36 さよなら
「皇国も直ぐには動けないと思うよ。……空也が上手く胡麻化してくれたおかげで……彼等には僕の詳しい様子までは知られていないからね。」
どうやら空也は、俺とクローデイア達の会話を聞いていたらしい。小屋からかなり離れた場所で話していたのだが、そんなことコイツには関係無い。魔法でどうとでもなるのだ。
「……そうなると、今手を出していいのかどうか……判断が付けづらくるなるだろう。……おそらく、決断するまでには……少し時間がかかるはずだ。」
ひと言ひと言、絞り出すようにして海斗は喋る。その声は聞いているのが辛いほどに弱々しかった。
「だから……大丈夫。……その”時間”が僕達に味方してくれるよ。」
「分かりました。言われる通り、焦らずじっくり考えることにします。
ですからカイトさんはご無理なさらず、ゆっくり休んでいてください。」
まだ時間に余裕があるから大丈夫。ソフィアは海斗の言葉をそう受け取ったらしい。
まあ、確かにそうも聞こえる。しかし……俺には違う意味に思えた。
「そうだぞ。余計な心配しないで休んでろ。」
だが、それを口するわけにはいかなかった。
そんな俺を見て海斗は僅かに表情を動かす。笑って見せたつもりなのだろう。
「そうだね……空也がいれば……後のことは心配ないよね。」
呟くようにそう言うと、海斗はまた眠りに落ちた。
やはりそうか。そう言う意味なのか。海斗の言葉の意図を悟り、俺は愕然とする。
「大丈夫、クウヤ?」
そんな俺を見てソフィアが心配そうに声を掛けてきた。
「ああ、大丈夫。何でもないよ。」
思わず嘘をついてしまった。本当は全然大丈夫じゃないんだが、かと言ってソフィアを心配させるわけにもいかないからな。
身を隠す話は海斗のせいでいったん宙に浮いてしまった。そのため、妙な沈黙が小屋を支配する。
「クローデイア達は……本当にカイトさんを狙ってくるのかしら?」
そんな沈黙を嫌ったわけではないだろうが、ソフィアは誰に問うでもなくそう口を開く。
「こんな風に……弱ってしまっているのに、一体どこにその必要があると言うの?」
さすがに”放っておいても死ぬのに”とは言えないよな。
ソフィアの言うことも尤もではある。だが、彼女は皇国が勇者に抱く恐れをまだ正しく理解していない。
「それだけ恐ろしいんだよ、勇者の力ってヤツが。何しろ邪神と対等に戦えるだけの力なんだからな。
例え病により死を間近にしているとは言っても、それでも怖いんだろうさ。勇者が生きている限り、その恐れは消えやしないんだ。
だから一刻も早く始末してしまいたい、そう考えてしまうんじゃないかな。」
「そんなのって……やっぱり間違ってる。」
突然、叫ぶようにそう言うとソフィアは椅子から立ち上がった。
「私、皆と話して来る。」
「話す?」
「皇国がカイトさん、いえ歴代の勇者に対して何をして来たか。どれだけ酷い事をしてきたのか。それを皆に話して来るわ。
話せばきっと皆も分かってくれる。もうこれ以上カイトさんを苦しめるようなことはせず、そっとしておいてくれるはずよ。」
「いや、ちょっと待て!ソフィア!」
残念ながら、そんな簡単な話じゃないんだよ。
そりゃあ、クローデイア達も悪いヤツ等じゃない。しかし、皇国に忠誠を誓った身でもあるんだ。それは、例え納得のいかない命令であっても拒否出来ない、そういう立場だということだ。
ソフィアのように少しづつ真実へと辿り着いたのであればまだしも、いきなり「皇国は悪だ」などと言われてそれを受け入れられるはずがない。
そう考え止めようとしたのだが、その前にソフィアはさっさと小屋を出て行ってしまう。追いかけて俺が外へと出た時には、既に”転移”した後だった。
「まったく……意外に猪突猛進タイプなんだよな、アイツ。」
俺は大きくため息をついた。
「無茶しなければいいけど。」
皇国を断罪するということは、ある意味反逆とも取れる行為なのだ。最悪クローデイア達を敵に回してしまう可能性だってある。そうなると、ちょっと厄介だ。
まあ、もし仮にそうなったところでソフィアなら上手く切り抜けられるだろうとは思うが……。
『我が行き力添えして来ようか?』
「ソレハ、ヤメテクダサイ。」
ヴィーは鼻息を荒げそう言うが、冗談ではない。ここでヴィーにおかしな真似をされては、丸く収まるものも収まらなくなってしまう。
