最終話 おまえ、本当は強いんかい!
午前零時二十二分。
東京第七防衛都市。
人類滅亡まで、残り三十秒。
通信塔の最上部で。
一人の学生が、空に向けて拳銃を構えていた。
彼の名前は、アウラ・ソーロン。
人類最強と呼ばれた男。
そして、今まで一度もその実力を証明しなかった男。
そんな彼が。
初めて、引き金を引いた。
パン。
乾いた音が響いた。
それだけだった。
巨大な爆発もない。
光の柱が生まれたわけでもない。
ごく普通の拳銃から、一発の弾丸が発射された。
――少なくとも、その瞬間までは。
◇
『敵性弾体を確認』
『着弾予測開始』
ヴェイル母艦の内部。
無数の観測装置が、アウラの放った弾丸を解析する。
彼らにとって、人類の銃弾など脅威ではない。
ましてや、地上から放たれた拳銃弾。
大気の抵抗と重力によって、母艦に届く前に速度を失う。
避ける必要すらない。
はずだった。
『……エラー』
『弾道計算、失敗』
観測装置に異常が発生した。
『再計算』
『失敗』
『再計算』
『失敗』
『警告』
『警告』
その直後。
弾丸が、空中で直角に曲がった。
◇
「……は?」
リツは思わず声を漏らした。
通信塔の下から、アウラの姿を見上げていた。
確かに、彼が撃ったのは一発だった。
それなのに。
その弾丸は空中で不自然に方向を変え、あり得ない速度で加速していた。
まるで、見えない何かに導かれるように。
「……何、あれ」
弾丸は遥か上空へ飛翔した。
そして、一隻目のヴェイル艦を貫いた。
ドォォォォン!!
爆発。
「……え?」
弾丸は止まらない。
二隻目。
三隻目。
四隻目。
次々と軌道を変え、空を飛び回る。
まるで生き物だった。
いや、違う。
それは一発の弾丸だ。
ただし、その着弾地点を――
発射された後から変更できる。
それが、アウラ・ソーロンの持つ異常な能力だった。
◇
七年前。
地球が初めてヴェイルによる大規模侵攻を受けた時。
一人の少年がいた。
まだ十歳だった少年は、避難する人々を守るために、一丁の拳銃を手に取った。
戦い方など知らなかった。
銃を撃った経験すら、ほとんどなかった。
ただ、目の前の怪物を止めたかった。
だから、引き金を引いた。
その瞬間。
少年の中で、何かが変わった。
彼が撃った弾丸は、常識を無視して飛び続けた。
何百もの敵を貫き、空中を駆け巡り、ついには遥か上空にいた巨大な指揮艦を撃ち落とした。
少年自身にも、何が起きたのかわからなかった。
後に判明したことがある。
彼の身体は、ヴェイルの侵略によって地球にもたらされた未知の物質に適応していた。
そして、極めて異常な現象を引き起こすことができた。
因果逆転。
通常、弾丸は発射された瞬間に軌道が定まる。
しかし彼の場合、その順番が逆だった。
『命中する』という結果を、発射後に決めることができる。
距離も、障害物も、敵の回避行動も関係ない。
一度放たれた弾丸は、彼が命中させると決めた場所へ向かう。
たとえ、その過程で物理法則を無視することになったとしても。
ヴェイルが未来を予測できない理由も、そこにあった。
彼自身が、撃つ前には着弾地点を決めていないのだから。
七年前。
少年の放ったたった一発の弾丸は、ヴェイルの侵攻部隊に壊滅的な被害を与えた。
しかし、その結果、敵は彼を認識した。
ヴェイルは少年を排除しようとして、周辺の都市に攻撃を集中させた。
少年がどれほど強くても、一度にすべての人を守ることはできなかった。
彼は自分の力が、敵のさらなる攻撃を招くことを知った。
だから、決めた。
もう撃たない、と。
周囲の人間だけで敵を退けられるうちは、普通の学生として暮らす。
自分の存在を理由に、敵の大軍を呼び寄せない。
それが、彼の選んだ生き方だった。
――だが、今夜。
敵は彼を見つけてしまった。
そして、都市を消そうとしている。
もう隠れる意味はない。
守りたい人たちが、ここにいるのだから。
◇
「……嘘、でしょ」
リツは空を見上げていた。
ヴェイル艦隊が、次々と爆発している。
一発の弾丸が、一隻を貫く。
そのまま別の艦へ。
さらに別の艦へ。
弾丸が通り過ぎるたび、黒い艦船が光に包まれた。
「……なんだ、あれ」
レオも呆然としていた。
銃を握る手が震えている。
「……あんなの、あり得ない」
しかし、目の前では現実に起きている。
十隻。
二十隻。
五十隻。
百隻。
撃破数は、瞬く間に増えていった。
人類の防衛軍が七年間かけても、ほとんど勝てなかった敵。
それが、たった一人の学生によって次々と撃ち落とされている。
「……アウラ」
リツは、小さく呟いた。
「……あんた、何者なのよ」
◇
母艦の内部。
ヴェイルの上位指揮個体《母眼》は、初めて人間の言葉で恐怖を表現した。
『――不可能』
『記録照合』
『七年前の異常個体と一致』
『対象名、アウラ・ソーロン』
『脅威判定……』
機械音声が、一瞬途切れる。
『最高危険度』
『全艦、撤退』
『全艦、撤退』
『全艦、撤退――』
「……遅いよ」
アウラが呟いた。
遥か上空。
最後の弾丸が、母艦へ向かっていた。
母艦は防御障壁を展開する。
何重にも重なった、高密度のエネルギーシールド。
人類の核兵器でさえ突破できない、絶対防御。
しかし。
アウラの弾丸には、意味がなかった。
弾丸は障壁を避けるように大きく旋回した。
そして。
障壁が切り替わる、ほんの一瞬の隙間へ滑り込んだ。
『……なぜ』
母眼が呟く。
『なぜ、観測できない』
アウラは静かに答えた。
「……撃ってから決めてるから」
そして。
「……終わりだ」
最後の一発が、母艦の中枢を貫いた。
ドォォォォォォォォォォン!!
