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『武田信玄の嫡男に転生した歴史教師、謀反を成功させて父を家臣にする ~武田義信、最強の父子で天下を取る~』  作者: あちゅ和尚


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第35話 龍興、川の兵を取り戻す

 城を受け取った翌朝、義信が山を下りると、龍興はすでに馬を引き出していた。


 道利と数人の供が、その脇に控えている。武田の門番へ通行を命じることはせず、龍興は義信が来るまで手綱を握って待っていた。


「川へ行きたい。城へ戻れず、舟溜まりに残っておる者がいる。昨夜になって、その者の使いが町まで来た」


 龍興は、供の後ろに立つ侍を示した。笠の縁が破れ、裾には乾いた泥がついていた。


「俺が降ったと聞いても、すぐには信じられぬらしい。道利をよこせと申しておる。勝手に兵を出せぬ約束ゆえ、先に義信殿へ話しておく」


 義信は侍から事情を聞いた。


 町で敗れ、山への道も使えなくなった斎藤の兵が、長良川の舟溜まりへ集まっているという。動ける者は八十ほど。ほかに傷者と、舟を扱う者たちがいる。


 山へ運ぶはずだった荷を守りながら、主の命令を待っていた。ところが、南から進んできた織田勢が、そこへも使いを寄越し始めた。


「舟を渡し、兵を下ろせば、命は助けるとの仰せでございます。けれど、我らはまだ、龍興様より何も承っておりませぬ」


 義信は川のある方へ目を向けた。


 町へ入るときに使った渡しは、すでに押さえてある。だが、そこだけに荷を集め続ければ、舟が足りぬときも、敵に道を脅かされたときも、動きが鈍る。


 西の国衆と結ぶ足場も、増やしておきたかった。


「俺も行こう。龍興殿は、その者たちへ城で決めたことを伝えてくれ。舟と荷の扱いは、持ち主を確かめてから定める」


 龍興が、義信の顔を見た。


「俺を使いに出せば済む話に、義信殿まで来るのか。織田の兵が近い以上、行き違いがあれば、山を取った翌日に戦が始まるぞ」


「だから、こちらの兵へ、その場で命じられる者が要る。相手に槍を向けてから、城へ使いを走らせるわけにもいくまい」


 義信は近習に馬を頼み、半兵衛を呼ばせた。


     ◇


 半兵衛は話を聞くと、すぐに、良通の兵を全て連れていく案を退けた。


「西の道まで空ければ、川を得ても、城下の守りが薄くなります。昨日の番を外して休ませた者を中心に、三百を出しましょう。山と町は、残った兵で守れます」


「三郎兵衛は、城に残す。俺たちが戻らぬうちに何か起きても、あれなら兵をまとめられる」


「私も町へ残ります。守就殿の後続を迎え、兵を置き直しておきます。川へ出した人数を当てにして、昨日と同じ持ち場を割らぬようにします」


 義信は頷いた。


 城を一つ得たことで、守る門も蔵も増えた。勝ったからと、使える兵まで倍になったわけではない。


 半兵衛は、龍興の供にも目を向けた。


「川の兵を率いる者へ、先に伝えていただきたいことがあります。兵を舟へ乗せたまま待たせぬように。織田へ渡す支度と見られれば、我らの先手も止めに動きます」


「それは俺から命じる。舟へ乗り込んで逃げるな、岸で待てと伝えよう」


 龍興は使いの侍を先へ返した。


 そのあとで、道利へ旗を持たせるよう命じた。山から下ろしたばかりの斎藤の旗が、馬の脇へ運ばれてくる。


 義信は、それを畳ませなかった。


「今日は、それがよく見えた方がよい。お前たちの主が来たと、向こうにも分かる」


 龍興は旗を一度見てから、馬へ乗った。


     ◇


 川へ近づくと、町の音に代わり、櫂の水を打つ音が聞こえた。


 岸へ引き寄せた舟の周りに、斎藤の兵が並んでいる。積み重ねた荷を背にして槍を構え、道から来る者と、下流から近づく者の両方を見張っていた。


 源五郎が、前方から戻ってきた。


「織田の先手が、南の道で止まっております。こちらを見て、槍を揃え始めました。舟溜まりの兵とは、まだ戦になっておりませぬ」


「こちらも弓を引かせるな。先頭だけ進み、後ろは道を塞がぬ所で止めよ。使いを通す幅は残しておけ」


 義信が命じると、源五郎は組頭へ伝えに走った。


 龍興の旗を見た岸の兵が、ざわめいた。


 組を率いる侍が出てきたが、武田の兵にも目を向け、すぐには槍を置かなかった。道利が前へ進み、山で交わした誓紙の写しを示す。


 侍は読み終えると、龍興へ顔を上げた。


「御身を押さえられ、命じられるままに来られたのであれば、ここから舟を出せます。我らが御供いたします」


 道利が何か言いかけたのを、龍興が手で止めた。


「俺は、家中の者を生かすために降った。山で決めたことを、川へ来て覆すつもりはない」


「されど、我らはまだ槍を持っております。舟もございます。山を失っても、主がおいでになれば――」


「舟でここを離れても、下りられる岸がなくては、兵を飢えさせるだけだ」


 龍興は馬を下り、侍の前へ立った。


「下流には織田がおる。西へ渡れば、稲葉や氏家の領地へ入る。その先へ逃げ続ければ、家へ残した者も守れぬ。お前たちに、そこまでさせるために迎えに来たのではない」


 侍の槍が、わずかに下がった。


 義信はその後ろにいる兵を見た。脛を布で巻いた者が、槍を杖にして立っている。ほかの者も、主だけを逃がすためなら、また戦うつもりだったのだろう。


「荷を守った働きは、龍興殿から聞いた。ここで槍を伏せたからと、武田を相手に戦ったことを責めはせぬ」


 義信は言い、岸へ寄せた舟を指した。


「ただし、軍の荷と、お前たちの持ち物は分けてもらう。舟も、斎藤の物なら受け取るが、船頭の物を勝手に取り上げることはせぬ。借りていた舟なら、これからの賃を決め直そう」


