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第百八十三話 撒き餌と誤算


 ホテル・ラルキアの地上二階の一室に誂えられた会議室。各国の指導者層がラルキア滞在中の国政を指揮する為に作られた部屋だ。その部屋の中央に置かれた円卓に腰掛けて書類を睨むカルロス一世は、トントントンと三度ノックされた扉に書類に注がれていた視線を上げた。

「はいはい。どうぞ~」

「失礼します」

 扉が開くと同時、見知った顔が室内に入ってくる。少しばかり疲れたようなその顔に、カルロス一世は苦笑を浮かべて見せた。

「なんやねん、マリア。そないに疲れた表情して」

 そんなカルロス一世に一瞬恨みがましい視線を向けた後、マリアは深々と溜息を吐いた。

「……疲れるに決まってますやん。テラからラルキアまで高速馬車ぶっ飛ばして休憩なしに一日で来たんですよ? せやのに、息つく間もなく『ラルキア王城に書状を持っていけ』って。しかも、向こうのお偉いさん出てきてえらい気ぃ使うし」

「すまんかったな」

「思うてへんですやろ?」

 マリアのじとーっとした視線に肩を竦めて見せる。マリアの仰る通り、さして思っていないであろうカルロス一世は片手をひらひらと振って見せた。

「今はいっちゃん大事な時期やさかいな。立ってるもんは商人でも使え、言うやろ?」

「聞いた事ありまへんわ、そんなん」

「せやったかな? まあ、そいでもホテル・ラルキアに泊まる、なんて中々出来へんで? そういう意味ではラッキーちゃう?」

「…………まあ、それは……はい」

 商人の中でも『ホテル・ラルキアに泊まる事が出来て初めて一人前』と言われる程、ホテル・ラルキアは超有名ホテルだ。本来、マリア程度の商人では泊まる事の出来ないそれに泊まる事が出来る、というのは商人的には嬉しい事ではある。

「それに、この『案件』が片付いたらご褒美も用意してる。もうちょっと、気張ってや?」

「まあ、乗りかかった船ですし最後までやらせて貰いますけど――って、ご褒美?」

「せや。ご褒美」

「ええっと……聞いてもエエんです?」

「今はまだ内緒。ほいでも、きっとマリアも気に入ると思うで?」

 ニコニコと笑顔を浮かべながらそんな事を言って見せるカルロス一世。『内緒』と言った以上、絶対に教えてくれないであろう事は既に十分理解済みのマリアは肩を竦める事でそれに答えた。

「分かりました。ほいでも陛下? あの持って行った書状、アレがなにやったかぐらいは教えてくれるんでっしゃろ? ヤバいものやったら嫌ですし」

「ヤバいもの?」

「果たし状みたいなヤツやったら、ウチにも迷惑掛かりますやん。サーチ商会、ウェストリアにも支店ありますし」

 出来る事は協力する、と言ってもマリアだってサーチ商会の人間だ。自身の『会社』は守る必要があるし、危ない橋は――今更感はあるも、出来るなら渡りたくはない。

「心配せんでもエエよ。あれは果たし状みたいなモンちゃうわ」

「そうなんです? ほいなら――」

「果たし状そのものや!」

「――心配はって、ちょ! は、果たし状!?」

「せや! がっつり果たし状やっ!」

 サムズアップ。そんなカルロス一世の仕草にマリア、あいた口がふさがらない。

「ちょ、ちょっと! 陛下?」

「ま、そない心配せんでもええよ。少なくともマリア、お前に迷惑かける事は無いし」

「……ほんまでっか?」

「ホンマホンマ。仮に恨まれるとしても、マリアや無くて俺やしな。まあ、そもそもこの一遍でカタが付くとは思うてへんから、今後もマリアにお願いする事にはなるやろうけどな、伝令係」

「……胃が痛いですわ。まだ行かなあかんのです?」

 じとーっとした視線を向けるマリアににこやかに手を振って。

「今回のは言うたら『撒き餌』やからな。今後、何回かやりとりして、ようやくパクっ!やろし。ほいでも、この一回でどんな行動を取るか……ホンマ、楽しみやわ」

 そう言って。



「――精々悩めや、エドワード。悩んで悩んで悩んで……まあ、どんだけ悩んでも無駄やけどな。出口でその首、絡めとって胃の中におさめたるわ」



 カルロス一世は獰猛な『蛇』の笑顔を浮かべた。


◇◆◇◆


 フレイム王国内務局次長、ルドルフは次長職でありながらフレイム王国内務局を実質的に統括している男でもある。元々、内務局の一係長に過ぎなかった彼はロッテの下では確実に出世は出来ないであろう程度の能力ではあったが、先の動乱に乗じて二階級特進を果たして次長職に就いた。なんのことはない、他の俊英達が軒並み職を辞したにも拘わらず彼だけがしぶとく王府にしがみ付いていただけの話ではあるが。ある意味ではサラリーマンの鑑とも言えよう。

