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第百七十話 たとえ、世界を敵に回しても


 浮かべていた微笑を消し去ったエドをポカンとした顔で見つめながら、エリカは彼の言葉を頭の中で反芻する。


『――『クリスティーナ』・ウェストリア姫殿下の、『幸せ』ですよ?』


 言った。確かにエドはこういったのだ。望むものは、成し遂げたいものは、目的は、クリスの幸せだと、確かにそう言ったのだ。

「……何言ってるのよ、貴方」

 理解したいと思い投げかけた言葉に対して、全力で斜め上の回答。頭に疑問符を浮かべたまま首を傾げるエリカに、エドは淡々と言葉を継いだ。

「額面通りに取って頂いて構いません。私が望むのはクリス様――クリスティーナ様の幸せだけに御座います。彼女が願った事、彼女が望んだ事、彼女が思った事、彼女が成したい事を叶えて差し上げたい。ただ、それだけに御座います」

 そう言ってエドは視線を窓の方に向ける。何かを思い出すようにしばしの沈黙を保った後、もう一度エドは口を開いた。

「ウェストリアは男尊女卑の激しい国です。女性は子供を産む『道具』であり、その地位は著しく低い。この国の様に、女性が女王になるなど認められない国家です」

「……なんの話よ?」

「クリス様が生まれてすぐ、ウェストリアはフレイム王国との戦争に負けました。領土の割譲の代わりに人質を出す事としましたが、当時のウェストリアの王子は二人です。世継ぎは勿論、次子も人質に出すわけには行きません。わかりますよね、貴方なら?」

 問いかけるエドに小さく溜息を吐く。

「世継ぎの『スペア』としてね」

 妾腹の生まれであり、第一王女でありながらリズの『スペア』であったエリカには良くわかる話だ。『ただ生きる』という血のプールが自身の仕事で苦々しく頷いて見せるエリカに、エドは一つ頷いて言葉を続けた。

「そういう事です。だから、ウェストリアは人質としてクリス様を差し出す事にした。したのですが、此処で問題が発生しました。クリス様の性別です」

「……女だったから、ダメだってこと?」

「有体に言えば。ウェストリアはその風土として、『女性』の人質など認めません。女性にそれ程の『価値』はないのです。ただの戦利品でしかないですから」

「……どう言えばよいかしら、私は?」

「思ったことをどうぞ。此処には私しかおりませんから」

「そう。それじゃ遠慮なく言わせて貰うわ。最低ね、ウェストリア」

 唾棄する様にそういうエリカに、にこりともせずにエドは頷いて見せる。

「他国の方から見ればそうでしょう。ただ、まあこれは文化の違い程度の問題でしかありませんので。話を戻しましょう。『女性』を人質に認めないウェストリアに取って女性のクリス様の人質など到底容認出来るものではありません」

「気にしないわよ、フレイム王国は」

「『ウェストリアに取って』と申したでしょう? 我が国には眉を顰める老害も多いですので。幸い、クリス様が人質としてフレイム入りを果たすのは三歳から、それまでは保証金を積む事で話がついておりましたので、クリス様は三歳までに男性としての素養を叩き込まれました」

「……」

「三歳になったクリス様は立派な『男の子』としてフレイム王国へ人質として向かうことになります。幼少時の性別の違いは然程見た目に影響がないのは」

「分かるわ」

「一度誤魔化して仕舞えば、後は延々誤魔化すしかありません。国内の事もありますし。後はエリカ様のご承知の通り、クリス様は『王子』として振る舞われ続けました」

「……」

「クリス様は幼い頃から聡いお方でしたから。国家間のパワーバランスや、自身の立ち位置、ウェストリア国内の世評など、全てを勘案して、王子として振る舞われ続けました。クリス殿下は常に笑っているイメージが御座いませんか?」

「……ある。私もクリス殿下は笑っている――待って。その……もしかして、クリス殿下は貴方の前では泣いて……」

 そんなエリカの質問に、黙ってエドは首を左右に振る。

「いいえ。クリス殿下は私の前でもいつも笑っておられます。自分で言うのもなんですが、私はクリス殿下の唯一と言って良い臣下です。クリス殿下に取って、心から信頼できる臣下は私しかいないと自負しております」

