6、夏休みでも修行は休まず~夜になって~
護が軽度の熱中症から復帰して数分すると、夕食の時間になったため、月美が呼び出しにやってきた。
ただ呼びに来たそのタイミングは、あまりよろしいときとは言えなかった。
「ほんとに大丈夫なの?」
「あぁ……白桜たちもふもふしてたら夢中になって熱中症の一歩手前になっただけだし」
「……毛皮に熱中症になったの?というか、それ大丈夫なの?」
「大丈夫だ、問題ない」
「それ、大丈夫に聞こえないわよ」
護の口から出てきた返答に、月美は苦笑を浮かべたが、護本人の、大丈夫、という言葉を信じることにして、それ以上のことを追求しなかった。
そういえば、と月美が両手を合わせ、はにかみながら護の方へ顔を向けてきた。
「ちなみに、今日の晩御飯はわたしが頑張ったの」
「お、そいつぁ楽しみだ」
土御門家に引き取られてからこっち、夕食と休日の昼食は月美が作るようになっていた。
護は、幼いころから好き嫌いをしないよう、育ってきたため、大抵のものは食べることが出来る。
そうなったのは、おそらく母である雪美の手料理が美味であるがゆえなのだろう。
月美も土御門家に引き取られる前は、母親である亜紀から料理の手ほどきを受け、それなりに練習を重ねていたため、ある程度なら料理もできる方だった。
その下地があり、さらに雪美からの手ほどきを受けたことで、月美の料理の腕は格段に上がっていた。
その証拠に、学校に持っていく弁当を清が狙ってきたり、明美と佳代が絶賛したり、護の心がどれだけすさんでいても弁当を口にしただけで機嫌がよくなったりしているのだから、まさに魔法だ。
そんな料理を、さらにいえば、最愛の人の手料理を楽しみにしないはずがない。
「ちなみに、今日はアジの南蛮漬けと冷製和風スープよ」
「はは、そりゃ米が進みそうだ」
にこやかな微笑みを浮かべながら、そんな他愛ない話をしつつ、二人は翼と雪美が待っているであろう食卓へと向かっていった。
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夕食と入浴を終え、寝間着代わりにしている甚平に着替えた護は、蚊取り線香を焚いて、うちわを片手に縁側に座っていた。
都会ではあるが、神社の境内や土御門家の裏手には小さいながらも雑木林があり、少し離れた場所には、朝方、月美と一緒に使っていた滝行のための水場がある。
それらの、都会ではめったに見かけることができない自然物が、それなりに涼しい風を運んできてくれるため、涼むにはもってこいの場所となっている。
なお、この縁側は時折、翼と雪美が晩酌をしながら過ごしていることもある。
「あ、ここにいたんだ」
「ん?あぁ、涼しいからな、ここ」
のんびりと夜の雑木林とそこに住む虫たちの声に耳を傾けていると、着流し姿の月美が歩み寄り、護の向かいに座った。
ドライヤーは使ったのだろうが、髪の毛にはまだ水気が残っており、月美も風呂上がりであることを物語っていた。
「そうね、風森神社の鎮守の森ほどじゃないけど」
「おいおい、それを言うなよ」
「ふふ、ごめんなさい」
月美の実家である風森神社の裏にある鎮守の森は、多くの精霊や無害な妖が今もなお住み着いているため、神域や異界に近い場所となっている。
つまり、現世とは異なり、気温や湿度がまったく異なる場所となっているということであり、それ故に時期によっては現世よりも過ごしやすい空間となる。
そんな場所と比べられても困る、というのが護の正直な感想だった。
もっとも、月美もそれはわかっているし、わかったうえで冗談として言っただけのようで、くすくすと微笑みながら返していた。
むろん、それに気づいていない護ではなかった。
そのため、そのことについてそれ以上は何も言わなかった。
「ところで、その手に持ってるのは?」
「これ?雪美さん特製の梅ジュース」
「晩酌代わり、か?」
「うん、さすがにお酒は、ね?」
どうやら、雪美と翼のまね、というわけではないが護と二人で飲みながら過ごしたいと思っていたようだ。
とはいえ、さすがにアルコールというわけにはいかないので、雪美特製の梅ジュースで、ということのようだが。
「ちょっと背伸びか?」
「いいじゃない、別に……それとも、護はわたしじゃなくて佳代とのほうがよかった?」
「月美だけで十分。というか、なんでそこで吉田が出てくる」
頬を膨らませ、少しばかりむくれる月美に、護はなぜこの場にはいない友人の名が出てきたのかわからず、困惑しながら返した。
月美に一途であるがゆえに気づいていないのだが、佳代もまた、護に好意を寄せている。
もっとも、月美以外の女子になびくことはないということはわかっているためか、それとも生来の内気な性格ゆえか、月美を押しのけて護の恋人になろうとは思っていない。
むしろ、一歩引いたところで、二人のこれからを見守ることに注力している印象すら受ける。
「ふふ、冗談はさておいて。まずは一献」
「ん?あ、あぁ」
悪戯っぽい笑みを浮かべながら、月美から差し出された杯を受け取ると、月美はその中に梅ジュースを注ぎ入れた。
注ぎ入れているものがお猪口であるためか、それとも梅ジュースを入れている器が徳利だからか。それとも杯を持っている護と注ぎ入れている月美の姿が艶やかであるせいか。
傍から見れば酒を注いでいるようにしか見えなかった。
だが、そんなことはおかまいなしとばかりに、護は注がれた梅ジュースを一口で飲み干し、杯を床に置いて、月美の方へ寄せた。
その意図を察しかねた月美だったが、傍らに置いていたはずの徳利がいつの間にか護の手の中にある光景を見て、返杯してくれるということを理解し、杯を手に取った。
徳利の中の梅ジュースが杯になみなみと注がれると、月美は両手で杯を支え、口元に運んだ。
護とは違い、ゆっくりと杯を傾け、静かにその中身を飲み干すと、ほぅ、とため息をついた。
その姿の艶っぽさに、護は思わず頬を赤くしながら見惚れていた。
一方の月美は、返杯を受け取った杯は、護が口をつけたものだということを思い出し、目の前の相手と間接的に、とはいえキスしたことになる事実に気付き、頬を赤く染めた。
交際してから四か月。
昨今の高校生はやることが早い、と言われる世の中で、いまだに一線を越えることがないがゆえに、些細なことで赤くなる初々しい二人を見ている存在は、護の使役である狐たちと、千年以上昔から土御門家に仕える十二柱の神将たちだけだった。




