第百八十一話 立たない卵は叩きつけるに限る
机の上のクッキーを摘まんで口に運び『んまいな~、コレ!』とか言ってるカルロス一世。先程落とした爆弾の大きさを知らない――事はまずなく、ともかくインパクトと反比例する様なそんな若干ふざけた行動を取る姿にあうあうと口を上下に開閉していたエリカが、冷静さを取り戻したようにようやっとその口から言葉を発した。
「……へ、陛下?」
「ん~? どないしたん?」
「い、いえ……どないしたん、ではなく……こ、皇帝……で、ですか? そ、その……私が? 私がですか?」
まだきちんと回ってないであろう頭でのエリカの言葉。そんなエリカに、カルロス一世は鷹揚に頷くと口を開く。
「せや。皇帝陛下や、皇帝陛下。フレイム帝国の……何代やっけ?」
「……『帝国』としてのフレイムは五代までです。その後は王国でしたので……」
「せやせや。せやったら、第六代皇帝陛下に即位したらエエやん」
なんでもない様にそう言うカルロス一世。そのまま、クッキーを口に運ぶのも忘れない。食いしん坊、万歳。
「い、いえ! 即位したらエエやんではなくてですね!」
「そないに慌てたらあかんって。きちんと説明するさかい」
ポットからすっかり温くなった紅茶をカップに入れ、一口。口の端の紅茶を舌で舐めてふき取り、カルロス一世は言葉を。
「エリカ陛下? 自分、このまんまでエエの?」
先程までの雰囲気を一転、真剣な眼差しで、言葉を続ける。
「……どういう、意味でしょうか?」
「自分、よその国からどう思われてるか知ってるか?」
質問を、質問で。そんなカルロス一世に、エリカの視線の中に厳しさが加わった。
「……どう、思われていますか?」
打ち返しは、ノータイム。
「『王位簒奪者』」
「……」
「エリザベート女王陛下から王位を奪った人間。その上で、仇敵であるウェストリアの人間を摂政と宰相に迎えた売国奴。あれだけ仲の良かった実の妹を追い出した極悪非道。そのくせ、実権は何もない、ただの傀儡の女王陛下や」
「……それは」
「違うんか? お飾りの女王陛下やん」
カルロス一世の言葉にエリカが俯いて唇を噛み締める。
「……陛下。それは――」
「コータは黙っとき」
「――っ。いいえ、黙りません。流石にそれは言い過ぎです! エリカさんの気持ちも少しはお考え下さい!」
睨みつける様な浩太の視線。その視線を受け、カルロス一世は自身の視線をそっと外し。
「……」
「……陛下?」
「……可愛いカノジョを守りたいのは分かんねんけどな? そういう話ちゃうねんって。それに、俺が言うてる訳ちゃうやん。他の国はこう思うてますよー、言うてんのにそないに親の仇を睨むみたいに見られても困るわ」
うへーっと嫌そうな顔をするカルロス一世。その顔に――正確には『可愛いカノジョ』という単語に一瞬でボンっと顔が赤くなるエリカにますます顔を顰め、カルロス一世は小さく溜息を吐いて見せる。
「エリカ陛下もまあ、随分と安上がりな……ま、エエわ。ともかく、今の『フレイム王国』の――ちゃうか。エリカ陛下に対する他国と、それにウチもフレイムも含めた諸侯の印象はそんなモンや。ほんでな? 人の悪意の籠った噂ちゅうんは中々消えへんのよ。まあ、悪い話の方が足も速いしおもろいからな? ほな、この噂ってどれくらいで消えると思う? 十日か? ひと月か? それとも一年か? いんや。この『悪評』ちゅう名の噂は消える事はあらへん。延々と続くんや」
「……」
「俺が王位を継いだ時も色々ゴタゴタがあったさかいな。もう二十年以上経つのにいまだにグチグチと言われる事もある。エリカ陛下の場合はもっとやろな。もっと、この悪評に晒され続けなあかん。そんなん、イヤちゃう? イヤな事からは逃げるに限るって」
「……イヤとか、イヤでないとか……そういう問題ではありません! 私は……私は第五十二代国王、ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムの第一子、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムです! フレイム王家の人間として、この国を守る義務があります! それ見捨てて逃げるなど――」
「ちょい待ち」
「――できま……え? ま、待て?」
悲痛なまでのエリカの叫びを片手を軽く振って止めるカルロス一世。
「イヤな事からは逃げたらエエ。ほいでも、見捨てるちゅうんちゃうわ」
「……違う、のですか?」
「ま、俺の言い方も悪かったけどな? ほいでも別に見捨てる訳やないねん。つうか、王族の人間が軽々と民と国家を見捨てたらあかんって。そんなの、誰も付いて来てくれへん様になるさかいな」
