09 オバケ、現る
「ゴースト?いや、ゾンビか?どっちなんだ?」
霧の中から現れたそいつを見た時、俺はてっきりゴーストかと思った。霧のせいで姿がぼやけていたからだ。
だが、徐々に近付いてくるその姿は明らかに人間の形をしていた。軽装の鎧を身に着けた戦士のような恰好をしている。
ゴーストにしろゾンビにしろ、死霊系の魔物と言うのは死者の思念が魔法化したものだった。
魔法を使える人間が強い未練を持ったままその命を失った時、その意思が魔法へと変換されこの世に残ることがある。魔法そのものがひとつの自立した存在になるわけだ。
とは言え、魔法は魔力の供給無しに存在し続けることが出来ない。
そのためゴーストは濃い魔力で満ちた場所にしか存在出来ないし、魔力の集まりでしかないその姿は決まった形を持たなかった。
一方、ゾンビとはその残留魔法が屍に憑依したものを言う。例え死んでいたとしても肉体があればそれを通して魔力を補給することが出来るからだ。なのでゾンビはハッキリとした姿を持つ。
目の前の相手は人としての形を持っているのでゾンビの類と考えられるのだが、それにしては実体感が無い。妙にフワフワした感じだ。
という事はやはり”ゴースト”なのだろうか?……但し、亡霊と言う意味での。
「何なの、この魔力?とんでもない量よ!?」
魔法でそいつを調べたソフィアが驚きの声を上げる。彼女が驚く程なのだからよっぽどなのだろう。
「まさか、暗黒精霊なのか?」
「いえ、暗黒精霊は人の姿なんかしていないはずよ。」
暗黒精霊はゴーストの上位種扱いだ。なのでソフィアの言う通り、定まった姿などしていないはずだった。
「じゃあ何なんだ、コイツは?」
「私が知るわけないでしょ!」
「今は議論している場合じゃなさそうだよ。」
困惑する俺とソフィアに向けて海斗が警告してきた。そう言いながらもその目は正体不明の敵から離していない。
「どうやら僕達は敵として認識されたみたいだからね。」
海斗がそう言った次の瞬間、ソイツは俺達に向けて衝撃波を放って来る。そしてそれは精神攻撃の効果を持つ”威圧”を含んでいた。
意識が遠のきそうになり、俺は思わず膝をつく。
「浄化の炎よ、我が命のもと魔を滅せよ!」
ソフィアが火魔法でソイツを攻撃した。聖魔法には及ばないものの、炎に浄化の効果を持たせることも出来るのだ。
だが、その攻撃は”防御”の魔法であっさりと弾き返されてしまう。
「なんですって!?」
確かに”防御”は相手の攻撃を防ぐための魔法である。だが、それは決して完全ではない。攻撃する方がより強ければ、当然防御は失敗に終わる。
ソフィアは『魔導王』だ。この世界では最高レベルの魔法使いなのだ。
にもかかわらず、その攻撃が簡単に弾き返されてしまったのだからソフィアでなくとも驚くだろう。
尤も、今のがソフィアの全力ではないことも確かだ。
本気を出せばこの森を丸ごと吹き飛ばすくらい簡単なことだが、まさかそんなマネをするわけにもいかないだろう。と言うか、それだけはやめて欲しい。
しかし、例え加減した攻撃であってもゴースト(ゾンビ?)ごときに防がれるような威力ではないはずなのだ。
「ソフィアの攻撃を防ぐなんてとんでないヤツだな、コイツ。」
とりあえずソフィアの攻撃のおかげで”威圧”は止まり、多少の頭痛を感じながらも俺は立ち上がった。
「ああ。これはちょっと厄介な相手のようだね。」
そんな俺に海斗がめずらしく真剣な顔を向けてくる。
まあ海斗にしてもソフィアにしても、その魔力に多少驚きはしただろうが決して倒せない相手ではないはずだ。
それでもこんな表情をするのは、おそらく相手の正体が良く分からないからなのだろう。
「少し試してみようか。」
そう言うと海斗は素早く剣を抜き切りかかった。
そのあまりの早さに相手は避けるヒマも無く切り裂かれた……ように見えたものの、実際には何のダメージも受けなかった。
何と相手には実体が無く、剣が身体を素通りしてしまったのだ。
物理攻撃が効かないとなると、やはりゴーストなのだろうか?
