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秘密の仕立て屋さん  作者: 江葉


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ウェンディ・ポワンの飛翔・前

木綿のハンカチ欲しがるあの歌、大人になると女にむかついてきません?



 シオン・リュグレが故郷を出て王都に行ったのは五年前のこと。

 幼馴染で恋人でもあるウェンディに、すぐに帰ってくるよと彼は言った。

 ウェンディは涙を浮かべて見送った。


 シオンの父は商人だったが病気で体を壊して働けなくなり、代わりにシオンが王都にある本店の商会で働くことになったのだ。王都での仕事が認められれば、父が任されていた支店を継ぐことができる。その間、シオンの両親はウェンディの家で面倒を見ることになった。


 一年目、手紙は頻繁にやってきた。

 二年目、仕事に慣れたと愚痴と自慢が増えていった。

 三年目、新年にも帰って来なくなった。

 四年目、シオンではない男が支店長として正式に赴任した。


 そして、五年目。


「……どういうことか説明してくれるかしら?」


 王都に出てきたウェンディは、シオンがとっくに結婚していることを商会で知らされた。


「ウェンディ、なぜここに……」


 商会の裏口で、客だと言って呼び出されたシオンは、故郷に置いてきたはずの恋人に血の気を引かせた。


「なぜって、ちっとも帰ってこない恋人に会いに行くのに理由が必要?」

「あ、いや……」

「お義父様とお義母様も心配しているし、先の騒動で怪我でもしたか、仕事が失敗したのかもしれないと伝手を頼って仕事先まで見つけて来てみれば……」

「…………」

「あなたがとっくに結婚したと言われて驚いたわ。お義父様とお義母様はこのことご存知なの? まさか恋人に親の面倒見させておいて、自分は王都でよろしくやってて忘れてた、なんて言わないわよね」

「それは……。あとで使いを出すつもりだったんだ」

「普通、結婚する前に使いをよこすものじゃない? それより私、あなたとの婚約を破棄した覚え、ないんだけど」

「婚約!? まて、婚約は口約束だったはずだ」


 ウェンディが容赦なく馬鹿を見る目になった。


「……呆れた。忘れたの? お店の引き継ぎの関係でご両親はあの家を出されたのよ。その時、うちに引き取る条件として、あなたと婚約したんじゃない」


 ウェンディ・ポワンは男爵令嬢だ。

 いくら幼馴染でも、いや、幼馴染だからこそ、婚約もしていない男の両親を引き取るわけにはいかなかった。貴族の体裁に関わるからだ。


 それに普通なら、両親に断りもなく結婚などできないだろう。親同士の顔合わせは常識だ。

 つまりシオンは、面倒事をウェンディに押し付けていることを百も承知で結婚していたことになるのだ。


「あ……」


 冷静に言い返されたシオンは蒼い顔で黙り込んだ。


「こうなった以上はしかたがないわね。しかるべく処理します」


 怒りと呆れと軽蔑を絶妙にミックスした視線でシオンを睨みつけ、ウェンディは彼に背を向けた。

 職場から付き添い兼道案内として付いてきてくれた男に行きましょうと告げ、数歩進んだウェンディは、思い出したように振り返った。


「そうそう。ご両親だけど、ちゃんと王都にお呼びしなさいね」


 路頭に迷う前に。

 当然の忠告に反論しようと手を伸ばしかけたシオンは、涙の滲んだウェンディの瞳に力をなくした。


「……コンセオさん、ありがとうございました」


 シオンから遠ざかったところでウェンディが頭を下げた。

 地方の男爵令嬢。多少裕福でも娘を王都に住まわせるだけの財力はなく、かといって平民の出稼ぎ娘のように一人暮らしをさせるわけにもいかず、伝手を頼ってようやく辿り着いたのがクラストロ公爵家のメイド職だった。男爵家にはむしろ幸運だったといえる。