エリカの視線に興味の色が宿った事に満足した様に一つ頷くカルロス一世。
「そもそも論なんやけどな? エリカ陛下、ジブンが守りたいものってなんやねん?」
「わ、私が守りたいもの?」
「せや。フレイム王国か? 民か? 王都ラルキアか? フレイム王家の誇りか? それとも、自分自身かいの?」
「そ、それは……」
欲を言えば、全部。言外に態度でそう言って見せるエリカに、小さく溜息を吐くカルロス一世。
「いまのこの状態で『全部!』ちゅうんは流石に無理や」
「……」
「ほいでもな? 『王都ラルキア』を捨てれば、他のモノはほぼほぼ全部守れるんちゃうか?」
「王都ラルキアを……捨てる?」
「より正確には、『フレイム王国』の王都はラルキアのまんまや。ほいでもな? 別にフレイム『帝国』の帝都がラルキアである必要はあらへんやろ?」
「……陛下」
何かに気付いた様な浩太の視線。その視線に、カルロス一世は気を良くした様に破顔して見せて。
「せや。フレイム帝国の帝都は、ロンド・デ・テラ。帝都ロンド・デ・テラや!」
◇◆◇◆
「……ロンド・デ・テラが……帝都?」
「せや」
呆然、唖然、愕然。驚愕の表情のオンパレードを繰り広げるエリカを面白そうに見やり、カルロス一世は言葉を続ける。
「フレイム帝国の帝都はロンド・デ・テラ。エリカ陛下はロンド・デ・テラに移り戴冠式及び帝国の首都をロンド・デ・テラにする宣誓を行う。同時に、エリカ陛下はフレイム王国第五十四代国王から退いて貰う。ほんで、第五十五代国王としてフレイム皇帝であり、第五十四代国王であるエリカ陛下からエリザベート・オーレンフェルト・フレイムに『戴冠』して貰う。ソニアから聞いてる。生きてはるんやろ、エリザベート元陛下?」
ここまではエエか? と問うカルロス一世に無言で頷くエリカ。
「取りあえずコレで『王位簒奪者』の悪評は消える……とまでは言わへんけど、少しはマシになるやろ。なんせ、奪った言われた王位をエリザベート陛下に戻したんやからな。ほんで、エリザベート陛下は再び国王陛下としてラルキアに戻り、フレイム王国の政務を取る」
と、そこまで喋りカルロス一世はニヤリと笑う。
「……のが筋やけどもな? 王冠貰いました、ほな! 言うて帰るのも不義理やと思わへん? エリカ陛下とエリザベート陛下……ちゅうか、フレイム王家が仲良しや、ちゅうんはオルケナ中の貴族は皆知ってる事やし。ま、せやから逆にエリカ陛下の『王位簒奪』が一気に広まったところもあるんやけどな。ウチやったら、『ああ、そうなん?』で終わりや」
王冠が血で塗れる事など歴史を紐解く必要が無いほどに当たり前と言えば当たり前の話ではある。むしろ、衝撃を持って受け入れられたフレイム王家の方が珍しいとすら言えるのだ。
「それに、『優秀』な摂政殿下も宰相閣下もおられるやろ、フレイム王国には。陛下が家族の絆をロンド・デ・テラで深めても誰も文句いわへんよ」
「……」
「まあ? そうは言ってもエリザベート陛下が全く政務にタッチしないのもおかしな話やからな? 王府の一部の機能をテラに移したらエエやん。テラにはいろんな所の商会の支店も集まってるし? そこそこ経済も回るんちゃう?」
そこで一息。理解が追い付いているか確認するように浩太とエリカに視線を飛ばす。
「言うてる意味、分かるか?」
「……フレイム『王国』という『イレモノ』に拘るから、話がややこしくなる、と?」
浩太の言葉に小さく頷き。
「正確には『今の』フレイム王国に拘るから、や。空箱にしてしまえばエエやん、フレイム王国なんか」
企業の買収防衛策に幾つか方法があるが、その中の一つに『クラウン・ジュエル』という方法がある。日本語に直訳すると『王冠の宝石』だが、意訳すると。
「……焦土作戦、ですか」
「焦土にする訳や無いで? フレイム帝国にそっくりそのまま、ぜーんぶ移管するだけや。王家は皇帝家に看板を掛け変えるだけの、な?」
こういう事だ。
「……なるほど」
買収に対する防衛策で最も簡単なのはこの『クラウン・ジュエル』であると言われることがしばしばある。新会社を設立し、買収の脅威に晒されている会社の有形・無形の資産をその新会社にそっくりそのまま叩き売れば良く、自らを助けてくれる『ホワイト・ナイト』を探のは手間だし、相手方を逆買収する『パックマン・ディフェンス』はカネがかかる。スキームとしては非常に簡単な方法ではあるのだ。問題点は株主、つまり利害関係者に対する根回しだが。
「……悪い方法ではないですね」
結局、元々の『フレイム王国』の持ち主に損は無いのである。クリスやエドからは当然文句が出るだろうが正直、そんな事は浩太達に取って知った事ではないし、それを強硬に阻止する武力だってクリスやエドは持ち合わせていないのだ。
