19、寺と神社へ参り、鹿と戯れる
奈良漬けで酔ってしまい、そのまま眠ってしまった月美たち女性陣だったが、十分ほどで目を覚ますことができた。
酒精が弱いはずの奈良漬けでこれなのだから、実際に酒を飲んだらどうなってしまうのか。
試してみたい気持ちが出てきてしまったが、そうした場合の後始末が面倒なのですぐに引っ込んでしまったが。
それはともかく。
はしたない姿を見られたことを恥じているらしく、女子はしばらくの間、沈黙していた。
特に一番最初に寝落ちしてしまった明美は、不埒なことをしていないか疑い、じとっとした視線を男子二人に向けていた。
その視線に、清は気まずいものを感じていたようだが、やましいことは一切していないため、護は無視を決め込んでいた。
とはいえ、そんなギクシャクした空気を一瞬で粉砕するものが、この奈良県には、特に東大寺付近のエリアには多数出没している。
それが。
「おぉ~……テレビではよく見てたけど、まさかほんとにこんな数がいるとは……」
「触られても全然気にしてないみたい」
「慣れてるのかもね。ほんと、大人しいね」
公園に大量に出現する野生の鹿だった。
東大寺のすぐ近くにある公園には、視界に入るだけでも二桁に届くほどの鹿の群れが各々、好きなように過ごしている光景が広がっていた。
「……鹿せんべい買うのは後でいいか。それとも買う必要はなしか……」
「買った瞬間、寄り付いてくるって話だからなぁ……どうすっかな」
いつの間にか鹿のほうへと向かっていた女子たちの背中を見ながら、護と清はそんなことを話し合っていた。
鹿は本来、警戒心の強い動物なのだが、鹿せんべいや餌付けをする観光客などの要因ですっかり人間に慣れてしまったのだ。
が、いくら人間に慣れているとはいえ、鹿は動物であり、よほどのことがない限り人間との意思疎通はできない存在だ。
実際、鹿せんべいを購入した観光客がからかって遊んでいたら鹿に角で突かれたり、頭突きをされたりして怪我をした、という事例もある。
怪我をする可能性があるのならばできれば避けたいところだが、女性陣がそれを許してくれそうになかった。
「……ひとまず、拝観料と賽銭だけでも死守するぞ」
「てか、一枚でよくないか?」
「それで満足するあいつらだと思うか?かわいさに目がくらんで、もっとあげたい、とか言い出すぞ」
もっとも、鹿せんべいを購入した瞬間、我先にと群がってくる鹿の群れを見て、その気持ちが続くかどうかはさすがに本人次第だが。
ちなみに、護と清は一度くらいなら構わないが、二度目はやりたくない、と思っている。
別に二人とも動物が嫌いというわけではない。清は普通だし、護についてはむしろ人間よりも好ましいと思っている。
だが、好ましいと思うことと囲まれることへの恐怖はまた別のものだ。
むろん、鹿たちに害意があるわけではないということはわかっている。わかっているのだが、下手をすれば重症となる傷を負わされる可能性もあるという事実がある以上、近づきすぎないに越したことはない。
いずれにしても、東大寺を参拝し終えてからのほうがいいだろう。
そう判断した二人は、鹿に夢中で戻ってこない女子三人に声を掛けた。
「お~い、鹿をもふるのはその辺にして、そろそろ行こうぜ~?」
「早くしないと、参拝時間が終わるぞ」
その呼びかけに気づいた三人は、鹿をなでる手を離し、二人と合流し、東大寺へと向かった。
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東大寺へ向かい、盧舎那仏像や東大寺の見学可能な部分を巡回し、再び門の前に出た。
門を出た広場には、鹿せんべいを売る屋台があったが、それは避けて、先に春日大社へ向かうことにした。
春日大社はかつて平安京で栄華を誇った藤原氏の氏神をまつる神社であり、藤原氏との縁なのか、藤で有名な神社でもある。
もっとも残念なことに、夏のこの時期はすでに藤の花は散っており、青々とした葉が茂っているだけだったが。
とはいえ、藤の花は見ることはできずとも歴史の教科書に名が載っている神社なのだから、参拝しておいて損はない。
護たちは拝殿への参道を歩いていき、参拝を済ませると、鹿にせんべいをあげてみたい、という女子三人の要望で再び東大寺の門前へとむかった。
もう間もなく拝観時間が終了するとはいえ、人はまだ残っているその場所で、護たちは鹿せんべいを販売している屋台へと向かっていった。
十枚でセットになっているものを五個購入した護たちが鹿せんべいを受け取ると、待ってましたとばかりに大量の鹿たちが護たちを取り囲んだ。
「は、早い……多い……」
「な、なんか少し怖くなってきた……」
「なんつう食い意地だよ、ほんとに」
鹿たちが歩み寄ってくる早さと量に、先ほどほこほこ顔で撫でまわしていた時と違い、少しばかり引きぎみになりながら一枚一枚、鹿にせんべいを手渡していった。
一頭が受け取ったせんべいをもしゃもしゃと食べていく姿を見てか、他の鹿たちが自分にもくれ、と言わんばかりに護たちに接近してきた。
中にはほかにないのか、とばかりにポケットやリュックに顔を突っ込もうとする無粋者も出てくる始末。
結局、最後には。
「も、もうないから!せんべい、これ以上ないから!」
「ごめんね!おせんべい、売り切れたの!」
「だから……」
『もう勘弁して~!!』
半泣きになりながら、明美と清、佳代は鹿たちの包囲網からどうにか抜け出そうとする始末であった。
護と月美も一緒に包囲網に囲まれていたのだが、持っていたせんべいをすべて与え終わると何も持ってないことを示すように両掌を見せ、鹿たちを諦めさせていた。
なお、ホステルへの戻りの電車の中で、鹿たちと戯れていた女子三人は、しばらくの間、鹿は見たくない、と思っていたとか。




