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ココ・エルチュールの野心・3


 ココがジェインに付き添われてパオロの家に帰り、彼にすべてを打ち明けると、そこまで想ってくれているのかとパオロは男泣きに泣いた。愛を知らぬ娘の純粋さが尊く、愛おしかった。


「……なるほど。私ではなくココに貴族の後見があれば、あいつも手が出せないわけですね」


 ココを使った計画を伝え、協力を募るとたちまちパオロは理解を示した。ココは少し不安そうにジェインと手を繋いでいる。


 いわば逆転の発想だ。パオロ・レーベンスではなくココ・エルチュールの名で商品を売り出す。メインはあくまで商品であり、ココは広告塔になるのだ。


 パオロはどう思うだろうか。油絵とポスターでは技法が違う。たった一枚の絵を完璧に仕上げるのに比べ、ポスターは複製しやすいように描かれるのが常であった。しかも商品名や会社名の文字も入れるため、油絵とは別の芸術性が求められる。


「いかがでしょう? パオロさんにはポスター画などと思われるでしょうが、そう悪くない案かと」

「たしかに、思いもかけないお話です。……私が絵を描くのは、絵が好きだからです。いつしか絵描きになることを夢見て、そしてそれは成功しました。ですが同時に、生活のために描くことに疑問を抱いてもいたのです」


 ジェインの顔が曇った。パオロが寂しげに笑い、首を振る。


「ああ、違います。そうではなく――何と言えばいいのか。ココの絵を描き、それを売るのは、ココ自身をも売り飛ばしているようで辛いところもありました」


 そんなつもりはなかった、とは、パオロもいえない。神話をモチーフにして絵を描いたのは、古代の衣裳は肌を見せるものが多いからだ。場面によっては入浴シーンや、もっとあからさまに鳥に化けた神と美女が交わるシーンもある。


 女が肌を見せるのははしたない、恥ずべきこととされる風潮の世の中で、肌も露わな美女を堂々と観賞し品評までされるとなれば、売れないはずがない。女が眉をひそめて嫌悪しても、芸術だと言われれば黙るしかないのだ。


 もちろんそんな男ばかりではなく、きちんとパオロの実力を認めてくれる者も多い。だが、パオロはココを見出した当初は間違いなく彼女を描くことで売るのを目的としていたし、ココを描いて欲しいと依頼してくるのは男ばかりなのも事実なのだ。


 ココの献身に胸打たれ、彼女を愛するようになって以来、パオロはずっと苦しんできた。


「感謝します、プラティーヌ伯爵令嬢。私はもうココを、ココを愛する心を売らずに済みます」

「パオロ……」

「まあ、パオロさん。それでは?」

「はい。喜んでお引き受けいたします。ココとプラティーヌ伯爵令嬢の友情に恥じぬ絵を描いてみせますよ」

「ありがとうございます!」


 ジェインは立ち上がり、座ったまま動けずにいるココを抱きしめた。細い体にたしかにある膨らみに頬を埋め、ココは静かに涙を流している。


「ココさん、おめでとうございます。お二人の愛の強さこそ、何物にも負けない真実の愛ですわ」

「ジェイン様……」

「こうしてはいられませんわ。わたくしも、より品質の良い商品を生み出すために励まなければ。いかにポスターが素晴らしくても、物が悪ければ誰も買ってくださいませんわ」


 ココとパオロに負けてはいられない。ジェインは王都の邸に帰ると、兄の部屋を突撃した。


「お兄様! ……あらウィリアム様、ごきげんよう」


 突然やって来たジェインに目を丸くしていたアルフォンソとウィリアムだが、白々しい挨拶に兄は額を押さえ、ウィリアムは背を丸めて笑いを堪えた。


「ジェイン、部屋に入る時はノックをしなさい」

「はい、お兄様」


 それどころじゃなかったんですもの。拗ねた言い訳にとうとうウィリアムが吹きだした。


「アルフォンソ、どうやら私たちの心配は杞憂だったようだぞ」

「そのようだな。まったく」

「何のことですの?」


 アルフォンソが手紙を差し出して来た。受け取ったジェインの顔色が変わる。手紙の差出人は、ジェインの婚約者であるダニエルの実家、エタン伯爵だった。


 封は開けられている。手紙を取り出して読んだジェインがほっと肩を落とした。


「エタン男爵との婚約が正式に破棄された」


 手紙にはダニエルの不始末でジェインに多大な心痛を与えたことへの詫びと、ダニエルの処分について書かれていた。


「エタン男爵は爵位をエタン伯爵に返還し、プラティーヌ伯爵令嬢に慰謝料として金貨百枚を支払うこと。今後は伯爵家を出て独立を命じる。……爵位返還はわかりますが、金貨百枚とはずいぶん無謀というか、現実的ではありませんわ」


 ダニエルが男爵になったのはジェインとの婚約のためだ。伯爵令嬢に不自由をさせてはいけないと、わざわざ男爵としての教育まで受けさせた。婚約に時間がかかったのはそのためである。


