後編
土まみれになったまま教室に入り、事前に聞いていた自分の席へと座る。
いきなり真っ黒に汚れてまま登校したクラスメイトに驚いたのか誰も声を掛けてこなかった。その雰囲気にもしかして妹がいじめられているのかもしれないと思い、そうなら犯人は絶対に許さないと心に強く誓う兄だったが、今後いじめられることがあるとすれば間違いなく自身が原因であろう。
予鈴が鳴って担任のミツナリが教室へ入って来て、土まみれのマチの姿を見るなり声をあげて驚いた。
「お前、どうしたんだそれ。真っ黒じゃないか」
「2Pキャラです」
格闘ゲーム全盛期に育ったミツナリは「あぁ、色違いか」と少しだけ納得しかけたが、すぐに思い直して「授業が始まる前には着替えておけよ」と言った。
「もっとお母さんみたいに言ってください」
朝一番から頭が痛くなる生徒だ。しかも、いつもより性質が悪い気がする。変に長引かせても授業が始まってしまうので、言いなりになってやることにした。
「マチ、早く着替えちゃいなさい」
「うわ、きしょ」
「どうすりゃいいんだよ!」
女子高生に言われるのは誰であろうと、かなりキツい。
「もっと先生みたいに言ってください」
「先生っぽくなくて悪かったな!」
半分泣きながら出席を取ってミツナリが教室を出ていくと、言われた通り着替えようとジャージを探す。しかし今日は体育が無いので着替えなんてものは最初からなかった。
仕方なく隣のクラスのヤヨイのところまで行くが、ヤヨイのジャージは既に本人が着替えていた。
「まぁ、そうだよな」
「あ、おに……お姉ちゃん。どうしたの?」
「悪い子はいねええがあああ」
「ナ、ナマハゲ!?」
突如、山形の伝統民俗行事ナマハゲと化して妹のクラスへと侵入する姉の姿に、慌てふためく妹のクラスメイト達。誰ともなく貢物としてお菓子を持ちより、マチは一抱えもあるお菓子をもらって自分のクラスに戻ってきた。
着替えに出て行ったかと思ったのに、汚れた恰好のままお菓子を抱えて戻ってきたマチにクラスメイトは首をかしげたが、見かねた女子生徒が部活で使うジャージを貸してくれた。少しだけ頬を赤く染めていた理由は分からない。
お礼に女子生徒にお菓子を全部渡すと、再度着替えるために教室を出て行く。大量のお菓子をもらった女子生徒は嬉しそうな困ったような顔をしていたが、流石に量が多すぎてクラスメイトに配り始めた。
クラス全員がお菓子を手に持っているところで1限目の教師が教室にやってきた。その上、なぜか戻ってきたマチは借りたジャージの上に魔女のようなマントと三角帽子を身に着けていた。
「ハロウィンか!?」
「トリックオアトリート!!」
お菓子もいたずらに手にしたうえで要求されるのだから性質が悪い。数学教師のナマジマは、お菓子も魔女も見なかったことにして授業を開始した。こと、このクラスに関する限りに於いていちいち取り合っていてはキリがない。
汚れた制服は噂を聞いた家庭科の先生が手洗いしてくれた上に乾燥機までかけてくれたので、午前中に綺麗になって戻ってきた。ジャージは洗って返そうと思ったが、貸してくれた女の子が「そのままでいいです! むしろ、そのままが!」と鼻息を荒くして返却を要求したので、そのまま返した。妹の友人は優しい人ばかりのようで一安心だ。
その後も教師に見ないことにされたり、慣れないスカートから時折チラっと見せたりしながら授業を消化してあっという間に下校時間となった。
男子生徒は「今日の御堂さん、妙に隙があるぞ」とか「俺、ちょっと帰りに誘ってみようかな」とか色めき立っているが全て哀れな勘違いである。
さっさと迎えに来たヤヨイに連れられて、声をかける間もなく一直線に帰宅してしまった。
「今日は、大丈夫だった?」
「おう、なにも怪しまれなかったな」
それはそれでどうなんだろう、と思う弥生だったが普段の行いがアレなのでそういうものなのかもしれない。
どうにも女物の制服というのは落ち着かないので家に着くなり部屋着に着替えた。今はリビングのソファに座ってヤヨイの入れてくれたお茶を飲みながら羊羹をかじっている。
「それで、お兄ちゃん。殺されたっていうのは、本当なの?」
自分で入れたお茶を一口飲んで、ふぅと息を吐き出してからヤヨイが尋ねた。
「そうらしいな、神様が言うのが本当なら」
「そんな……一体誰が……」
