表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/78

マクラウド・アストライア・クラストロの帰還

あの男が帰ってきます。


 王都に在住する貴族の中にも昨今の情勢に危機感を抱き、仲間を集めて議論を交わす、いわゆる庶民派と呼ばれる若者たちがいる。


「クラストロ公爵様か、クラストロ侯爵様にお取次願います」


 思い詰めた表情の男から名刺を受け取ったクラストロ邸の門番は、すぐに屋敷に入っていくと伝言を持って戻ってきた。


「あいにくと主人はご気分が優れないそうです。代わりに、これを」

「これは……」


 クラストロ家の紋章である双頭の龍に百合のあしらわれた封筒には、紹介状が入っていた。


「雨の首飾りか」


 王都でも古くからある喫茶店『雨の首飾り』は、紅茶はもとよりどこから仕入れたのかコーヒーを出すようになった。香りに惹かれて頼んだはいいが黒い液体に尻込みする者も多く、コーヒー愛飲家を帝国趣味と揶揄するものもいる。帝国が禁止令を出していることとかけているのだ。


 ロバート・コンラッドは詩人を隠れ蓑にした庶民派の活動家だった。祖父が準男爵の位を得たが、そこから上流に行くには資質も資金も足りず、社交界では陰で哂われ庶民からは妬まれる、実に微妙な立ち位置にあった。彼自身は貴族の生活で困窮する祖父らを醒めた目で見ていたこともあり、貴族として生きるよりは地位を捨て身一つでやっていきたいと思っている。詩人として甘い恋を詠いながら王家を痛烈に批判する、皮肉屋だった。


 なにかあるのだろうか。『雨の首飾り』に向かったロバートは、クラストロの紹介状を見せると奥の部屋に通された。そこにはロバートとも顔見知りの活動家たちが集っていた。


「ロバート! 君も来たのか!」

「テオドール・ヒューズ? 君もか」


 真っ先に声をかけてきた男にロバートは目を見開いた。テオドール・ヒューズは『王都新聞ザ・ロイヤル・ニュースペーパー』の記者である。ロバートと同じく反体制の活動家だ。


「その様子だと君もクラストロ邸に行ったのか」

「ああ。ということは、君も?」

「まあね。今の王都でおすがりできるのはクラストロ家しかいないだろう?」


 茶目っ気たっぷりに言ったテオドールの表情は皮肉に笑っていた。ロバートは彼と同じテーブルに着くと、来る途中で買った新聞の束を置いた。


「正直今更クラストロ公爵が出てきたところでどうにかなるとは思えないが、王都がこの有り様になっても沈黙しているのはおかしい」

「おかしいどころか恐怖だぜ。辺境軍司令官殿でさえ何もしないなんて」

「閣下は生粋の軍人だからな。軍人は命令で動くものだ」

「あのルードヴィッヒ閣下だ、命令を待つんじゃなく命令しろと言い出しそうじゃないか」


 テオドールはロバートが持ってきた新聞の中から自社を選んで広げると、目的の記事を探した。


「あった、これだ」


 テオドールの指が示した先にあったのは『アルベール王子挙兵・各地に檄文』と見出しされた記事だった。


「それ、事実なのか? 君のところの新聞を疑うつもりはないが、アルベール王子についていく軍があるか?」

「事実だ。新聞屋の情報網を舐めてもらっちゃ困るぜ」


 テオドールは周囲を見回して声を潜め、顔をロバートに寄せた。


「アルベール王子の元側近のひとりが、よほど金に困ってか手紙を売りに来たんだ」

「内容は? 言えないならいい」

「かまわん。兵と金を寄越せ、だ。あの王子らしいだろ」

「たしかに」


 何もかも他人任せ、そのくせ手柄だけは欲しい。アルベールの檄文もどきに乗った貴族がいるのも驚きだが、今までの栄光から切り離された日々でよほど鬱憤が溜まっていたのだろう。


