第18話『赤狐緑狸』
起きてくださいスヴァル様、と揺さぶられて目を覚ます。誰かが起こしに来てくれたのか、と考えて、そこで猛烈な違和感に襲われた。
吸血人は太陽の光に弱い。直射日光でなければ平気という者から、明るい場所に出ただけでもう駄目という者まで耐性には個人差があるが、いずれにせよ少々の火傷くらいならすぐに治ってしまう。
しかし生まれて1度も日に当たったことのない世代にとって太陽光とはとにかく恐ろしく危険なものとして認識されていて、彼等は必要以上に日の光に晒されることを忌避している。それがたとえもう沈む直前の夕陽であってもだ。
そういうわけで、ヴァンデリョス家のメイド達が【僕 / 私】を起こしに来ることはない。【僕 / 私】がうっかりカーテンを閉め忘れて眠り、ドアを開けた途端夕陽の直撃を受けることを彼女達はとても警戒しているのだ。
「カリヴァ様も地下階で生活していただければお世話いたしますのに」とは言ってくれるが、そもそも今まで1人で起きられていたのだし、暮らすならやはり太陽の光を浴びられる地上階の方がいい。だから【僕 / 私】は起こしに来なくてもいいと伝えていたはずなのだ。
では、今【僕 / 私】を揺さぶっているのは誰なんだ?
【僕 / 私】は上体を起こした。そこにいたのはラマイカさんでもナローラさんでも、もちろんティアンジュさんでもなかった。
「おはようございますです、スヴァル様! じゃなかった、こんばんわですね! 夜の8時ですよ!」
メイド服を身につけた2人の少女――【僕 / 私】よりずっと幼く見える――がお辞儀をする。双子ではないが、髪型は同じだ。仲は良さそうだから、友達同士でおそろいにしたというところか。
「今日からスヴァル様のお世話をすることになった、ワカバです!」
「同じく、モミジです」
「2人合わせて!」
「特にないです」
彼女達は吸血人ではなかった。
今まで見たことのない顔だ。まさか、【僕 / 私】のためにわざわざ雇ったんじゃないだろうな。気を使われすぎて非常に心苦しい。
ふと目をやると、2人の後ろで何かが動くのが見えた。なんだろうと目を凝らすと、それは尻尾だった。ワカバのお尻から狸の尻尾が、モミジからは狐の尻尾が生えている。そしてそれは生きているように動いていた。
「君達、それ……」
「はい、私達は東亜人妖共栄圏からやってきたです」
「ワカバが化け狸で、私モミジは化け狐です」
「2人合わせてッ!」
「いやだから特にそういうのない」
吸血鬼が現実に存在したように、妖怪もまた実在の生物である。
VKの東アジア侵攻を契機に妖怪達は人類の前に公然と姿を現した。彼等を仲介することで日本、中国、インド、そして東南アジア諸国は1大連合を結成し、欧州の反VK勢力の中心だったドイツやチェコ錬金協会と手を組んでVKの覇道を挫いたのだった。
東亜人妖共栄圏。それがその連合の名前だ。
妖怪は自分の住処からほとんど離れないものと、行けるところなら何処にでも行くものに大別される。後者は故郷とか祖国とかいった土地に縛られる観点を持たず、人間が勝手に作った国家という枠組みに対しては冷笑的だ。そういうわけか、彼等が『出身地』を訊かれたときは好んで東亜人妖共栄圏の名を出す。ワカバとモミジもそうなのだろう。
「カリヴァ様も人間が日本とか呼んでる辺りの生まれですよね? 妖怪は珍しいですか?」
尻尾をじっと見ている【僕 / 私】に気づいてワカバが問う。
「うん……。実物は君達が初めてだよ」
妖怪達の総数は少ないらしい。なので日本にいた頃、【僕 / 私】はついぞ妖怪を見かけることがなかった。
「ではどうぞ心ゆくまで見るがいいのです」
「撫でてもかまいませんよ。なんなら油揚げ1枚ごとに服を1枚脱ぎます」
「いや脱がなくていいから」
一瞬目を外していた間に、いつの間にか2人の頭からは彼女達本来の耳が出ていた。ドロンという音と共に煙が出る、というようなエフェクトはなかった。少し残念だ。
カンカン、とドアノッカーが鳴った。カーテンが全開になっていないかと警戒するように少しだけ開けられたドアの隙間から、ナローラさんが顔を出す。
「あなた達、カリヴァ様を起こすのにどれだけかかっているんです?」
「すみませんです!」
ワカバとモミジがトコトコと部屋を出て行った。
「早く着替えておいてくださいです、スヴァル様!」
ワカバが振り返って言った。
