14 傀儡
「そんなにカリカリすんなよ、美人の兄ちゃん。この味噌汁なんて絶品だぜ? おめぇも食えよ、な?」
「ちょっと! なんで君が当たり前のようにウチで朝食を食べているんだい!?」
所変わって、朝霧家の居間では賑やかな朝食の風景が広がっていた。メンバーは千紘と一華、若干くたびれている良と、あと一人。
「恩人に向かってそりゃねぇだろ。山の麓で倒れていたあんたをここまで運んでやったのは俺だぜ?」
「そうだったんですか。至らぬ叔父を助けて下さり、ありがとうございました」
千紘を助けて貰ったと聞いた一華は、自称・恩人に丁寧に礼を述べた。
「いいってことよ、美人を助けるのが男の務めだからな。このナリで男だったと知った時の絶望ったら無かったがね……。ともかく、こんな可愛らしい姪御さんに会えたんだ。どうだい? この後、腹ごなしに俺と散歩でも行かねぇか? 近くに動物園があったよな」
「動物園ですか?」
「おっ、お嬢さん、動物好きか? いいねぇ、俺と隅々まで回ろうな。なぁに、疲れたらちゃんとホテルで休憩するかゲッ!!」
「久しぶりだな、元気だったか?」
その男は良の見知った相手だった。だから気安く、男の背後から首に腕を回して挨拶をした。いわゆるスキンシップというヤツだ。
「そうだ、な、ちょっ腕の力を緩め……グッ」
「ん? 大丈夫か?」
ジワジワと一華から引き離しながら戯れる良と男に、
「何? 君たち、知り合いだったのかい?」
千紘が投げやりに聞いた。勝手に上がり込んだ男達に向けられる視線は冷たい。だが千紘からしたら、姪に仇なす変態と、変態を退治しようとした現場に待ったをかけた――現在、頚動脈を絞められて落ちそうになっている男・安曇だ。
空気を読んでいるようで読んでいないマイペースな介入の後、一華が必死に取りなしたお陰で、その場は事なきを得た。偶然再会した恩人に礼がしたくて家に招いた、彼の着替えを持ってきた所だったのだと、かなり苦しい言い訳と共に。
「この男には昔世話になったんだ、なぁ?」
白目を剥く安曇からの返事は無かった。
「さて、申し開きがあるなら、聞こうか?」
その後、朝食を振舞ったのだから恩は返した、さぁ出て行け、と千紘は良と安曇を家から追い出した。現在、座卓を挟んで一華と向かい合って座っている。
「わたし、この町を出たくありません。人形師もこれまで通り続けていきます」
「ダメ。今の君は周りが見えていないだけなの。人形師を辞めて学校も変えよう。この町を出るんだ」
千紘は話を聞くと言いつつ、一華の主張を一切聞こうとしない。
「納得できません。兄さんは最初、仕事を休めとは言いいましたが、学校を変えろとまでは言ってませんでした。態度が変わったのは、あの変な人が来てからです。ただの変質者なら警察に任せておけばいいじゃないですか」
――お前は神の傀儡だろう。よしんば我を通したとして、神の依代を作る人形師の見張り役を請け負ったのは、お前ではないか。
脳裏を過ぎった言葉に、千紘は端麗な顔を顰めた。警察など何の役にも立たない相手だ。
「あの変な人は関係ないよ。ただ、無理に人形師を続けて欲しくないだけさ」
「無理に続けているわけじゃないんです。義務感でも罪悪感でもありません。頑張りたいのは、好きだからです。お願いです、兄さん。この町で続けさせてください」
――ちがう、僕が朝霧にいるのは、見張るためじゃない! 守るためだ!