「……それで?」

そんなルドルフからフレイム帝国の『建国』の話を聞いても宰相であり、今や内務局長を兼ねるエドワードは眉一つ動かさなかった。その鉄面皮の様な表情に、フレイム王国を裏切った代償に次長の椅子を射止めた面の皮の厚いルドルフですら背筋に冷や汗が垂れるのを覚える。

「そ、その……い、如何致しましょうか?」

「逆に君の意見を聞きたい。如何すれば良い?」

「そ、それは……」

 さしたる能力も、それにビジョンも無いし、不意に問いかけられたその質問に対して当意即妙の答えを返す機転もない。所詮そこまでの人材である事は十分理解し――そして、それが当たり前である事を十二分に納得しているエドは小さく溜息を吐いて手をひらひらと振って見せた。

「結構。後はこちらで処理をする。下がって――」

 そこまで喋り、不意にエドは口を止める。

「――そうそう。本日付で貴方は内務局長に昇進とします。引継ぎ面についてはおいおい書類を回す。下がって結構」

 エドの突然のその言葉に一瞬の困惑の後、顔全体に喜色を浮かべて頭を下げるルドルフにもう一度手を振ると、エドはルドルフからもらった手元の資料に目を落とす。

「……」

 フレイム帝国の建国、並びにファンデルフェンド王国建国、初代国王についての補足、そしてそれに対するソルバニア王国の全面支援。ある種、『よくぞ此処まで』と言わんばかりの早業に呆れるやら感心するやら、少しだけ困った様に肩を落として。

「エド~。明日のパーティーで着るドレスじゃけど、この赤のドレスと青のドレス、どっちが似合うじゃろか?」

 落とすと同時、ノックの音もせずにクリスが部屋に入って来た。両手にドレスを持って首を捻るその姿を愛しく思いながら、エドは鉄面皮の相好を崩す。

「どちらも殿下には良くお似合いだと思います」

「もう~。エドはいっつもそうじゃけん、参考にならんわ」

「本心ですので。ですが、そうですね……赤のドレスの方が今回は宜しいかと」

「ほーん。青じゃなくて?」

「青はエリカ様が好まれる色ですので。あまり『かぶる』のはよろしく無いかと」

「あー……そうじゃな。エリカ様と並んで比べられたらイヤじゃしな~」

「比べられて困るのはエリカ様の方でしょうが。クリス殿下のお美しさで、エリカ様が嫉妬なされたら面倒でしょう? 此処は譲って差し上げなさい。まあ? 完膚なきまでにエリカ様を叩きのめすのであれば青でも構いませんが」

 自分で言いながら、『それはそれで見物だな』とエドは思う。エリカの美しさを否定するつもりは毛頭無いが、それでもクリスとエリカであれば女性としての魅力はクリスの方が格段に上だ。主に何処が、とは言わないが。

「そ、そうかいの? いや~、そこまで言って貰えると照れるんじゃけど……ほいでもエリカ様に恨まれるのは敵わんけん、今回は赤のドレスにしておく」

 はにかんだ様に笑うクリスのその表情に、エドは胸の中が温かく満たされ――同時に、この美しい女性を『男』として育て上げた母国の対応に一層の腹立たしさが募る。

「ええ、そうしておいてください。それはそうと殿下、少しばかりご報告が御座います」

 ふつふつと煮える様な怒りを押し殺し、エドは努めて冷静に言葉を継ぐ。ドレスを持ったまま、きょとんとした表情を浮かべるクリスにエドは笑顔を浮かべて口を開く。

「先程、内務局次長のルドルフがソルバニア王国からの親書を持って参りまし――ああ、そうそう。ルドルフを内務局長に昇格させますが、宜しいですか?」

「……」

「殿下?」

「……ごめん、エド。ルドルフって誰じゃったっけ?」

「能無しです」

「……能無しを局長にするんかいの?」

「私の顔色を窺う能力はピカ一ですので。判子を押す係くらいに思っておいてください」

「そうなんかいの? それはええけど……ほうじゃけど、急じゃな?」

「少々立て込みそうですので。話を戻します。ソルバニア王国の親書は……まあ色々ありますが、要点はフレイム帝国の建国とエリカ様の皇帝即位です」

「……は?」

「エリカ様をフレイム帝国の皇帝に。そしてあのロンド・デ・テラの魔王殿を新たに建国されるファンデルフェンド王国の国王に推挙するとの事です。ソルバニア王国は全面的に賛成。帝都はロンド・デ・テラとし、フレイム王国は変わらずにラルキアを王都として存続致します」

