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第百六十七話 落日のフレイム王国

ようやく、タイトルにお話が追い付いた。

 

 その場にいる誰もが呆然と見守る中、クラウスがゆっくりと下げていた頭を上げる。それに倣う様、半呼吸遅れてエルも同様に。そうあるのが当然な、まるで一枚の絵画の様なその動きに、クラウスとは逆に止まっていた動きを再び動かしたのはクリスだった。

「……クラウス・ブルクハルト……?」

「夜会で何度かお見掛けした事はありますが、こうやってお話をさせて頂くのは初めてでしょうか、殿下。私、ホテル・ラルキア本館総支配人を務めさせて頂いております、クラウス・ブルクハルトと申します。ウェストリア国王夫妻、並びに王太子殿下のフレイム王国来訪の際にはいつも御贔屓にして頂いております」

 もう一度、丁寧に腰を折る。そんなクラウスを少しだけ忌々し気に見つめ、クリスは口を開いた。

「……ほんで? そのホテル・ラルキアの総支配人様がなんの用じゃ?」

「先程も申した通り、『お迎え』ですよ。本来、ホテル・ラルキアではこういったサービスをしてはいないのですが……まあ、他ならぬ『友人』ですからね。これぐらいはお目溢しを願えれば幸いです」

『あ、これ、内緒ですよ?』と、人差し指を口の前に立ててウインクをして見せるクラウス。その姿に、クリスの頬がひくっと引き攣った。

「なるほど、なるほど。『友人』ね。それで? お迎えちゅうことは、そこにおる『お友達』をホテル・ラルキアに連れて行こう、ちゅう話かいの?」

 一息。


「――これだけ、武器を持った兵士に囲まれている、この場から?」


 囁くようなクリスの言葉に、周りの兵士たちが剣を構え直す『ガシャ』という音が、まるで呼応するかの様に響く。そんな風景をぐるりと睥睨し、クラウスは肩を竦めて見せた。

「まあ、そのつもりですがね?」

「……へえ。面白い事いうんじゃの、ジブン」

「もしや殿下、知らないのですか?」

「……知らない?」

 ホテル・ラルキアは世界中に分館を持つ、超高級ホテルグループであり、顧客の多くは各国の要人だ。その要人達がホテル・ラルキアを愛してやまない理由は、完璧な接客と質の高い食事だけではない。何より、ホテル・ラルキアをホテル・ラルキア足らしめているのはその『安全性』に他ならないのだ。

「『ホテル・ラルキアには如何なる戦闘行為も仕掛けてはならない』は暗黙のルールではないですかね?」

『ホテル・ラルキアに泊まっていれば、戦闘地域でも命は助かる』と信頼されているから、各国の要人はホテル・ラルキアに泊まるのである。無論、それは明文化された法ではなく、自身の国が攻撃を仕掛けないから、相手も攻撃を仕掛けないだろう、という、言ってみれば精々が紳士協定の枠を出ないモノに過ぎない。そして、過ぎないからこそ。

「……」

「良いのですか、殿下? 今此処で我々を……この『ホテル・ラルキアの馬車』を破壊し、ホテル・ラルキアの本館総支配人と、現会長の一人娘を葬ってしまって? 貴方が何を目指しているのかは寡聞にして存じ上げませんが……これ程、手の込んだ事を為されたんです。今後の為にも此処で、ホテル・ラルキアを敵に回すのは得策ではないのでは?」

 その『紳士協定』を破れば、それは自らが紳士では無いと宣言する様なものだ。そんな『組織』、何処の国からも相手にされないのは自明の理である。だから、殆ど妄信的にジェシカの仇討に邁進したラルキア軍ですら、ホテル・ラルキアのダニエリ分館への攻撃は避けたのだ。