「一華……その気持ちは嬉しいよ。でもね、僕は君にまで、十和子ちゃんのように犠牲になって欲しくないんだ」
「犠牲に? どういうことですか? 兄さんは、わたしを花嫁にと言ってきたあの人が何者か、ご存知なんですか?」
――言葉を変えようとも同じことだ。お上が人形師をお呼びだ。次の満月に蟠桃会が開かれる。共に……いや、早い方がいい。すぐに連れて来い。
普段の桃園は、神の右腕である卯槌が管理している。千紘は、一華を連れてこいと言われた命を突っぱねた。その結果、卯槌の怒りに触れて監禁されてしまったが、何とか抜け出してきたのだ。力のない自分が彼女を守るには――もう、この町から逃げるしかない。
「知らないよ。君も何も知らなくていい。僕が守るから……大丈夫だよ」
一華は千紘の傍に行き、机の上で指を組む彼の手に、自分の手を乗せた。荒れた手が、これまでの彼女の努力を伝えてくる。千紘は遣り切れない思いに駆られたが、生命を取られるよりマシだと自分に言い聞かせた。
「兄さん、周りが見えなくなっているのはどちらですか? 本当の事を教えてください。立花神社の……神を頂く山が不法投棄で穢され、御神体が盗まれたと聞きました。そのタイミングで地震が多発し、雨が降り続き、原因不明の病が広がっている。兄さんはご存知ですか? 百年前の神社合祀で、他社に合祀されようとした当時も、地震や病で町が荒れたそうです。その時も花嫁……いえ、生贄を立てようとしたとか……ねぇ、兄さ「「どわっ!」」……え?」
客間に繋がる襖がミシミシと音を上げ、襖を破った男たちが倒れ込んできた。
折り重なる二人――出て行った筈の良と安曇に、一華と千紘はしばらく動きを止めたが、
「不法侵入の上に、盗み聞きかい?」
千紘はユラリと立ち上がり、再び般若を背負った。良は慌てたが、安曇は落ち着いた様子で懐から出したタバコを咥えた。
「……兄ちゃん、おめぇ大神実の眷属だろ。詳しい話を聞かせてくれよ、力になれるかもしれねぇぜ?」
「何を言っているか分からないな。それに、余所者が首を突っ込まないで欲しいね」
「んなこと言ったって、てめぇで何とかならなかったから、嬢ちゃん連れて逃げようとしてんだろ? 嬢ちゃんはこの町に残りたいって言ってんじゃねぇか。いいから話してみろよ」
「おれも聞きたいな、この地の神が生贄を要求するなど信じられん。おれは卯槌の友人だ。あいつから神にとりなして貰う手もある。話してくれないか?」
千紘は即座に一華を背に庇い、二人から距離を取った。
「卯槌くんの友人? この子を連れて来いと言ったのは彼なのに? 君が彼の手先でないと言い切れるのかい?」
良は目を見開いた。
「どういう意味だ? 卯槌が彼女を連れて来いと言ったのか?」
「そうだ。神の遣いを名乗る男が一華を連れに来た。その場は引いたが、後日迎えに来ると言い残してね。僕はすぐに卯槌くんに確認を取りに行ったさ。そうしたら、彼は確かに一華を連れてこいと、それは神の命だと言った」
「信じられん……穏やかな神だと聞いていたのに」
千紘は目を伏せた。魂を――生気を抜かれて倒れた住民の姿が、かつての記憶と重なって見えた。地震からも雨からも、ずっと只ならぬ力を感じていた。
「それは昔の話だ。あの神は今では災厄を引き起こし、病と見せかけて住民の魂を抜いて喰らっている。今や禍津神だ」
一華は息を飲んだ。何に対しても無気力になってしまう病と聞いていたが、もし千紘の言う通りなら、原因は魂を奪われたからか。ならば、奪われた者はどうなる?