 兵の間にいた男が、隣の者と顔を見合わせた。


 龍興も振り向き、頷いた。


「船頭を連れてこい。借りた分と、払った分を、ここで道利に申せ。武田へ渡ったから、斎藤の借りまで消えたとは言わせぬ」


 道利は懐の紙を取り出し、舟ごとに持ち主を呼び始めた。


     ◇


 岸の槍が伏せられた頃、南の道から、織田の使いが来た。


 丹羽長秀が、すぐ近くまで進んでいるという。義信は兵を動かさず、道の開いた所で会うと返答した。


 長秀は供を連れ、馬を下りて歩いてきた。龍興が義信の傍らに立っているのを見ると、一礼した。


「稲葉山を明け渡された由、承っております。されど、ここの兵は、まだ武田へ従ったとは聞いておりませぬ。こちらも、舟を渡すなら受け取ると伝えたところでございます」


「その返事をするために、龍興殿が来た。今、命じてもらい、兵は従うと決めた。そちらがすでに受け取った舟を、取り返しに来たのではない」


 義信の返答を聞き、長秀は岸へ目を向けた。


 武田の兵が斎藤の兵を囲み、武具を奪っている様子はない。龍興が呼ぶと、組頭も自分の足で歩いてきた。


「主より、武田殿に従うとの命を受けました。我らも、それに従います。織田殿へ舟を渡すとの返答は、いたしておりませぬ」


 長秀は、その言葉を最後まで聞いた。


 義信も急かさずに待った。自分に都合のよい返答が出たからと、すぐに旗を立てれば、力で言わせたと疑われる。


「承りました。では、ここの舟と岸は、武田殿が受け取られる。その旨は、我が主へ伝えます」


 長秀は答えたあと、南を示した。


「こちらは、すでに受け取った下流の渡しを守ります。船頭の中には、そちらと取引する者もおりましょうが、武田の旗を立てて、織田の番へ兵を入れることはお控えください」


「約定のとおりにしよう。こちらも、兵を商船へ忍ばせて渡しを取るような真似はせぬ。荷を通す際に改めが要るなら、決めた手順で行ってくれ」


 長秀は一礼して戻った。


 織田の先手は、武田の兵へ背を向けて走ったのではない。道を空けながら組ごとに下がり、南の持ち場へ戻っていった。


 義信は、その動きを見届けてから、こちらの兵を岸へ入れた。


     ◇


 受け取れた舟の全てを、自由に使えるわけではなかった。


 斎藤の軍用として残るものもあれば、荷を運び終えたら持ち主の村へ戻す約束のものもある。義信は、継続して借りられる舟と、今日返す舟を分けさせた。


 また、積まれた米の一部には、商人が売り代を受け取っていないものもあった。


「城の蔵へ入るはずだったというだけでは、武田の米にはできぬ。売り渡した相手と量を、道利殿へ確かめてもらえ。今、軍で使う分は、こちらから代を出す」


 源五郎は頷き、供の者へ銭を取りに行かせた。


 義信は、その間に傷者のいる小屋へ入った。昨日の戦で負った傷もあれば、町から退く途中で倒れた者もいた。立ったまま話を聞かせず、座らせて水を渡す。


 龍興が小屋へ入ると、兵の一人が起きようとした。


「そのままでよい。今日は、俺を逃がすために立つ必要はない」


 龍興は兵の脇へ膝をつき、戻る家がどこかを尋ねた。道利がその名を控え、歩けぬ者には、舟で渡せる所まで送る手を考えていた。


 義信は二人に任せ、小屋の外へ出た。