 テオ・コンセオはクラストロ家の侍従だ。体格が良く背は高く、顔もそれなりに整っている。シオンは彼を見た時一瞬だが不愉快そうな顔をしていた。


 王都に来てシオンの働く商会から話を聞いても、直接会うまでウェンディはシオンの結婚を信じなかった。

 ポワン男爵家もリュグレ家の両親も、シオンに何か理由があって、手紙も帰郷もできないのだと思っていた。そう信じるだけの、絆があったのだ。


「いや、災難だったな」


 テオ・コンセオはたった今恋人の裏切りを知った女性に何と声をかけたらいいのか迷った末に、無難な返事をした。


「こういうのって、慰謝料とか取れるんでしょうか。婚約破棄、いえ、結婚詐欺ですよね」

「相手の両親とすでに同居していたのなら結婚詐欺でいけるんじゃないか」

「同居はしていないんです。離れを建てて、そこに住んでもらってました。同居は結婚後を予定していたんですけどね……」


 まさか両親も、肝心の息子がこんな不義理をしでかしているとは思うまい。


「なら、その間の生活費を返還してもらえる」

「そこまでできます?」


 幼馴染の親で、子供の頃からかわいがられていたぶん、ウェンディには情がある。そこにつけこまれたと頭ではわかっても、見捨てることにためらいがあった。


「こういうことはきっちりしておいたほうがいい。そちらで面倒を見ていたんだから最後まで責任を持てと言われたらどうする」


 責任を取るべきなのはシオンだが、結婚の報告すらせず、今の今まで引き取らなかった男なら、平気でウェンディに押し付けてきそうだ。


「そ、そうですよね。とりあえず、シオンのことは父に伝えて、あとは粛々と処理します」

「そうしておけ。王都の誘惑に負ける男は多いが、これほどひどい話はそうないぞ」


 テオは公爵家の侍従だけあって色々と詳しそうだ。頼りになる人が近くにいてくれて良かった、とウェンディは前向きに考えることにした。


 クラストロ公爵家の使用人館は本館の裏手にある離れだ。使用人用の裏門から入り、長く続く庭を通り抜けて戻ると、休憩中のメイドたちが声をかけてきた。


「おかえり、ウェンディ。どうだった?」

「恋人見つかった? 無事だったの?」

「結婚しても仕事続けるんでしょう?」


 心配しているのもあるだろうが、単純に恋話に飢えているのと嫉妬も少し含まれている。クラストロ家は表向きメイドの恋愛を禁止してはいないが、あまり良い顔はされない。かてて加えて恋というのは相手がいてこそだ。羨ましくなるのは当然といえよう。


 幼馴染同士で婚約している男女の遠距離恋愛など、滅多にお目にかかれないシチュエーションだ。格好の餌だった。


 さてどうしよう。ここで本当のことを言ってもいいが、言ったら言ったで根掘り葉掘り聞かれるのは明白だ。その前にせめてメイド長に話をしておきたい。

 ウェンディが言いよどんでいると、事情を知っているメイド長と家政婦ハウスキーパーがやってきた。

 ほっとして頭を下げる。


「ただいま戻りました。雇っていただいたばかりにも関わらず、お休みをいただいてしまい、申し訳ありません」


 勤め始めの頃は仕事を覚えるのに懸命で休みを取ることはできないものだ。ウェンディも男爵家の者として使用人がいる生活をしていたからわかっている。


「ウェンディ、どうでしたか? 婚約者の世話をするのであれば別の仕事を回せますよ」


 大貴族ならではの余裕なのか、ここの人たちは基本的に親切だ。自分の事情に心を砕いてくれることに申し訳なくなる。


「いえ、それが……」


 婚約者がウェンディを裏切り、とっくに結婚していたと話すと、メイド長と家政婦が絶句した。家政婦がチラッとテオを見やり、彼がうなずいたのを確認してため息を吐く。


「そう……。それで、あなたはどうしたい? 親御さんに知らせなければならないでしょうし、色々と手続きが必要でしょう」

「婚約破棄ではなく結婚詐欺で訴えるつもりです。両家の話し合いになりますので、父に任せてしまおうかと」


 シオンに万が一のことがあった時を考えて、クラストロ家で雇ってもらったのだ。ウェンディの予想とはだいぶ違うが、これからのやりとりは実家に任せたほうがいいだろう。ウェンディとしても渦中にいるよりは働いていたほうが気がまぎれる。


「では引き続き働けるのね?」

「はい。精一杯お勤めいたします」


 実家に帰って悲劇のヒロインよろしく泣き暮らすのは楽だろうが、失った五年間が惜しい。泣いている暇があったら働いて、次の男を見つけるか仕事に生きるか決めなければならなかった。男爵令嬢の二十歳はもう行き遅れなのだ。


 メイド長と家政婦、テオが本館に行くと、黙って見ていたメイドたちがいっせいに話しかけてきた。


「ウェンディ、大丈夫?」

「お菓子あるよ、食べな」

「私、お茶貰ってくる」

「元気出してね」


 彼女たちもウェンディと同じく良家の子女なのだが、メイド同士の気安さがあった。キッチンからお茶と追加のお菓子を持ってきたところで、ウェンディは逃げられないと観念して席に着く。