「……そんな事、出来るん?」

「理論上は可能です。まあ、理論上は、ですが」

『皇帝』になる。それ自体は然程難しい話ではない。『皇帝になります』と宣言し、そしてそれに足る領土があれば誰だってその日から皇帝になる事は可能である。ただ一点、『他国がそれを認めるかどうか』という問題はあるが。

「今回はソルバニアが了承をしております。また、ロンド・デ・テラとライム都市国家同盟、ラルキア王国はテラとの間で攻守同盟を結んでいる間柄。表立っての反対は無いでしょう」

 こういう事だ。

「ウェストリアは烈火の如く反対するでしょうが。ローレントも賛成かどうか微妙なラインではありますね。内心、面白くないと思うでしょうが……あそこの国王は機を見るに敏なお方です。内部にいざこざを抱えている現状で、自身の国を犠牲にしてまで戦う事はないのではないかと」

 そう遠くない未来、ローレント王国でお家騒動が巻き起こるであろう事はエドでなくても自明の理である。第一王子はボンクラ、第二王子が優秀であれば起きるべくして起きる問題でもある。生まれる順番が逆ならと思わないでも無いが、こればっかりは仕方がない。

「……整理しましょう。フレイム帝国の建国……『復活』ですが、復活について賛成するであろう国はソルバニア王国。条件付き、或いは消極的に賛成するであろう国はライムとラルキア。反対はウェストリアで、消極的な反対はローレント王国。完全無視はパルセナ、と云った所でしょうか」

「……ウチはどうなん?」

「ウチ?」

「フレイム王国。エド? エドは反対なんかいの?」

「……『フレイム王国』としてであれば、反対する理由はありません」

 アレックス帝爾来、このオルケナ大陸は『フレイム帝国』の、『フレイム家』のものであったのである。帝国を王国とし、その他大勢の国家たちを乱立させてしまったのは決してフレイム家の望んだ事ではなく、時流の流れでそうなってしまっただけに過ぎないのだ。

「失われた大陸を『フレイム』の名のもとに再度結集し、強権を発動する。それはフレイム王国の悲願であるとも言えますから」

「……エリカ様やリズ様がそんなん思ってるとは思えんのじゃけど?」

「彼女たちがどう、では無いのです。『フレイム王国』としての、いわば組織的な意思です。あるいはフレイム帝国の遺志なのかも知れませんが……まあ、ともかくそう言った感情があるのですよ」

 具体的に誰が、という話ではない。そういう空気がある、という話である。

「海上帝国であるソルバニアが自ら皇帝就任を認めてくれると言っているんだ。感謝こそすれ、文句を言う筋合いが無い話ではあります。先程はウェストリアが反対と申しましたが、ウェストリアの反対なんて正直、どうでも良い話でもあります。ソルバニアを敵に回した方が百倍怖いし、厄介ですので」

 わざわざ名誉をやろう、と言っているのにそれを無碍に断る訳には行かない。色々理由を付けて断る事も出来ない事はないが、それをやってしまうと『折角の好意を!』と難癖付けられて、後々面倒な事になる。ソルバニアとウェストリア、どちらがヘソを曲げた方が厄介か、という話である。

「流石『蛇』、と云った所でしょうか」

 繰り言になるが、断る理由は無いのだ。国王と皇帝、どちらが上位の存在であるかはオルケナ大陸に生まれた人間であれば誰だって知ってる事実で、元々自身の手元にあって滑り落ちたそれが、労せずに再び手に入るのだ。断る方がどうかしているのだ、本来であれば。

「そういう言い方するって事は……あんまり良くないんじゃろか?」

「そうですね。帝都をロンド・デ・テラとする、という事は、エリカ様が鎮座するべき場所は此処ラルキアではなく、テラになるという事になります。余所がどれ程栄えようと、やはり皇帝陛下がいる場所は帝都である必要がありますので」

 ニューヨークがどれ程栄えようと、ホワイトハウスはワシントンD.Cから移動しないのと理屈は一緒だ。

「そうなるとこれは、折角籠の中の鳥としたエリカ陛下をむざむざ解き放つという事です。言ってみれば人質ですので、エリカ陛下は」

「……」

「だからと言って、断るのも角が立つ。中々難しい問題ですよ」

「……そっか」

 心持沈んだ表情を浮かべるクリスに、エドが笑顔を浮かべて見せる。

「ですがまあ、方法が無い訳ではないです。ソルバニア王国の言に一々振り回されて差し上げる義理も無いですし、殿下はそんなに心配されなくても宜しいですよ。一応、お耳に挟んでおいてくださいという類の話です」

