ココ・エルチュールの野心・4
あの男登場。そしてざまあ。ジェインとココのお話はこれで完結です!
女の子の友情と成長は書いていて楽しいですね。
ジェインが開発・製造したクリームと化粧品は、魅惑の美肌を謳い『フェアレスティ』シリーズとして販売された。
まず王都ではクラーラの店で試作品を先行販売。無料にしなかったのは、高級路線でいくなら徹底しろとクラーラが進言したからだ。店に来ればただで貰えると勘違いされてはたまらない。安売りはするなと言った。
完成までに時間がかかったこともあり、パオロの『ネフェルティトトラの最期』の発表と時期が重なった。『ネフェルティトトラ』の妖艶なココと『フェアレスティ』ポスターのココの可愛らしさとのギャップが話題となり、試作品にも関わらず人気になった。
「おかげさまで『フェアレスティ』は順調な滑り出しですわ。むしろ本番はこれからだと、工場の責任者も気を引き締めて張り切っています」
「お肌に使うものだから、トラブルが起きれば客はすぐに離れていくわ。気を使いすぎるくらいで良いと思ってね」
肌が弱い人だと逆に肌荒れや炎症を起こすこともある。そのためクラーラは必ず客にパッチテストをさせた。特にジェインの商品は天然物で、劣化が早い。工場から王都に運ぶ間に何かあったら大変だ。
「できるだけ早めに使いきって欲しいので、容器は小さめにしました。そのぶんこだわって、集めて楽しいように季節ごとに変更します」
「まあ、可愛らしいわぁ。これはココちゃんね?」
こちらが本製品ですと言って取り出したクリームの容器は陶器製で、円筒型で蓋の部分にポスターを模した模様が刻まれていた。
「ええ。せっかくパオロさんが素敵なポスターを描いてくださったんですもの。記念すべき初製品はやはりこれにしようと、満場一致でしたわ」
ジェインがそっと隣を見ると、パオロとココが幸せそうにうなずいた。二人の左手の薬指には結婚指輪が光っている。
パオロとココは、プラティーヌ領でジェインを証人にして結婚したのだ。
そしてジェインの反対隣にはウィリアムがいる。事業に奔走していた期間、ずっとジェインの隣で彼女を守ってきた男は、ついに愛と信頼を勝ち取ったのだ。
公私ともに満たされたジェインは、男勝りで闊達な性格はそのままに、色気が出てきた。
「良かったわねぇ」
クラーラがしみじみと言った。
ジェインとウィリアムが目を合せて微笑みあう。
――ちりちりりりん!
幸福な雰囲気を破壊するように、ドアベルが鳴り響いた。
「ココ! やっと見つけた! パオロ、この悪魔め! ココを売り物にして名声を得て満足か!?」
いきなりやってきて難癖を叫んだのは、すっかり落ちぶれたダニエル・ド・ラ・エタンだった。いや、男爵位を返還し伯爵家からも叩きだされたため、今ではダニエル・エタンとなっている。
「ダニエル?」
「ダニエル様?」
さっと立ち上がったクラーラ、パオロ、ウィリアムがジェインとココを背中に隠す。ジェインもココを守るように彼女を抱きしめた。
パオロとジェインの呼びかけに、ギラギラと血走ったダニエルの目が二人を見た。かつての婚約者に目を見開く。
「ジェイン……? そうか、そういうことだったのか」
「ダニ……、エタン様、何を」
「ジェインちゃん、ココちゃんと奥へ」
ギシッと歯ぎしりをしたダニエルの体が震えだす。様子のおかしい男に、クラーラが避難するよう小声で指示を出した。ウィリアムがさりげなく動き、二人がダニエルの視界に入らない位置にずれる。
「俺ははめられたわけか。ジェインの資金稼ぎに婚約破棄させようと。ははっ、ジェイン、ココ、愛してたのに……」
ぶつぶつと呟きながら近づいてくる男にクラーラは眉を寄せる。何日風呂に入っていないのか汗と脂の饐えた臭いと、酒の臭いが混じったすさまじい異臭がした。
「ココ。俺にはもうココしかいない。お前のために何もかも失ったんだ、俺のものになってくれたっていいだろう!?」
クラーラが身構えた。こういう輩には落ち着いて正論を言っても無駄だ。力づくでも抑えつけて、完膚なきまでに思い知らせるしかない。
店が汚れるのは嫌だが、拳で済めば安いもの。クラーラが拳を握った。
「ココさんはもうパオロさんと結婚していますわ! 自業自得よ!」
あと一歩、というところでジェインが叫んだ。
ダニエルがぐるん、と首を回転させて声の主を見た。ココが悲鳴をあげる。
「ココ! 俺の女神! 女神が穢されただとぉぉっ!?」
「ひっ!!」
「けが、穢されたなら、清めなくちゃなあっ? ひひっ、ココ、ココ、俺が清めてやるからなぁぁ……っ」
肩を揺らし、口端から泡を吹きながらダニエルがココに向かって突進した。
