フランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュの嫉妬・後
竜の咢に乙女が身を捧げるのを見て嘆かない者はいないだろう。
勇者が現れて乙女を助けるのを待ち望み、しかし彼女のために立ち上がれる者は、はたしてどれほどいるのだろうか。
フランシーヌが家人に黙ってマクラウドに会いに行ったという報告を受けたエロイーズは卒倒しかけた。
早朝の鍛錬時に馬車が一台足りないことに気づいたのはフランソワだ。そこからフランシーヌと侍女が一人いないことが発覚し、事情を知らないジョルジュ家一同はすわ誘拐かと大捜索がはじまるところであった。騎士団が編成され王都が大騒ぎになる直前にフランシーヌが帰ってきたのは僥倖といえるだろう。
「母様、大げさですわ」
「大げさなものですか。……こんな早朝に護衛もつけずに黙って家を出るなんて、淑女の自覚が足りません。反省なさい」
フランシーヌに足りないのは淑女の自覚ではなく、英雄の聖乙女である自覚だとエロイーズにはわかっていた。周囲が勝手にフランシーヌを祭り上げ、利用しようとしているのだ。
エロイーズとフランソワはフランシーヌを英雄になどしたくなかった。普通の伯爵令嬢として、今度こそ幸せな恋をして結婚して欲しいと願っている。
だからこそ、あれ以来降るように舞い込む縁談を、本人には知らせずに精査しているのである。
それがまさか仇になるとは思わなかった。フランシーヌがマクラウドに興味を抱くなど、予想外だ。
「閣下に直接お目にかかるにはあれしかないと思ったのです」
「会ってどうするのです。未婚の令嬢が、未婚とはいえ壮年の公爵と個人的な面会を望むなど、いらぬ勘ぐりをされるだけです」
「……王妃様のことを、どう思っておいでなのか確かめたかったのですわ。軽率だったのは謝ります。でも、母様、わたくしは」
「フランシーヌ!」
エロイーズは悲鳴のような声でフランシーヌを遮った。ビクリとフランシーヌが肩を竦める。
「謹慎を申し付けます。期間は三ヵ月。何がいけないのかしっかり考えて反省しなさい!」
「母様、そんな」
「なにが「そんな」ですか。令嬢の醜聞がどれほど恐ろしいか知っているでしょう」
「…………」
フランシーヌはうつむいた。アルベールに婚約破棄される前、フランシーヌは男たちの間で「魔女」「悪役令嬢」と散々だったのだ。友人たちは庇ってくれたが、他の貴族はとばっちりはご免だとばかりに距離を置かれていた。
「わかりましたね?」
「……はい。申し訳ありません」
フランシーヌが悄然として部屋を出ていくと、エロイーズは大きく息を吐いてソファに力なくもたれた。
今まで黙っていたフランソワも深いため息を漏らす。
朝日の差し込む爽やかな時間帯だというのに、ジョルジュ家の執務室には暗雲が漂っていた。
「相手が悪すぎる。マクラウドがフランシーヌを選ぶとなれば利用価値を見出した時だろう。少女の恋心などあやつにとっては手の平で弄ぶ玩具のようなものだ」
「はい」
フランソワは唸るような声で言った。
「クラーラの印象が強いのであろうな……。助けてくれた、と恩があると思っておろう。マクラウドは裏切りはせん。裏切りなどせずとも人の心を操れるからだ」
「はい」
「王妃に関しても……今だから言うが、マクラウドが仕組んだことかもしれん」
「まさか」
エロイーズは目を瞠ったがフランソワは渋面に刻まれた皺を深くした。
若き日のマクラウドとエドゥアールが身分を越えて平民にも教育を等しくし、職業の門戸を広げ、女性の参政権を認めようと理想を描いていたのはもはや周知の事実だ。
それは叶わぬ夢のはずだった。マクラウドが宰相になり強引な政策で進めればたちまち国は混乱し、多くの民衆が犠牲になっただろう。そこまでして改革が成功しても頼りになるのはクラストロだ、と結局貴族への依存を止めるまでには至らなかった。諸外国の抵抗も大きく、改革は頓挫していたはずだ。
このままでは駄目だ、と民衆に強烈な危機感を植え付けること。それには王家を見限らせるのが一番わかりやすい。男女の醜聞と王家による浪費は、これ以上なく民衆にわかりやすい恨みを植え付けた。