 恋人がいることはすでに知られていたし、どんな男だったのかも白状させられている。今日のやりとりを語れば、信じられないと彼女たちは怒りを露わにした。


「なにその男信じられない! 自分の親ほったらかして勝手に結婚!?」

「自分だけ良ければいいってわけ? 最低ね」

「どこまで騙すつもりだったのかしら。いずればれるでしょ」

「女の一番良い時捨てさせといて詫びのひとつもないわけ?」

「許せないわ。だいたい女も女よ、どんな顔して恋人のいる男と結婚したのかしら」


 同年代のメイドたちはさすがにウェンディの気持ちをわかってくれる。罵倒の言葉はそのままウェンディの心境だった。


「徹底的にやりなよ、ウェンディ」

「そうよ! 見返してやるのよ」

「泣きついてきても許しちゃだめだからね」


 今の女が泣き寝入りするなんて間違いだ。浮気男が袋叩きにされるのは世の習いだが、過激すぎやしないだろうか。

 ちょっと引き気味のウェンディにかまうことなく好き勝手に復讐を語るメイドたちは、気のせいではなく生き生きとしている。


「そうだ、ウェンディ。クラーラの店に行ってみたら?」


 一人が言った。

 聞き覚えのない名前に首をかしげるウェンディを置いて、それだ! と声が上がる。


「クラーラってどなた?」

「まあ、ウェンディ知らないの?」

「クラーラ様はね、女の味方よ」

「クラストロのシルクを扱う関係で、よくお屋敷にいらっしゃるの」


 さすがにハウスメイド程度ではクラーラの正体を知らされていない。おしゃべりな女たちに教えてはいつ誰に漏らされるかわからないからだ。知っているのはマクラウドが王都にいた時分から仕えている者たちだけだ。


「王都では有名な仕立て屋なの。クラーラのドレスといえば女の憧れなんだから」


 そう言う彼女こそ憧れているのだろう。うっとりと言い切った彼女に賛同するようにメイドたちはうなずいた。


「仕立て屋……。でも、あの、先立つものがないと」


 クラストロのシルクでドレスを仕立てるとなったら一体いくらかかることやら。働きに出なくてはならない財政事情はわかりそうなものである。憧れで終わっているだけならなおさらだ。

 するとメイドたちが笑い出した。


「大丈夫よ、クラーラ様は身の丈にあったものしか仕立ててくれないわ」

「手持ちの服と財布の中身を見て考えてくれるの。無理な買い物はさせてくれないのよ」

「服を仕立てる時も、使い回せるようにしてくれるしね」

「その代わり厳しいこと言われるけどねー」


 融通が利くということか。メイドたちはクラーラについての見解を好き勝手に話している。


「綺麗になるつもりのない女にはびっくりするほど冷たいわよね」

「でもそのぶん見込みありとなったら親身になってくれるわよ」

「クラーラ様の魔法にかかれば最高の女になれるって評判よ」

「ウェンディ、行くべきだわ。幸せにならなくちゃ」


 彼女たちの勢いに押されて、次の休みにはクラーラの店に行くことが決まった。



 ***



 クラーラの店があるのは王都中心部、貴族御用達の店が並ぶ高級店街でも服飾店が連なる区域の端である。

 煉瓦造りの二階建て。通りに面する南側は大きなガラス窓にレースのカーテンで店内の喫茶スペースが透けて見えていた。回って正面にあるドアの横には小窓が付き、アクセサリーが品よく飾られている。

 少女の頃、ドールハウスに宝物を隠したことをウェンディは思い出した。シオンから貰った初めての贈り物は、川で拾ったという緑色の小石だった。研磨していないそれはくすんでいたが、光にかざすと透けて見えて綺麗だった。


「どうしたの? 気後れしちゃった?」


 同室のメイドが思い出に浸っていたウェンディを現実に引き戻した。


「うん。なんだか場違いすぎない?」

「大丈夫よ、はじめはみんなそうだから」


 それに、と彼女は少し声を潜めた。


「クラーラ様は言いふらしたりしないから、噂になることはないわよ」


 クラストロの屋敷全体に、とまではいかなかったが、使用人館にはウェンディが恋人に裏切られたことは広まっている。顔を知らない人にまで詮索されてうんざりしていたのだ。


「私はここで帰るから。ウェンディ、ゆっくりしておいで。門限は守るのよ」


 ドアを開けた彼女がウェンディの背中を押す。ちりりん、と鳴ったベルが祝福しているようにも励ましているようにも聞こえた。


「いらっしゃーい!」


 明るい声でウェンディを出迎えたのは、やたら大柄な人物だった。

 ほっとしかけていたウェンディがうっかり固まる。


「はじめての方ね? ようこそクラーラの店へ」


 アタシが店主のクラーラよ、と男にしては高いが女にしては低い声でクラーラが言った。男か女か迷うが、背の高さと声からすると男なのだろう。ウェンディが驚いたのはそれだけではない。