悪ふざけの多い兄だったが、それでも人から恨みを買うような人ではなかったはずだ。ヤヨイがそう思っているだけで他人の心など分からないから、もしかするとどこかで恨みを買っていたのかもしれないが。
それにしても理不尽だ。突然、自分の命を奪われるなんて。そして、それは同時に私達からも兄を奪うのと同義だ。
「ああ、殺したのは神様で、手違いだって」
「は……?」
お茶請けの羊羹を口に運びながら、事もなげに姉の顔をした兄が言う。
何だって? 何が神様の手違い? ヤヨイは混乱する。
「なんかな白い空間に爺さんがいて、いきなり土下座してきてさ」
死んでからの記憶を思い出すように、天井を見上げながら兄は語りだした。
あの世との中間地点という場所で、老人の姿をした神様は土下座をして「すまんかったー!」と謝りだした。
本来なら死ぬ予定になかった若者を、手違いで殺してしまった。しかも生き返らせることはできない。もう本当にごめんなさい。
普通、死んだらあの世に行って生まれ変わるのを待つのだが、せめてものお詫びに今の記憶とスゴイ能力を持って異世界に転生させて貰えないか。
魔法やモンスターがはびこるファンタジーな世界で、現世の知識とスゴイ能力があれば素晴らしい一生を送れるだろう。
お勧めなのがダンジョンの管理人で、上手いことやれば酒池肉林な生活も夢ではない。
「あのさ」
「ああ、何か能力に条件があれば言うと良い、可能な限り応えよう」
異世界とやらに転生することを前提に話を進める自称神様に胡散臭いものを感じ、老人の言うことは一先ず無視することにした。
「土下座って、言葉の意味わかる?」
「あ、ああ……?」
てっきり何か能力か異世界に関する質問がくると思っていたので、老人は面食らったがそれでも質問に答えた。
「それは、こうやって地面に額をつけて謝罪を」
「違うよな。土の下に座って、初めて”土下座”だよな。神様なのに知らないのか?」
死んでしまったものは仕方ないし、それほど恨みに思ってもいないのだがとりあえず言うことを聞きそうなので無茶を言ってみることにした。
ぽかんと口をあけていた老人だったが、すぐに得心したのか何もない空間からスコップを取り出して地面を掘りだした。
ただの白い地面だと思っていたが、どうやら土と同じように掘ったりすることが出来るらしい。
神様だから気合の一つで穴を開ければいいのに、自力で掘るつもりのようだ。よし、もっと無茶を言おうと決意する。
「あのさ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。今掘っとるから」
「誠意って、何だろうな」
老人を見つめる目はどこまでも冷ややかで、今の行動が望むものと違っていると告げていた。
誠意、それを求められている。例えば本来の豊満な肉体の女神の姿ではなく、あえて老人の恰好をしていることや、本当は気合一つで穴を掘れるのにわざと手に持ったスコップでちまちまと穴を掘っていることを揶揄しているのだろうか。
その瞳からは、なにも読み取ることが出来ない。それは当然で何も考えていなかったからなのだが、それを知らない老人の姿をした神は内心震えた。
「す、すまんかった」
皺だらけの老人の手はスコップを手放し、素手で地面を掘り始めた。これが誠意、これが誠心。申し訳ないという気持ちを表して素手で穴を掘り続ける。
「俺は寝るから、準備が出来たら起こしてくれ」
穴を掘る老人に背を向けて横なるとすぐに寝息が聞こえていた。死んでるのに寝るとは器用な奴だと思ったが、これはチャンスだ。スコップを使って掘ってしまっても分からない。
本来の目的は異世界に人間を送ることなのだから、こんなところで時間を取るのは無駄でしかない。のだが、心証を悪くするのは困る。
もしかして寝ているふりをしているだけで、老人の誠意を確かめようとしているだけかもしれない。それでバレてイセカイなんか行かないと言われては本末転倒だ。
だから愚直に素手で穴を掘り続ける。どれだけ掘ればいいのか分からないから、自分の体がすっぽり入るくらいの大きさの穴を掘った。
人間の体であれば爪が剥がれ指先がなくなる程の作業だったが、そもそも人間の体ではないので何の問題も無かった。やれやれだが、これでやっと話を聞いてくれるだろう。
「あの、済みません。準備が出来たので」
