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スロードールライフ  作者: 嘉川 みのり
2章)桃瀬町
9/20

09 変化

 立花和也(たちばなかずや)が仕事の合間に居間で茶を啜っていると、帰宅を告げる元気な声が響いた。

「真琴か、おかえ……り!?」

 素っ頓狂な声を上げ、目が点となった父を見た真琴は、ああ、と納得して、スカートの裾を軽く抓んで持ち上げた。

「どう? 似合うでしょ。以前メイクのことでちょっと対立した子がさ、あ、その子とはもういい友達なんだけど、彼女好みに仕上げてくれたの。服も貸してくれてね。思った以上に似合ってビックリよ!」

 と、嬉しそうに話す真琴は、バッチリメイクに始まり、フリルやレース、リボンが過剰にあしらわれたジャンパースカートに丸襟ブラウス姿の――いわゆるロリータ・ファッションの出で立ちだ。ムシャクシャシしたり、気分が沈んだ時は、自分を着飾って発散するに限る! とばかりに少々ハジケてきたのだ。

 ご機嫌な真琴に対して、和也が哀愁を漂わせているところへ、

「宮司さん、それ、冷たくなってますよね。こちらをどうぞ」

 静かに部屋に入ってきた男が、新しい湯呑を差し出した。

「おお、青柳くん。すまないね」

「それと、今日の売上げです」

 帳簿と手提げ金庫を手渡した。

「ありがとう。帳簿まで付けて貰って本当に助かるよ。色々やってくれてるのに、あまりバイト代を出せなくて悪いね」

「親の代からお世話になってますし、好きでやってますから。それよりすみません。今日もあまり売れませんでした」

 和也は気にするなと苦笑した。そもそもお守りや御札など、イベントでもない限り売れないのが常だ。叩き売りの如く「安いよ、安いよ!」と声を張り上げる訳にもいくまい。

「それでも、最近少しずつ売れてましてね。学生の間でウチのお守りが評判らしく、今日も女子高生が何人か来ていました。真琴さんもどうぞ」

「あたしはいいや。着替えてくる」

 真琴は青柳の差し出した茶を断って自室へ向かった。

 ――真琴さんのお陰です! ありがとうございます!

 学校で礼を言われた件を思い出した。いつの間にウチのお守りがブームになったのかと不思議に思ったが、悪い気はしない。願いが叶ったと言っても、おまじない程度だろう。

 ふと、不穏な気配を感じて窓の外を見た。

「せっかく、いい気分でいたのに」

 ムッと眉を寄せ、手早く着替えを始めた。


  * * *


 場所を移した良は、町を一望できる小高い山――神社の参道を登っていた。長い石段を踏みしめながら、未だうるさく鳴る心臓の上に手を置いた。確かにずっと眠っていたので運動不足も甚だしいが……と、考えながら後ろ髪を引かれる思いで振り向いた。眼下には今まで上がってきた石段が続き、その下には小ぢんまりと土産物屋が並んでいる。その先に広がるのは、桃色に色づき始めた平野だ。花の絨毯にしばし目を和ませた。

 景色を眺めながら柔らかな風を受けていると、徐々に心臓が収まってきた。内心首を傾げたが、気にすることはないと後ろ手に頭を掻いた。

 思い出したように腹の虫が鳴った。先ほどの件ですっかり町中をうろつく気が削がれてしまった良は、結局、何も食べていない。うるさく鳴る腹を撫でた。贅沢など言う気もなくなり、腹に入れば何でもいい気分だ。さっさと戻ってしまおうと、神社の御神木――桃園の入口へ進もうとしたのだが、