 黒い髪の毛先を橙色から赤のグラデーションで染めているのはいいが、問題は長さである。肩のあたりで切られた髪の毛先を緩くカールして、首や頬にかかるようにしてあった。良く似合っているし、かわいらしくもある。が、ウェンディの常識でいえばクラーラの髪はひどいの一言に尽きる。


 クラーラは無言で立ち竦むウェンディに、気恥ずかしげに微笑んだ。


「まずはお席にどうぞ。今お茶を淹れるわね」


 動きに合わせて揺れる髪は蝶のようだ。これが、王都……。ウェンディはドキドキする胸を押さえた。


「ウェンディ・ポワンさんね。お勤めで王都に来たのかしら?」


 顧客名簿の署名には男爵の文字がある。いかにクラーラといえど、地方貴族の令嬢の動向まで把握しているわけではなかった。ウェンディが王都に来たことは、新聞の社交欄にちいさく載った程度である。


「はい。クラストロ公爵家でメイドをしています」

「あらぁ、公爵様の? そういえばドアを開けていた子もクラストロのメイドだったわね」


 何食わぬ顔でクラーラは驚いてみせた。

 ポワン男爵家の令嬢が王都に滞在中の身元引受人であり、仕事の斡旋に了解を出したのは何を隠そうマクラウド――クラーラである。クラーラ本人はウェンディと会ったこともないが、ちょっとした縁で引き受けたのだ。恋人に会いたい娘に同情したのもある。


 まあいいんじゃない、と軽い気持ちだったわけだが、なにかあったのだろうか。ウェンディは不安と期待に揺れ動いているような瞳で店内を見回した。


「メイドのお友達に薦められたのかしら。気晴らしにって」


 初対面の相手にいきなり自分の身の上話をしていいものかどうか、ウェンディは迷っていた。口は固いと言ってはいたが、重い話を打ち明けられても困るだろう。


「クラストロのメイドはよく来るんですか?」

「そうねぇ、別にクラストロのメイドだけじゃぁないけど、悩みのある子がよく来るの」


 悩みがなくてもしょっちゅう来るお嬢様が三人ほどいるが、あれは例外だ。


「悩み……」

「吐き出してすっきりしたいだけの子も、自分を変えて立ち直りたい子もいるわ。人それぞれよねぇ」

「……あの、聞いていただけます?」

「もちろん。さ、お茶をどうぞ」


 人それぞれ、たしかにそうだ。ウェンディは人生最大の裏切りにあったが、よほど親しくない限り他人の醜聞など娯楽の一つでしかない。ウェンディだって他人事ならそうだろう。


 重い口を開いたウェンディが語るのを、クラーラは静かに聞いていた。メイド仲間のように激昂することも、慰めることもなく、時折お茶のおかわりを淹れる以外は邪魔しなかった。


「それでもうすっぱり切り替えて働こうと決心したのですけれど、同僚が心配してこちらに連れてきてくれたんです」


 やがて話し終えたウェンディは、ぬるくなったお茶を飲んでひと息ついた。


「いい同僚に恵まれたわね」

「どうでしょう? おせっかいな気もしますけど」


 人の失恋で楽しんでいるだけのような気がしなくもない。クラーラは苦笑した。


「おせっかいを焼いてもらえるうちが花よ」

「そうかもしれませんね」


 今度はウェンディも素直にうなずけた。

 正直放っておいてと思ったが、それでも気にかけてもらえるのがどれほどありがたいか身に染みた。仕事をしていれば気がまぎれるように、おしゃべりをしてシオンを批判されるたびにスッとしたし、そして彼の良いところを思い出すことができたのだ。


