大奥
【第三幕一節】大奥
大奥へと踏み出したお藤のその晴姿は、天女であるかのように美しく、そのまわりが光で照らされているかのようだった。しかし、その心の内はすでにこの世への執着はなく、与市とこれで一生結ばれることもなく屈辱として過ごしていくであろうこの身を、打ち砕いてしまいたい衝動で一杯であったので、大奥の女子たちに、注意を払うことなど出来るはずもなかった。
やはり、そんなお藤の気持ちなどお構いなしに、この大奥では嫉妬の渦がもうすでにお藤へと向かっていたのである。
お藤が最初にあったのは、やはり五代目将軍徳川綱吉であった。綱吉はお藤を見てひとめで惚れてしまった。その日より一カ月渡るのはお藤ばかりであったほどだ。
そして、次に綱吉の母、桂昌院と謁見した。桂昌院はとても穏やかに話を語り始めた。
「何も知らぬそなたが、この大奥でやっていくには、とても大変な苦労があるでしょう。だが殿のこと、理解し支えていってほしいと思っています。わたしも若いころにこの大奥へと来て、あの春日局様に使え、右も左もわからぬこのわたしに丁寧に教えてくださったこと、今でも覚えています。そののち側室となり、今にいたるのです。お藤殿もわたしを真の母だとおもい、此処へきてくださいね。
そして、綱吉のことですが、その父、家光より先代の家綱を支えるような賢人な弟にしようと儒学を学ばせ育ってまいりました。ですから心の内では、正義感のある子ではあるのです。今はまだ周りのものに政ごとを教わっている最中であるが、いつかはこの国のために良い国づくりをしてくれると信じています。どうかお藤殿よろしくおねがいしますね。」
この大奥にもこのような方がいるのだとすこし、ほっとするお藤であった。
その日のうちに、お藤は主な方々と謁見し、やっと自分の部屋へと戻り歩いていると、側室の伝が、その息子徳松たちと歩いてきて話しかけた。
「一日でいろいろな方々と会い。疲れたであろう?」
「はい。少々疲れたかもしれません」
この伝は、側室とはいえ、将軍のただ一人の男子徳松を生んだことから急速にちからをましてきた女である。
「何かあれば、このわたしを頼りなされ」
「ありがとうございます」
すると、伝につきそった女がお藤の服の身丈を踏んだので、お藤は倒れてしまった。あきらかに故意で踏んだのだろうが何気ない声で
「お気をつけあそばせ」
と一言だけ言って去ってしまった。
それを見て手を差し伸べ起こしてくれたのは、正室の信子であった。正室とはいえ信子には子がなく、子ができた側室の伝とは不仲でまた、正室なのに子ができぬことから桂昌院にもせかされ、その為に桂昌院ともあまり仲がよくなかった。
「本当にひどいことをするの」
「わたしは大丈夫でございます」
「今度お茶でもいっしょにどうじゃ?」
「はい。よろこんで行かせていただきます」
と、当たり障りのないようお藤は答えた。
しかし、お藤はまだ知らないが、本当に注意するべきはこの信子であった。側室の伝は目に見えるいやがらせをするが、この信子は将軍の側近である柳沢吉保とも繋がっていたし、信子が陰で糸を引いているとは誰にも分らぬよう動くほどの策略家であった。その美貌をもったお藤には、この大奥はとても危うい場所であったのだ。その策略によりお藤の身にあのような出来事が降りかかったのだ。
[第三幕一節]完