「お義父様、それはありえませんわ。あの頃のマクラウドをわたくしは覚えております。あの子は真実フローラを愛しておりました。一片の疑いなく、愛していたのです」
エロイーズはフランソワの疑惑を否定した。
彼女は夫のアントワーヌと共に、マクラウドとの付き合いが深かった。フローラといる時のマクラウド、フローラのことを語る時のマクラウドは常の彼と違って雰囲気がやわらかく年相応の少年だった。幸福な恋をしている一人の男であったのだ。
あの時のマクラウドの気持ちまで否定するのは、ひどい冒涜のように思えた。
「そうか……」
「お義父様がマクラウドを畏れているのはわかります。クラーラであればともかく、マクラウドは……」
死にゆくフローラに「綺麗だよ」と言ったと伝え聞いている。自分を裏切った愛する女性にそんなことが言えるのか、とエロイーズは戦慄した。最期の瞬間、フローラの目に映っていたのは愛する夫でも息子でもなく、かつての恋人だったのだ。どんな気持ちだったのか、エロイーズは想像もできない。
クラーラこそマクラウドの良心だ。憎悪と憎しみに心を焼かれながら、人を幸福な笑顔にすることで彼は立ち直ろうとした。
顔も見えない不特定多数の民衆ではなく、人の心に寄り添って成長を促し、輝かせることで得る満足。笑顔ほど人を安心させるものはない。
まったく別の業種で成功するには血反吐を吐くほどの努力をしたに違いなかった。踏みにじられた恋を埋葬し、そこに花を捧げられるまで、どれほどの涙を飲んだのか。それを思えば容易い批判などできるはずがなかった。
「フランシーヌには、まだそのあたりの機微がわからんか」
「あの子はまだ十七です」
あんな複雑怪奇な男の内心が読めたらそれはそれで恐ろしい。そうでなくとも、フランシーヌはまだ少女なのだ。
「謹慎中に、フランシーヌの縁談を考えようと思います」
「そうか……それが良い。せっかくだ、クラーラに依頼してドレスを仕立てたらどうだ」
「良い案ですわ」
エロイーズに褒められたフランソワは、嬉しげに鼻を膨らませた。
***
フランシーヌの縁談はジョルジュ家にとって悩ましい問題である。今度こそ幸せになってほしいと願うからこそ、フランシーヌの気持ちを無視はできなかった。
「とりあえず、会ってみたら?」
クラーラはまるっきり他人事の気軽さで言ってのけた。
クラーラは弟子になったチェルシーの教育で忙しい。伯爵夫人の依頼を一度断った。貴族の屋敷に来い、という依頼にはあいかわらず厳しい。
依頼人は伯爵夫人だが、内容がフランシーヌの見合い用ドレスだというので足を運んできたのだ。それなのに肝心のフランシーヌが見合いを渋っているのでは、クラーラもやる気になれなかった。
案内された応接室にはフランシーヌと依頼人のエロイーズがクラーラと対面している。フランシーヌはクラーラの投げやりな態度に異議を申し立てた。
「クラーラ様、そんなあっさりと言うことではありませんわ」
「会ってみなくちゃどんな男かどうかもわからないじゃなぁい。フランシーヌちゃん、言っておくけど良い男っていうのは売り切れるのが早いわよ」
いつまでも選ぶ側でいられるわけではないのだ。特に女には子供を産む適齢期というものがある。一度断った男を後から良いなと思っても、とっくに諦めて別の女を選んでいたらもう遅いのだ。
あまりにも明け透けなクラーラに、フランシーヌの説得を協力してもらおうと思っていたエロイーズが額を押さえた。そうだけどそうじゃない。もっと言いようがあるだろう。
「ですが、わたくし……」
フランシーヌは悔しくなった。クラーラは自分に好きな人がいることを勘付いている。マクラウドとの逢瀬でそれが誰であるかもわかったはずだ。なのになぜ、何もなかったかのような顔をしていられるのだろう。
「フランシーヌちゃん、この前一途な人が好きって言ってたわよねぇ」
「は、はい」
母や侍女がいる前で暴露され、フランシーヌの頬が染まった。
「一途な人は、心変わりなんかしないわよ」
「……っ」
胸を突かれた。クラーラの言う通りだ。
「フランシーヌちゃんは大変な体験をしたけれど、やっぱり世間知らずな貴族令嬢なのねぇ。アタシはお店をやっているからわかるの」