 シオンとウェンディは同い年。十五の彼が王都に出るまでずっと一緒だった。

 その思い出がすべて汚されたように感じていたが、彼が変わったのは王都に来てからだ。華やかな都会で出会った綺麗な人に、目が眩んでしまったのだろう。


「幼馴染でも同じことをしていても、感じ方は違うものねぇ。思い出は綺麗に磨いておけばいいわ」


 ウェンディの考えを読んだようにクラーラが言った。


「とはいえ、あなたにまったく非がなかったわけじゃぁないと思うのよ」

「どういうことですか?」


 ウェンディはムッとした。健気に待っていた自分の何が悪かったというのだ。

 そんなウェンディにクラーラがころころ笑う。


「だって、待っていただけなんでしょう。せっかく恋人が王都で働いているんですもの、あれが欲しいこれが欲しいっておねだりすれば良かったのに」

「そんなお金があるならお義母……ご両親に仕送りをして欲しかったのです」

「そうねぇ。でも恋人よ? ちょっとくらいの我儘ならかわいいものじゃなぁい。働く意欲が湧くものよ」

「無駄遣いは戒めるべきですわ」


 ふん、と鼻を鳴らしたウェンディに、クラーラは目を細めた。

 しっかりした娘だ。男爵家の令嬢としてきちんと育てられたことが窺える。地方貴族の財政はどこも厳しい。現状を理解して、シオンにも我儘を言わせなかったのだ。


「男にしてみれば、頼ってくれない、甘えてくれないのは、期待されてないんじゃないかって思っちゃうものよねぇ」


 その言葉にウェンディはハッとなった。


「それに、自分の女を自分好みに仕立てたいものなのよ。彼、言わなかった? 王都の流行を贈るって」

「……言われました」


 手紙には王都での生活と共に、今はこんなものが流行していると書かれていた。きっと君に似合うから、今度帰る時贈るよ。

 それにウェンディは、流行の物などいらないから体に気をつけて、仕事を頑張ってくれればいいと返事をした。

 クラーラは笑みを苦笑に変えた。


「気遣いのできる良い女の代表よ、完璧だわ。百点満点のお返事ね」

「私が悪かったのでしょうか」

「そこは間違えちゃダメよぉ。浮気なんて、するほうが悪いに決まってるわ」


 心変わりを正直に伝えて、綺麗に別れていれば良かったのだ。綺麗に終わるかどうかはともかくそれができなかったはずがない。シオンには、きっかけが何度もあったのだから。


「じゃあ、どうしてですか? 私の何がいけなかったんですの?」

「強いていうならそれが彼の望んだ返事じゃなかったってことね」


 クラーラはズバリ言い切った。

 誰が見ても百点満点の、健気な女の手紙は、しかしシオンが待っていた言葉ではなかったのだ。


「運が悪かった。ご縁がなかったのよ」

「…………」


 諦めなさい。囁くようにクラーラが言った。

 ふいに目の奥が熱くなり、ウェンディは顔に手をやった。手袋に染みができていた。

 ぽつ、と涙が零れ落ちる。

 慌ててハンカチを取り出そうとするのを、クラーラが止めた。


「いいのよ」

「クラーラ様……」

「泣きたい時は泣いてもいいの。大切なことだわ」

「……っ」


 嗚咽が漏れたのを見て、クラーラが席を立った。一人にしてくれるらしい。

 ティーセットを持ったクラーラが奥のキッチンに消えたのを皮切りに、ウェンディは声を上げて泣き出した。


「う、う……っ。うああ、うううううう~っ」


 好きだったのだ。

 幼馴染で、初恋だった。ずっと一緒に育ってきた。シオンと結婚するのだと思っていた。思い込んでいた。


 シオンが王都の商会で仕事をすると決めた時、これで彼にも箔がつくとウェンディは喜んだ。男爵令嬢と商人の結婚は珍しくもないが、しょせんは金目当ての弱小貴族と爵位目当ての商人だと社交界では謗られるだろう。シオンが立派になって帰ってくれば、そんな連中を黙らせることができる。


 だから励ましの言葉をいつも書いていた。彼が弱音を吐けば励まして、愚痴を零せば負けるなと言った。何かを贈られるより、シオンが成功してくれたほうが良かったのだ。

 ウェンディは彼を励ました。けれど、彼が辛い時に寄り添うことはできなかったし、慰めの言葉一つもかけてやれなかった。


 シオンの妻がどんな女なのか、どんな出会いをして結ばれたのか、ウェンディは聞かなかった。彼の反論を許さず、正論で叩きのめした。

 あの場で両親のことを持ち出したのは、それを聞いたシオンが反省し、戻ってくるのではないかと思ったからだ。莫大な慰謝料を払い、親に叱責されたとなれば面目を失う。いくらシオンでも反省するだろう。


