その14
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「コーヒースタンドによらない?」
とアンナが提案した。
ムフタルさんの件でちょっと気まずくなった気分を変えたかったぼくは、一も二もなくこの提案に飛びついた。
アンナの指示にしたがってハンドルを切ると、路地を一本入ったところの角に、ちいさなバールがあった。
ぼくたちはバールの列に並ぼうとしたが、ちょっと困ったことがあった。
列が二本伸びていたのだ。
「デンバかー」
「そう」
「どっちがコーヒーの列?」
「さあ」
狭い路地にわりと長い行列ができていたので、人の列はごちゃっとのたくっていて見極めが困難であった。
ダーミーイ・モスクイ!
「デンバ」とは「電話付きバール」のことである。
ぼくたちの日本では、個人電話の所有は許可制であり、生産計画台数も少なく、いまだ希少品でステータスシンボルであったし、公衆電話も治安上の理由(いっぱいあると国家保安省の盗聴係が大変)でほとんどなかった。
その不便を補うのがバールであった。
バールには電話がひかれている店といない店があって、ひかれている方は少数派である。ぼくたちはその希少なバールを「電話付きバール」通称「デンバ」と呼んで珍重していた。自分の家の近くにデンバがあると、周囲の住民はちょっと誇らしい気分になったりした。
デンバは貴重でありがたい存在なのだが、こういうときには困る。
電話を使いたい人の列と、コーヒーを飲みたい人の列がまじりあって、見極めにくいのだった。
ぼくとアンナは結局、手分けして並ぶことにした。
バールには、仕事帰りのつかれた工場労働者と、これから出勤する生気のない目をした夜勤労働者がいっぱい並んでいた。
赤い日本の産業の未来をしょって立つ労働英雄たちは、あるいは道にしゃがみ込み、あるいは立ち話をしながらコーヒーを飲んでいた。
話題はおもにメシ、女、蹴球、相撲、テレビ、ラジオ、週刊誌、競馬くじであった。
こういう時に高校生の男女がきゃいきゃい会話しているとトラブルのもとになるので、ぼくたちは他人のような顔をして黙って並んだ。
こういうときに備えて、ぼくは通学カバンに常に文庫本を入れて持ち歩いているのだが、今はなんとなく取り出すのがおっくうで、手持ち無沙汰になって、バールの窓口の上にかかげられた看板をぼんやり眺めた。
バールはもちろんすべて国営なので、個別の屋号はない。看板には、漢字とキリル文字で『珈琲』とだけ書かれている。
そして自動車のナンバープレートに似た識別番号。
看板の隅には、希少なデンバであることを表す電話番号が、そっけない文字で、でもどこか誇らしげ書かれている。
バールは立ち飲みなので回転率が速い。コーヒーを買うまでに一〇分もかからなかった。
ぼくの並んだ列が当たりだった。
「二杯ください」
カウンターの太ったおばさんにそう注文して、表に丹頂鶴、裏にりんごの花が刻印された二〇銭硬貨を渡した。
おばさんは「お前にコーヒーを売ってやるのは気に喰わないが、党の命令だから仕方ない」といいたげな不機嫌な顔つきで、叩きつけるようにお釣りを返した。国営商店の店員としては、これは一般的な態度にあたった。
ぼくはコーヒーを受け取って、セルフサービスのミルクと砂糖を加えた。アンナの好みは事前に打ち合わせしてあった。
初めて入る店だったけど、戸惑ったりはしなかった。バールはすべて国営で、どの店もまったく同じデザイン、まったく同じシステムである。この店も、ぼくがときどき行く通学路上の店と瓜二つなので、迷う要素がなかった。
ちなみに、わざわざ『コーヒーをください』とは注文しない。どのみち、バールにはコーヒーしかおいていないのだから。
こんな小話がある。
「〈南〉のスパイが捕まった。ばれた理由は、バールで『コーヒーをくれ』と頼んだからだ」
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ぼくとアンナは、街灯に寄りかかってコーヒーを飲んだ。
バールには必ず国家保安省の盗聴器が仕込んである、とまことしやかにささやかれているから、店で買うときはみんな無口になって、少し離れたところで会話しながら飲むのだった。
春とはいえ、まだまだ夕方は冷える。熱々のコーヒーをひと口すする。熱をもった液体が食道を通って胃のなかに流れ込んでゆく。
胃壁がゆっくりと蠕動する、その感覚が心地よかった。