――菜々美も、倒れたって聞いたわ。
真琴の言葉を思い出して、ゾクリと身体が震えた。
沈痛な空気を作る三人を眺めながら、安曇は口内の紫煙を静かに吐き出した。
「なぁ、それらを引き起こしてんのは、本当に大神実なのか?」
* * *
ようやく雨が上がった。相変わらずジメジメした空気であるが、それを吹き飛ばすかのように今日の立花神社は活気に満ちていた。一家総出では足りず、ヘルプの氏子達も加わり、皆が忙しそうに駆け回っている。
明日は年に一度の桃花祭だ。神の鎮座を祝うと共に、桃の節句にちなんだ厄払いの祭りとなる。立花神社が最も力を入れている祭りだ。自然と気合が入る。
真琴も朝から忙しく走り回っていた。前日なので最終チェックばかりなのだが、そのチェックがとにかく多い。
本殿を覗くとバイトの青柳が居た。サボりかと思ったが、真剣な顔で櫃をじっと見ている。御神体が盗まれた責任を感じているのだろうか。盗まれたと警察が推測した時間帯、本殿に近い拝殿に詰めていた彼は、犯人を見逃したかもしれない、と悔しがっていた。
「結局、見つかりませんでしたね。あとは警察に任せるしかないですよ」
管理体制が甘かったかもしれないが、盗む方が悪いに決まっている。と付け加えると、青柳は小さく笑った。
「俺は、神様が持って行ったんじゃないかと思うんですよ」
「へぇ、御神体だけに?」
御神体は神の依代と言われいる。まして立花神社の御神体は人形だ。出来過ぎではある。
「神様だって楽しみたいもんでしょう」
「まぁ、頑張って祭の準備をしている側としては、喜んでくれた方が嬉しいですけどね」
面白い冗談を言うな、と真琴もそれに乗ってみたが、青柳はフゥと大きな溜息を吐いた。
「俺が言っているのは人間のチンケな祭じゃねぇよ。神の宴――蟠桃会のことだ」
青柳の口調が変わった。ゾワリと肌を粟立てた真琴は、無意識に後退を始めた。
「ようやく待ちに待った日が来た。何とか間に合ったしな」
整えられた髪をグシャグシャと解して頭を振る青柳を見る真琴の目が、徐々に見開かれてゆく。
「あんた……あの時の? え、なんで? さっきまでと、同じ顔、よね?」
――そうか、あんたが巫女だな。
修司の葬式があった雨の日。蟠桃会に行こうと誘ってきた神の遣いを名乗った男だ。
男の目が糸のように細くなった。
「ククッ、俺はずっとあんたのそばにいたぜ? というかこの神社にな。俺の顔を見て逃げ回っていた癖に、気付いてなかったのかよ。訳が分かんねぇなら、教えてやろうか?」
男の嘲笑に、真琴はグッと押し黙った。なぜか彼と同じ空間に居る事に気持ち悪さを感じていた。だから不自然でない程度に避けていたつもりだったが、気付かれていたのか。
「聞いて欲しいなら、聞いてやるわ」
避けていたのは、本能による逃避行動だったのかもしれない。今だって恐ろしい。いや、先程までは何となく気持ち悪さを感じていただけで、恐ろしいとまでは思っていなかった。なぜ急に……。
「『立花真琴、こっちに来い』」
「……何をふざけた事を」
行くわけがない。行きたくないのもあるが、足がすくんで動けない。
「なっ!!」
だが、真琴の意思に反して、足が勝手に男に向かって進み始めた。
男は目の前にきた真琴の顎を持ち上げた。
「人間は馬鹿だよな。弱い癖に本名を隠しもしねぇ。俺くらいの術者になると、相手の名を知るだけで簡単に手玉にとれるってもんだ。中には効き辛い例外もいたが、ちょっと深く呪を埋めてやったから、今頃は俺の傀儡になってんだろ。その保険も、もう必要ないがな」
「もしかして、ウチの家族にも?」
呪を埋めた? そういえば、家族も自然に彼を受け入れていたと思い出した。
「何を今更。家族だけじゃなく、あんただっていいように動いてくれたぜ?」
――真琴さんのお陰です! ありがとうございます!
不思議に思っていた事がある。なぜ彼女たちは、いくらウチで買ったお守りに効果があったからと言って、ワザワザ自分に礼を言いに来ていたのだろうか。
「熱心に人形をばら撒いてくれただろ?『思い出してみろよ』」
――菜々美、これウチのお守り。コレを持ってたら願いが叶うって評判なの。きっといい事あるから、元気出して?