「……ほいでもな、クラウス? 私らは既に他の国からソッポ向かれる様な行為をしとるんじゃで? そんな論法、通じると思うかいの?」

 では、元々『紳士』ではない組織ならどうなるか? そんなクリスの問いに、クラウスは微笑みを浮かべた顔を向けた。

「此処で我々を『逃がした』のであれば、最低限の礼儀はあると吹聴して差し上げましょう。他ならぬ『ホテル・ラルキア』が、ね?」

 紳士でないと思われているのであれば、紳士に仕立てあげて上げると、そう言って見せる。クラウスのその言葉に、少しばかりクリスが目を見開いた。

「……私らの味方になる、と言うつもりかいの?」

「いいえ。ただ、敵にならないと言うだけです。また、私は嘘を吐くつもりもありません。殿下が我々を見逃して下さるのであれば」

「事実は事実として喋ってくれる、ちゅうことかいの?」

「そうです。そしてそれは、少なからず貴方達に利する行為ではありませんか?」

「……どう思うかいの、エド?」

 クラウスの言葉を受けて、クリスは振り返りそう声を掛ける。その言葉に、抜身の真剣を思わせる鋭い目つきをした長身の男が兵士の輪から歩みを進め、クリスの隣でその足を止めた。

「……悪くは無い案です。少なからず、我らの心象が良くなるのであれば」

「ほうか? 微々たるモンじゃと思うけどな?」

「確かに。ですが、彼の――クラウス・ブルクハルトの案に乗れば、我々にも確実にメリットがあります」

「メリット?」

「ソニア・ソルバニア、それにアヤノ・オオカワを『大手を振って』逃す事によって、ソルバニア、ラルキアの両王国を無条件に敵に回さずに済みます。取扱いが難しいなら壊してしまえとも思いましたが、無事に運んでくれるのであればそれはそれで良いでしょう」

「……それ、デメリットが無くなっただけじゃないかの?」

「十分ですよ、我々には」

「ほうか……ん、分かった。エド、もうええで。アリガト」

 クリスの言葉に目礼を返すエド。その姿をチラリと見た後、クリスはクラウスに視線を戻した。

「……中々面白い案じゃな」

「お褒めに預かり光栄です」

「じゃが、一個だけ解せん事があるんじゃ」

「と、申しますと?」

「『これ』をする事で、『ホテル・ラルキア』に取ってどれ程のメリットがある? 今の話じゃったら、私らは旨味がありそうじゃし、そっちの皆は命が助かるメリットがある。じゃがな? ホテル・ラルキアの本館総支配人と会長の娘が、わざわざ危険を冒してまでこの場所に来ることに」