恐る恐る声をかけるが返事がない。本当に寝ているのかと思い、前に回り込んで顔を確認してみると、そこには服を着せてカツラをつけた丸太柄の抱き枕があるだけだった。替え玉である。
「んな!?」
「あ、終わった?」
老人の後ろから声をかけた人物は、ひよこのアップリケがついたエプロンをしている。さっきまでそこで寝ていると思っていた人物が、いつのまにか着替えて料理人の格好をしていた。
「え、あ!? いつの間に!?」
「集中してるから声掛けたら悪いと思ってさ。暇だから探検してた」
朗らかに笑う手には、フライ返しが握られている。
「もうすぐ餃子が出来るからさ、穴は埋めといてね」
「はあ!?」
人に穴を掘らせて、自分は餃子を作っていたのか。というか、その餃子の材料は自分の物だ。それに穴を埋めておけって。
何で当然のように神の住居を侵犯して餃子を作っているのか。余りの無茶苦茶ぶりに呆れを通り越して乾いた笑いが出るだけだった。
言われた通り穴を埋めて、上に乗って踏み固めていると再度エプロン姿の悪魔がやってきた。
「餃子できたから、一緒に食おうぜ」
「あ、はい……」
最早、何も言う気力も無く言われるがままに自宅のリビングへと向かう。何で神である自分がこんなことをしているんだろう。
自問自答を繰り返して座布団に座ると、目の前に白いコップが置かれた。居酒屋でよくある凍らしてあるビールジョッキだ。
「俺は未成年だけどさ、こうすると美味いんだろう?」
薄く霜のついたジョッキに、プシュっと音を立ててプルタブを開けた缶ビールの中身を注ぎこむ。
トットットと音を立てて黄金色の液体が満たされる。温度差で結露した水滴がつうっと落ちた。
「じゃあ、お疲れさまでした。カンパーイ!」
「か、かんぱい?」
勢いでジョッキを持たせてビールとコーラで乾杯をする。神である体に疲労はないし水分の補給も必要ない。自宅に置いてあるそれらは、あくまで嗜好品としての物であったが、今目の前にあるものはとても魅力的に見えた。
ごくりと喉が鳴る。
口が触れれば冷たい温度が唇を刺激するが、それよりも喉に注ぎ込まれる爽やかな苦みが精神的な圧迫感をすべて吹き飛ばした。
水流が滑らかに流れ込むように、スポンジが水を吸い込むように何の抵抗もなく、するりと臓腑に落ちる。そのまま高々とジョッキの底を天に向けて、一気にビールを飲み干した。
「おお、言い飲みっぷりだ。今おかわり持ってくるから、覚める前に餃子食えよ」
「お、おう」
思考する能力は全て完全に霧散した。箸を持って焦げ目のついた餃子に手を伸ばす。くっつくことなく離れた餃子の一つを、小皿に入れてある醤油に付ける。これはラー油と酢が混ぜ込んであるようだ。
たっぷりと醤油をしみこませてから、口に放り込む。口に入れた瞬間にパリパリと焼き目が割れる、隙間から肉汁がほとばしる。焼き立てでその熱さに舌が悲鳴を上げた。
肉汁の洗礼の後にはニラの香りが一気に鼻に抜ける。追って生姜とニンニクの風味。程良く熱の通った玉ねぎの歯ごたえが唾液を分泌させる。後からやって来るのは豚肉の旨味と、次の餃子を食べたいという強烈な衝動。それを我慢して全てを一気に飲み込んだ。
「……ふぅ」
ニンニク臭い息が吐き出される。額には汗をかいて餃子一個に大した騒ぎだ。
「うまい」
口に出して、その感想を実感する。胸に残る暖かい何かを噛み締めていると、トトトッという音が聞こえた。
「美味かったか? ほら、ビールおかわり」
ジョッキにビールが注がれると、ひったくるようにそれを手にとってまた一気に飲み干した。
「――――っくはぁ!」
見た目は老人だが、飲みっぷりは良い。ビールが注がれるのを待たずに、箸を餃子に伸ばして口に押し込む。
「たくさん作ったからな、たっぷり食え」
「うう……うまい、うまい……」
何がこうまで心を震わせるのか理由は分からないが、世の中の全てに対する申し訳なさが全身からにじみ出るような感覚だった。
エプロン姿の悪魔が、優しく微笑みながら両手で老人の手を包み込む。
「もう、二度とするなよ」
「はい、済みませんでした……」
老人の姿をした神は、涙を流しながら餃子を飲み込んだ。
◆
「という感じで、状況に流されやすいバカだったから、適当にからかい続けたら追い出されたんだ」
「え、今まで回想だったの!?」
いきなりグルメ展開かと思ってびっくりした。
