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その9

     ☭


 アンナが語った未来は、さながらドストエフスキイの大作のごとく波乱万丈にして暗かった。


「今から一年後、一九八五年に、頭にあざのあるゴルバチョフっておじさんがソ連の指導者になるんだ」


 アンナはおでこにくるくると指で絵を描いた。


「ゴルバチョフは、ソヴィエト連邦が今後もアメリカに対抗するための改革を目論んでいたといわれる人で、そのためにペレストロイカって段階的な民主化政策をソ連全土で一気に進めるの。ところが、それでかえって体制がごたくたになって、ソ連共産党の力がだいぶ後退しちゃった」


 アンナは西側の芸能人のゴシップについて話すような口調で、地上の半分を支配する帝国の落日を語った。


「で、東欧でいろいろあるんだけど、バッサリ割愛して――、いまから五年後の一九八九年の一月、京都(キョート)の皇帝さんが死んじゃうのね」


「というと、大元帥同志のお兄さんの?」


「うん。それがきっかけでね、南北日本で、統一の機運が一気に高まるんだ」


「あー」


 その気持ちは何となくわかる気がした。ぼくたち〈共和国〉人民が〈南〉日本皇帝に抱く感情は、複雑にして甘美であった。


「それでね、統一デモが南北日本の各地で起こって、〈共和国〉政府は運動鎮圧に軍隊を出動させて、青葉台の革命記念広場で寝転がっていた学生が戦車にひき殺されたりするんだ」


「ひどいな」


「ひどかったよ」


「それで、どうなるの?」


「一時的には収まるんだけれど、一足先に、ドイツで『ベルリンの壁』が崩壊しちゃうの。東西ドイツが再統一。それを機にまた日本再統一運動が盛り上がって、勿来(なこそ)関の鉄条網が引っぺがされて、隅田川にある東東京(ひがしとうきょう)の壁も機能しなくなって、国境の行き来とかズブズブになっちゃうの」


「それで日本再統一か」


「ところがそうはいかなくてね」


 東西ドイツ『再統一』の実態は、西ドイツによる東ドイツの吸収合併であった。


 旧東ドイツ国営企業は次々と倒産し、東ドイツ・マルクは紙切れとなり、旧東ドイツ市民は二級市民あつかいであった。


 統一ドイツ誕生の興奮が冷め、そんな現実が南北日本に伝わるにつれて、日本再統一運動は冷や水を浴びせられたようにしりすぼみになっていった。


 東ドイツは、北日本とともに「社会主義の優等生」と呼ばれる共産圏の産業先進国である。西ドイツも、GNP世界三位の西側世界の大国である。そして、東ドイツの人口は、西ドイツの四分の一に過ぎない。


 これだけ好条件のドイツでここまで混乱が起きたのなら、日本ではどれほどの軋轢(あつれき)が起きるか。


 南北人口が二:一である日本では。


〈共和国〉市民の半分近くに移民の血が混じって、文化的変容をおこしている日本では。


 列車の軌道(レール)の幅すら南北で違う日本では。


〈南〉日本のGNPはアメリカ合衆国に次ぐ世界第二位だったが、それを維持できるかすら怪しいと当時はささやかれたという。


 二つの日本は統一に恐怖した。


〈南〉は、ロシア人や中国人や中央アジア人の血が混じった、四千万人の元共産主義者の失業者『同胞(どうほう)』を抱え込むことに恐怖した。


〈共和国〉は、〈南〉のもとで過去の努力と経歴がすべて無に帰し、二級市民として扱われることに恐怖した。


 しかし、再統一運動をなかったことにはできなかった。そうするには今さら遅すぎた。もう勢いが付きすぎていた。いまさら鉄条網を再設置することなど、国内的にはもちろん、国際政治上においてもできる状況ではなかった。


 両日本人の持病である前動続行主義も関係者の手足を縛った。南北双方の日本で、『再統一』は四〇年間にわたって民族の悲願とされてきたのだった。


 なにより、もう再統一が避けられないのは明瞭であり、その共通認識ゆえに、逆説的にだれにも止める手立てがなかった。


『予言の自己成就』という言葉がある。


「銀行がつぶれる」と根も葉もない予測が流れたとき、預金引きだし騒ぎが巻き起こってしまい、結果的に本当に銀行がつぶれてしまうという現象だ。


 もう統一が避けられないと両日本の全員が信じたとき、統一は本当に避け得ざるモノになってしまった。


 こうして悲願の『民族再統一』は、見るも恐ろしい時限爆弾に変身してしまったのである。


 統一農労党と京都政権は、徐々に締め付けを厳しくしてみたり、あるいは緩めてみたりするなどして事態の軟着陸を図ったが、それが時間稼ぎに過ぎないことは誰の目にも明らかだった。