 一体、どんなメリットがあるのか、と。

「これを機に、私らに『取り入る』つもりかいの?」

 まるで探る様な、猜疑心の塊の瞳を向けて来るクリスに、クラウスは小さく肩を竦めて。



「友人の命が助かる以上のメリット、必要ですかね?」



 何でもない様に、そう言う。

「…………は」

「……」

「…………はーっははは! なんじゃ? それじゃ、クラウス? お前さん、友達の命を助ける為にこんな危険な事をしたっちゅうんかい?」

「ええ」

「はーっははは! アホじゃな、クラウス! お前さん、ほんまもんのアホじゃで!」

 大口を開け、目尻から涙を流しながらクリスは笑う。微笑みを絶やさずその姿を見つめていたクラウスに、ようやく落ち着いたかクリスは目尻の涙を拭いながら口を開いた。

「……あー……クッククク……いや、すまんすまん。余りにも面白かったけんの。ほうか、ほなソレでええわ」

「ご納得頂けた様でなによりです」

「そうじゃな。その理由ならしっくりくるわ。じゃけん、クラウスの言う事、信じる事にするわ」

「ありがとうございます、殿下」

「ああ。ほいでも面白いの、ジブン。今は無理じゃけど……そうじゃな? ちょっと落ち着いたら、茶でも飲みにこんかいの? 歓迎するで?」

「魅力的なお誘いですね。是非、前向きに検討させて頂きましょう」

「約束じゃで?」

「ええ。それでは殿下? そろそろお暇しても構いませんか?」

「エエよ。どのみち、ホテル・ラルキアの馬車なんか攻撃出来んしな。じゃけん、連れて行ってくれたらエエよ」

 ぞんざいに、犬の子を追うようにしっしと手を振って見せるクリス。その姿に、幾分ほっとした顔を浮かべてクラウスが馬車のゴンドラのドアに手を掛けて。



「――陛下以外の人は、な?」



 その手を、止めた。

「……どういう意味でしょうか?」

「正直、どっちでもエエと思うとったんじゃけど……そうじゃな、さっきの話でちょっと心変わりをしたんじゃ。欲が出た、言うてもエエの」

「……『欲』とは?」

「折角手に入れた『権力』じゃけん、足掻ける所まで足掻いて見ようかと思っての?」

 視線だけで人を射殺せそうな目を向けて来るリズに肩を竦めて見せ、クリスは言葉を続ける。

「クラウスの言葉じゃないんじゃけど、私らは評判がぶーち悪いじゃろ? じゃったら、形だけでも『整えた』方が評判よくなるんじゃないかと思うての? どう思う、エド?」

「……仰る通りに御座います。『簒奪者』であれば評判も悪いでしょうが、『禅譲』であれば、多少は違ってくるかと。まあ……微々たるモノではありましょうが」

「微々たるもんでもやらんよりはマシじゃろ? ほいじゃ、それで決定じゃな! クラウス、陛下だけ残して行ってくれんかいの~?」

 まるで、お使いを頼む様な気軽さで。

「……イヤだ、と言ったら?」

 そんな軽い口調のクリスに、クラウスがそう返答する。

「そん時は馬車ごと壊して皆殺しじゃ。元々、殺すつもりじゃったしの?」

「……」

「なーに、心配は要らんって。陛下に乱暴な事するつもりはないけん。ホレ、言ってみれば御神体みたいなモンじゃ。『フレイム王国の女王陛下がこちら側に居ます!』って言いたいだけじゃけんの。死んでしもうたら、元も子も無いじゃろ?」

