その6
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地の涯アフガニスタンのさらに果ての果て、砂漠と高山の連なりに隠された最奥、山をとび谷をこえてようやくたどり着くような鳥もかよわぬド辺境に、だれからも忘れさられたような少数民族が住んでいる。
民族名――彼らの言葉で『人』を意味するという――をアンナが現地語で教えてくれたが、ぼくの耳にはヤギの鳴き声にしか聞こえなかった。
ロシア人にも発音できなかったとみえて、彼らを発見調査したロシア人の文化人類学者は、彼らにロシア語の民族名を付けた。
いわく、『片眼鏡族』。
彼らが顔にほどこす特徴的なペイントに由来している。
それが、園丘アンナの故郷であった。
「園丘さんは、そこで生まれたの?」
「そうだよ」
「それにしては日本語上手だね」
とぼくは月並みな感想をいった。
まんざらお世辞ではなかった。移民第一世代だとはとうてい信じられないほど、アンナの北日本標準語は完璧なネイティブであった。いまだにロシア語や福建語なまりの日本語を話す移民三世も珍しくないというのに。
彼女は習慣的にありがとうと答えてから、当然そうに、
「だって、わたしはこれから何十年も日本で暮らしてきたんだよ」
そりゃ言葉くらい覚えるさ、といった。
ぼくは混乱した。
彼女の日本語のブロークンな流暢さと、時制のみだれのアンバランスが、棍棒みたいにぼくの脳の言語野をゆさぶり、理解をはばんだ。
アンナはお茶を一口すすって(彼女はぼくたちを待っているあいだ、文芸部の備品で勝手にお茶まで淹れていた)、ささやくように語りはじめた。
アンナたちマノーキ族は、その全員が未来を識っている。
未来を観とおす少数民族なのだ。
そしてアンナは、今から数十年間を日本で暮らした。
――と、アンナは未だ来ぬ未来を、過ぎ去りし過去形で表現した。
ぼくはあっけにとられた。
アンナの信じがたい身の上話は、しかし疑ったり論難をふっかけたりするにはあまりにあけっぴろげで、それが逆説的に奇妙な説得力をうんでいた。
しかし、未来て。
ぼくは思った。
超能力者て、あんた。
そんなものが当然顔でサラリと舞台にのぼってきた以上、宇宙人や未来人、異世界人なんかがハローと登場してきてもまったくおかしくないわけで、ぼくの思考は
「なに言っちゃってんの?」
という現実的困惑と、
「なにそれスゲェ!」
という無責任なワクワクのあいだを行きつ戻りつしていた。
返答に窮したぼくは、備品のお菓子棚を物色している美城上尉の背中をなんとなくみつめた。
もしや、この人あたりが宇宙人キャラなんじゃなかろうか。
遊星からの物体Xに付着して地球にやってきて人類に化けているのでは? そう考えるといろいろ説明がつく(あの酒豪ぶりとか)。
そうか、前々から怪しいとは思っていたんだが、あのウォッカらっぱ呑み芸は、これから始まる宇宙的恐怖の伏線だったのか……。意外なところで世界の真実の一端をつかんでしまった。
よし、現実逃避終了。
「未来、というと」
ぼくは礼儀ただしく、いぶかしむ様子をなるべく顔に出さないように気を付けて話をふった。
「たとえば、明日のテストの内容とかも、いま見れるわけ? すごいね、傾向も対策もばっちりだ」
「ううん、そういうんじゃないんだ」
アンナはかぶりを振って、慣れた口調で説明をはじめた。
アンナは、ある晴れた日に、富士山を遠くから眺めているところを想像するように勧めた。
ぼくたちが富士山を一目で見渡せるように、アンナは自分の人生を一目で見渡せる。
アンナたちは、自分の生きざま、死にざまを、いつでも「思い出す」ことができる。アンナはそれをきわめて高性能な望遠鏡に喩えた。
「想像してみて」
アンナは低く歌うようにいった。
「いつでも、自分の富士山の好きなところにピントを合わせることができるの。望遠鏡をとおして、山すそに咲く花の香をかぐことも、山頂の雪の冷たさを味わうこともできる」
そして、自分の人生には一指も触れられない。ちょうどぼくたちがレンズ越しに富士山を動かせないのと同じように。
アンナが普段から勉強をしなければ、アンナはテストでひどい点を取る。アンナは自分が明日ひどい点を取ることを知っているし、問題も知っているが、その未来を変える方法はない。勉強をする、という選択肢もない。アンナが勉強をしないことは歴史的に決まっているからだ。時間はそういう構造になっている。
身ぶり手ぶりをまじえたアンナの説明はわかりやすかった。
いつのまにかレコードがかかっていた。上尉の仕業だろう。必要以上の大音量の意味はぼくにも察せられた。
盗聴対策。
国家保安省が、学校にすら盗聴器と密告者を配置していることは、公然の秘密であった。
三十三回転のワルシャワ交響楽団にあわせて、常軌を逸したアンナの物語がつむがれた。
アンナの父は、アフガニスタンに侵攻してくるソヴィエト連邦軍のことを、同志ブレジネフ書記長より早くから知っていた。
アンナの兄は、自分が十二歳のときにソ連軍に〝保護〟されて解剖台の露と消えることを知っていて、そのことを幼い妹に話した。
「なぜ、殺されるとわかっていて逃げないんだ?!」
ぼくの疑問に、アンナは
「そういうものなんだよ」
と答えて、上尉が探し出した袋菓子の炒り豆を菓子皿にざざっとあけ、二、三粒まとめて口に放り込んだ。
「望遠鏡をとおして何が見えたとしても、わたしたちはただこう言うしかないの。『そういうものだ』って」
「そういうもの……なのかな」
と返すぼくの声には、自分でもわかるくらい不服がにじんでいた。
ぼくは納得しかねていた。
ダーミーイ・モスクイ。
当時、ぼくはまだ十五歳になったばかりで、アンナの部族のほろ苦い教えを理解するには幼すぎたのかもしれない。
当時のぼくは、そんなことは決して認めなかっただろうけれど。
ちょっと気まずくなったのを誤魔化すため、ぽりぽりと炒り豆を食べた。
豆がらのカスが奥歯にはさまって気持ち悪かったけど、女子の手前、指を口に突っ込むわけにもいかず、ちょっと困ったのを覚えている。
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