「やめろ! ダニエル!」
立ちふさがるパオロを理性の欠片もない暴力で振り払う。それでもパオロはダニエルに摑みかかっていった。
「パオロ」
「やめるんだ。もうこれ以上……!」
「パオロ、お前さえいなければココは俺のものか?」
パオロを凝視したダニエルが彼の右手を摑んだ。貴族であり、運動もさほど得意といえなかったダニエルのどこにそんな力があったのか、みしりと骨が軋んだ。パオロの顔に苦痛が浮かび、汗が流れる。
「パオロ!!」
「ココさんっ!?」
パオロの右手が厭な方向に曲げられる。それを見たココが飛び出した。
クラーラとウィリアムが引き剥がそうとしているが、ダニエルは渾身の力でパオロの右手を折ろうとしている。
「パオロを放しなさいよっ!」
ココが拳を握りしめ、ダニエルの頬を殴りつけた。
「コ……?」
「テメェこんにゃろう! アタイの男に何しやがる! 画家の利き手折ってどう落とし前つけるつもりだこのバカ野郎がっ!!」
まさか拳で殴られるとは思わなかったのか、ダニエルが呆然とする。その隙にウィリアムがパオロを救出した。
「パオロがアタイを売った!? 金で釣られると思ってんのはテメェだろうがぁあん? そんな根性だからふられるんだよ腐れタマチン!!」
ココの攻撃は止まらない。ついでに口撃も止まらなかった。およそ淑女とは思えない下町言葉、なかでもとびきり汚い罵倒文句で罵りつつ、猫のようにダニエルの頬を引っ掻いている。しだいにダニエルの頬に蚯蚓腫れができた。
「――ココちゃん!」
無我夢中のココと、彼女の変貌にあっけにとられているパオロとウィリアム。クラーラだけが、ダニエルがポケットからナイフを取り出すのを見ていた。
バッとスリットの入ったドレスをめくりあげ、しなやかに足を回転させる。
「!!」
クラーラの回し蹴りが見事に決まり、ダニエルが吹っ飛ぶ。見本のドレスを着せたトルソーが倒れた。
床に突き刺さったナイフを見て、ココが衝撃に蒼ざめる。
「ココ、無事か? 怪我は?」
「パオロ……」
ようやく恐怖が来たのか震えだしたココは、パオロに抱きしめられてハッとした。
「パオロ、あなたこそ手は? あなたの右手は?」
画家の大切な利き手は無事かと蒼くなって何度も問うココに、パオロは目頭が熱くなる。
大の男を相手に、怖かっただろうに、パオロを守るために戦った彼女の愛情の深さが嬉しかった。
「大丈夫だ。ちょっと痣になる程度だよ。ココ、ありがとう。大丈夫だから」
嘘である。ダニエルは本気で折るつもりだった。今も痛みで痺れている。当分絵筆は持てないだろう。
それでもパオロは笑ってみせた。守ると誓ったココに守られてしまったのだ。せめて安心させたかった。
「本当?」
「本当だ。ほら、動く」
右手を動かす。痛みを悟られないように笑ったままのパオロを食い入るように見つめていたココは、やっと安心したのか力が抜けて彼にもたれかかった。赤黒い痣が浮かび上がった手は早くも腫れはじめていたが、なんとか動いたことにパオロも安心した。
「良かった……」
そうこうしている間にクラーラが警察を呼び、ウィリアムが店のリボンをちょっと拝借してダニエルを後ろ手に拘束した。ジェインはダニエルが目を覚まさないよう、呻き声が漏れるたびにクラーラの足跡がついた腹を踏んでいた。
「とんだことだったわぁ……」
クラーラが疲れた声でぼやいた。ダニエルはやってきた警官に連行され、ぐったりした空気が流れている。
「申し訳ありません、クラーラ様……」
「ココちゃんのせいじゃないわ。気を落とさないでね」
クラーラの慰めにもココは唇を噛みしめたままだ。
あれだけ避けられ逃げられ、言葉でも態度でもダニエルのものにはならないと一貫していたのに、それでも諦めなかったダニエルの自業自得である。何もかも失い、せめてココを手に入れなければ気が済まなかったのだろうが、愛が欲しければどうするべきか、彼はわかっていなかった。
「ジェイン、その、……知っていたのか?」
ウィリアムが気まずげに訊ねた。ジェインはダニエルが現れたことに驚いていたものの、ダニエルの相手がココであったことに驚いてはいなかった。
ジェインはココを見て、静かにうなずいた。
「知っていましたわ。わたくしだってただダニエル……あの人のことを待っていたわけではありません」
ジェインがそれを調べたのは、ココと知り合ってからだ。モデルの真実を知り、ココの人柄に触れ、ならばダニエルの相手も話せばわかりあえるのではないかと思ったのだ。
「ココさんだと知った時、自分でも納得したんですの。とても純粋で可愛らしい方ですもの、夢中になるのはしかたがないと」