 な? とにこやかに笑いながらそう言うクリス。心底楽しそうに笑うその姿に、リズの視線の険が増々険しくなる。

「誰がっ! 誰が貴方の側になど居るモノですかっ!」

「えらい嫌われたの~。ま、そうじゃったらそれでもエエで?」

 肩を竦めて、口の端をニヤリと歪めて。



「――さっきも言ったけど……ほんじゃ皆、死んでくれるかの?」



 そんな残酷な言葉に、リズが唇を噛み締める。クリスを睨み、それでも何かを喋ろうと、リズが口を開きかけた所で。



「――分かったわ」



「……お姉様?」

 エリカによって、開いた口を遮られる。訝し気な表情を浮かべるリズに少しだけ困った様な苦笑を浮かべ、エリカは言葉を続けた。

「クリス殿下。貴方は『陛下』を所望するのね?」

「そうじゃで?」

「フレイム王国の女王陛下としての人間……ううん、肩書を欲するのでしょう?」

「うん? さっきからそう言っとるじゃないか?」

 コクンと首を傾げて見せるクリス。その姿に、我が意を得たりとエリカは微笑み。


「どうしてもリズが――エリザベート・オーレンフェルト・フレイムが『欲しい』訳じゃ、無いんでしょ?」


「……はーん。そういう事かい、エリカ様」

 エリカが何を言わんとしているのか気付いたのか、クリスの口の端が歪む。その顔にエリカも同様に口の端を歪め、そのまま視線をリズに向けた。

「……お姉様?」

「ごめんね、リズ?」

「ご、ごめん? お、お姉様? な、何を?」

 頭に疑問符を浮かべるリズ。そんなリズの頭を撫で、そして。

「なら、それは私でも構わないわよね、クリス殿下? この……」

 一息。




「――フレイム王国第五十三代国王、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムでも」




 リズの頭上で輝くティアラをそっと外すと、自らの頭の上に乗せた。


◆◇◆◇


 エリカの行動に止まっていた時間を動き出させたのは、先程同様にクリスで――先程と違い、けたたましいまでの笑い声でだった。

「――っ! はーっはははははは!! そう来るか、エリカ様っ!」

「そうよ? 唯の御神体なら、別に私でも良いんじゃないかしら? 違う?」

「いいや、違わないな! そうじゃな、エリカ様でも――エリカ陛下でも構わんで! むしろリズ様よりもエエんじゃないかの?」

「恨みつらみを吐き出すリズよりは、余程私の方が与しやすいでしょ? まあ? なんでもかんでも『良し』とはしないけどね? 無抵抗かどうかは保証しないけど」

「なんでもかんでも『悪』と決めつけそうじゃけんの、リズ様じゃったら」

 楽しそうに手を叩いて笑うクリスに肩を竦め、エリカは視線をリズに向ける。

「ごめんね、リズ」

「お、お姉様!? な、何を考えておられるのですか! 私! 私が残ります! この、フレイム王国国王である、私が!」

「『元』よ。今は私が国王陛下」

「だ、誰がその様な事を認めるのですかっ!」

「私よ? フレイム王国『摂政』である私が、陛下に国務を遂行する能力はないと判断しました。私には、『摂政殿下』にはその権限があるわ。だから譲位を受け、私――エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムが第五十三代フレイム国王に即位します」

「そ、そんな……そんなの……」

「……貴方から王位を奪う事になるとは思わなかったわ。重ねて、ごめん」

「そ、そんな事はどうでも良いのです! 危険です、お姉様! こんな危険な所に残す訳には行きません!」

「……ありがと」

 少しだけ笑顔を浮かべ、リズの頭をもう一撫で。今度は視線をエミリに向ける。

「エミリ」

「私も残ります」

「ダメよ」

「エリカ様っ!」

「何があるか分からないでしょ? 折角『幸せ』になれたんだから、少しぐらいは親孝行、して来なさいな」

 なんでも無いようにそう言って、ヒラヒラと手を振るエリカ。

「そんなのっ! 私はエリカ様付のメイドです! エリカ様と幼き頃より共にあった――憚りながら、エリカ様の『姉』を自負した、メイドに御座います」

「……エミリ」

「そんなエリカ様を――可愛い妹を一人残して、私だけ逃げる訳には行きません!」

 エミリの絶叫がその場に響く。その言葉を噛み締める様に聞いて、エリカは微笑みを浮かべて見せた。

「……ありがとう、エミリ。でも、駄目。貴方が私の事を妹だと思ってくれているなら……もう一人の『妹』を宜しく頼むわ」

「……エリカ様……」

「貴方はリズを連れてテラに戻りなさい。これはテラ公爵としての命令です」

「……」

「エミリ? 返事は?」

「…………はい」

 悔しそうに唇を噛みながら、それでもエミリが絞りだす様に言葉を発す。その言葉に、微笑とも苦笑とも付かない曖昧な笑みをエリカは浮かべる。

「……宜しく頼むわね? 私の可愛い妹を。エミリにしか、頼めないんだから」

「……はい」

 エミリの言葉に満足した様に頷くと、今度は視線を浩太に向ける。

「……コータは反対?」

「無論です。無論ですが……でも、きっとエリカさんは私が反対しても押し通すのでしょう?」

「そうね。皆の命が掛かっているんですもの」

「……ならば、無理には止めません」

「無駄だから?」

「貴方の意思を尊重したいのと……後ろ髪を引くような行為をしたくないからです」

 そう言って、浩太はエリカに一歩、二歩と歩みを進めて。


「――え?」


 そのまま、思いっきりエリカを抱きしめる。間抜けな声を上げたエリカがワタワタと手を振って頬を真っ赤に染めて――


「――必ず、助けに来ます」


 ――耳元で囁く様なその声をもっと聴く為、染めた頬そのままで浩太の胸に顔を埋める。

「……うん。待ってる。さっきはあんな事いって大見得切ったけど……ごめん、実はちょっと怖かったりする」

「分かります。本当は是が非でも止めたいし、私が代わりたいのですが」

「コータじゃ意味ないもん。これは王族の……リズの姉で、王位継承権第一位である、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムにしか出来ない事だもん」