 ダニエルの浮気による婚約破棄だ、爵位返還は妥当だろう。


「ジェインが事業を起こすことを知っているからだ。表立って資金援助ができない代わりに慰謝料名目で、ということなんだろう」

「まあ。それではこの婚約も、無駄ではなかったですわね」


 ジェインが痛烈に皮肉った。親心もあったのだろうが、ダニエルの浮気を止めさせるからといってずいぶん待たされたのだ。これくらいは言わせてもらおう。


 その間に吹っ切れたジェインが独立心を育ててしまったわけだが、それはそれ、これはこれだ。浮気された令嬢なんて、ジェインに魅力がないと吹聴されたようなものである。


「ダニエルが伯爵家に借金したという形になるのか」

「だろうな。今のやつに金貨百枚用意できるはずがない」


 アルフォンソが吐き捨てるように言った。


 モデルに貢いでいるせいでエタン男爵の金庫は空っぽだという噂だ。すでに借金があってもおかしくない。


「これで計画を進められますわ。お兄様、ウィリアム様、聞いてくださいませ」


 ジェインは二人にクラーラたちとの話を伝えた。高級志向で事業を開始し、まずは貴婦人に購買層を定めたこと。モデルのココと画家のパオロとも、口約束の段階ではあるが契約をとってあること。


「わたくしこれから領地へ帰り、工場の建設状況を見てきます。ハーブと薬草の苗も育っているでしょうし、稼働までにできることを一つずつこなしていかなくては」

「わかった。父上には私から言っておこう。ジェイン」

「お願いしますわ。それではウィリアム様、失礼いたします」

「あ、ああ」


 来た時と同じように慌ただしく去って行ったジェインに、アルフォンソは続きを言うことができなかった。ウィリアムもあっけにとられている。


「……すまん、ウィリアム」

「ああ、いや。……うん」

「我が妹ながら、ジェインはじゃじゃ馬だぞ。隙を見て手綱を取らないとどこまでも突っ走って行く」

「帰巣本能はあるみたいだし、地道に頑張るさ。さて、今回もジェイン嬢の護衛を任せてくれるか?」

「頼む。ウィリアムにしかこんなこと頼めん」

「少し目を離した隙に掻っ攫われたんだ。今度はしっかり捕まえるさ」


 ウィリアムは、ずっとジェインが好きだった。


 彼自身は子爵家の三男で、文官になるべく入学した寄宿学校で経営学を学ぶために来たアルフォンソと出会った。親交を深め互いに切磋琢磨し、休暇には互いの家を行き来するようにもなった。


 妹のいないウィリアムにとって、五歳も歳の離れたジェインは妹のようなものだった。だが成長したジェインが社交界に出るようになると、言い知れぬ苛立ちに胸がざわめくようになり、ウィリアムはなるべく顔を合わせないようにとプラティーヌ家から足が遠のいた。その頃のウィリアムは大学に残るか就職先を探すか悩んでいたので、アルフォンソにも怪しまれずにすんだ。


 そうやってウィリアムが逃げている間に、ジェインが婚約してしまったのだ。ウィリアムが胸のざわめきが何であったのか気づいたのはその時である。まるで雷に打たれたように、唐突な衝撃でもって理解したのだ。


 恋だったのだ。好きになったからあれほど苦しかったのだ。しかし彼は遅すぎた。


 ジェインは幸せそうに、笑いながら、婚約したのとダニエルを紹介してきた。


 おめでとう以外に何が言えただろう。妹のように思っていた少女を女として見ている。しかも親友の妹だ。ウィリアムは無意識のうちに自分の心を否定していたのだ。


 アルフォンソはもしやと思っていたが、ウィリアムが自分にも黙っていることを重く見て問い質したりしなかった。就職するならうちで仕官しないかと言いかけ、そのたびにぐっと堪える。親友だからこそ、ウィリアムに憐れんだと思われたくなかった。おまけに想い人の兄である。ウィリアムの心中を思えばこそ、うかつなことは言えなかった。


 結局ウィリアムは実家の管財人という名ばかり職でぶらぶらし、家を出る準備をしている。


 そこにダニエルの浮気騒動だ。アルフォンソとウィリアムは暗黙の了解で手を組んだ。予想外にジェインが突っ走ったためウィリアムのさりげないアピールはことごとくスルーされてしまっているが、やっと訪れたチャンスである。


 プラティーヌ伯爵にはアルフォンソを通じて結婚の打診をしている。伯爵の条件はただ一つ、ジェインと結婚したければ、彼女の愛を勝ち取れというものだった。


「伯爵は厳しいと思っていたが、ジェインも手強いな」

「父上と母上は恋愛結婚だったからな。……母上がもう少し長生きしてくだされば、ジェインの情緒ももう少し豊かだったかもしれない」


 プラティーヌ伯爵は貴族には珍しい恋愛結婚をしていた。残念ながら伯爵夫人はジェインが幼い頃に身罷り、以来ジェインは父と兄に育てられてきた。そのせいか、どうも男らしい部分がある。今回の件がいい例だ。


 ジェインとアルフォンソの父であるプラティーヌ伯爵は、妻に誓った愛を今も守って再婚せずにいる。


 そんな父のおかげでアルフォンソも本当に好きな人を見つけるまではと猶予をもらい、降るような縁談の中でも独身を許されていた。


「私はジェインが幸せなら相手が誰であろうとかまわない。君が支えてくれるなら大歓迎だ」

「ありがとう、アルフォンソ」


 さて、我らが姫のところに行きますか。軽口を言いながらウィリアムはジェインを追いかけた。


「秘密の仕立て屋さん」一巻発売中です!


挿絵(By みてみん)

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