 こうした状況で、自由化(ペレストロイカ)に根づよく反対してきた統一農労党保守派と、統一後は軍縮(リストラ)確実であとがない人民軍少壮将校によるクーデターが勃発したのは、歴史の必然であった。


     ☭


 クーデター派の計画はこうであった。


 一九九三年一〇月二十三日の第四十四回〝解放戦争〟記念パレードで、行進する戦車の一両に実弾をこめておくのだ。


 どこまでも続いてゆく防衛パレードを見下ろして手を振っている閣僚たちの群れに、戦車は榴弾(りゅうだん)砲をぶち込んで、同志書記長以下の統一農労党中央委員会を一網打尽にする。


 時を同じくして、パレードのために集結していた第五〇一親衛空挺師団が暫定首都の官庁街を制圧する。歩兵と戦車の混成部隊が大元帥公邸を包囲して、外部との連絡を一切たちきり、(ぎょく)をにぎりこむ。


 このとき一般の兵士たちは、自分たちがクーデターに加担していることを知らない。「反乱を企てている反動分子に備える」と指揮官から直前に告げられ、そう思い込まされている。


 越後山脈では、国家保安省の特殊部隊(スペツナズ)が警備訓練の名目で出動し、準中距離弾道弾(MRBM)『R‐十七改(西側呼称〝Jスカッド〟)』を装備した戦略打撃軍団を駐屯地ごと占拠して、弾道ロケットを交渉カードにする。


 このロケットは、『列島南部解放闘争』の開戦ラッパが吹きならされると同時にぶっぱなすためのシロモノで、西東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、福岡など〈南〉日本主要都市のことごとくを射程内におさめ、沖縄と小笠原諸島を除く〈南〉および在日米軍の主要な駐屯地・軍港・飛行場を殲滅する能力を有する(ことになっている)。


 最後に、クーデター派とよしみを通じていた非主流派大物政治家が、新体制への移行を宣言する。新体制とは、大元帥同志を政府首班にいただく御親政である。


 作戦秘匿名称は『北海道大演習バトルオーヴァー・ホッカイドウ』。


 あとには市が栄えたそうな。めでたしめでたし。


 結果から言うと、この大掛かりで豪快なクーデターは失敗した。


 計画はパレード本番まで露見することもなく、行進は予定通りにはじまった。

 戦車も故障ひとつせずに動いた。


 七十五式戦車(T-72)の一二五ミリ滑腔(かっこう)砲はゴウとひと鳴きして炎を噴きだし、秒速一七〇〇メートルの砲弾が閣僚用バルコニーを木っ端みじんに吹き飛ばした。


 ところが、肝心かなめの同志書記長は生き延びた。


 戦車の砲身がこちらを向くのに目ざとく気付いた同志書記長は、バルコニーからとっさに飛び降りたのだ!


 同志書記長は両足と鎖骨を骨折し、左の鼓膜が破れ、火薬のカスのせいで一時的に視力を失った。生身で戦車に狙われたことを思えば、かすり傷と言ってよい状態だった。


 アンナの話を聞きながら、ぼくは計算した。


 統一農労党中央委員会書記長・兼・国会常任幹事会議長は、当時七十五歳であった!




 ダーミーイ・モスクイ!


 同志書記長は、地獄の日本本土決戦を生き抜いた猛者であった。


〝解放戦争〟末期、旧帝海軍で主計大尉を務めていた同志書記長は、連合艦隊が米帝海軍に()(つぶ)されて水漬(みづ)(かばね)をまんべんなくさらしたあと、海軍陸戦隊の中隊長に急遽(きゅうきょ)任ぜられて北海道に来寇(らいこう)したソヴィエト軍と戦った。


 陸戦隊は、乗艦が沈んであぶれた水兵と、老人と、子供の寄せ集めであった。


 若き日の同志書記長は、押し寄せるT‐34戦車旅団の群れに、手榴弾と銃剣と大和魂だけで立ち向かう羽目になった。


 公式伝記によれば、同志書記長は雪とネズミとヤスデを食べながら半月もゲリラ戦を続け、最後は二〇名程度にまで減ってしまった部下とともにソ連軍に降伏し、シベリアの強制収容所(ラーゲリ)に送られた。


 同志書記長はラーゲリでも生き延びた。


 同志書記長は釈放されたあと古巣の内務省閥に戻って、戦後の大粛清(テロル)も生き延びた。


 同志書記長はいつも生き延び続けてきた。


 そして、今度も生き延びたのだ!