「ジェイン様」
「誤解なさらないでね、ココさん。あなたに黙っていたのは、これ以上傷ついて欲しくなかったからですわ。あの人の、貴族の身勝手に振り回されたあなたに、嫌われたくなかったの」
同じ男に悩まされている同志として、ジェインは共感し、ココに友情を抱いた。ジェインが貴族であることはもう覆せない事実であり、それをココがどう思っているか、怖かったのだ。
「ジェイン様、私にとってジェイン様は大切な友人であり、心強い姉のような存在ですわ。私こそ、ジェイン様にどれだけ救われたか」
「ココさん」
ウィリアムはほっとした。ジェインとココの努力でようやくはじまったすべてがあんな男に台無しにされては堪らない。
「ジェイン。みんな、君が好きなんだ。私たちだけではなく、領のみんなも、君に励まされている」
「ウィリアム様」
「生き生きと笑う君が好きだ。私はしがない三男の管財人で、金も、爵位も、何も持っていない。けれど、君を愛することにかけては誰にも負けないと誇りを持っているよ」
「ウィリアム様、わたくしは愛さえあればお金なんて、とは言えない女ですわ。それでも、わたくしは他の誰よりもウィリアム様を信じ、頼りにしています」
ジェインはもどかしそうに言い、それから真っ赤になってうつむいた。
「わ、わたくしも、ウィリアム様を愛しています……」
消え入りそうな声であった。ようやく知ったはじめての感情は、ジェインの胸を甘く締め付け、全身を痺れさせる。きっと、いつだってあなたに恋していたのだ。そうとは知らず、自覚もないまま、いつしかそれが当然になったのだわ。
ついに恋は花開き、愛という実を結んだのだ。
***
その後のことを少し語ろう。
ジェインとココの『フェアレスティ』シリーズは王都で人気を博した。化学合成の安価品が出回り始めた時代に逆行していると囁かれたが、素材すべてにこだわって天然物を使い、容器も可愛らしいそれは貴族令嬢の間で爆発的人気を獲得したのだ。
ジェインがココを伴って夜会に行き、生きた宣伝を行ったことも効果があった。なんといってもジェインは貴族でも珍しい女性事業主であり、ココはモデルから伸し上がった伝説の美女である。そんな成功例に飛びつかないはずがなく、商品は品切れ続出、かといって品質を落とすわけにはいかないと、ジェインは一部を受注販売に切り替える作戦に出た。
これが見事にあたり『フェアレスティ』はプレミアブランドとしての地位を不動のものとした。
ジェインとウィリアムが結婚したのは事業が軌道に乗りやっとひと段落ついた頃だった。この時、ジェインは二十三歳。結婚式はプラティーヌ伯爵領で、従業員や農場の人々もこぞって祝福に訪れ二人の門出を祝ったという。もちろんパオロとココの姿もあった。
ジェインとココの一家はプラティーヌに居を構えた。社交の季節には王都を訪れ、そのたびに新商品を持ってきた。いつ見ても二人はうつくしく、仲の良い姉妹のようだと称賛された。
ダニエルはエタン伯爵に特大の雷を落とされ、母に泣いて責められたことで目が覚めたらしい。元の真面目な性格に戻っていった。しかしあれだけの醜聞を起こしたことは広まっており、なかなか結婚できず、彼が結婚したのは中年になり借金を完済してからになる。それまでダニエルはジェインと結婚していれば、ココさえいてくれればとずっと泣き言を言っていたらしい。夜会でばったり会った二人にプロポーズしたという噂もあるが、あくまでも噂の域を出ない。ただし、ダニエルならやりかねないと思われていたのはたしかなようだ。
最後に。
パオロ・レーベンスの絵画は後年オークションにかけられ、世界各地の美術館に収容された。そのうちの一枚、パオロ・レーベンスの代表作が『ネフェルティトトラの最期』である。タイトルからわかるようにこれは絶世の美女ネフェルティトトラが絶望の果てに毒杯を煽って死ぬ場面だ。白く光っているような肌、ぐったりと弛緩した肢体、力なく投げ出された腕と、今まさに杯が零れ落ちそうな指先。時代に忠実な衣装もあって実にドラマチックな場面は艶めかしい官能さえ感じさせると評価されている。
肝心のネフェルティトトラは幼女のように微笑んでおり、まるで死に向かうというより生まれ変わるために毒を頂いたのではないかと言われている。
『ネフェルティトトラの最期』とは通路を挟んだ向かいの部屋に、同じくレーベンスの『愛の挨拶』という絵が飾られている。レーベンス夫人のココと友人のジェイン・アンバー・プラティーヌ(彼女は婿養子をとった)がそれぞれ子供を連れている場面で、この配置には何かの隠れた意図があるのではないかといわれているが、真相は定かではない。