「……そうね」

 クリスとエドの付き合いは最初にクリスが『人質』としてフレイム王国に来てからの付き合いだ。他国の、それも人質となっている国に来て身を寄せ合って生きて来たのだ。一の臣下と言っても異論は出ないだろう。

「昔、言ったことがあるのですよ。『悲しかったら、私の前でぐらいは泣いてもいいのですよ』と」

「……クリス殿下はなんて?」

「何時もの様に笑顔を浮かべたまま、首を横に振られました。『私には悲しいという感情が、良くわからんのじゃ』と。当時は何を仰っているのか分かりませんでしたが、今となれば、そのお気持ちもわかりますから。だって、クリス殿下は――彼女は、クリスティーナを生きていなかったんだから」

「クリスティーナを生きていない?」

「彼女は徹頭徹尾、『クリスティアン殿下』だったんです。クリスティアンとして求められる役割を演じていた、唯の役者に過ぎなかった」

 否。


「――唯の『道化』です。国の、大人の都合で性別を偽らされ、それでも生きていかなければならなかった、哀れで惨めで悲しい『道化』なのですよ」


 クリスの言葉に、エリカは息を呑む。一瞬とも永遠とも取れる静寂の後で、エリカは小さく溜息を吐いた。

「……クリス殿下の境遇については同情する。性別を偽るって言うのはあれだけど……でもね? それは『王族』として生まれた以上、ある程度は払うべき税金の様なモノでもあるのよ? なんでもかんでも自由に出来る王族なんて、そんなにいない……と、思う」

「分かります。エリカ様、貴方だって王城を追われた身ですから。ああ、実態はどうであれ、という注釈は要りませんよ。マリー様だってそうですから。政略結婚だって、言ってみれば道具扱いだ。そんな事は分かっています」

「……なら」

「だが、それで納得するかは別の話です」

 エリカの言葉を遮るよう、エドは言葉を継ぐ。

「クリス殿下は『悲しい』という感情を知る方ではありませんし、決して我儘な方ではありません。人質、という事がそうさせているのか、どちらかと言えば慎み深い方です」

「……」

「そんなクリス様が幼い頃、一度だけ我儘を言った事があります。覚えておられますか、エリカ様? 十年以上前、珍しくウェストリアとフレイムが平和的に講和になった戦争を」

 エドの言葉に、エリカは少しだけ思い出し頭を縦に振る。いつもは喧嘩別れに近い『休戦』なのに、珍しく平和条約が結ばれた戦争が確かにあった。

「直ぐに破談になった記憶があるけど……あったわね」

「まあ、破談になるのは何時もの事ですから。ただ、その戦争の講和を祝して盛大なパーティーがこのラルキア王城で開かれたでしょう?」

「……ああ、あったわね。ウェストリア、フレイムだけじゃなくてラルキア王国やソルバニア王国、それにライム都市国家同盟やローレン王国からも沢山の人が来て……」

「当国のマリー様や、ラルキア王国のジェシカ姫殿下、ソルバニアのソニア姫殿下やエリザベート女王陛下、それにエリカ様、貴方も参加なされていました」

「……懐かしいわね」

 王城の大広間でのダンス・パーティー。美味しい料理に、キラキラとした照明、それにドレスに身を包んだ小さなレディ達が天真爛漫に会場内を掛けて――

「その時に、クリス殿下がポツリと漏らされました。『ええの~。皆、綺麗なドレス着とるの~』と。『私もあんな可愛い恰好、してみたいの~』とね。殿下だってまだ十歳やそこらです。自身の妹や、自身と近しかったエリザベート様のドレス姿に憧れがあったとしても、別段おかしな話ではありません。ああ、一つだけ訂正しましょう。先程は我儘と申しましたが、『我儘』なんて、そんな大層なモノではありません。ただの願望で――ウェストリア王家に生まれた『姫君』であるのであれば、普通に叶う程度の、そんなちっぽけな願いですよ」