夜空が、白く染まった。
巨大母艦が、内部から崩壊する。
その周囲に展開していた艦船も、制御を失って爆発していく。
アウラの一撃は敵艦隊の指揮系統を完全に破壊していた。
母艦の主砲が停止する。
地上へ降り注ごうとしていた光が消えた。
人類滅亡まで、残り一秒。
その時。
都市に、静寂が訪れた。
◇
午前零時二十三分。
東京第七防衛都市。
『……敵艦隊、反応消失』
『主砲、停止』
『敵の攻撃……止まりました』
防衛司令室に、震える声が響く。
『生存確認』
『都市機能、維持』
『……我々の勝利です』
沈黙。
そして、都市中から歓声が上がった。
「うおおおおおお!!」
「助かった!」
「生きてる!」
「俺たち、生きてるぞ!」
泣きながら抱き合う人々。
崩れ落ちる兵士たち。
笑いながら涙を流す子供たち。
その中心で。
アウラ・ソーロンは、静かに拳銃を下ろした。
「……ふう」
小さく息を吐く。
そして、空になった銃を眺めた。
「……やっぱ、弾もったいないな」
◇
数分後。
通信塔の屋上。
リツとレオは、アウラの前に立っていた。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「…………」
「…………」
「…………」
先に口を開いたのは、リツだった。
「……ねえ、アウラ」
「何?」
「今の……あんたがやったの?」
「うん」
「……一発で?」
「うん」
「……敵の艦隊、全部?」
「まあ、だいたい」
「…………」
リツは大きく息を吸った。
そして。
「おまえ、本当は強いんかああああああああい!!」
夜空に、絶叫が響いた。
「え、何?」
「何じゃないわよ!!」
リツはアウラの胸ぐらを掴んだ。
「あんた! 今まで! 散々! 強いのか弱いのかわかんない態度して!」
「いや、別に……」
「何もできないみたいな顔して! 銃も撃たなくて! みんなが勘違いしてるのを放置して!」
「……まあ、そうだな」
「挙げ句の果てに! 宇宙艦隊を一発で全滅させるって何よ!!」
アウラは少し困った顔をした。
「……聞かれなかったから」
「聞いたわああああああ!!」
リツのツッコミが響き渡る。
「何回も聞いたわよ! 強いの!? って!」
「……ああ」
「そのたびに曖昧な返事してたじゃない!」
「……まあ」
「なんでよ!」
アウラは少しだけ考えた。
それから、苦笑した。
「……言ったら、普通に学校生活できなくなると思って」
「もうできてないわよ!!」
◇
隣で黙っていたレオが、ゆっくりと膝をついた。
「……アウラ」
「何?」
「俺は……自分の愚かさを思い知った」
「……そうか」
「お前の強さを疑った時もあった。だが、それでもなお、俺はお前を超えようとしていた……」
「別にいいんじゃないか?」
「……何?」
アウラはレオを見た。
「今日、みんなを助けたのは神崎たちだろ」
「……」
「リツが装置を動かして、神崎が敵を倒して、先生が避難を指揮した」
「……」
「そのおかげで、俺は最後の一発を撃てた」
アウラは小さく笑う。
「だから、俺一人じゃ勝てなかったよ」
レオは目を見開いた。
そして。
「……アウラ」
ゆっくりと立ち上がる。
「俺は、必ずお前を超えてみせる」
「うん」
「どれだけ遠くても、諦めない!」
「頑張れ」
レオは拳を握った。
リツはその様子を眺めながら、深いため息をついた。
「……ほんと、馬鹿ばっか」
けれど、その表情は笑っていた。
◇
それから一週間後。
東京第七防衛学園。
二年B組。
何事もなかったかのように、授業が行われていた。
「それじゃあ今日は射撃試験を行う」
青砥先生が言った。
「全員、訓練用の銃を持って訓練場へ集合するように」
生徒たちが立ち上がる。
もちろん、アウラも。
「……あれ?」
リツが首を傾げた。
「アウラ、銃は?」
「持ってない」
「……は?」
「忘れた」
「…………」
リツは数秒、固まった。
「……いや、あんたさ」
「何?」
「一週間前に宇宙艦隊を壊滅させたよね?」
「うん」
「だったら普通の銃くらい、適当に撃てるでしょ?」
「……いや」
アウラは少し気まずそうに視線を逸らした。
「……普通の射撃は、あんまり得意じゃない」
「…………は?」
「俺、撃った後で当てる場所を決めてるから」
「……うん」
「普通に狙って撃つの、苦手なんだよね」
「…………」
リツは、静かに天井を見上げた。
そして。
「どんな最強だよおおおおおおお!!」
学園に、今日も元気なツッコミが響く。
アウラ・ソーロン。
人類最強と呼ばれる学生。
彼が本当に強いことは、今や世界中の誰もが知っていた。
ただし。
その強さが、果たして普通の学生生活に何の役に立つのか。
それは、また別の話である。
そして今日も。
人類最強の学生は、銃を持たずに登校するのだった。
〈完〉