そんなことはない、と反論しかけたフランシーヌに、クラーラは首を振った。
「人にはその人にしかない人生があるのよ。下町の人たちは苦労ばかりでも、家族がみんなで頑張っている人はとてもいい笑顔で笑うわ。クラーラの店で買い物できなくても、ショーウィンドーの向こうからいつかきっと、って目で見てくる人もいる。反対に綺麗な格好をしていたってお金のことばかりで卑しい顔をしている人もいるわ。人に会う、話をするってことは、その人の人生に触れるということよ。ほんの一瞬でもね。……ねえ、フランシーヌちゃん? 会いもせずに他人の人生を否定するのは、とても失礼じゃぁないかしら?」
「それは……」
そうかもしれないが、では、わたくしの気持ちはどうなるの。フランシーヌは悔しさでいっぱいになる。
「自分の幸せの形を決めつけないであげて。こうでなくてはならない幸せなんて、本当はどこにもないわ」
クラーラはやさしく言った。深みのある声。慈しむ眼差し。けれどその向こうにある苛烈さには踏み込ませてくれなかった。あくまでも友人の少女……子供を相手にしていた。
話を終えるとクラーラは立ち上がった。座ったままのフランシーヌに代わり、エロイーズが見送りに立った。
「奥様。今のお嬢様ではアタクシとてもドレスを作る気になれませんわ」
冷たい言い方にエロイーズは驚いた。
「なぜですの?」
「自分だけではなく、お相手の方まで不幸にしてしまう。そんな令嬢のドレスはクラーラには無理ですわ。おわかりでしょう」
ゆるゆると首を振るクラーラに、エロイーズは絶句した。
クラーラはフランシーヌに警告している。それでも自分からマクラウドに近づくのであれば、もう庇ってやれなかった。
『自分の幸せを決めつけないで』とはよく言ったものだ。マクラウドがフランシーヌを利用しても、それを幸福だと思えるように上手くやるだろう。どうとでもとれる言葉だ。
フランシーヌに決定的な言葉を言わせないことが、クラーラにできるやさしさだった。エロイーズにはそれが伝わったのか、気丈な伯爵夫人が息を飲み、瞳を潤ませている。
「愛になるほど割り切れないのが恋だわ。幸せな恋なんてどこにもないわよ」
そう言って、クラーラは帰っていった。
エロイーズは部屋に戻ると、まだ悔しさを噛みしめている娘の対面に座った。
すでにテーブルは片付けられている。新しく用意しようとするメイドに部屋を出るように言いつけ、二人になった。
心だけではなく体まで頑なにしているフランシーヌに、エロイーズは息を吸った。
「フランシーヌ、あなた、クラーラ様がお好きなの?」
母に問われたフランシーヌは、迷うように視線を彷徨わせる。
「それともクラストロ公爵なの?」
「……わかりません……」
たたみかけるように続けられたフランシーヌは迷った末に正直に答えた。エロイーズは気持ちを強くしようと娘を睨みつけた。
「どちらが好きでもかまいません。でも、諦めないというのなら、あなたには修道院に行ってもらいます」
フランシーヌは一瞬息を止めた。呆然と母を見る。冗談でも脅しでもなく本気であることを母の眼差しに実感し、蒼ざめた。
「クラーラ様にドレスの仕立てを断られました」
クラーラに失格の烙印を押されるとは思わなかったフランシーヌは体を震わせた。
「どちらにせよ、不幸になるのは目に見えています。いえ、あなただけは幸福なまま死ねるでしょうね。ジョルジュ家を犠牲にして」
「……どういう意味でしょうか」
母が何を言いたいのか。フランシーヌは不安の足音が近づいてくるのを感じながらも聞かずにはいられなかった。
「クラストロ公爵は、女性に人気があります。年は取りましたが今でもあの美貌。紳士的なふるまい。公爵家の跡取りということを除いても、お若い頃は多くの女性を虜にしました」
婚約者が決まってもそれは変わらなかった。むしろフローラへの態度を見た女たちは、あんなに想ってもらえるなんて、とさらに熱をあげたのだという。
「忘れもしません。彼女の名誉のために名前は言えませんが、一人の伯爵夫人がマクラウドへの恋わずらいで命を落としました」