最悪の場合、加護持ち対加護持ちの戦いが始まり、それにドラゴンが加わるという恐ろしい構図になる。そうなれば、間違いなくハウテルンの町はこの地上から消えて無くなってしまうだろう。なので、余計な波風は立てないようにお願いします。
とりあえずここはソフィアを信じることにして、俺は小屋へと戻った。
やがて夜も更けていく。だが、ソフィアはまだ帰って来ない。多少心配ではあるが、ヴィーが言うにはハウテルン方面に変わった動きは感じられないそうだ。
おそらく話が長引いているのだろう。何せ内容が内容だ、話す方も聞く方も慎重に時間をかけるはずだからな。
そう自分に言い聞かせ、俺は海斗の看病をしながら大人しく彼女の帰りを待つ。
そして、明け方近く。
「……空也。」
海斗が目を覚まし、消え入りそうなくらいにか細い声で俺の名を呼んだ。
「……目が覚めたか。具合はどうだ?」
だが海斗は俺の言葉に答えず、ゆっくりと目だけを動かして辺りを見回す。
「ソフィアは?」
「クローデイア達に会いに行った。」
「そうか……残念だな。」
海斗はそれだけ言って黙り込む。僅かな言葉しか発していないにもかかわらず、既に息が乱れていた。もうそこまで体力が落ちているのだ。
「……そろそろ、なのか?」
平静を装うつもりだったが、意に反して俺の言葉は震えてしまう。
「うん……もう限界らしい。」
「結局……皇国は間に合わなかったな。」
「だから言ったろ?
時間は……僕達の味方だってさ。」
いや、そうじゃない。確かに今回、時間は皇国に味方しなかった。だが、だからと言って俺達に微笑んでくれたわけじゃない。むしろ、より残酷なことをする。
何しろ……俺達から海斗を奪っていってしまうのだから。
海斗が言った”大丈夫”と言う言葉は、無事逃げ延びられることを意味したのではない。皇国が来る前に自分の命は尽きる、そのことを伝えていたのだ。
「僕は……もうすぐ死ぬ。……だから大丈夫。」
「大丈夫なわけがあるか!」
とうとう堪えることが出来なくなり、俺は大きな声を上げてしまう。
「お前がいなくなってしまうんだぞ。俺ひとり残されて……大丈夫なはずないだろう。」
「……ソフィアがいる。」
そう言って海斗は俺に手を差し伸べようとする。だが、既にもう上手く動かせなくなっていた。
なので、俺の方からその手を取る。すっかりやつれてしまった海斗の手には、ほとんんど熱を感じることが出来なかった。
「ソフィアを……守ってやらなきゃ。」
こんな時まで他人のことばかり心配しやがる。コイツは……正しく勇者であり、俺の自慢の弟なのだ。
「……分かったよ。お前を心配させないようにする。絶対にだ。約束する。」
俺の言葉に海斗は笑った。もう表情はあまり動かなくなってしまっていたが、それでも嬉しそうに笑った。気のせいじゃない、俺には分かる。
「この世界……いろいろあったけど……空也が一緒だから……楽しかったよ。
でも、出来れば……もっといっぱい、一緒に……旅をしたかった……な。」
そう言い終えた時、海斗の身体は白い光に包まれた。と同時に、握りしめた海斗の手を通じて俺の中に何かが流れ込んでくるのを感じた。
そのことに、俺は嫌でも理解させられた。とうとう海斗は逝ってしまったのだと。
だが、不思議と涙は出て来なかった。もっと悲しむと自分では思っていたが、どういうわけか胸の痛みすらあまり感じない。
海斗を失った悲しみや寂しさは確かにある。だが、ひとり取り残されてしまったのだという感じがしなかった。
何故だ?俺はそんなに薄情な人間だったのか?
そんなことを考えていた時、俺はふと海斗の手を握りしめたままであることに気が付いた。
ああ、そうか……”コレ”か。”コレ”のおかげか。海斗の遺してくれた”コレ”が俺を包み込んでいてくれるからなのか。
俺は握っていた海斗の手を戻し、布団を掛け直してやった。そして顔を覗き込む。その表情は確かに病でやつれ切っていたものの、どこか満足そうにも見えた。
それから俺はゆっくりと小屋を出る。既に陽は昇り、あたりを明るく照らし始めていた。
その朝日の中、ヴィーは座ったまま身じろぎもせず俺を見つめている。
そんなヴィーに対し、俺は静かな声で語りかけた。
「今さっき……海斗は逝ってしまったよ。」




