ジェイン・アンバー・プラティーヌの才能・3
ジェインの話はここまで。
次からはココサイドになります。
王都ではクラーラが一風変わった客に感嘆のため息を吐いていた。
いつものようにやってきたお嬢様三人組は、彼女を見るや顔を赤くし、圧倒されて帰っていった。
無理もない、とクラーラも思う。
彼女を前にしたら、どんな女でも裸足で逃げ出したくなるだろう。
黒く艶やかな黒髪をシンプルにまとめあげ、切れ長の瞳をけぶるような睫毛が彩っている。どこか憂いを帯びた黒い瞳は濡れた星空のように輝き、肌の白さがよりいっそう際立っていた。小さくふっくらとした唇は、彼女が微笑めば月さえも恥じて隠れるのではとすら思わせた。
なだらかな曲線を描く体つき。自分を引き立てる色を心得ているのだろう、黒を基調にしたドレスはところどころ紅色のレースが覗いていた。ともすれば娼婦と思わせる色使いだが、彼女の透明さがその想像を許さない。
絶世の美女。
いや、ココ・エルチュールこそ、宿命の女である。
「パオロ・レーベンスさんとココ・エルチュールさんね。もしかして、絵画のお衣裳のご依頼かしら?」
パオロ・レーベンスは最近画壇で話題になっている画家である。自ら発掘したモデルを様々な神話や古代史を題材にして描き、モデルのうつくしさと彼女の魅力を存分に引き出す筆遣いで人気に火がついた。
「私を知っていましたか」
「そりゃあねぇ。ここまでうつくしい女性は、アタシも久しぶりに見ましたわぁ」
ふふ、とクラーラが笑うも、ココは無表情で目を反らすのみだ。本当に、自分をよくわかっている。
「ココは私の美の女神です。彼女のおかげで絵が売れるようになりました」
「ご謙遜。レーベンスさんの筆は本質を暴き出すと前々から聞いておりますわ。もちろん彼女の魅力もあるでしょうけれど、芸術家は見抜く目をもってこそでしょう」
ココがクラーラに目を戻した。パオロが照れくさそうに頭を掻く。ココのドレスに比べ、パオロのスーツはテレピン油の臭いが染み付き、袖口も擦り切れていた。
「いや、そう言われると……。ありがとう、ございます?」
なぜか疑問形で礼を言うパオロにクラーラはやわらかくうなずいた。二人に出した茶は乾燥させた花を浮かべる、東洋の茶だ。しばらく待つと、花弁が開いて香りが立ってくる。
「ココは王都の中央広場で花売りをしていたのを私が見つけました。彼女のうつくしさと、天性の気高さは貴族にも引けを取らないと思っています」
画家とモデルの出会いとしてはありふれたものだ。
「モデルという職業が世間にどう思われているか、私も承知しています。その、こういう言い方は嫌いですが、ようするに金で買うわけです。しかしココは快諾し、貧しかった私の世話までしてくれました」
モデルと画家は一蓮托生だ。絵が売れればそれだけ金が入ってくる。それに伴いモデル料も上がるのだ。ココがパオロの世話をしたのも当然のなりゆきだろう。
「ココを描いた絵が売れ出すと、多くの人がココを紹介しろと言ってきました。これでも画家ですから社交界でのコネクションもあります。私もココの素晴らしさを知ってほしくて、彼女を連れて出かけました」
画家や俳優に後援者がつくのはよくある話である。画材はとにかく金がかかる。中には希少で、目玉が飛び出るほど値の張る絵具があるくらいだ。紹介しろとせがまれては断れまい。
パオロなりの虚栄心もあったのだろう。彼はココを着飾らせ、社交界に繰り出した。
「そうなると、おわかりになるでしょうが……」
「ココさんに夢中になった男たちに、嫉妬されたのね?」
無理もない、とクラーラは再度思った。
これほどの美貌だ。クラーラでさえ惑いそうになる。免疫のない貴族の子弟ならなおさらだったろう。太い息を吐いたパオロは、両肘をついて組んだ手に額を乗せた。
「そうなのです。偏見もあると思い、まずは友人に会わせたのが間違いでした」
未婚は危ないと、パオロは既婚者と婚約者のいる貴族の友人にココを紹介した。彼らはココのうつくしさを褒め称え、彼女を見出したパオロを称賛した。さすがに貴族なだけあってあからさまに下品なことは言われなかったが、夜の誘いめいたことを漏らす者もいた。本気になったら身の破滅くらいの自制心はある友人の中で、一人だけ、タガが外れてしまった男がいたのだ。