「このっ、不届き者!!」

 大きな声に引きとめられた。振り返ると、眉を吊り上げた少女――真琴が居た。

「あんた、なに勝手に入ってんのよ! 鳥居の結界はどうしたの!?」

「結界?」

「しっかりした結界だったのに! あんたの仕業ね!?」

 怒り心頭で大声を張り上げていた真琴が、突然、ピタリと動きを止めた。

「あなた……りょう、さ……?」

 良は、呼ばれたか? と首を傾げたが、本人はなぜか頭を振っている。

「ともかく、あんたみたいな物の怪に、神聖な境内に入られちゃ困るのよ。さっさと出てってくれない? あと御神木にも近寄らないで。穢れが移ったら大変じゃない」

 シッシッと、まるで害虫でも払うかのように手を振られた。物の怪と認識していながら馬鹿にされたような。

「いや、おれは……」

 確かに物の怪と言われたら否定は出来ないが、穢れなど持っていない。『穢れている』と認識される、すなわちこの地の神に存在を否定されるも同義だ。それは有り得ない。なぜなら良は、今朝、向こうの世界からやって来たばかりなのだ。

 それより、この豪胆な少女――白い小袖と緋袴姿の巫女の少女に、良はもしや、との考えを持った。年の頃は十六、七といったところの、パッチリとした目の美しい少女だ。

 良は十年眠っていた。眠る前に出会った、生意気で、自信満々で、口の悪い、あの女の子を思い出した。目の前の少女は、面影が似ている気がした。違いは髪の色と、あと――。

「最近の子は髪を染めるくらい珍しくないんだろうが、少し化粧が濃いんじゃないのか? その格好に合ってないぞ?」

 羽ばたけそうな付けマツゲに始まるメイクが少し残念に感じた。というか茶髪とばっちりメイクが、古風な巫女装束にミスマッチだ。

「うっさい! 物の怪の分際で、あたしの美に口を挟むな!!」

 実は自分でも気づいていたが、物の怪の気配を感じて慌てて出てきたのだ。元凶が何をほざく、と激怒した真琴は札を構えた。

「これ以上穢れをまき散らされる前に、あたしが消し炭にしてやるわ」

 その形相は、まるででなく正真正銘の鬼だ。

「待て、誤解だ。おれはこの地の神に認められた者だ。穢れてなんかいない!」

 良は青い顔をして首を振った。なんて再会だと絶望したくなった。向こうはこちらを覚えていないどころか殺す気だ。

「自覚ないの? 足元見てみなさいよ」

「足元?」

 境内の木々から散った落ち葉を踏みしめているだけで、特に変わったものなど無い……と、思いながら足元を見て、絶句した。

「これは……!」

 足元の落ち葉がすっかり黒ずんで煤けている。振り返ると同じような箇所がいくつもあった。良が歩いてきた跡だ。

 愕然とする良の頬を打つモノがあった。天から雨粒がパラパラと落ちてきた。それは瞬く間に数を増やしてゆく。

「また、雨……」

 真琴も天を仰ぎ見た。最近は雨ばかりだ。また降り出したと、ジメジメとした空気を鬱陶しく思った。これ以上濡れる前にさっさと片付けてしまおう。そう考えて視線を戻すと、男の姿が消えていた。

「あれ?」

 辺りを見回すがその姿はない。まさかこの一瞬で逃げたのか――と思う前に、気になる存在があった。一匹の蝦蟇だ。ちょうど男の居た場所に、脱ぎ捨てられたジャージと、大きな蝦蟇ガエルが居た。丸々と太った身体には至るところにイボがあり、ギョロリとした二つの目が頭のてっぺんに付いている。クゥクゥ、グゥグゥとしきりに鳴いている。怪しい蝦蟇の出現に、真琴は頬を引きつらせた。

「それがあんたの正体だったのね……」

 正直なかり気持ち悪い。これはもう、即、退治だ。

 しかし真琴が濡れていない札を探している隙に、気持ち悪い蝦蟇――もとい良は、命からがらその場から逃げだした。


 はじめは何が起きたのか理解できなかった。雨が降り始めたと思ったら、瞬く間に少女も周りも全てが巨大化した。口を開いても、出てくるのは意味の無い鳴き声ばかりで。とても大変な事が起こった事は理解できたが、頭がボンヤリとして、それ以上は何も考えられないでいた。脳みそが空っぽになってしまったかのようだ。

 それでも本能的に身の危険を感じた良は、重い体をひるがえし、歪んだ足でペタペタと走り始めた。しかし、進んでも進んでも景色が変わらない。未だ危機を回避できていないのでは、と焦りを生んだが、身体に降り注ぐ心地よい雨に励まされて走り通した。