しかし、それにしては姿がハッキリし過ぎている。
「これは……ただの魔物じゃないかもしれない。」
手にした剣を見つめながら海斗がそう呟いた。おそらく、切りつけた際に何かを感じ取ったのだろう。
それが何なのか問い正したいところではあったが、残念ながらそんな余裕はなさそうだった。
今の攻撃が相手を怒らせてしまったようなのだ。
「クウヤ、私の後ろに!」
相手の魔法を使う気配を感じ、ソフィアがそう叫んだ。ここでヘンな見栄を張れるような力など俺には無いので素直に従う。
直後、凄まじい閃光が辺りを覆いつくした。雷の魔法だ。
ソフィアが防御してくれるおかげでダメージこそ受けなかったが、すぐ側を雷が縦横無尽に走る光景には恐怖しか感じない。
「雷の魔法が使えるなんて、嘘でしょ!?」
それを見たソフィアが驚くもの当然だった。
魔法を使うには加護が必要だ。そして加護には2種類ある。
ひとつはソフィア達が持つ”神の加護”で、『魔導王』や『聖者』といったような名の付いた加護だ。
そしてもうひとつが”精霊の加護”。こちらは特に加護に名は無い。
両者の違いは使える魔法のレベルと種類にあった。
神の加護の場合は全系統の魔法を使用する事が可能だし、加護の種類によっては最高位レベルの魔法を使うことも出来る。
一方、精霊の加護では使える魔法に制限があった。最高位魔法は勿論だが、習得不可能な系統もあるのだ。
そして、光系統に属する雷の魔法もまた神の加護無しには習得不可能な魔法とされていた。何故なら主神セリオスが光の守護神だからだ。
そうなると、それを使う目の前の相手は神の加護を持っているということになる。
まさか死霊系の魔物が実は神の加護持ちでしたなんて、そりゃ驚くよな。まあ、正確には”生前持っていた”ということになるんだろうけど。
と、そこまで考えた時、俺はある事に思い当たった。
神の加護を持たずとも雷の魔法を使える者がいるのだ、ひとりだけ。
そして、ここはその能力を持っていた人物が命を落とした場所でもある。
という事は……まさか勇者か!?コイツは勇者が死霊と化した成れの果てなのか!?
「マジかよ……。」
だとすれば俺達はとんでもないヤツを相手にしていることになる。
死した勇者の力が生ける勇者(海斗)より上だとは思わないが、かと言って楽に倒せるかと言えばおそらくそうではない。何故なら俺と言う足手まといがいるからだ。
海斗もソフィアも俺をかばいながらでは十分に力が出せないだろう。そのせいで2人が傷つくような状況は避けなければならない。
と言う訳で俺は逃げることにした。2人を置いてひとりだけ。
自分でも情けないとは思うが、現状ではこれが最善の策なのだ。俺のちっぽけなプライドなんかより2人の足を引っ張らないことのほうが重要だ。
そう決断し逃げ出すタイミングを計っていた時、ふと辺りの霧が濃くなり始めたことに気付いた。そして、あっという間に視界が失われてしまう。
「こいつはマズいな。」
方向を見失い戸惑う俺に前にソイツはいきなり姿を現した。勇者の亡霊がだ。
「!」
慌てて逃げようとしたが遅かった。実態は無いはずなのにその腕はがっしりと俺を捕まえてきて身動きすら出来なくなる。
『”器”……ソウカ、オ前ハ”器”ナノダナ。』
亡霊の声が頭の中に直接響いてきた。と言うか、相手の意識がそのまま俺の中に入って来るような感覚だった。
『”力”ヲ収ムルベキ”器”。オ前ガソウナノカ……。』
”器”?なんだそれ?
そんな疑問抱きながらも俺の意識は徐々に遠退いていく。どこか遠くで叫んでいるようなソフィアの声を聴きながら。
「クウヤ!しっかりして、クウヤ!」