「……」

「普段通り『なんての。冗談じゃ、エド』と笑うクリス様を見て、堪らなくなりました、私は。この小さな体で、ただただウェストリアとフレイムの架け橋になる為に生きている、この小さな少女が、哀れで、可哀想で、惨めで、悲しくて――」


 ――そして、愛しくて。


「そんな少女が見せたちっぽけな『願い』を私はどうしても叶えて上げたくなった。ただその少女が、『クリスティーナ』が『クリスティーナ』として生きていける世界を彼女に作って差し上げたかったのですよ」

「……」

「彼女が綺麗なドレスを着たいと言うのなら、そうしましょう。彼女が面白い本が読みたいと言えば、そうしましょう。彼女が美味しい紅茶を、美味しいお菓子を所望するのであれば、用意して差し上げましょう。今まで、架け橋として踏まれ続けた『クリス』を、今度は私が精一杯甘やかして差し上げましょう。何も辛くなく、何も悲しくなく、ただただ自身の好きな事をする生活を、彼女に与えて上げたい」

 だから。

「だから、壊した。クリスティーナ様がクリスティーナ様として生きられないのなら、それはきっと世界の方が間違っているんですよ。なら、そんな間違った世界は無益で、無駄で、不要で、無用です。今のままでクリス様が心から幸せになれないと、真の意味でクリスティーナとして生きることが叶わないと思ったから、私は壊したのです」

「……そんなの……」

「多少の無理も無茶もしました。その上で成り立った不安定な政権ですが、それでも十分です。少なくとも、クリス様はクリスティーナ様として生きていける。死ぬまで『道化』を演じるよりは、幾らかは幸せでしょうから」

「……死んでも良いって、そう言うの?」

「そうは申しませんよ。足掻くだけは足掻くつもりです。ですが、何もせずにただ年老いて行くクリス様を見るのは嫌だったのですよ。だから、動いただけです」

 一種清々しいまでの表情を見せてそう言って見せるエド。その姿が、なんだか奇異なモノに見えて、エリカは重ねて問いかける。

「……それって……貴方に、なんの得があるのよ?」

 誰かの為に動く、というのは労力がいる。しかも、自身の命まで掛けての行動だ。計り知れないメリットが無いと動けない筈だとそう信じ、そう問いかけるエリカに。




「――私は、彼女を愛していますから」




 淡々と。

「世界中の全てを敵に回し、何処の誰から蛇蝎の如く忌み嫌われようと、彼女が私に笑顔を浮かべて下さるのであれば、それだけで私は満足です。得、というのであれば、それが私の『得』ですかね」

 微笑すら浮かべて、そんな事を言って見せるエドにエリカの背中に冷たいモノが走る。いつも通り――否、いつも以上に理知的なモノを湛えた瞳を向けるエドを、エリカは震える手で指さした。

「……貴方……何を言っているのよ?」

 この感情は、一体何なのか、エリカは理解出来ないままに口を開く。

「なに、と申されましても」

「……それじゃ、なに? 貴方はクリス殿下が『綺麗なドレスが着たい』って言ったから、この国を……フレイム王国を混乱に陥れたと言うの? ロッテを殺し、罪もない東通りの人々の生活を奪い、リズを王位から追ったって……そう、言うの? ただ、彼女が笑ってくれるからって……彼女に笑って欲しいからって……そう、言うの?」


 違う、と否定してほしい。


「……ふむ。なるほど、そう言われると確かにそうですね」

「ふざけないでよっ!!」

「別段、ふざけてはおりませんよ? 正確には彼女が幸せであればそれで良いですが……そうですね、確かにきっかけは『綺麗なドレスが着たい』ですから、間違いではありません」

「そんなの、おかしいでしょうっ!」

「そうですか? では逆に聞きますがエリカ様? なんと言いましたか、貴方の想い人……ああ、コータ殿でしたかな? 仮にコータ殿が幸せを望めば、貴方はそれを叶えて差し上げないのですか?」

