第25話 胡桃沢厳次郎、最後の日
「それじゃ、みるくママ。また来るよ」
「はあい、またのご来店お待ちしてるわぁ~。気を付けて帰ってねぇ~ん。ありがとうございましたあ~!」
カランカラン……。
ふう……、なんだか今日はお客さんの入りが悪いわ。
時間も中途半端だし、もうこの時間から来る人もいないわよね。
「みんな、今日はちょっと早いけど、もう店閉めましょうか」
「わあ、早帰りもたまにはいいわね~」
そして、女の子たちみんなで手分けして閉店作業をして、軽い足取りで家路に着いた。
今からだと家に着くのは0時頃ね。
レン君、まだ起きてるかしらぁ?
起きてたらイチャイチャ出来るわね、ウフッ。
ガチャガチャ……。
「ただいまぁ~、レンくーん」
ドアを開けると電気が付いてなかったから、小声で呼びかけてみる。
もう寝ちゃってるのかしら。
「やべッ! 帰って来た!」
「えー、なあに? こんな時間に誰か来たの?」
……気のせいかしら?
焦ったレン君の声と、どこぞのクソビッチの声がするような?
薄暗い玄関の中をよく見てみると、どうみても女もののハイヒールが脱ぎ散らかしてあるし。
アタシのじゃないわよ……、あんな小さいのアタシの足に入らないからね!
アタシはドスドスと廊下を突っ切って寝室のドアを開けようとした。
ーーハア?
鍵が掛かってますけど!?
「ゴルアァァァァァァァァァ! 早く開けんかい! 誰の家だと思っとるんじゃーーーー!」
「きゃあっ! け、ケーサツ!」
ああん!?
呼べるものなら呼んでみやがれ!
人の家に不法侵入しくさりやがって!
「警察は止めろッ。早く服着て帰ってくれ!」
「な、なによー。もー」
しばらくして、レン君がドアの隙間からおずおずと顔を出した。
「あのさ……、ちょっとだけリビングで待っててくれないかな?」
「ハア? アタシの家のどこで何をしようがアタシの勝手よ! で、居候のアンタは人の留守に何してたのよ!」
「ま、まあまあまあ」
レン君はそう言いながらアタシをぐいぐい押して、なんとかリビングに移動させようとしている。
「レ、レン……」
ドアの向こうのクソビッチがレン君の名前を呼ぶ。
なんで呼び捨てなのかしら!?
「ーー今のうちに行け!」
「う、うん」
部屋から出てきたクソビッチは、ケバい茶髪の巻き髪がグッチャグチャ、マスカラが滲んで化粧もグッチャグチャというグチャグチャ女だった。
こんな女のどこがいいのよ!
「待ちなさいよ、この泥棒猫ッ!」
「止めろ!」
女をふん捕まえてやろうと伸ばした手を、レン君がバシリと叩き落とす。
「は? テメーが浮気しといてDV? マジ笑えないんだけど」
「あー、うるせー。俺こういう面倒臭いの無理」
レン君は顔を歪めて吐き捨てるように言った。
「面倒臭い状況にしたのは誰なのよッ!」
「うるせえッ!」
バシンッ!
頬を思い切り殴られた衝撃で廊下の壁に激突する。
ジンジンと熱くなる頬と、壁に当たった肩が痛んだ。
「うう……」
アタシより一回り年下のこの男……。
元は売れないホストで、アパートを追い出されて行くところがないっていうから拾ってやった。
アタシが甘やかしたせいか、最初の頃の素直さはすっかり消えて、どんどんつけあがってきたことには気付いていたけど。
今までは怪しいと思うことがあっても、多少のことには目を瞑って来た。
だけど、人の家に浮気相手を連れ込んで、挙句の果てに暴力振るうような男にはもう付いていけない。
アンタ程度の男、こっちから願い下げよ!
そう心に決めると、アタシはバッグからスマホを取り出した。
「ーーあ、警察ですか? たすけ」
「おい、ふざけんな!」
警察に電話したことが分かると、元ホストのクソ男はアタシの手から無理やりスマホを奪い取った。
「ちょっと、どこ行くの? 返してよ!」
クソ男は制止するアタシを無視してリビングを通り抜け、スマホを窓の外へと思い切り放り投げた。
「ああーーーーッ! アタシのスマホっ!」
ここ、3階なんだけどっ!?
アタシは悲鳴をあげながら部屋を飛び出し、スマホの救出に向かった。
手帳型のケースに入れてあるから、もしかしたら無事でいるかも……?
息を切らしながら1階へ下りると、道の真ん中にスマホが投げ出されているのが見えた。
「信じられない! 最悪! アンタとは今日限りよ! 今すぐ部屋から出て行って!」
アタシは追いかけて来たクソ男の方を振り向きながら言った。
「お前みたいなデカいオカマと無理して付き合ってやってたのに、細かいことにグチグチ言われてうんざりなんだよ! 金のためとはいえ、もう限界だ! 俺は普通の女が好きなんだよ!」
「なんですってぇ!? ああ、そう。そうなの! 暴力振るった上に恋愛詐欺まで働いていたっていう自白かしら? お望み通り警察に通報してあげるわよ!」
実際のところ、いままでクソ男に使ったお金を取り戻せるとは思っていないけど、この場だけでもクソ男にダメージを与えられるならそれでいい。
「このッ!」
クソ男はまたも大きく手を振りかぶった。
バシンッ!
キキキキキキー!
殴られた痛みを感じるのと同時に、どこからか急ブレーキをかける音が聞こえてきた。
ああ……、ここ、道の真ん中だったっけ。
そう思う間もなく、殴られた拍子に道に倒れ込んだ体に重いものが乗り上げるのを感じた。
胡桃沢厳次郎、享年38歳。
酷い名前……。
アタシの心とまったく一致しない名前よ。
大体さあ、おじいちゃんが厳一郎だからってなんで隔世で次郎を継がせようと思ったのかしら?
この名前を付けた父親本人は厳也なのに酷くない?
せめて厳希とか、今風な名前が他にあったんじゃないの?
それよりなにより、アタシは一人っ子なんですけど。
まあいいわよ……。
今度生まれ変わったら、どうか心と体が一致していますように。
今度は絶対、麗しい薔薇のごとくみんなからチヤホヤされる人生を歩むんだから。
それから恋愛にも妥協はしないわ。
妥協してぜんぜん好みじゃない優男に殺されるなんてもう真っ平。
男はやっぱり筋肉よ……ッ!
そう……、筋肉は裏切らないのよ……。
「これはサファイアの原石かしら?」
ん?
なんだか女の子の声が聞こえるわね。
この場所に捨て置かれてからもう何ヵ月も動けなかったから、久しぶりにどこかに行けそうな予感にワクワクするわ!
いやあ~。
今度こそ女の子に生まれるつもりだったのに、なんでか知らないけど石になっててびっくりしたわよ。
でも、こうなったことにも何かの意味がきっとある筈。
もしかしてアタシ、この石に先住する彼のために神様が遣わした、救いの天使ってことなのかしら……?
彼とその奥さんは、アタシなんかの比じゃないほど理不尽な亡くなり方だったもの……。
そうよ、きっと全ては神様の思し召しなのよ。
アタシ、彼を救うために頑張るわ!
最後までお読みいただきありがとうございました。
この後ですが、『辺境伯令嬢はペンタブの魔法使い』の領地改革編をスタートする予定です。
もしよろしければ、そちらもぜひお読みいただけましたら幸いです。
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