 怖い女だ、とシオンは思ったに違いない。ウェンディでも思う。幼馴染の情はあっても、百年の恋が冷めてしまうほど。

 失恋したのだ。

 どんなに好きでも、シオンは別の女に愛を誓った。


 諦めなさい、と言ったクラーラの声が何度も耳に木霊する。涙が零れた。

 諦めよう。

 彼のために。自分のために。諦めよう。

 初恋に別れを告げたウェンディの心の奥で、シオンが乗った馬車を見送る十五歳のウェンディが泣いていた。


 ハンカチから涙が滴るほど泣くと気分がすっきりした。瞼は腫れぼったいが心は晴れやかだ。


「あら、まぁ。ひどい顔ねぇ」


 ウェンディが泣き止んだ気配に、店内に戻ってきたクラーラの一声がこれである。歯に衣着せぬクラーラに、ウェンディは笑うことができた。


「はい、これ。少し目を冷やしたほうがいいわ」

「ありがとうございます」


 喉も少し枯れている。濡らしたハンカチをありがたく受け取って、瞼にあてた。


「少しはすっきりしたかしら?」

「はい。おかげさまで」

「良かったわ。じゃあ次ね、口を開けて。あーん」


 眼が塞がっているウェンディの唇に、クラーラがキャンディーを押し付けてきた。触れたところから広がる甘さにウェンディが口を開ける。舌の上に乗せられたのは蜂蜜味のキャンディーだった。


「いい機会だわ。ウェンディちゃんなりのお楽しみを見つけてみたらどうかしら」

「お楽しみ?」

「そうよぉ。どうせお家じゃぁ結婚準備と社交くらいしかなかったんでしょう? 自分で稼いだお金で自分の好きなものを見つけてみたら? 楽しいわよぉ」


 跡取りでもない貴族令嬢なんてそんなものだ。

 しかし、いきなり好きなものと言われてもピンとこない。キャンディーを転がしながらウェンディは考えた。


「難しく考える必要はないのよ。何が好きで、何をすれば楽しいのか。それを見つけるの。もうそれだけで楽しいわぁ」


 クラーラは本当に楽しそうに言った。


「あの、そうはいっても私はもう二十歳ですし、次の婚約者を見つけないと……」


 ウェンディには遊んでいる時間などない。もはや二十歳、後がないのだ。


「あらぁ、まだ二十歳じゃなぁい」

「クラーラ様にはそうでしょうけど」


 最後まで言えなかった。クラーラがウェンディの両頬を押さえたのだ。


「あのねぇ、ウェンディちゃん」


 ハンカチで見えないが、クラーラが笑顔で圧をかけているのが伝わってくる。


「失恋してぼろぼろの娘に言い寄ってくる男なんて、ろくでもないに決まってるわ。ずっと君が好きだった、というのも稀にあるけれど、それってフラれるまで何もしなかった甲斐性なしってことでしょう」


 ぐうの音も出なかった。


「それにねぇ、わかってる? ウェンディちゃん。あんな男を好きだったってことは、あなた男を見る目がないのよ」


 グサッと言葉の刃が突き刺さった。


「だからまず自分を磨くの。なんだっていいのよ。ドレスが好きならそれに似合う女になりたくなるでしょう。お花が好きならそれを髪に差したくなるでしょう。宝石が好きならそれを身に着けたくなるでしょう。好きなものにふさわしくなる、自分磨きの第一歩は好きなものを見つけることよ」


 そう笑うクラーラは、自分の仕立てた服が本当に好きなようだ。ウェンディはそっとハンカチをずらしてクラーラを眺めた。


 短い髪に合わせて揺れる細いプリーツのスカートは体の線を強調してクラーラの足の長さを見せつけてくる。腰から伸びた左右のレースが華やかさを演出していた。テーラードジャケットとスカートの色は赤茶色で全体的に落ち着いているが、レースと胸元で結ばれた大きな白いリボンには清楚な遊び心があった。

 化粧はやや濃いめ。目元にすっと引かれた紅がなんとも色っぽい。


 自分に自信を持つ、自分を好きになるとはこういうことか。体現しているクラーラは言葉を重ねるより説得力があった。


「見つかるかしら」


 私もクラーラのようになれるかしら。期待を込めて見つめれば、クラーラはにっこり笑った。


「見つかるわ。心が浮き立てば、それは好きってことよ」


 楽しいって、心が軽くなるのよ。

 クラーラは頑張れとは言わなかった。頑張って好きになるようでは、やがて重荷になることをクラーラは知っていた。


 使用人の休日は仕事内容にもよるが基本的に週に一日だ。人手が足りない家だと午前か午後のみになるが、クラストロほどの貴族になると人を雇うのも義務になるため、ウェンディは未だに名前を知らない人がいるほど使用人が多くいる。