このバールのコーヒーは、たぶんタンポポの根からつくった代用コーヒーだった。共産圏は寒い国が多いので、熱帯で栽培されるコーヒー豆やカカオ豆はたいてい希少品である。
〈共和国〉もその例にもれず、貴重な外貨を使ってわざわざ原料を輸入しなければならない本物のコーヒーやチョコレートは希少で、一般市民の口には中々入らないものだった。
代用コーヒーは、麦茶を煮出して牛乳を加えたような味がした。少し粉っぽかった。代用品としてもあまり質が良くないらしかった。
「ねえ」ぼくは、ずっと前から考えていた疑問を口に出してみた。
「改革は失敗する、と予知されたんだろ。ソ連の偉い人たちは、失敗するとわかっている改革をそれでも進めるのかな?」
「未来がわかることと、未来を変えることは全然違うよ」
とアンナは説明した。
「想像してみて。もしあなたが、若いころからひそかに改革を夢見てきた共産党のエリートだとしよう。若き日に学友たちと理想について密かに語り合い、影響を与えあい、高めあった。四〇年ものあいだ、出世レースを乗り越え、多くの苦難に耐え、辛酸をなめつくし、政敵を蹴落としてきた。そしていま、ようやく思うぞんぶん理想の改革ができる地位にたどり着いたおじいさんだとしよう」
アンナはコーヒーをすすった。
「そこに、『アフガンからやってきた驚異の未来視能力者』という触れ込みの、ひとりのやせっぽっちの少女が連れてこられて、なまりの強いロシア語でこう言うんだ。『あなたが四〇年間夢見てきた改革案は、あなたが愛する祖国を滅ぼす引き金になります。今すぐやめてください』。さて、キミならどう思う?」
「怒るだろうな」
ぼくは想像しようとしてみた。
「インチキ能力者じゃないかと疑う。予算が欲しい科学者や役人のパフォーマンスだと疑う。自分を蹴落としたい政敵の陰謀じゃないかと疑う」
「そこで、超能力少女が、自分が本物だと証明してみせたら? 例えば地震や災害を予知して見せたとする。すると、おじいさんはどう思う?」
「想像もつかない」
「教えてあげる。ますます怒り、疑うんだよ」
アンナは歌うようにささやいた。
「自分の夢と青春と友情と人生をかけた改革案が無意味であると運命から告げられたら、人は絶対にそんな情報を信じようとはしないんだ。たとえ理性では理解できたとしても、感情が信じることを拒否するんだね」
アンナの口調は軽かったけれど、それが経験からでてくる言葉だということは容易に想像がついた。アンナは今まで、たぶん何十回となく、そういう人びとに忠告をしては怒りをかってきたに違いない。
「そんなものなのかな」
「そういうものなんだよ」
アンナは自分を指さして、
「結局、ソ連の偉い人たちにとっては、わたしは海のものとも山のものともつかない山ほどいるまじない師たちの一人にすぎないんだ。わたしはたまたま本物だけど、それを証明する手段は多くないよ」
アンナはぼくを指さして、
「現に、こうやって何日も一緒にいても、まだキミは半信半疑でしょう? いや、三信七疑くらいかな。お偉いさんはみんな忙しいから、未来視少女が本物かどうかを見極めるためなんかに、何日も時間を割いてはくれないよ」
と一気に言った後、アンナは残りのコーヒーを飲みほして、ほう、とため息をついた。
ぼくも、カップに半分くらい残っていたコーヒーを飲みほした。質の悪い代用コーヒーの価値は熱量にあって、冷めたら飲めたものではないのだっだ。
一気に飲み干して、ぼくも、ぷはぁ、と息をはいた。
アンナが突然、うふふと笑った。
「どうしたの?」
「いや、なつかしいなー、と思って」
とアンナが言った。
「懐かしいって、なにが?」
「木の電信柱が。赤いポスターが。漢字と旧かなづかいとキリル文字まじりの看板が。やる気のない道路作業員が。丸っこい黄土色のトヨバントと、その排気ガスが。電話機に並ぶ人々が。粉っぽいコーヒーもどきが。キミとの議論が。今日という一日のすべてが」
過去と現在と未来を同時に生きるアンナの世界においては、それは郷愁をもよおすものらしかった。
でも、この世界しか知らないぼくは、ふうん、とうなずき返しただけだった。
本物のコーヒーがいくらでも飲める〈南〉の方がいいじゃないか、と思ったりもした。
統一後の今になって、ぼくはあの時のアンナの気持ちが察せられる。痛いほどに。
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