まだ成人前の、あどけなさの残る少年に片思いをした。しかも彼女にはマクラウドと同じ年頃の子供までいたのだ。
彼女は当時王太子だったエドゥアールの学友として王宮に来ていたマクラウドを目撃してしまった。
「会ったわけではありません。ただ見かけただけという話でした。マクラウドは彼女の名前すら知らなかったのです」
「そんな……それだけで?」
「それだけです」
エロイーズは夫からの伝聞で知っていた。アントワーヌはその現場に立ち会っていたのだ。マクラウドとエドゥアールが近衛騎士団に稽古をつけてもらっていた最中のことだった。
体格の差と経験で手加減する騎士と違い、マクラウドとエドゥアールの打ち合いは白熱した。マクラウドは毒の影響でまだ体力がそれほどついておらず、線の細い少年であった。一度もエドゥアールに勝てなかった。
主君であり友でもある男に負けるのは、マクラウドのプライドでは許せなかった。何度も挑んでは負け、それでも立ち上がった。強い眼差しと負けん気に、アントワーヌは彼が騎士にならない身であることを惜しんだほどだ。
黒髪の美貌の少年が傷だらけになりながらも立ち上がる姿に彼女はすっかり参ってしまった。彼女が普段知るマクラウドは落ち着いた、子供ながらに大人びた姿である。それがあのように変わるのか、臥所での熱情を夢想し、それにのめり込んでいった。
「声をかけることも、かけられることもありません。当然ですね、彼女は伯爵夫人であり、マクラウドは王太子のご友人。しかも成人前です。多少の接点はあってもそういう目で見られることはけしてありません」
フランシーヌはうなずいた。伯爵夫人となれば親しくなるには社交界で、となる。アルベールの婚約者であったフランシーヌはそのあたりの線引きが理解できた。
女同士であっても気を使うのだ。それが男女で、相手が子供となればなおさらである。身分の問題も含めて彼女からマクラウドに声をかけるなどできるはずがなかった。
「ですが、どうしてお亡くなりに……?」
見つめるだけであれば噂にもなるまい。クラストロが察しても謀殺まではいかないだろう。親子ほどの歳の差を考えれば恋敵とみなされる可能性すらない。
「叶わない恋だったからです。ご自分でもよくよく理解してらしたのでしょう。誰もが彼女を放っておいた。一時の気の迷いだと」
夫はさすがに妻の変化に気づいたが、相手が相手だ。妻に手を出すなと文句をつけるわけにはいかない。せめて遠ざけようと領地に帰らせた。
そのうちに、マクラウドはフローラと婚約した。
「やがて食事も喉を通らなくなり、起き上がることもできなくなり……ついには衰弱して亡くなりました。恋の病とはよくいったものです」
エロイーズはため息を吐いた。彼女の恋はさほど噂にはならなかった。良くて人妻の一目惚れとして笑い話、悪いものでは年増の少年趣味。領地で亡くなったと聞いても、そうか、という思いしかなかった。他の貴族もそうだろう。
それが騒ぎになったのは、彼女の子供が母の葬儀に出てくれとマクラウドに直談判したからだ。マクラウドにはわけがわからなかっただろう。彼女の子供にしてみればせめて母の恋を知ってほしかったのか、それともマクラウドに傷を付けたかったのかもしれない。母親の名誉を思えば黙しておくのが正解のはずなのにそうしなかった。当然社交界では醜聞になった。
「マクラウド様は、どうなさったのですか……?」
マクラウドにしてみれば寝耳に水の話だ。とんだとばっちりである。母親に死なれたのは気の毒だが、こっちに火の粉を飛ばすなと言いたかっただろう。
「葬儀に出席しませんでしたが、花を贈られたそうです。難癖をつけたお子さんに怒ることもなく寄り添って慰め、理解を示したとか」
エロイーズが憂鬱な表情になった。良い話で終わったと安心したフランシーヌは不思議そうな顔をする。
「クラストロの真骨頂はここからです……。マクラウドとお子さんは友人になりました。それは仲が良く、影に日向にと親身になって差し上げたのです」
「良いお話では?」
「ええ、良い話ですよ。お子さんはあの結婚式にも招かれて……誰よりも憤っていましたね。クラストロ流の刑にかけるべしとマクラウドを擁護し、親クラストロ派の急先鋒になっています。執政の信任篤い貴族としてせっせと働いていますよ。幸せでしょうね……、ご本人は」