「……です」

「皆が生き残る為の選択よ? 貴方、好きでしょ? こういう選択?」

「……そうですね。ですが、主義主張をかなぐり捨ててでも、貴方を連れて逃げ出したいです、本当は」

 そんな浩太の言葉に、少しだけビックリした様に顔を上げたエリカ。それも一瞬、嬉しそうに頬をにやけさせて、再び浩太の胸に顔を埋めた。

「……なーに? あのコータが主義主張を捨ててでも守りたいって思ってくれた訳?」

「……あのコータって。まあ、そうですね」

「私はそれがとても嬉しいわ」

 埋めていた顔を上げ、嬉しそうに微笑むエリカ。見惚れる様なその笑顔に、思わず浩太が息を呑んだ所で。

「……おーい。何時まで惚気とるんじゃ? そろそろ胸焼けしそうなんじゃけど……?」

 呆れた様なクリスの言葉が届く。非難するようなその言葉に、イヤそうに顔を顰めてエリカは『んべっ』と舌を出して見せた。

「分かんない人ね、クリス殿下。イイ所なんだから邪魔しないでよね?」

「……言うな~、エリカ様も。まあ、そないに心配せんでもエエよ。エリカ様に危害を加えるつもりは無いけんの。じゃけん、コータ? 何時までも抱き合っとらんでさっさと離れてくれんかの?」

「……信用しろと仰るのですか、クリス殿下?」

「どっちでもエエよ? 危害を加えるつもりはない、って言ってるだけで、それをどう解釈するかは勝手じゃし、別に信用出来んのじゃったらそれはそれでエエし。でもまあ、信用しとった方が精神安定の為にはエエんじゃないかと思うとるだけじゃ。親切心じゃで、純粋な」

「……」

「な? もうエエじゃろ?」

 クリスの言葉に、渋々と言った風に浩太がエリカからその身を離す。その仕草に満足そうにクリスが頷いた、その瞬間。



「――――えい!」



 エリカが浩太のネクタイをぎゅっと引っ張った。突然のエリカの行動に、思わず前のめりになった浩太の唇に。

「……やるのぉ、エリカ様」




 エリカの唇が、優しく触れる。




「――っ!」

「ふふふ。勇気、貰っちゃった」

 口を押えて真っ赤な顔をする浩太と対照的、頬を赤く染めながら、それでもペロッと悪戯っ子の様な表情を浮かべて見せるエリカ。そんな二人を見つめ、呆れた様にクリスは肩を竦めて見せた。