「彼はどちらかというと真面目で、そういう色恋に狂うような男ではありませんでした。今ではまるで別人です。婚約者がありながらココにドレスや宝石を贈り、私の仕事中でもおかまいなしに押しかけてきては、あれこれ言いがかりをつけてくる」
一番酷かったのは、その時ココが着ていた女神の衣裳を「彼女にふさわしくない」と叫んで破り捨てたことだ。
たかが衣裳と思うかもしれないが、神話時代のドレスが市販されているはずがなく、すべて特注品である。麻や木綿、絹では時代がまったく違うため、わざわざ仕立ててもらったのだ。
「許せないわね」
クラーラは破かれたドレスに憤った。絵画に描かれるとなれば仕立て屋だって時代考証をしてなるべく忠実に、なおかつココを引き立てるドレスを作ったはずだ。仕立て屋にとってドレスは心血を注いだ作品であり、届ける際は我が子を嫁に出すようなせつなさに襲われる。それだけ思い入れのあるものなのだ。
「はい。――私も彼が真剣にココを愛しているのであれば考えます。ですが、婚約者と別れることもせず、ただココを寄こせなど、不実でありましょう」
パオロは手に額を乗せたまま、悔しげに唇を噛んだ。暗い瞳には決意が宿っている。
「ココさんを、愛してらっしゃるのね?」
今でこそ画家として社交界に出入りしているが、パオロは元々平民だった。
貴族の友人に強く出ることもできず、かといってココへの態度を許すこともできず、ふがいない自分が悔しくてたまらないのだ。
「はい」
「パオロ」
ココがはじめて口を開いた。高すぎず低すぎず、熟成されたワインのように甘やかな声だった。
それにしても、どこかで聞いたことのある話だ。モデルに夢中になっている、婚約中の男。以前の性格は真面目で誠実。豹変してからはドレスに宝石にと貢いで、恋は盲目を地で行っている。
まさかねぇ、と思いつつ、クラーラは知らぬふりをしようと決めた。決定的な証拠はないし、知ったところでジェインが婚約者を見限っている以上、仲を取り持つ義理もない。
「それでは今回のご依頼は、破かれたドレスと同じものを仕立てろということかしら?」
それならお断りだ。パオロは首を振った。
「いいえ。あのドレスは仕立て屋に頼んで直してもらいました」
不幸中の幸いで、縫い目に添って破かれていたのですぐに直ったという。それより問題は、今後もその男が来るたびに何かしら壊されるのではないか、ということだった。
「あいつは本物のココも絵の中のココも、自分のものにしたくて堪らないんです。なぜ自分の贈ったドレスで描かないのかと詰め寄られました」
一枚くらい描いてあげたら、とクラーラは言わなかった。人に認められるまでの血の滲むような努力を安売りなどできるはずがない。加害者に同情して簡単に口に出す者ほど、自分の労力を割くことを嫌がるのだ。他人事だからこそ言える。
「そんなにセンス悪いドレスなの?」
ちょっと意地悪くクラーラが訊くと、パオロは渋い表情になった。
「いえ、豪華で派手ですが、ココなら着こなせます」
つまりは金だけはかかっていると。モデルなのだからどんなドレスでも着こなすだろうし、そうできるようにパオロも指導していた。それは男が贈ったドレスのおかげではない、モデルと画家が築き上げてきた絆なのだ。
「クラーラ殿にお願いしたいのは古代史の美女『ネフェルティトトラ』の衣裳です」
クラーラは息を飲んだ。ネフェルティトトラは西方の砂漠の国に実在した伝説の女王だ。黒い髪、黒い瞳に白い肌を持ち、おまけに頭脳明晰で多くの男を虜にした。彼女の夫になった男は王になっている。
「現れた美女か。ココさんにぴったりね」
ネフェルティトトラを訳すと『現れた美女』という意味になる。パオロを支え、名声を得るまで伸し上げてくれたココへの感謝の気持ちだろう。
「いいわ。古代美女の衣裳なんてめったに作れないもの。このクラーラ、全力で受けさせていただくわ」
「感謝します」
パオロが安心したように笑い、ココも軽くだが頭を下げた。
「ただし」
クラーラは一つ、条件をつけた。
悪だくみをする子供のように、クラーラが笑った。




