで色んな人の話題に上がっていたようだ。気を付けてきたつもりでも、やはりこの毒の被害者はかなり多いらしい。
「申し訳ないけど見た目もそこそこ、成績もそこそこ、愛想がいいわけでも、運動が出来るわけでもない三田君がなんでそんなにモテるのか不思議だった。あ、気を悪くしたらごめんね」
「い、いや。大丈夫」
歯に衣着せぬ物言いに、本当はちょっと傷ついた。
「でもそういうカラクリがあるというのなら少し納得がいくかな、とは思う」
志津野はどうでもよさそうに窓の外を眺めながらそう結んだ。
それに呼応するように電車はブレーキをかけ、ゆっくりと減速していく。
駅に着くと志津野は振り向きもせず電車を降りた。僕もそのあとに続く。
「多分昨日蹴ってきた奴らも自分の彼女を取られた腹いせのつもりだったんだと思う」
ああいうことはよくあることなのであまり気にしていない。
彼らも彼女を奪われた犠牲者の一人だと思えば、どちらかと言えば加害者の僕は甘んじるしかないだろう。
「それは災難だったね」
駅を出たところで志津野は腹を立てたように「でも」と言って振り返った。
「それで私にどうしろというの?」
「えっと、それは……」
彼女の言うとおりだ。
志津野は僕にとってはこの世でたった一人の触れても恋をしない女の子だ。世界一のスターと会えたのも同然だった。
その一人に会えた奇蹟に喜び、つい付き纏ってしまい、惚毒の呪いの話までしてしまった。
でも彼女からしてみれば、僕はただのクラスメイトでしかない。
しかも荒唐無稽なことを口走るちょっと痛い同級生だ。
「志津野は、僕にとって唯一の存在かもしれないから、だから……」
付き合いたいとか、仲良くしたいとか、そういうこととは違う。
なんと答えればいいか迷っていると、志津野は鼻から息を抜いて笑った。
「多分違うよ」
「え?」
「私は君の唯一の存在なんかじゃないと思う」
「どういうこと? だって実際に触っても……」
意味深な発言の説明をせず、志津野は再び歩き出してしまう。
「唯一の存在じゃないって、それってまさか」
置いて行かれまいとすぐにそのあとを追う。
「もしかして志津野も僕のことが好きになってるってこと!?」
せっかく見つけたと思った希望が消えてしまった気持ちになり、動揺した声で訊ねた。
「は? なに言ってるの。なんで私が三田君のことなんて好きにならないといけないの」
蛇蠍のごとく嫌った目つきで僕を睨む。
世界で唯一僕がまともに関われるかもしれない女性に嫌われてしまったと思い、思わず身が竦んでしまった。
志津野はそんな僕を無視してさっさと立ち去ってしまう。
「ごめん! 悪かった! ちょっと待ってよ!」
「だから私は急いでいるの」
後ろを歩いていても追い払われないので、取り敢えず着いていく。
商店街を通り抜け、僅かな土地にひしめき合うように建てられた住宅街を進んでいく。
今どきちょっと珍しい古びた二階建てのアパートの前で志津野は立ち止まった。
「どこまでついてくる気なの?」
呆れた顔をして志津野が振り返る。
「さっきの言葉、どういう意味? 志津野が唯一の存在じゃないって」
志津野は答えずに「はぁ」と大きくため息をつき、アパートの階段を昇っていく。その一番奥の部屋の前に立つと鍵を開けた。
表札には『甲斐』と書かれている。
「え? この家って」
「私の家よ。おんぼろアパートで驚いた?」
「そうじゃなくて。ここって甲斐って人の家なんじゃ」
「私が甲斐なの。志津野っていうのは親が離婚する前の苗字」
それだけ告げると志津野、いや甲斐というべきなのか、それとも朋花か。とにかく彼女はドアを開けて家に入った。
僕は勝手にそのあとに続いた。