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【二巻発売記念SS】クラーラの天敵

本日9月10日は「秘密の仕立て屋さん」二巻の発売日です!

短いですが記念のSSをどうぞ!



 いつも明るく頼れるオネエなクラーラにも、天敵と呼ぶべきものが存在する。


「はいクラーラ様、息吐いて――止めて!」


 レオノーラの掛け声に合わせてクラーラが息を吐くと、腹がべこりとへこんだ。


「ふん!」

「ぐぇっ」


 すかさずレオノーラが気合を入れてコルセットの紐を締める。強引に圧迫されたクラーラの喉から潰れた蛙のような悲鳴が漏れた。


「はい、よろしいです。クラーラ様、大丈夫ですか?」

「く、苦し……。レオノーラ、ちょっと助けて……」

「緩めます?」


 前屈みになって胸を押さえたクラーラが何度もうなずいた。

 レオノーラが紐をほどくと「ぷはっ」と大げさなほど激しく呼吸を繰り返した。よほど苦しかったのか、脂汗が滲んでいる。


「あ――……、せっかく新しいやつ買ったのに……」


 ぐったりとなったクラーラが下着姿のままぼやいた。


「女性用ですから。クラーラ様の頑丈な腹筋ではあれくらい締めませんと、腰の曲線が作れませんわ」

「鍛えないと弛むじゃないの。中年太りはイヤよ」


 レースのついた可愛らしいコルセットを睨みつけながら、クラーラがぱんと腹を叩いた。


 女にとって欠かせない下着のひとつであるコルセット。これこそがクラーラを苦しめる天敵である。


「中年太りを気になさるのでしたら、お酒を控えられてはいかがです」

「わかってるわよぉ」

「おわかりいただけているのでしたらなによりです」

「明日から少し減らすわ」

「……断酒なさるつもりはないのですね」

「お酒は日々のちょっとした潤いじゃなぁい。なくしちゃったらつまんないわ」

「…………」


 クラーラの言い訳にレオノーラは生温い笑みを浮かべた。ダイエットと言いつつ菓子を止められない少女とまるっきり同じ言い分である。


 これでよく他人にあれこれ言えるものだ。レオノーラは批判的に思ったが、女が会話に求めるのは正論ではなく共感と励ましだ。たとえ同じ経験をしたことがなくても自分の身に置き換えて、我が事のように心を通じさせる。それがクラーラのやり方である。


「しっかし、まいったわねぇ。新型のコルセットがこんなに苦しいんじゃぁ、女の子たちにはもっときついわ」

「そうですわね。ドレスの形が変化すればまたコルセットも変わりますが、やはり腰は細いほうが流行ですわ」


 だからこそ、多少の無茶をしてもクラーラはコルセットを着けている。同じ苦しみをというだけではなく、コルセットは姿勢を良くしドレスの形を作る、基本でもあるからだ。


 しかし、コルセットによる弊害もよく知られた話である。


 この時代の女性は何かあると失神する。意中の男性が自分以外の女性をダンスに誘っただけでもぶったおれた。女性特有のヒステリーとされているが、これはひとえにコルセットの締め過ぎによる酸素不足のせいである。腹部が圧迫され、ただでさえ呼吸がしにくいところに強いショックで息が止まるのだ。


 それだけではない。睡眠中以外のほとんどの時間をコルセットで締め付けているため、内臓や骨格にも疾患が現れる。コルセット信者ともなると寝ている時にもコルセットを外さないというのだから相当なものだ。


 はっきりいって苦行以外の何でもないようなコルセットだが、少女たちは大人への儀式として成人したらコルセットを着けなければならなかった。どれだけお転婆な娘でも、たちまち大人しい淑女になる魔法のアイテムなのである。コルセットを着けて全力疾走はできない。


 もちろん改良はされている。無理に締め過ぎず、健康に配慮したスポーツタイプのコルセットも開発されていた。それでもやはり女性の心を摑むのはそうした実用重視のものではなく、リボンやレースのついた可愛らしいものであったし、スズメバチの体形を理想として腰を細く締め付けた。理屈ではなく見栄と意地でそうした。男の気を惹くためというよりは、女の目を気にしていたというのが正しいだろう。


「ベル型からS字シルエットに変わったからちょっとはマシになるかと思ったけど、逆だったものねぇ」

「そうですわね。S字はお腹に緩みを持たせてお尻をつきだす形ですから、余計に体形に気を使います」

「肥満とはまったく別なんだけどねぇ。こればっかりはアタシが口出しできないし、どうしたものかしら」


 うっかり忘れてしまいそうになるが、クラーラはオネエなのである。ようするに、女性にはないものがついているのだ。コルセット止めない? などと言おうものならセクシャルハラスメントになりかねない。難しい問題である。


 クラーラもコルセットに慣れないうちは着けずにドレスを着ていたが、見た目があきらかに違ってくる。また心構えもコルセットのあるなしによって違うため、お客の大部分を占める若い少女はコルセットに頼るところもあるだろう。女にとって、ドレスで着飾り赴く夜会は一種の戦場だ。そこにコルセットという鎧を着ないで行くのはありえないことなのである。


「いっそのことスカーレットをせっついてコルセット解放運動でもやってもらおうかしら」

「スカーレット様でしたら喜んでやるかもしれませんが、肝心の少女たちの賛同が得られるとは思えませんわ」

「やっぱり?」

「はい。コルセットの悪弊について述べているのは主に女権論者ですが、彼女たちでさえコルセットを止めたわけではありませんもの。説得力に欠けます」


 そもそもクラーラだってまったく止めるつもりはないのだ。ただ体形をより女性らしくするためにはコルセットが必要不可欠であり、クラーラの体はコルセットを身に着けるにはいささか逞しすぎるのだ。


「……結局ふりだしに戻るわけね……」

「そうですわね。さ、クラーラ様。いいかげんお覚悟なさいませ」


 諦めと投げやりの面持ちで椅子にどっかりと座っているクラーラは、いまだ下着姿だ。ドロワーズは履かず、黒の靴下をガーターで留めている。ちなみに髭と同じく腕と脛の毛は剃ってあった。


 ペティコートだが、クラーラはドレスのスカートにスリットを入れてズボンを履くことが多いため、あまり着けることがない。今日のドレスはS字シルエットに膝下で広がるマーメイドラインのスカートのため、バッスルの時よりも大胆にスリットを作っていた。ペティコートの代わりにスリットからレースをチラ見せさせてある。裾にいくにつれて広がるレースはまさに魚の鰭のようだ。


「しょうがない。気合を入れますか」


 パンと両膝を叩いて立ち上がる姿はおっさんそのものだが、指摘してもうるさいだけなのをわかっているレオノーラは黙って見て見ぬふりをした。彼女はできるメイドなのである。


「さっきよりは緩めでお願いね」

「わかっております」


 それでもお腹をへこませるのはクラーラの意地だ。女の装いとは、ひとえに見栄と意地と根性で作り上げるものである。


 ドレスを着て髪を結い上げ、化粧をすればクラーラの完成だ。鏡の前に立ち最終チェックをしたクラーラは、くるりと一回転して満足の笑みを浮かべた。


「うん。カンッペキ! なんて綺麗なア・タ・シ」

「はい」

「今日はどんな子が来るのかしら。楽しみだわぁ」


 そして今日も、クラーラの一日がはじまる。



コルセットの話は絶対に書こうと思っていたのですが、そういえばクラーラはオネエだった! と愕然となりました。お嬢様たちとコルセットについて語ってもらいたかったのですが、セクハラになりかねない……。

私はコルセットに憧れますが、当時の女性は本当に大変だったようです。

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