 それにしても腹が減って仕方が無い。ふと目の前を一匹のハエが通り過ぎようとした。しめた! と、さっと長い舌を伸ばして――そのような事が出来る自分に、これはおかしい、とようやく気がついた。

 舌を引っ込め、水たまりに自身の姿を写してみると、そこには一匹の蝦蟇が居た。

(なんだ、これはっ)

 人生何が起こるか分かったものではない。良は人間として生を受けたが、ある件をキッカケに人を辞めた。鬼だの妖怪だの物の怪だのと呼ばれる存在になって久しいが、まさか両生類になる日が来るとは思わなかった。

 認めたくない一心から、右手を上げたり、左足を上げたり、飛んだり跳ねたり三回転宙返りをしてみた。水たまりの中の蝦蟇も同じ動きを披露している。間違いなく自分の姿を写していると、認めざるを得ないようだ。

 余談であるが、もしここに第三者が居れば、一匹の蝦蟇がノリノリで踊っているように見えただろう。その後、盛大にショックを受けて落ち込む姿に首を傾げたに違いない。

(……?)

 蝦蟇となった良の、目のうしろにあるむき出しの鼓膜を揺する音が聞こえた。

「……ッ…………」

 いつの間にか、カツアゲ少年達にゲンコツを食らわせた場所まで戻っていた。先ほど別れた少女が、雨の中で座り込んでいる。涙に漏れた声が震えていた。

(あれから、ずっと泣いていたのか?)

 別れる前と違うのは、少女の周りに色とりどりの煌びやかな布が散乱している事だ。その中心で、何かを抱えて泣いている。投げ出されたボストンバッグが見えた。

(人形?)

 はじめは布の束を抱きしめているのかと思ったが、どうやら着物を纏った人形のようだ。

 ――お兄様、きっとですよ。また一緒に遊んでください。

 人形を抱きしめた少女が声を殺して泣いている。この光景を見るのは初めてであるのに、何度も思い描いては良の胸を痛めてきた想像上の光景に合致した。

 良には妹が居た。ちょうど彼女と同じくらいに死んだ妹が。

 聞き分けのよい、あまり無理を言わない妹であったが、良が旅立つ際、行かせまいと泣きながら縋りついてきた。無理を言うなと宥めたが聞き分けず、土産を買ってくると説得して、ようやく手を放した。それが最後に交わす言葉になるとも知らずに。

 ――可愛らしいお人形が欲しいです。

 人に頼んだ人形は、妹の手に渡ったのだろうか。自分が死んだと聞かされた時、あの子も、目の前の少女のように、人形を抱きしめて泣いたのかもしれない。

「ゲコッ」

 人間であった良は死んだことにされた。『良』に成る前の話だ。それでも未練から、一度だけ母を訪ねたことがある。その時、離れている僅かな間に妹が死んだと聞かされた。自分こそが死ぬべきだったのに、と零した良に、赤い目をしていた母は、涙を見せるどころか良に鉄槌を喰らわせた。

 ――一番の親孝行は、親より長生きする事です。わたくしは、誰が何と言おうと、貴方がどんな姿に変わろうとも、生きていてくれただけで嬉しいのですっ!

「おとう……さんっ、おかあさん……にい……さ……」

 その涙を止めてやりたいと思った。泣いている彼女が、泣いている妹に重なった理由もある。

「ゲコッゲコッ」

 ペタペタと足音を立てて近づき、声を掛けてみるも雨音が邪魔して聞こえた様子は無い。膝に飛び乗った。

「ゲコッ」

 もう泣くな。いつか妹にしていたように、彼女の頬に変形した前足を伸ばした。

「キャーーー!!!!」

 少女は眼前に迫る大きな蝦蟇に悲鳴を上げた。彼女の脊髄反射による防衛行動は、即座に平手打ちを繰り出した。

 避けるなど出来ようもなく――良は、べしゃりとビルの壁に叩きつけられた。


  * * *



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