第二百三十八話 綾乃のターン
えへへ、えへへと幸せそうに微笑むシオン。いつにない、子供の様な笑顔を浮かべて自身の頭をなでる浩太の腕に抱き着き頬をすり寄せてなんぞしてらっしゃる。そんなシオンの姿に心底嫌そうな顔を綾乃は浮かべて見せた。
「うへ……シオン、マジでやめて。キャラ崩壊し過ぎだから。だれよ、あんた?」
「ふん、キャラ崩壊上等だ。私は欲望に忠実に生きる! こーたぁー、もっとぉー」
「…………マジでやめてって。見なよ、アリアちゃんとリズちゃんの顔。人ってあんな顔が出来るのね、って感じの顔してるから」
綾乃の視線の先ではチベットスナギツネもかくやと言わんばかりの『無』の表情を浮かべるアリアとリズの姿があった。そんな二人はお互いに顔を見合わせる大きく首を傾げて見せる。
「……アリア? あれは誰ですか?」
「……さぁ? 少なくとも私の知っているシオン・バウムガルデンではありませんね」
「そうですね。私の知っているシオン・バウムガルデンでもありません」
「なんでしょう? 今までお姉様には色々と恥ずかしい思いをさせられて来ましたが……今日が一番、恥ずかしいかもしれません」
「……そうですか」
「はい。いえ、良い事なんですよ? お姉様が誰かを好きになり、その方と親密になっている姿は本当は尊いものだと思うんですが」
「分かります。私も、わが師であるシオンが幸せそうなら拍手の一つも送って祝福をしたいとそう思います。思いますが……」
一息。
「「……たまったもんじゃねぇ」」
あれである。両親の仲が良いのは良いが、目の前でイチャイチャされると子供としてはたまったものじゃない、あの感情に近しいと言えば近しい。なまじ、アリアとリズの関係性がシオンに近く――そして、彼女の残念っぷりを一、二を争うほどに見ているから、余計に。
「……おい、お前ら。特にリズ様? 『たまったもんじゃねぇ』とはなんだ。そんな言葉遣いを教えたつもりはないぞ、私は」
相変わらず浩太の腕に『ぎゅ』のまま、シオンがそんなことを宣う。そんなシオンに『うへ』という顔を浮かべるリズ。
「シオンに言葉遣い云々を言われるのは如何なものかと思いますが。まあ、敬語不要の勅許を出したのは私ですが……それにしても、敬うな、と言ったつもりはありませんよ?」
「ふむ。それではこれからは敬語でお話した方がよろしいですか、女王陛下?」
「もう女王ではありませんし、貴方からそんなことを言われると背筋の怖気が走りますのでやめてください。それと……さっきの言葉はアヤノさんに教えて頂きました」
浩太とエリカ、それにシオンのジト目がアヤノに刺さる。そんな視線に、『うぐぅ』と声を上げた後、綾乃がこほんと一つ息を吐く。
「まあ……教えたのは私だ」
「なに教えてるんだよ、お前。汚い言葉を教えるな。一応お前だってお嬢様の範疇だろうが」
まあ、狂犬子狸ではあるが。犬と狸のハイブリッドである。
「お嬢様は関係ないでしょ? ともかく! はい、シオン。シオンのターンはおしまい。次は私の番だから、そこをちょっとどきなさい」
「……いいじゃないか、もう少し。なに、別にアヤノの話の邪魔はしない」
「馬鹿ね」
そういって小さくため息を吐いて――
「惚れた男の腕に、いつまでも他の女がくっついているのが嫌なのよ。邪魔だなんだは関係ないわ」
――潤んだ瞳で浩太を見上げる。その綾乃の変化に、シオンがそっと浩太の腕を離す。
「……ありがと。シオンってバカだけど、頭は悪くないもんね」
「わたしの人生で初めての評価だな、それは。まあ、空気ぐらいは読む」
「いつもそうだと良いのに」
「馬鹿だな、アヤノ。それは浩太の趣味じゃない」
なぁ、コータ? と流し目を向けるシオンに少しだけ頬を染めて浩太が視線を逸らす。そんな浩太の姿に、綾乃の頬がぷくぅと膨らむ。
「……んだよ?」
「さっき言ったでしょ? シオンのターンは終わり! 次は私のターンなの!! なんでそんな頬を染めてそっぽを向く、なんてドーテーくさい事するのよっ!!」
「ど――!! おま、なんてことを言うんだ!! いい歳の女性だろうが!! 言って良い事と悪い事の区別ぐらいつけろ!」
「あー! 年齢の事言った!! それは言っちゃダメなやつでしょ!! 自分だって同い年のくせに!! おっさん!!」
「お前、それ遠回しに自分の事おばさんって言っているからな? あと、シオンさんの事も」
『ぐふ!』とシオンが自身の胸を抑えて膝から崩れ落ちた。完全な流れ弾である。そんなシオンに、少しだけ憐憫の目を向ける綾乃。
「……見てよ。浩太の心のない一言でシオンが天に召されたわよ」
「これ、俺のせいじゃなくね……?」
どちらかと云えば綾乃のせいである。
「私のせいじゃないわよ? 悪いのは浩太のお口だよ! っていうか、ちょっと考えればわかるじゃん? 惚れた男に、『おばさん』なんて言われたらどんな子だってああなるし」
「そ、それは……」
まあ、確かに、ではある。悪いのは浩太というか、デリカシーが無いのが浩太だという話ではあるが。
「だから――」
そういって、綾乃は浩太のネクタイをくいっと引っ張って。
「――そんな悪い口は、こうだぁ」
触れるだけの、軽い、口づけ。
「……? ……!? ちょ! おま――むぅ!!」
「ん……くちゅ……んー……」
では、終わらせない。離れようとする浩太をもう一度ぐいっと引っ張って、先ほどよりも深い口づけを浩太の唇に落とす。
「――っぷはっ!! ちょ、綾乃!! お前、何してんだよ!!」
頬を先ほど以上に真っ赤にする浩太。そんな浩太同様――それ以上、ほっぺを真っ赤にさせたままで。
「――にしし! 私のファーストキスだ! ありがたく、貰っておけ!!」
最高に綺麗な笑顔を、綾乃は浮かべて見せた。