「散々追い詰めた後に少しだけ優しくすると、簡単に洗脳できるんだ。
これを"私は何時ですかの法則"と言って」
「デタラメだよね?」
「もちろん」
実在する企業や団体、個人名とは一切関係がありません。
「俺もマチの体に戻されるとは思わなかったけどな」
「お兄ちゃんを殺したり、お姉ちゃんの体に戻したり、勝手な奴だね」
「基本バカだからな」
自分が殺されたというのに、暢気なものである。
「お兄ちゃんが帰ってきてくれたのは嬉しいけど、お姉ちゃんが居なくなるのは困っちゃうね」
「まぁ、そんなに長く持たないだろう」
「どういうこと?」
羊羹を食べ終わり、お茶を啜りながら何でもないように言う。
「やっぱり自分の身体じゃないから、どうも違和感があるんだよな。足に合わない靴を履いてるみたいな」
多分、明日には俺はこの身体から抜け出てると思う。そういたらマチも戻ってくるだろう。と続けて言うと、ヤヨイが腹にタックルをしてきた。
「嫌だよ! お姉ちゃんは諦めるから、お兄ちゃんはずっといてよ!」
「そんなこと言うなよ、マチが泣くぞ」
「じゃあ、私が死んだことにしてお姉ちゃんに成り代わるから、お兄ちゃんはマカオに行ってお兄ちゃんになってきてよ!」
もう何が何だか分からない。
「俺はバカ神のせいで死んじゃったけど、今まで散々好き勝手やってきたから、そんなに未練は無いんだ」
腹に頭を押し付けて泣きじゃくるヤヨイの頭を優しく撫でる。本当は未練はたっぷりあるのだが、今更言っても詮無いことだ。
羊羹のベタベタしたのが手に付いていたので、妹の頭もベタベタになってしまったのも、それも今更言っても仕方ないことだ。
ベタベタとくっ付く妹のベタベタの頭をベタベタ撫で続けると、やがて泣きつかれて眠ってしまった。起こさないように抱き上げて、妹の部屋のベッドに運んだ。
その後、起きてきたヤヨイと揃って久しぶりに母親の作る夕食を食べて、その味を忘れないように記憶に刻む。正真正銘、最後の晩餐だ。
夏になると2年おきにテレビで放送されるアニメ映画を家族揃って見ながら、とりとめない話をする。
何を話したのかは覚えていない。楽しかったのか悲しかったのか、それさえもあやふやだが、ただ穏やかだった。
映画が終わり家族におやすみ、と言って部屋へ行き勉強机に座る。キャンパスノートを開いて上の妹へ手紙を書いた。
身体を借りて済まない、おかげで楽しかった。沢山食べたから体重増えてたらゴメン。死ぬのもそんなに悪くないけど、出来るだけゆっくり来い。
思いつくままにつらつらと書きなぐる。書くだけ書いて後は布団に入った。出来るだけ起きていようかとも思ったが、身体はマチの物だ。明日、起きたときに寝不足だと申し訳ない。
さてそろそろ終わりかとうつらうつらし始めたときに、ドアをノックする音が聞こえた。
「お兄ちゃん。一緒に、寝てもいいかな」
ドアを開けると、枕を持ってヤヨイが立っていた。苦笑して「おいで」と言って布団に入れる。何も言わないで潜り込んで、自分の枕を横に並べた。
「何か、お話しようよ」
「そうだな、バカ神の背中に火をつけて泥船に乗せて沈めた話とか」
「それカチカチ山だよね」
実在の昔話、御伽噺、山の名前とは関係ありません。
「お前達の話を聞かせてくれよ」
「うん、えーっとね。お姉ちゃんが女の子にモテ過ぎて困ってた」
「マジか」
「マジマジ。いつだったかジャージ盗まれてたもん」
「あー」
「それでね……」
いつしか眠りに落ちて、ぬるま湯に入ったまま揺られるような心地よさを覚える。
魂が妹の身体を離れたのだろう。これから転生するのだろうか。
ゆらゆらと揺られて目が覚めると、寝るときに入った布団のままだった。
ただ違うのは、寝るときにひっついていたヤヨイと自分の位置が入れ替わっていたことだ。
何が起きたのか薄々理解しながら、手を離して自分の胸に手を当てた。ふにょんと柔らかい感触が押し返して来る。
「なんじゃこりゃあああああああああ」
あのバカ神は余程戻ってきて欲しくないのか、今度はヤヨイの身体に入れ替えたようだ。もう一回遊べるドン! 相変わらず身体には違和感を感じるから明日にはヤヨイの身体から抜け出ているに違いないが、どの道死んだ身で急ぐことも無い。あのバカ神が問題を先送りする限り、現世にとどまり続けることになるだろう。
もうしばらくの間は妹達と遊ぶことが出来そうだ。