「……ほれ。それじゃコレで終わりじゃな? もうエエか?」

「そうね。それで――ああ、そうだ。クリス殿下? 私がフレイム国王に即位したらテラまで手が回らないと思うのよね? コータを私の代務にしたいんだけど、良いかしら?」

「……好きにしたらエエで」

「ありがとう」

 スカートの端をちょんと摘まみ、エリカは丁寧に頭を下げて。



「――それじゃ、皆を宜しく頼むわね、クラウス」



 上げた顔には、笑顔が浮かんでいた。


◆◇◆◇


「……申し訳御座いません」

 エリカに見送られる様、発車させた馬車内に満たされた沈痛な空気を破ったのは、クラウスの言葉だった。

「なぜ、クラウスさんが謝るのですか?」

「その……私がクリス殿下を煽る様な事を言ったばかりにエリカ様を危険に……」

「そんな事はありません。クラウスさんがおられなければ、皆あの場で殺されていたでしょうから」

「ですが……」

「謝罪は良い、クラウス。私らはお前に助けられた、それは事実で、そんなお前が悪い訳が無いだろう」

 尚も言い募ろうとするクラウスをシオンが制し、そのまま口を開く。その言葉に一つ頷き、浩太が口を開いた。

「シオンさんの仰る通りです。私達は貴方に助けられたんだ。感謝する事ありこそすれ、謝られるのは違いますよ」

 そう言って、浩太はじっと右手を見つめると、その手をぎゅっと握りしめる。

「……それに、私は諦めるつもりはありませんよ? 必ずエリカさんを助け出しますから。このままでは済ませません。必ず……どんな手を使っても」

「なーに? 浩太らしくない言葉じゃん? 『必ず』なんて強い言葉。『最善』くらいでしょ、アンタのキャラなら」

「茶化すなよ、綾乃。最善なんかじゃ生ぬるい。必ず、助けないと……いや、助ける。助け出す」

「……ま、囚われのお姫様を救い出すのは召喚された勇者のお仕事ですもんね」

「手伝ってくれるか?」

「当然でしょ? 私だってエリカに命を救われたんだし。恩は恩で返すわよ」

「わ、わたくしも! わたくしもお手伝いします、コータ様!」

「無論、私もだ」

「わ、私もです!」

「……私はエリカ様付のメイドに御座います。この命に代えても」

 綾乃に続くよう、シオン、アリア、そしてエミリが口を開く。その姿をじっと見つめていたリズが、浩太に向き直った。

「……松代様」

「陛下」

「もう陛下ではありません。ただのリズです。そして、ただのリズとしてお願い申し上げます。勿論、私も戦います。戦いますが」

 そう言って、丁寧に腰を折る。



「――どうか、私のお姉ちゃんを……助けて……」



 震える肩に、涙声。そんなリズから視線を外さず、浩太は力強く頷いた。

「――必ず」

 その言葉に、馬車内に漂っていた空気が少しだけ弛緩した。状況は好転してはいないが、方向性が固まった事に幾分気が楽になったか、シオンがポンと手を打って見せた。

「そうなると後は方法だが……そうだ! クラウス、お前、さっきクリス殿下にお茶に誘われていたな?」

「お茶にって……あれは社交辞令だろ、シオン?」

「そういう社交辞令は嫌いな方だからな。つまり、お前はクリス殿下に気に入られたという事だ」

「……そうなの? 喜んでいいのか悪いのか、微妙な所だけど……」

「あの人は才ある人間を愛すからな。それ自体は誇っても良い。だからな、クラウス?」

 そう言って、イイ笑顔を浮かべるシオンに、御者台からゴンドラを振り返ったクラウスは。



「お前、お茶会で殿下を誑し込め!」



 ゴン、っと鈍い音を立てて御者台に頭を打ち付けた。

「……た、誑し込めって……シオン? 何言ってるの!?」

「殿下のあだ名は聞いた事があるだろう? 『二刀流』だ。才のあるものであれば、男だろうが女だろうが関係ない!」

「今、真面目な話をしてるんだよねぇ!」

 クラウスの絶叫が馬車内に響く。そんなクラウスをチラリと見つめ、深々とエルが溜息を吐いた。

「……クリス殿下を誑し込むなど、そんな事は認めません。クラウスお兄様の『嫁』として、浮気は許しません」

「……いや、エル? 流石に私も男性は――うそうそ! 女性も! 女性にも浮気はしないよ! しないから、そんな睨まないで! こ、コホン! そ、そもそも浮気はしないよ? しないけど、男性はもっと――」

「は?」

「――浮気は……って、『は?』? どうしたの、エル?」

 ポカンとした顔をして見せるエルの姿に、クラウスが訝しんだ様な表情を浮かべて見せる。そんなクラウスをマジマジと見つめ、エルは口を開いた。

「……私は、幼い頃よりずっとお兄様を見て、見続けております。お兄様が嬉しい日、お兄様が疲れた日、お兄様が悲しむ日、その全てを、ある時は玄関で、ある時はリビングのドアの陰から、ある時は天井裏から、ずっと見つめ続けておりました」

「……今、なんだか聞き捨てならない言葉が聞こえて来た気がしたけど……うん、続けて?」

「そんな私は、お兄様に関しての……そうですね、ある種の『勘』に関しては一流と自負しております。俗に言う、『女のカン』というやつです」

「……ええっと……はい?」

 エルが何を言いたいか分からない。そんなクラウスの表情をじっと見つめ、エルは言葉を続けた。

「私の『女のカン』に拠れば、あの時のクリス殿下のお兄様を見る目は、若い女性がお兄様に色目を使う時と同じ視線でした。『この男を欲する』という、『女性の目』です」

「女性の……って……え?」

「なぜそうなるのか、どうしてそうしているのか、皆目見当が付きませんが」

 そう言ってエルは馬車内を睥睨して。



「――きっと、クリス殿下は『女性』です」



◆◇◆◇


「……行ったわね」

 浩太達を乗せた馬車が城門を走り過ぎるまで見送っていたエリカは、そう言って溜息を吐く。その後、やれやれと云った風に首を左右に振ってクリスに向き直った。

「……で? 『人質』になった私をどうする気?」

「どうもせん……というと語弊があるんじゃが、まあ取り敢えず心配せんでもエエよ。エリカ様に危害を加える事はせんから」

「あら? 意外に紳士的ね?」

「別に紳士的な訳でも無いんじゃけど……まあ、アレじゃ。エリカ様にもそうじゃけど、アンジェリカ様にもリーゼロッテ様にもお世話になったけんの。その二人の『娘』を粗略に扱う訳には行かんじゃろ?」