 内政干渉、と言えば言葉は悪いが、ソルバニアのやっている事は同じ事だ。脛に傷を持つ身、大上段からフレイム王国に利のある事であれば断る理由付けが難しいだろうというカルロス一世の魂胆が透けて見える様な話にエドは浮かべた笑みを深くする。

「私達に害があり、フレイム王国に『利』のあるお話ではあるでしょうが、理由はなんとでも付けれます。ファンデルフェンド王国の設立に難色を示しても良いし、ウェストリアを前面に押し出しても良い。戦争をして、時間稼ぎをしても良いですし。とまれ、方法は幾らでもあります。エリカ陛下をラルキアから出さなければ、こちらの勝ちですから」

 尤も、それすらカルロス一世の策略の可能性もありますが、と胸中で付け加える。仮にも海上帝国の主、こちらが断る事ぐらいは読んではいるだろうし、それに伴う返す刀も持っているのだろうと当たりをつけ、エドは言葉を続けた。

「どちらにせよ、この提案で『決着』とはカルロス一世も思っていないでしょう。これは初手、どういう展開になっても良い様に最善は尽くしますので。殿下は明日のパーティーでエリカ様と逢った際に祝福でも述べて下されば構いません」

 にこやかに笑いながらそういうエド。その言葉に、小さく考え込むようにクリスが視線を中空に飛ばし、そしてその後おずおずと口を開いた。

「その……エド?」

「はい?」

「ええっと……その、な?」

「……どうされました? ゆっくりで構いませんので、ご自分の想いを仰って下さい」

 そう言って、優しく諭すように笑顔を浮かべるエド。その姿に、意を決した様にクリスは拳をぎゅっと握って。



「その……フレイム帝国の件、なんじゃけどな? その……認める、ちゅう訳にはいかんのかいの?」



「……ふむ」

 クリスの言葉に、改めてエドは視線をクリスに向ける。その視線を受け、少しだけ気まずそうに視線を逸らした後、クリスは真正面からエドを見据えた。

「そ、そのな? 最近、エリカ様元気ないがん? ほいじゃけ、ちょっと心配だったんじゃ」

「……」

「え、エドにとってはアレじゃろうけど、私に取ってはその……エリカ様もリズ様も妹みたいなモンじゃ。ウェストリアでの生活より、こっちの生活の方が長いけん、ほんまに大事な妹分じゃと、そうおもっとんじゃ。ほ、ほいじゃけん、元気が無いのは心配じゃし、その、ちょっとぐらいはその……き、気分転換? 気分転換してもエエんじゃないかと思うんじゃけど……」

「……」

「そ、即位の式はロンド・デ・テラでするんじゃろうけど、ほいでもな? ラルキアだってエリカ様がおらんかったら回らん事仰山あるじゃろ? ほいじゃけ、直ぐに戻って来て貰って……そ、その……」

 手を後ろで組み、もじもじと上目遣いで。

「……だ、だめぇ……かい、の?」

 一度野に放った鳥が、鳥かごの中に戻ってくる保証など何処にもない。ばかりか、むざむざ自由の身になった鳥が自分から戻ってくるなど、そんな事は間違いなくない。クリスの言っている事は所詮、身内可愛さの意見で、およそ考え得る限り最低の愚策、否、『策』と呼ぶのも烏滸がましい、ただの願望に過ぎない。そんなクリスの言葉に、エドはやれやれと言いたげに首を左右に振って。




「では、その様に取り計らいましょうか」




 ――カルロス一世は、読み違える。


「え、エエんかいの?」

「ええ。と言うより、むしろ心外ですね。私が殿下、殿下の仰ることを、殿下のご意見を一度でも聞かなかった事がありますか? 私の記憶では一度として、殿下の意思に逆らった事はございませんが?」


 ――本来、エリカをラルキアから出すというのは愚策中の愚策、誰だって現状では取らない策。


「そ、それは無いけど……ほいでも、今呆れた様に首を振ったけん……」


 ――と、思っている。


「クリス殿下が私の事を信用してない様な言動だったので呆れて見せただけです。嘆かわしい話です、まったく」


 ――無論、これはカルロス一世が悪い訳ではない。むしろ、誰だってそう思う、当然で、必然で、偶然なんて入り込む余地のない、当たり前の話。当たり前の話だが。


「し、信用してないわけじゃない! 誰よりもエドを信用しとるで!」

「そうですか。それは、有り難き幸せ」


 ――このフレイム王国の新宰相には当てはまらないという話。


「……え、えへへ……ありがとう、エド! きっと、エリカ様も喜ぶと思うわ! やっぱりエドは私の事、良く分かってくれるな! ありがとう、エド! 大好きじゃ!」

 そう言って華の開くような笑みを浮かべるクリスに。




「――ええ。私も大好きですよ、クリス殿下」




 エドもその鉄面皮を崩し、本当に幸せそうに、笑った。


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