「そ、それは……」

「出来得る限り、コータ殿の幸せの為に行動するのではないですか? 違いますか?」

「で、でも! だからって……そ、そんなの常識で考えておかしいでしょう! その為に罪の無い人を困らせて、苦しめて、それで良いと思ってるのっ!」

「良いと思っています。正確には、クリス様が幸せならどうでもいい、ですが」

「そ、そんなの……」

「むしろ、理解はしないまでも納得はして頂けるかと思ったのですが。貴方はコータ殿の幸せの為に行動を起こす。私は、クリス様の幸せの為に行動を起こす。ほら? 同じ行動じゃないですか」

 ね? と問いかけるエドに、エリカは反射的に声を上げる。

「お、同じじゃない! 同じの筈がないでしょ!」

 そう。

 同じではないのだ。同じ筈はないのだ。

「そうですか。では、それで結構です」

「そうよ……私とあなたは、違うのよ!」

 エリカの大音声の叫びに、少しだけエドが眉を寄せて見せる。何をそこまで感情的になっているのか、首を捻るエドにエリカは。

「貴方の言っている事は、そんなのは、おかしいのよっ!」

 さらにもう一度、否定の言葉を重ねる。

「……もう分かりましたよ、エリカ様」

 少しばかりうんざりした顔を見せるエドに、エリカは射殺さんばかりの視線を向ける。

「……貴方の考えは間違っているわ」

 人は、常識的に物事を考える生物だ。『常識』で考えて、愛する人の為に、その為だけに迷惑を掛ける行為は決して褒められるモノではない。

「理解して頂かなくても結構です」

「……そうよ。理解なんて出来ないわ。だって……私と貴方は同じなんかじゃない」

 同じではない。

 同じ筈がない。


 だって。


 ――もしかしたら、自身の『愛』の方が薄いかも知れないから。


「……」

『常識』とか『世間体』とか『相手もそんな事望んでいない』とか、そんなお為ごかしで誤魔化して、本当は。

「……おかしいのよ、貴方は」



 ――もしかたら、エドのクリスに向ける『愛』こそが、純度の高い、混じりっ気のない、本当の『愛』じゃないのか、と。



「……間違ってる」

 仮に、浩太が世界の全てを敵に回してでも自身の幸せを求めてくれたら、どう思うだろうか? 自身の為に、自身の為だけに行動してくれたら、果たして自分は少しも、これっぽちも『嬉しい』と思わないのであろうか? 愛されていると、本当に愛されるていると、そうは思わないのだろうか?

「……」

 国を滅ぼし、人を殺し、人の生活を壊してまでの幸せの提供をエリカは望まない。そんな事をすれば、きっと烈火の如く浩太を叱り上げる自身の姿は容易に想像できる。想像できるが――それでも、心の何処か片隅で、きっと自分は『喜ぶ』のだ。


 ――自分の為に、此処までやってくれる。


 嬉しくないはずがない。だって、浩太が、だ。自身の愛する人が、だ。世界と自分を天秤にかけて、自分を選んでくれたのだ。そんなもの、嬉しくないはずがないではないかと、心の何処かでもう一人のエリカが声を上げるのだ。

「……そんなの」

 そんなのは間違ってる。そんな事、言われなくても分かってる。でも、絶対に嬉しい。

「……間違ってる……のよ」

 そして……きっと、自分にはそこまで出来ない。『フレイム王国を亡ぼせば浩太は幸せになれる』と言われても、そんな事は自分には出来ないのだ。

「……どうやら平行線になりそうですな。エリカ様もお疲れの様ですし、本日はお暇させて頂きます。先程の政策案は決定事項ですので、早めに決裁のサインをお願いします」

 そう言って、一礼。エドは音もなくドア口まで歩き、何かを思い出したかのように視線をエリカに向けた。

「そうそう。十日後にロート商会を王城に呼んでおります。クリス殿下が女性の宝飾品を所望しておられますから。その際は是非、エリカ様も臨席頂けますか? 『同性と一緒に、アクセサリーを選ぶ』というのは、昔からクリス殿下の憧れだったようですので」

 返事も聞かず、ドアがパタンと音を立てて閉まる。そんなドアを生気のない瞳で見つめて。


「……こーたぁ……」


 今はただ、無性に浩太の顔が見たかった。


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