フランシーヌの顔がこわばった。
「クラストロ公爵は女性に人気がある。そう言いましたよね?」
「え、ええ、はい」
「クラストロ公爵に懸想した令嬢たちもみなさん幸せに暮らしていらっしゃるでしょう。フローラと婚約しても諦めなかった令嬢の多くはクラストロの息がかかった貴族に嫁いでいます。マクラウドのために、彼に何か起きた時助けてあげられるのは自分だけ、と健気に信じているのでしょう」
呆れ果てたような、嫌悪すら滲ませた母の顔には嘲笑が浮かんでいた。
マクラウドは違法なことをしたわけではない。ただ、自分の影響力というものを考えて最善の結果を求めたのだ。難癖をつけてきた彼女の子供も、懲りずに媚びてくる令嬢たちも、彼にしてみればクラストロという果実に群がる虫のようなものだった。彼はその虫を捕まえて、よそに放しただけだ。適切な餌を与えて巣穴を確保してやれば虫はやがて卵を産み、卵から孵った子供たちは餌を食いつくすだろう。自分の手を汚さずに政敵を潰すことができる。
「そんな……勘ぐりすぎですわ。マクラウド様は情の篤い人ですもの、人々が慕うのは当然でしょう」
親身にした結果として相手が恩を抱き尽くそうと思うのは自然なことではないのか。そんなことまで仕組んだと思われてはマクラウドが気の毒だ。
「ならばなぜ、クラーラ様はドレスを断ったのかしらね?」
「それは、わたくしのためを思って。わたくしが、不幸に……不幸に……」
年齢、身分、マクラウドの気持ち。様々な理由がつけられる。だがそれならクラーラは「応援できないわ」とはっきり言うはずだ。幸せになれないわ、諦めなさい、と。
「クラストロ家の……ルードヴィッヒ様のご長男は、あなたより一つ年下です」
エロイーズが言った。
「今までクラストロからの打診はありませんでした。あちらは領内でお過ごしですからね。遅れていたグランドツアーに行ってから王都に来るでしょう」
グランドツアーが遅れていたのは国内の情勢が不安定だったからだ。クラストロの貴公子が王都の社交界に出るとなれば大いに盛り上がるに違いない。
執政となり国を取り仕切るクラストロと、国民に英雄視されているジョルジュ家が縁を繋げば国民議会の強力な後押しになる。
「クラーラ様はあなたに友情を抱いてくださっています。だからクラストロに近づかぬよう警告してくださったのです。それでもあなたから近づくのであれば、マクラウドは容赦なく利用するでしょう。だれがあなたを英雄に、聖乙女にしたのか思い出してみなさい!」
「母様……」
「ジョルジュ家は国の剣であり盾。あなた一人の幸福のために、クラストロにジョルジュ家の矜持を売るわけにはいきません」
「……はい」
たかが少女の恋、ではないのだ。甘い砂糖菓子のような想いすらも利用するのが大貴族のやり方なのである。
マクラウドのために夢を見たまま幸せに死ぬ。そんな未来を避けるために、クラーラはあえてフランシーヌを突き放した。クラーラの友情は本物だ。
エロイーズとクラーラは、フランシーヌにそこまで背負わせたくないのだ。だが、貴族はフランシーヌを放っておいてはくれない。今はまだ水面下でも、いずれ噴き出す問題であった。王太子妃にと望まれ、王妃になる予定だった英雄にはそれだけの価値がある。
娘の男を見る目のなさにエロイーズはため息を吐いた。恋とはなんともままならないものである。
「母様……」
せつなさを瞳いっぱいに浮かべたフランシーヌが言った。
「謹慎が明けたら、クラーラの店に行きます」
「フランシーヌ?」
「わたくしに似合う、とびっきりのドレスを仕立てていただきます。……あの方にはそうする義務があるはずですわ。そのドレスを着て……お見合いをいたします」
「……フランシーヌ」
「せめてそれくらいは、いいでしょう?」
「そうね……」
告白をさせないのがクラーラのやさしさだというのなら、ドレスを仕立てさせるくらいの意趣返しなど可愛いものだ。
かつて彼を愛し、彼のためにと今も信じている女たちへの嫉妬をフランシーヌは噛みしめた。
甘酸っぱさなどどこにもない、ひたすら苦く塩辛い味がした。