「美味しい晩御飯をお届けしますので」
モミジはぺこりと一礼して去って行った。後には【僕 / 私】とナローラさんが残される。
「あの子達は……?」
「留学生です。住み込みのバイトを探していたそうなので、カリヴァ様のお世話役として雇いました」
「【僕 / 私】のために?」
「いつまでもカリヴァ様に缶詰ばかり召し上がっていただくわけにもいきませんから」
ヴァンデリョス家には吸血人しかおらず、屋敷には雑食人が食べられる食料の備蓄がなかった。キッチン自体は14世紀のものが物置として残っていたのだが、調理器具の類はとっくに捨てられていた。
そういうわけで、ここに住むようになって以来【僕 / 私】の食事は使用人さん達に適当に買い置きしてもらった缶詰か外食の2パターンだった。今週の“血税”の血液評価は低いかもしれない。
「キッチンも掃除し、冷蔵庫や調理器具、調味料も簡素ですが一通り買いそろえました。料理もあの2人がやってくれるでしょう」
「……何から何まで申し訳ないです」
「お気になさらず。そもそもウチの【坊ちゃま / お嬢様】の失態ですからね。でもせっかくですし、【坊ちゃま / お嬢様】との血婚を前向きに考えていただけると無駄がなくて助かります」
「…………」
【僕 / 私】は曖昧に頷くしかできなかった。
「そうだ、そのラマイカさん達は?」
「【坊ちゃま / お嬢様】は所用で外に出ております。零時過ぎにはお帰りになると思いますよ。マドラスさんとティアンジュ様もここから出勤されていきました」
「……そうですか」
「カリヴァ様に、【坊ちゃま / お嬢様】から伝言です。戻るまでこれをやっておけ、と」
ナローラさんが部屋の外に向かって合図をすると、メイドが台車を押しながらおっかなびっくり部屋に入ってきた。台車の上には――。
「……ゲーム機、ですか?」
「ゲーム機です」
メイドは部屋のテレビとゲーム機を接続していくと、空になった台車を引いて出て行った。ナローラさんは1本のゲームソフトをこちらに差し出す。
「あんなことがあったので、決闘までに実機による訓練はほぼ絶望的です。そこで代わりにこれを、と」
「――それ、『セメタリーフォール5』じゃないですか!?」
大声を上げたのは【僕 / 私】ではない。配膳台を引いて部屋に入ってきたワカバだった。瞬間移動のような素早さでナローラさんからソフトをひったくり、パッケージを舐めるように見つめる。
「……知ってるの?」
「むしろ知らないんですかスヴァル様!? WGを題材にした本格派超人気FPSですよ! しかも『5』はまだ日本じゃ売ってないんです!」
ワカバは尻尾をブンブンと振り回す。狸って、嬉しいと尻尾を振るものだったっけ?
「本格派でしょうとも。【坊ちゃま / お嬢様】が監修していますからね」
ナローラさんは鮮やかにワカバからゲームソフトを奪回してみせた。ワカバは取り返そうと飛び跳ねるが、彼女の身長ではナローラさんの掲げた手の位置に届かない。
「……あの人、色々やってるんですね」
「ゲームはしょせんゲーム。けれど他にいい練習台もないから、と。食事が済んでからどうぞ」
モミジがテーブルに運んできた夕食を並べる。ナローラさんは料理を一瞥して眉をしかめた。
「……これはなんという料理ですか?」
「焼鮭と味噌汁です」と、モミジ。「スヴァル様は日本生まれですし、和食にしてみました」
VKに来てから味噌汁は初めてだ。懐かしい匂いに胃袋が音を立てた。
「ねえねえスヴァル様~?」
突然ワカバが抱きついてきた。くねくねと【僕 / 私】の腕に身をすり寄せる。
「スヴァル様がお食事中、あのゲームやっててもいいですぅ~?」
「……えっと」
【僕 / 私】はナローラさんを見る。彼女はふう、とため息をついた。
「ワカバ、あなたはこのゲームがそんなに好きなのですか?」
「好きなんてものじゃないです! 『セメタリーフォール』シリーズは我が人生! そして私は日本ランキング10位に入るトゥームライダーですよ!」
ワカバは胸を張って言った。ゲームの中だけでしょ、とモミジが冷ややかな目で訂正する。
「いいでしょう、ではカリヴァ様の特訓相手になってください」
「……いいんですか?」
「元々メイドは足りてますので……。ただし、本来の仕事を疎かにしないこと」
「わかったでーす!」
ナローラさんが退出する。ワカバは早速ゲーム機の前に胡座をかいてウキウキとパッケージを開く。