 舟を借り続けるなら、番を置くだけでは足りない。水の深い所を知り、荷の重さを見て止められる者が要る。源五郎へ尋ねると、舟を預かっていた年嵩の船頭が呼ばれてきた。


「川のことは、お前たちに任せる。兵が急げと言っても、舟を出せぬなら止めよ。ただ、いつ出せそうか、別の岸なら使えるかは知らせてもらいたい」


「そのお言葉、兵の方にも聞かせていただければ助かります。主が替わると、昨日まで通じていた話も、一からとなりますので」


 義信は笑い、近くにいた組頭を手招きした。


「ちょうどよい。今、皆に聞いてもらおう。川へ沈めてから取り戻せと、船頭に無理を言うなよ」


 組頭も、岸に並ぶ舟を見て頷いた。武田の兵が櫂を受け取ろうとすると、船頭の一人が持つ所を教え、そのまま二人で舟を寄せ始めた。


     ◇


 昼を過ぎる頃、龍興は、川に残っていた者の進退を義信へ伝えた。


 家へ帰る者と、傷が癒えるまで残る者を除き、舟と荷を守る役を続けたい者がいた。主とともに降った以上、陸の兵へ混ぜられると覚悟していたらしい。


「俺の命だけで集め直すことはせぬ。だが、この者たちをまとめる役は、俺にやらせてもらいたい。知らぬ組頭を据えるより、話も通る」


 義信は、龍興と、その後ろの侍たちを見た。


「任せよう。川を守る兵として、俺の軍令を受けてもらう。舟を出す手配は源五郎とつなげ。ここだけで荷を止めたり、銭を取ったりはさせぬぞ」


「承知した。家臣を守ると言った以上、食わせてもらうだけで終わるつもりはない」


 義信は道利にも、番を置く範囲を確かめさせた。織田との境を勝手に押し広げず、まずは、この岸から城下までを守らせる。


 山上へ入るときには畳まれていた斎藤の旗が、川風の中で開いた。その隣へ武田の旗も立つと、兵たちは二つを見比べ、やがて、下ろした荷を運び始めた。


 龍興が城を失ったことは、変わらない。


 それでも、まだ自分を主と呼ぶ者に、帰る場所と、明日からの役目を示せた。龍興は岸へ残る組頭を呼び、道利とともに番を割り振った。


 義信は、その仕事が始まるのを見てから、舟を出す支度をしている源五郎へ近づいた。


 良通の持ち場へ使いを送り、対岸から来る荷を受け取る手順を決めるという。舟の所有だけでなく、両側の岸で人と荷を通せて初めて、使える渡しになる。


「俺も対岸を見ておこう。馬は、帰るまでここへ置く」


 義信は具足の紐を締め直し、船頭に示された場所へ腰を下ろした。源五郎と少数の供が乗り込むと、岸の兵が綱を解いた。


 川の上から振り返ると、龍興がまだ組頭たちと話していた。山で家臣の名を守ろうとした男が、今はその者たちを、武田の持ち場へ配っている。


 義信は声を張り、岸へ手を上げた。


「龍興殿、戻るまで、こちらの馬も頼むぞ!」


 龍興は応じて手を上げ、供の一人に馬を預けさせた。それから道利を連れ、岸の番へ置く兵の方へ歩いていく。


 義信はその姿を見届け、進む先へ顔を向けた。


 対岸には、先に渡った兵が待っている。その向こうの道から荷を担いだ者が現れ、武田の旗を見つけて足を速めた。義信は舟が岸へ寄るのを待ち、自分も手を伸ばして、濡れた綱を引き寄せた。




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