 クラーラの店を出て王都をぶらぶら歩いたウェンディは、案内してくれた同室のメイドと、お世話になったテオにお土産を買って屋敷に戻った。


「ただいま戻りました」

「おかえりー」

「クラーラの店に行ったんでしょ? どうだった?」

「目が赤いよ。もしかして泣いたの?」


 瞼のむくみが引くまで店で冷やしていたのだが、泣いたのは一目瞭然だったらしい。


「泣かせてもらったの。慌ただしくて忘れていたけど、失恋したのに泣いていなかったのよね。クラーラ様のおかげですっきりしたわ」


 メイドたちがあからさまにほっとした。この娘は駄目だと見限られたら本気で反省しない限りクラーラは助けてくれない。結婚が破談になったばかりのウェンディにはなおさら辛いだろう。

 そんなことにならなくて良かった、とメイドたちは胸を撫で下ろした。


「クラーラ様にアドバイスもらえた?」

「ね、行って良かったでしょう」


 ハウスメイドとはいえ一日中掃除に明け暮れているわけではなく、休憩時間はもちろんある。夕方は一仕事終えて夕飯を待つくつろぎタイムだ。

 とはいえ住み込みの身で仕事終わりに一杯ひっかけに行くわけにはいかず、休日は待ちにまった羽目を外す日になる。

 何をしていたか話を聞きたがるのは無理もないことだった。特に女はおしゃべりが好きで流行に敏感な生き物だ。


「次の男はまだ早い。好きなものを見つけて自分を磨けと言われたわ」


 ウェンディが答えた途端、きびしー、と声があがった。


「そういうところはやっぱりクラーラ様よねえ」

「最終的に自分で努力して決めろってことですものね」

「ウェンディにもそれかー」

「でも背中押してくれるあたりやさしいわよね」


 クラーラはしょせん仕立て屋だ。きっかけは与えてくれるが人の人生に責任を持つことはない。だからこそ、クラーラが応援したくなる女でなければ認めてくれないのだ。


「それで王都を散歩してきたけれど、ピンとこなかったわ。みんなは何か好きなものある?」


 困り果てたウェンディの問いに、メイドたちはやや考え込んだ。


「私はお菓子。キッチンに頼んで休日に作らせてもらってるわ。家に帰った時に弟や妹に作ってあげるの」

「刺繍かな。自分で服を作る時にクラーラ様のデザイン参考にさせてもらってるわ」

「お菓子に付いてるカード集めてるわ」

「読書お薦めよ。一冊で何日も楽しめるわ」

「舞台はどうかな。今度一緒に観に行かない?」


 みんなそれぞれに好きなものを見つけて楽しんでいるらしい。仲間が増えるのは嬉しいのか、どんどん薦めてくる。


「舞台? 観劇がお好きなの?」


 ウェンディは舞台の言葉に心が惹かれた。男爵領にも劇場くらいあるが、あまり行ったことがない。家族や友人、恋人と連れ立って行くのが貴族令嬢のマナーで、一人で行くという発想がなかった。

 ウェンディが興味を持ったことに、彼女はずいと身を乗り出した。


「そうなの! 私はリーヴ・ルブラン様のファンなのよ。リーヴ様は最近売り出し中の若手俳優でね、演技はまだ未熟なところがおありだけれど、そんなところがかわいくてきゅんきゅんしちゃう。リーヴ様の最大の良さはお声で、何と言ったらいいのかしら、甘く透き通った声で愛を囁かれたらその後一ヶ月は幸せな気分でいられるわ。ああ、もちろんお顔も良いのよ。ちょっと童顔ぎみで、まるで少年のように大きな瞳が輝いて! 今やっているのは『魔王の呼び声』なんだけど、この羊飼い役がまたぴったりなの!」