――ありがとうございます。このお守り人形、真琴さんだと思ってずっと大事にします。
コレは何の記憶だ? 覚えがない。菜々美をはじめ、何人もに人形を配る自分の姿など。
「あんた、あたしに……皆に何したの!?」
「傀儡になったあんたに、傀儡人形をばら撒いて貰ったんだ」
男はポケットからキーホルダー型の、件のお守り人形を取り出した。
「な……にっ!?」
なんの変哲もない、可愛らしさすら感じる人形であったのに、それはみるみる形を変え――一匹の蝦蟇になった。
「ついでだ。残りの奴らのも、喰ってこい」
青柳が命じると、蝦蟇はペタペタと足音を立てて本殿から出て行った。
「あんたらには感謝しているさ。お陰で俺は力を付けることが出来た。あっちはあっちで抵抗していたようだが、今じゃ俺の領域だ」
ニタリと笑った青柳が手を伸ばしてくる。
「蟠桃は……俺のものだ」
真琴は直感的に理解した。このままでは自分の魂もこの男に喰われてしまう。逃げなければ、と思うが、身体が動かない。
「それにしても傑作だな。最初に逃がした獲物を連れてきてくれるとは思わなかった」
男が嗤う。それに反応するかのように、真琴の身体がガタガタと震え始めた。目から涙が流れる。先程の比ではない。体の奥から流れてくる恐怖が、真琴を支配してゆく。
(なに、これ……気持ち悪い!)
――こん……は、奥様。お久し……
――俺は式に招待された……客の一人でしたから。この地に……、ずいぶん久しぶりです。
突如、頭に流れてきた映像に、真琴の混乱が増した。目の前の男と会話をしている映像。これも自分の記憶だというのか。ならばなぜ、
――近々蟠桃会が開かれるそうですね。俺も蟠桃を頂けるのでしょうか?
――あの、申し訳ありませんが……
なぜ、自分は見知らぬ女の姿をしている?
――いえ、お気になさらないでください。そういえば、今でもあの時の結婚式をよく覚えております。特に中盤の、傀儡師の少女の催しが印象的でした。雛人形が舞う姿を見たのは初めてだったもので。
――ええ、五人囃子の演奏も素晴らしく、楽しい催しでした。彼女は緊張するわたくしを励ましてくれた、小さな恩人ですの。実は今から、彼女の元へ伺うつもりです。
いや違う、自分ではない。この女は……、
――もしやその中身は?
――あの時の雛人形です。結納の際にお上から下賜されたこちらを、巫女の……人形師の彼女に手入れをお願いに行くんですの。久しぶりに会えると思うと今から楽しみで。きっと美しく成長されていると思いますわ。
そうだ、学校で人形を探していた女の霊だ。
――そうですか。折角のお出かけに水を差して申し訳ありませんが、お願いがあるんです。桃園に用があって来たのですが、勝手に入るのは失礼だと思い、どなたかいらっしゃるのを待っていました。
――まぁ、それは気づきませんで。歓迎いたしますわ。
――手を取って頂けませんか? 少々目を悪くしておりまして……。
手を差し出す女に、逃げろ! と叫んだが、聞こえる筈もない。
――お待ちください! この者、隠しておりますが、穢れを纏っております。桃源郷へ侵入するため、奥様を利用しようと……ギャアアア!
――な、何を!?
――ハァ……あと少しだったんだが。
なぜならこれは、過去の記憶だ。雨が降り始めた。供の者達が女を逃がそうと男に向かってゆく。しかし返り討ちに合い、人から動物に姿を変えて絶命した。
男に腹を割かれた女は悲鳴を上げ……バチンと大きな音を立てて身体が弾けた。彼女は霊体の――魂だけの存在となって逃げたのだ。
――大切なあの子を探さなくては……卯槌様、申し訳ありません。
真琴の中で女が泣いている。今の真琴は、取り憑かれた女に、強制的に感情を共有させられている状態だ。不愉快極まりない。なぜ気づかなかったのかと、自分の未熟さに腹を立てたくなる。だがそれより、
「お前は本当に役に立ってくれた」
青柳が嗤っている。この男の喜ぶ顔を見せられた方が、何よりこんな間抜けな事態を招いてしまった自分の方が、余程不愉快で、腹が立って仕方が無い。
――神様はいます。神様と敵対する存在も。わたし達は、とばっちりを受けているのかもしれません。だから真琴、協力しませんか?
――神様同士で喧嘩してるって? バカバカしい。フィクションとしても三流だわ。
一華の提案を蹴ったのは自分だ。これまで頑なに現実を見ようとしない彼女を非難してきたが、その実、見ようとしなかったのは自分だったのだ。と、走馬灯にしてはやけに新しい昨日の記憶を思い浮かべながら、真琴は意識を手放した。