 同志書記長は、一時は死亡説も流れたものの、翌朝には日本国営放送(NKH)の生放送に出演して健在をアピールし、クーデター派を非難して徹底抗戦を呼びかけた。


 CNNにも取り上げられたこの歴史的放送で、クーデター派は計画の失敗を悟った。


 我知らずクーデターに参加していた将兵たちは大いに動揺して、決起部隊からは脱走者と、投降する部隊が相次いだ。


 人民軍部隊の大半は決起からこのかた警戒という名の日和見を続けていたのだが、この放送を受けて大勢を悟り、われ先にとクーデター鎮圧に乗り出した。


 クーデター関係者と、関係者と目された人物、その家族知人友人はすぐさま、同志書記長の息のかかった国家保安省部隊によって緊急逮捕された。


 クーデターの首魁であった国家保安省長官と、人民陸軍作戦本部長は拳銃自殺を遂げた。


 決起開始から事態が沈静化するまでに要した時間は、たったの三日間であった。


 なお、暫定首都の混乱に乗じて、特殊部隊の一部が核弾頭配備施設の占拠に成功していた。追い詰められた彼らは弾道ロケットを政府との交渉材料にしようとしたが、同志書記長派の艦砲射撃によって基地と人質ごと粉砕された。


 砲撃したのは人民海軍戦艦『革命』。

 かつては戦艦『長門』と呼ばれていた巨艦であった。


 かくして、変化に反発する勢力による武力クーデターは無残に失敗し、叛乱を許した統一農労党とマルクス・レーニン主義の威信は地に落ちた。ぼくたちの日本はすっかり混乱し、その混乱からついに回復することなく、ぐだぐだのうちに南北再統一へと転がりこんだのであった。正式な統一は、いまから一〇年後の一九九四年四月一日。


 とんだエイプリルフールであった。


     ☭


 大変なのはそれからだった。


〈南〉日本国民は、自らの人口の半分にも達する元共産主義者の失業者と、紙クズに等しい人民円と、杜撰(ずさん)な計画経済のもとで盛大に老朽化した各種インフラの世話を見る羽目になった。社会主義の優等生とはいえ、〈共和国〉は、〈南〉と比べればやはりだいぶ貧しい国であった。


〈共和国〉人民はすべての努力を否定され、四〇年間ながし続けた血と汗と涙がすべて水泡に帰し、〈南〉の慈悲にすがる二級市民として、差別と経済格差に苦しむ余生を送る羽目になった。


「なんでそんなに詳しく知ってるの?」


「ドラマになるから」


 アンナは以上の知識を、BBC制作の連続ドキュメンタリードラマ『ひとつの日本(ア・ジャパン)』(全八回)から入手したという。


「ソ連崩壊後に作られたドキュメンタリーだから、機密情報いっぱいだよ」


「ソ連も崩壊するの?」


「うん、いまから七年後のクリスマスに」


 何か質問ある? とアンナに聞かれた。


 ()きたいことは山ほどあったけど、疑問はもやもやと胸に漂うばかりでうまく言葉にできず、結局、


「ドラマ、面白かった?」


「イギリスのジョークは毒があった」


「そっか」


 ぼくは冷めたお茶を飲んだ。


 何か気の利いたコメントを探したけど思いつかず、


「めでたしめでたし、とはいえそうにないね」


 と、冗談めかして言ってみた。


 真面目な顔で語るには、アンナが語るぼくたちの未来は、あまりにも暗黒すぎたからである。


 アンナは悟りきったようなほほえみで、「そういうものだ」といった。

「『そういうものだ』だよ、いうべき言葉は」 


「そういうものだ」


 ぼくはいってみた。


 心が多少軽くなった気がした。


 あきらかに気のせいだった。


     ☭

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