 怒濤の推しトーク、しかも早口である。本当に好きなのだということしか伝わってこなかった。

 しかしそこまで好きになれるのは羨ましい。ウェンディは行ってみようかなという気になった。


「そんなに素敵なのね」

「もう最高」


 真顔で言いきられた。


「でも、チケットは高いでしょう。どうやりくりしているの?」


 唯一の気がかりはそれである。しかし、彼女はウェンディの懸念を笑い飛ばした。


「ボックスやバルコニーならそうでもないわよ」


 劇場で一番高価な席は舞台正面だ。音がまっすぐ届き俳優の演技もよく見える。

 ボックスやバルコニーは舞台から横にあり、二階席や三階席となるとさらに遠くて見えにくい。当然値段が下がってくる。


 よく貴族などがボックスを取っていることがあるが、あれは一種の見せびらかしだ。暗がりを利用して密談に用いることもある。


「私も実家ではお嬢様ですけれど、ここでは単なるメイドですもの。そんなに贅沢はできなくてよ」


 芝居がかった仕草で淑女の礼をした彼女に、ウェンディも納得した。

 観劇に行ってみよう。そう思っただけでウェンディは心が弾むのを感じた。誰に遠慮することなく自分のお金で好きなことができる。なんて素晴らしいのだろう。


 リーヴ様ファンの彼女はソシエ・ミールといってウェンディと同じく男爵令嬢。実家が困窮し、結婚の持参金も出せなくなったため働くことにしたのだという。


「爵位目当ての商人とかに売られなかっただけ幸運だったわ」


 我が身の境遇を嘆くでもなくソシエは言った。何度も読み返して跡の付いたパンフレットを大事に抱きしめる。


「それに、リーヴ様にも出会えたし!」


 ソシエの瞳はキラキラというよりギラギラしている。明日はウェンディを舞台に連れていく約束だ。


「私はいつもお花とファンレターを渡すの。友達を連れていけば喜んでくれるから、楽屋まで一緒に来てね」

「楽屋に入れるの?」

「リーヴ様はトップスターでもないし、花を渡すくらいなら断られないわ」

「そうなのね……」


 王都にはウェンディの知らないことがいっぱいだ。

 劇場の楽屋に入れるのは後援者パトロンだけだと思っていたし、娘たちは年頃を過ぎても結婚していなければ蔑まれるものだと思っていた。

 ソシエのように、俳優に惚れこんで追いかけるなどもってのほかだった。


 王都は自由だ。


 自分で好きなものを選び、自分で決める。

 そして責任も自分で取らなければならなかった。

 片田舎のお嬢様では味わうことのない空気である。

 自分の足で立つことがこれほど自由で、そして不安を伴うなど、ウェンディは知らなかった。


「めいっぱいオシャレしようね。明日は楽しみましょ!」

「そうね!」


 『魔王の呼び声』の原作は『ロザリア姫の歌』という題名タイトルの恋愛物語だ。

 うつくしき姫君ロザリアは愛する騎士ガルシャとの結婚が間近に迫っていた。結婚式の日を指折り数えて待っていたある夜から恐ろしい夢を見るようになる。

 ロザリア姫を見初めた魔王が夜な夜な彼女を魔の国に呼んでいたのだ。

 夜ごと近づいてくる魔王に恐れおののいた姫はとうとうガルシャに打ち明ける。愛する姫を救うため、騎士は魔王退治の旅に出た。

 姫はガルシャの勝利を祈って塔の上で歌をうたう。リーヴ・ルブランは姫の歌を聞きつけてガルシャに知恵を授ける羊飼いの役だ。


「途中で羊が人間になったりしてびっくりよ」


 ボックス席に着くなりソシエがネタバレかましてきた。


「どうして羊が人間になるの?」

「魔王の力で!」

「魔王の力で」

「でもリーヴ様は羊飼いだから、逆に魔王を攻撃するよう羊たちを操るのよ」

「魔王ちょっと浅はかじゃない?」

「策士策に溺れるってやつよね。とにかくリーヴ様に注目よ!」


 ソシエに言われて着飾ってはきたが、周囲を見るとずいぶん気合の入った女性たちがちらほらいる。楽屋にまで行くとなれば綺麗にしてくるのはむしろ当然だろう。ウェンディはなんだか場違いな気分になった。


「あ、はじまるね」


 ふっ、と劇場の灯りが落ちた。

 はじまりのベルがけたたましく鳴り響く。

 幕が上がり、ライトが舞台を照らしだした。


「…………」


 ボックス席からはあまりよく見えなかった。姫君のドレスを着た人物が、高らかに愛の歌を歌いあげる。

 夢の世界が広がっていった。




推しのいる人生最高。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 都会で推しを見つけるの、いいですね! 推しを語る時、人は何故早口になるのか…!! メイド仲間が一緒に怒ってくれるの、嬉しいですね…。 [一言] 私個人としてはハンカチ贈る曲、昔は男が捨てた…
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