 アルベールの元側近といえば、王都で名の知れた大貴族の子弟だ。いずれ家を継ぎ、王の側近として国に威光を轟かせるはずであった。そんな驕りがあったからこそ、王子の婚約者であったフランシーヌ・ドゥ・メイ・ジョルジュに対し、あそこまで傍若無人でいられたのだ。


 ユージェニー・オルコット子爵令嬢がアルベールの前に現れた時、彼らはフランシーヌとは正反対の彼女に瞬く間に傾倒した。貴婦人の見本のようなフランシーヌと、頼りなく儚げで守ってやりたくなるユージェニー。フランシーヌの本質を見抜くことさえできなかった彼らはこれこそ我らが姫とユージェニーを恭しく扱い、次期王妃にと望むようになったのだ。フランシーヌは歌劇に出てくる悪い魔女でありユージェニーこそヒロインだと捲し立てた。


「王子が王子なら側近も側近だ。まったく成長していない」

「馬に尻を叩かれても改心しなかったようじゃ、親もたまったものではないな」


 あの時に風刺画を乗せたのはテオドールの新聞だった。彼は肩を竦め、両手をひらりと振った。


「……まぁ、それで息子のほうが勝手に私兵を動かしたってわけだ」

「王都に来る気か」

「そうだろうな。王子の軍が動いた場所は酷い有り様らしい。ただでさえ農村は麦の高騰で飢えてるっていうのに、食料を略奪で調達している」


 目に見えるようだ。元々軍は男ばかりの集団で、欲求不満を募らせた彼らがどうするかなど想像に難くない。食料を奪い、家を焼き、若い娘を攫う。統率のとれていない軍の陥る暴虐が横行しているのだろう。そして、それに触発された若者が軍に入ってくる。野盗となんら変わらない。ただ泣きを見るよりは、泣かせる側になったほうがまだましなのだ。


「辺境軍は」

「だからおかしいと言っている。あの方は兄思いだが、愛国心は本物だ。反乱軍の横行を許すとは思えない」


 そうした野盗や反乱を討伐するのが辺境軍だ。貴族領にはそれこそ領主の軍が常駐しているが、彼らが守るのは領民ではなく領主である。討伐隊が出たところで野盗は逃げ出す。それで鎮圧したと報告するのだから頼りになるはずがなかった。


 貴族の抱えている私設軍隊は国家設立当初に勃発した領地争いの名残だった。地図に明確な線が引かれ、争いが起こらなくなった今では無用の長物と化している。廃止しないのは領主としての見栄と意地があるからだ。軍はとにかく金がかかる。私兵を養うよりは騎士組合ナイトギルドに要請して出動してもらったほうが、費用的にも実力的にも効率が良かった。


 辺境軍は近衛と同じく国軍だが、野盗の討伐や時折起こる一揆の鎮圧など、各地での小規模な戦闘が多かった。そしてだからこそ実戦経験を積んでいる。統率のとれた軍団が野戦ゲリラもこなすのだ、最強と謳われるだけの実力を兼ね備えていた。辺境軍の幹部には当然貴族が多いが、その中軸を担っているのはクラストロの子飼いである。


ルードヴィッヒが辺境軍に配された最大の理由がここにある。クラストロの負担を大きくして、その力を削ごうというのだ。


 そんな思惑はマクラウドの政策により脆くも崩れた。結果としてほぼルードヴィッヒの軍といって差し支えない辺境軍は最強の名をほしいままにし、もはや国にとってなくてはならない存在になっている。