「モミジはやらないの?」
「メイドとしてスヴァル様の給仕をしないといけませんから」
そう言いながらも、モミジの視線は数秒に1回の頻度でテレビ画面に向けられている。
「1人で食べられるよ。一緒に遊んできたら?」
「……スヴァル様がそう仰るのでしたら」
ぺこりとお辞儀すると、モミジはワカバの隣にちょこんと正座する。子供らしくて微笑ましい光景だが、妖怪ということは見た目通りの年齢ではないだろう。【僕 / 私】より――下手すればラマイカさんよりも――年上の可能性がある。それどころか実際の性別だって違うのかもしれない。
ワカバとモミジが作ってくれた食事はまあまあ美味しかった。ただ胃の中で木の葉とか馬の糞とかになったりしないかどうかが心配だ。
後ろから見ているとワカバの自己申告が嘘ではないのがよくわかった。画面に表示されたスコアはとっくに6桁を突破している。モミジもワカバほどではないが上手いものだった。
「ごちそうさま、美味しかったよ。そろそろ交代してくれる?」
大人げないかもしれないが、生死と進退を賭けた戦いがある以上、遊ばせておいてやるわけにはいかない。
モミジが立ち上がり、食器を片付けに出る。ワカバは残って【僕 / 私】の背中を見ていた。
「スヴァル様はこのゲーム、初めてです?」
「『2』なら友達の家でやったことがある」
「友達いたんですか」
「なんだとこの野郎」
ゲームの内容はトゥームライダーとなって実在するWGを駆り様々なミッションをクリアしていくというものだ。手に入れた資金でパーツや武器を買い、WGをカスタマイズすることもできる。
ワカバのおかげで隠しアイテムを含めた全てのパーツが購入されていた。ラマイカさんが残してくれていたメモに従い、可能な限り『蒼穹の頂』に近くなるようセッティングする。
それから半時間ほどワカバに馬鹿にされたり呆れられたりしながらプレイした。最高スコアは万に届くか届かないかといったところだ。
「初心者にしては上出来」
「ありがとう……って、あれ?」
いつの間にか、ワカバのいた場所にモミジが座っていた。
「ワカバは?」
「交代」
モミジが指差す方向を見ると、ワカバが彼女の小柄な体格には大きすぎる洗濯籠を抱えて部屋を出て行くところだった。
「操作方法は覚えたみたいですね」
「散々2階級特進したからね。階級が加算できるならもう大・大・大・大・大元帥ってところだね」
「2等兵からよくぞそこまで」
「全英感動必至、今世紀最大のサクセスストーリー……かな」
フ、とモミジが笑った。
だが【僕 / 私】の目的はゲーム内で出世することでも世界ランカーになることでも操作方法を覚えてハイスコアを叩き出すことでもない。『限りなく実戦に近い』という売り文句のシチュエーション下で適切な状況判断能力を養うことだ。
「スヴァル様は決闘をなさるんでしょう。ではそろそろ対戦モードでやってみませんか。僭越ながら私がお相手いたします」
「お手柔らかに」
「対戦機体はいかがしますか」
「男爵がどんな機体に乗ってくるかわからないからなぁ……とりあえず一般機から……」
そこでティアンジュさんのWGが脳裏に浮かんだ。
「……いや。アイアンヨーヨーみたいな武器を持ってる機体、セッティングできる? 鎖分銅とか、そういう感じの」
「鎖分銅と鎖鉄球と鎖鉄扇、あと錨なんかもありますね」
「じゃあ最初は分銅で。両手に装備、可能なら足にも」
「かしこまりました」
画面がモミジ視点と【僕 / 私】視点に2分割された。『READY?』の文字が走る。実はこの一見待ち時間に見える状態にも敵味方共に行動可能で、場合によってはゲーム開始前にゲームオーバーになるというのをさっき知った。モミジも当然それは知っていて、『FIGHT!』の文字が出る前に突進してくる。
「――さあ」
低い、それでいてどこか淫蕩な声にぎょっとして振り向くと、淡々として表情に乏しかったモミジが別人のようにサディスティックな笑みを浮かべ画面を凝視していた。
「可愛がってあげる――好い声で鳴きなァ、豚みたいにッ!」
おまえさっきワカバと対戦してたときはそんなキャラじゃなかっただろう、と思ったのだが、素の自分を見せてくれる程度には打ち解けられたのだと思えば悪い気はしない。少なくとも、決闘が終わるまでは付き合っていく相手なのだから。
ちなみにゲームは惨敗した。