「……『フレイム王国』に拘らなければ、ですか」
「さっきはああ言ったけどな? 別に余所の国の評判なんて気にせーへんかったらどうでもエエのはエエ。王位簒奪者って別にエリザベート陛下が本気で思うてる訳やないやろうし。せやから、『王位簒奪者』云々はどっちか言うたらおまけやね」
「はい。分かります」
「この方法で、『フレイム帝国』の下に『フレイム王国』がある、ある種の入れ子構造の……まあ、昔のオルケナ大陸の形に戻る。テラにはコータやアヤノ、それにソニアもおる。ベッカーの現会長の妹もおるし、王立学術院の主任研究員もおるねんで? 王府の小役人をちょっとばかし連れてきはったら、十分国として機能するわ」
スタッフ自体は優秀なのだ、ロンド・デ・テラは。言ってみればそこに公的な権限を付け加えるという話である。
「ほいでもな? 流石に帝国の下に王国一個やったら格好もつかへんやん? そんなん、分ける必要ないやん! ってなるわな?」
「……確かに」
「そこで、さっきの『コータの序列をあげる』ちゅう話や。エリカ陛下? ジブン、まだファンデルフェンド子爵家の当主やったよな?」
「え? え、ええ! 一応、ファンデルフェンド子爵位でもあります」
「その子爵位、コータにあげてしまいーな。皇帝陛下誕生のご祝儀や、ぱーっと四階級特進付きで――」
もう一度、ニヤリ。
「――ファンデルフェンド王、コータ・マツシロとかどうや?」
「っ!」
「今なら『おまけ』も付ける。フレイム帝国の皇帝位並びにコータのファンデルフェンド王への即位、ソルバニア王国は承認するで? さっきも言ったけど、皇帝陛下誕生のご祝儀でな? 自分で言うのもなんやけど、ソルバニア王国が認めるんやで? これ、結構ごっつい『おまけ』ちゃう?」
オルケナ中の富を集めるとまで言われたソルバニア王国のそのトップが、フレイム帝国の成立と、浩太の国王就任、つまり新国家の設立を認めると言っているのだ。国家の成立過程で他国の承認こそ最も難しい点の一つである以上、カルロス一世の言う通りこの条件は破格と言っても良い。少なくとも、クリスやエドの『文句』など吹き飛ばすほどには。
「テラとライム、それにラルキア王国は同盟も結んでるんやろ? 諸手を挙げて賛成とは言わんでも、ある程度は認めてくれるんちゃうん? パルセナは金儲けしか興味ないやろうし、ローレントは言うてる間に第一王子と第二王子の間でもめ事が起こるやろ。他国に首突っ込んでる場合やないわ。ゴネそうなのはウェストリアぐらいやけど……今更やろ? お家芸やん、あそことの戦争は」
「……そうですね。確かに、ライムとラルキア王国は認めてくれる可能性が高いでしょう。別段、認める事で不利益も発生はしないでしょうし」
特にラルキア王国は、と胸中で付け加える。カルロス一世の手前言う訳にはいかないが、浩太の手元には『ロッテ暗殺の真犯人』というカードもある。ロッテを疑う訳では無いが、信憑性の点で使いどころが難しいカードであったが、此処で切るのはベターという判断を下した浩太はそのまま視線をカルロス一世に向ける。
「……それで? そのフレイム帝国――敢えて、『連合帝国』と言いましょうか? その連合帝国に陛下、貴方の国は……ソルバニア王国は入って頂けるのですか?」
カルロス一世と浩太の視線が絡む。一瞬とも永遠とも取れる時間、先に視線を逸らしたのはカルロス一世の方だった。
「……皇帝位も、コータの即位も承認する。フレイム帝国との同盟も結んでもエエ。ほいでも……ソルバニア王国が、『下』に付く訳にはいかへん、かな?」
「……」
「別にオルケナの覇権を夢見た訳やない。ほいでもな? ウチの国にも誇り、ちゅうもんがある。帝国崩壊から王国として独立し、ずっと一本でやって来た誇りちゅうんがな。それは俺ら王家の人間だけやない。ソルバニア王国貴族だって、今更『フレイム帝国の下』ちゅうんは……納得できへんのちゃうかな~とは思う」
「……そう、ですか」
「せや。せやから、ソルバニア王国がフレイム帝国の下に入るのは無理や」
肩を落とす浩太。その姿に、カルロス一世は少しだけ申し訳なさそうに目を伏せ。
「……『ソルバニア王国』は、やけどな?」
目を伏せ、ない。悪戯を思いついた少年の様な、キラキラした目を向けて。
「俺、ソルバニア国王を退位しようと思うてんねん。ソニアの所で厄介になろうかな、思うてるんやけど……流石に、無職で娘に養って貰う訳にもいかへんやん? それ、ごっつい格好悪いやん? せやから、食い扶持稼ごうかな~って思うてるんやけど」
ポカンとした表情を浮かべる浩太とエリカを面白そうに見やり。
「――どうやろ? フレイム帝国で『相談役』みたいな役職、作って雇ってくれへん?」