「閣下が王都に留め置かれているのは、反クラストロの策略ではないか? 命令を出せないのを良い事に、責任を押し付けて引き摺り落とすつもりかもしれない」

「だからなおさら……」


 2人の談義を遮るように食器の割れる音が響いた。ロバートとテオドールがハッと顔を上げる。


「これを機に王宮に攻め込み王を廃すべきだっ!!」

「そうだ! アルベール王子の軍に紛れて攻め込もう!」

「馬鹿を言うな! 近衛が黙っているわけがないっ!」

「やめろ、こんなことがばれたら縛り首にされるぞ!」


 強硬に攻め込むべきと訴える2人を、友人らしき2人が必死の形相で諌めている。実際この部屋にいる誰かが王宮に注進に走ればたちまち捕らえられ反逆罪で処刑されるだろう。息を飲むロバートに、テオドールがそっと言った。


「あれは過激派の連中だ。あっちはあっちで揉めてるようだな」

「気持ちはわかる。王は何もしなさすぎる。民が苦しむ現状に目を背けていては国が崩壊するだけだ」


 クラストロは役に立たないと叫ぶ男に賛同する者まで現れた。このままクラストロ邸に火を付けに行きそうな勢いだ。


「……公爵はなぜ俺たちをここに案内したんだろう?」

「秘かに反体制派を招き入れて一網打尽にするつもり、はないよな」


 流通するようになったコーヒーだが、安価ではない。ロバートとテオドールが通ううちに顔ぶれが変わり、資金の尽きた者は来なくなった。じわじわ弱っていくような無力感に苛まれ、ロバートも弱音を吐いた。


「クソッ、コーヒーなんか飲んでる場合じゃない!」

「弁護士をはじめとする有識者の署名は集まった。そっちはどうだ」

上流階級ジェントリの中でも庶民派の連中で決起会を開く予定だ。悪いが日時は言えない」


 準男爵のロバートには王宮に立ち入る権利がない。それでも複数人で嘆願書を出し、せめて議会にこの現状を訴えようとなったのだ。危機感は日に日に高まり、アルベールの足音さえ聞こえてくるというのに、王宮は今夜も晩餐会が開かれきらびやかな貴族が集っている。飢えて死ぬ国民がいることを王に知らせたかった。


「――すまない、待たせたようだね」


 するりと優美な生き物が部屋に入ってきた。


 彼の声は涼やかな鐘の音のように響いた。熱の籠った空気が入れ替わり、やわらかな湿度を伴った、どこか心をくすぐるようなものになる。


 黒い服をまとったその人は長い黒髪を後ろでゆるくまとめ、黒い瞳で部屋を見回した。白いその顔、微笑みを浮かべたその唇、一見して大貴族とわかるその風貌に誰もがぽかんと口を開けて彼を見つめた。


 彼はその場にいた全員の名を呼ぶと、最後にロバートを呼んだ。


「ロバート・コンラッド。その決起会はこれの検討会にしてもらえないかな」


 古い書類の束を隣にいた彼とよく似た顔立ちの男から受け取り、ロバートに渡す。反射的に受け取ったロバートは、震えながらそれと彼を見返していた。


「こ、これ……、これは……」

「国民議会の草案だ。なにせ20年も前のものなので想定が古い。時勢に合ったものに修正して欲しい」

「な、なぜ、俺、いや、私たちに?」

「僕の考えでは古すぎるし、なにより貴族の理想論だ。一番現実を直視できる者に託した方が良いに決まっている」


 それから彼はテオドール・ヒューズに目を向けた。視線を受けたテオドールが背筋を伸ばす。


「テオドール・ヒューズ、君たちの署名は提出しない方が良い。反体制派の名前なんて渡したら連座で処刑される。ロバートと共に国民議会の議員となる人員を選出して欲しい」

「あなた様は……いったい何をしていたんですか?」

「うん、ちょっとこの国を売りにね」

「…………は?」

「帝国に高値で売りつけることに成功したよ。おかげで帰ってくるのが遅くなった」


 一瞬静まり返った部屋だが、彼の言葉を理解するや爆発した。


「く、国を、この国を売ったというんですか!?」

「そうするより他に生き残る道はない。君たちが買い戻せばいいだけだ」


 こともあろうに売国奴に成り果てたかと罵倒の怒号が続き、ロバートもテオドールも軽蔑の目で彼を見た。彼の弟が睨みを利かせて守っていなければ斬られるか殴られて殺されていただろう。