「情けは人の為ならず、って言うのかしら、こういうのも? 別に私が何かをした訳じゃ無いけど」

「エリカ様が相続人じゃろ? 有り難く受け取ればええがん」

 そう言ってクリスはニカっと笑って見せる。その邪気のない笑みに毒気を抜かれた様にエリカが小さく嘆息して見せた。

「……なんだか調子狂うわね、貴方と話していると」

「そうかいの? 普段通りのつもりじゃけど?」

「普段通りだからよ。こんな異常の状況でいつも通りって……貴方、どれだけ肝が据わってるのよ?」

 ジトッとしたエリカの視線に、『いや~照れるの~』なんて言いながらクリスが頭を掻く。なんだかアホらしくなってきたエリカは、深い溜息を吐きながら言葉を継いだ。

「それで? 粗略に扱う訳じゃ無いのは分かったけど、私をどうするつもり? まさかラルキアを自由に歩き回らせてくれる訳じゃ無いわよね?」

「流石にそれはちょっと難しいけん、取り敢えず私らが住まわせて貰っとった部屋で生活して貰おうかの? 三食昼寝付きで過ごしてくれたらエエけん。国王陛下として……そうじゃな、私を摂政かなんかに命じてくれたらエエわ」

「……」

「ん? どうした? 信用出来んか?」

「いや……まあ、今この場で信用できる、出来ないって言ってもどうしようも無いから、そんなつもりは無いんだけど……」

 そこで言葉を切る。少しだけ悩む素振りを見せ、それでも意を決した様にエリカは口を開いた。

「その……いいの、摂政で?」

「どういう意味じゃ?」

「千年前、アレックス帝はチタン帝国の第三皇女であるエレノアとの婚儀によりチタン帝国を共同統治したわ。その……つまり……」

 言い難そうに言葉を選ぶエリカ。その仕草に首を捻っていたクリスだが、正解に辿り着いたのか、ポンと手を打ってニヤっとした笑みを浮かべて見せた。

「……ああ、なるほど。そういう意味かいな。アレじゃな? 『私と結婚しませんか?』っていう、エリカ様なりのプロポーズじゃな?」

「ば! そ、そうじゃないわよ! そうなったらイヤだから! 全力で拒否するっていう宣言よ!」

「いやー、照れんでもエエで、エリカ様。そっか、そっか。そんなに私の事が好きだったんじゃな、エリカ様」

「ブッ飛ばすわよ!」

 顔を真っ赤にして反論するエリカ。その姿を面白そうに見やりながら、クリスは気まずそうにポリポリと頬を掻いて見せた。

「あー……その、じゃな? エリカ様の気持ちは嬉しいんじゃけど……一個謝らんといけん事があるんじゃ」

「だから! 別に私は――え? 謝る事? なに? 今回の一連の騒動について?」

「謝っても許して貰えそうにない事は謝らん主義じゃ。そうじゃなくての……ええっと……『名前』の事なんじゃ?」

「名前? 名前って……クリス殿下の?」

「そう。そのな? ほら、私はずっとクリスティアン・ウェストリアって名乗っとったじゃろ? 実はな、その……アレ、偽名じゃったんじゃ」

「……は?」

「ごめん、エリカ様! 私な? 本当はクリスティアン・ウェストリアじゃなしに」

 そう言って、思いっきり頭を下げて。




「――クリスティーナ・ウェストリアちゅう名前なんじゃ!」




「………………は?」

「じゃから、エリカ様。折角のプロポーズじゃけど、お請けする訳には行かんのじゃ。ホレ、フレイム王国って、重婚は認めても、同性婚は認めて無いじゃろ?」

「……え? って、ちょ、ちょっと待って!? クリス殿下がクリスティーナで……っていうか、同性婚!?」

 クリスの突然の告白に、目を白黒させるエリカ。その姿に、クリスはこの日一番の笑顔を見せて。




「ごめんな、エリカ様。私……実は、『女』じゃったんじゃ!」




 そう言って、親指をぐいっと立てて見せた。


百六十七話を持ちまして第三章終了になります。第四章は最終章!

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