 涼しい顔で聞くに堪えない罵声を浴びていた彼だが、やがて彼のあまりの平然とした態度に疲れ果てたひとりがふらりと立ち上がり部屋を出ようとした。ひとりが去れば続くものが現れる。部屋を出る前に、彼が言った。


「君たち、自分たちだけでこの国が立ち直れると思っているのか」

「どういうことでしょう」

「たとえばアルベールが王を弑して王位を簒奪したとしよう。すぐに他国の軍勢がこの国を牛耳ろうと攻め寄せてくるだろう。アルベールを殺して自分たちに都合のよい傀儡を王に据える。反体制派はアルベールに加担したと冤罪をかけられ全員処刑だ」

「なぜ他国が攻めてくるのです? 今まで支援のひとつもしてこなかった他国の傀儡など受け入れられません」

「それだよ。受け入れられないから消えてもらうしかないんだ。貴族から見ると君たちの動きは脅威なんだよ」

「脅威? 俺たちが?」


 そうだよ、と言って彼は椅子に座った。彼の背後に弟が立つ。


「君たち、貴族がなぜ夜会や晩餐など贅の限りを尽くしているか想像したことがあるか? 君たちと違って貴族は労働する必要がない。生き甲斐がないんだ。だから贅沢をして少しでも人生を楽しもうとする」

「そんなことのために国民は働いているのではありません」

「そうだ。だからこそ考えてみて欲しい。今まで働く必要のなかった者が、今日から働けと言われて何ができる?」


 現体制を壊すとはそういうことだ。貴族が身分を剥奪されたところで、恨み心頭の庶民に殺されるか奴隷のように働かされるかのどちらかだ。ろくな働きもできない人間を許容できるほどこの国は豊かではない。見捨てられ、打ち捨てられるだろう。かつて彼らがやっていたように。


「貴族制度を廃止することはできない。いいか、できないんだ。この国で廃止されたら他国の民衆が必ず追従して、そしてそれを軍が制圧するだろう。この国だけの問題ではない」

「では、ではどうしろと!? 国民はひたすらに堪えろと言うのですか!?」

「流れを変えるには時間が必要だ。その点帝国は上手いこと操縦している。まずは国民による議会の設立を認めさせ、それからゆっくりと貴族の権利を奪っていけばいい。有名無実化してしまえば貴族がいてもたいした問題にならない。せいぜい敬って崇め奉っておけばいい」


 途方もない計画である。


 帝国は国民議会を作ることで国民の捌け口とした。国を支配しているのは貴族だけではないという意識を植え付け、満足感を与えたのだ。だが彼は、帝国の制度を利用しつつゆっくりと貴族から国民へと権利を移行させろという。


「国が王の物から民の物になるまで、僕は生きてはいられない」

「………」


 ロバートが声に出さずに彼の名を呼んだ。


「もはや血を残せぬ男だ、せめて最後に君たちの血肉となろう」


 ――民を駒とするならば道具のようにせよ。手足とするならば友のようにせよ。頭脳とするならば伴侶のようにせよ。心とするならば我が子のようにせよ。


「我が始祖はこう伝えている。我が子のためならば己の血肉を喰わせるのに、なんのためらいがあろう」


 誰もが息を飲んで彼を見つめた。ひとり彼の弟だけは唇を引き結び、何かを堪える瞳で兄を見つめている。マクラウド・アストライア・クラストロはこの場にいる全員が感じている言葉で彼らを動かす号令をかけた。


「歴史にようこそ。これよりは君たちが主役だ」


 稀代の悪役、マクラウド・アストライア・クラストロが帰還した瞬間であった。


今、自分は歴史の分岐点に立っている!と思った瞬間に欲しい言葉を与える。絶対敵に回したくないタイプの悪役。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