第百六十四話 あなたのために、したいこと
「お、落ち着きなさいアリア! ど、どうしたのですか!」
浩太の胸で『お姉様が、おねえさまが……』泣きじゃくるアリアの肩にそっと手を置いて、リズが優しく微笑みかける。しばし『えぐ、えぐ』としゃくりあげていたアリアであったが、尚も優しく頭を撫でる手に少し落ち着いたのか、瞳に涙をいっぱい溜めてリズを見上げた。
「お……おねえさまが……」
「シオンが?」
「『忘れ物がある』って……一人で……学術院に……」
しゃくりあげながら、それでもなんとかそういうアリアに、リズが驚愕に染まった表情を浮かべ、その後その表情は焦燥と――そして、怒りへと変える。
「な! が、学術院に!? 何を考えているんですか、シオンは!」
学術院は目指す目的地である玉間とは正反対、しかも王城の入口付近。それはつまり、今、最も戦闘が行われている『戦場』であるという事で。
「……あそこにはお姉様の研究成果が――『生きた証』があります。ですので……その、それが無くなってしまうのは耐えがたい事であるというのは……一研究者としても、理解はできます」
悔しそうに唇を噛み締めるアリア。その姿に、血が頭に昇った勢いそのままにリズが語気を荒げた。
「命に代えれるモノでは無いでしょう! アリア、貴方も何故止めなかったのですか!」
「止めましたよ! 危ないって、一緒に逃げようって、そう言って止めたに決まってるじゃないですか!」
反論が来るとは思っていなかったのか、リズが驚いた様に目を丸くする。その姿に、はっと気づいた様にアリアが慌てて頭を下げた。
「も、申し訳御座いません、陛下!」
「あ……いえ。そうですね。貴方がシオンを止めない筈がないですね。こちらこそ謝罪を、アリア。私も少し冷静さを欠いておりました」
そう言って小さく顎を引くリズに、もう一度アリアが頭を下げる。しばしの後、ようやっと上げた顔には悔恨の情がありありと浮かんでいた。
「……私達の研究は、一朝一夕で出来るモノではありません。何度も実験をし、データを取り、レポートを書き上げ、試行錯誤をして……そうしてようやく結果を導き出せるモノです。失えば、二度と取り戻せないモノもあります。十五でラルキア大学に学び、学術院の門を叩き、主任研究員まで登り詰め……そして、長い時間を過ごしたお姉様に取ってあそこが失うのに忍びない場所である事も分かります。分かりますが!」
研究とは日々の愚直な積み重ねの上で、ようやく結果が出る類のモノである。研究にどっぷり漬かった、シオンやアリアなどの学術院の人間に取って仕事であると共に『生きがい』でもあるのだ。
「……だからって」
「……学術院の中には、研究成果があれば死んでも惜しくないという人間もいます。その気持ちも、分からないでもないです。ないですが……でも、私は……」
涙を湛えたままのアリアを、リズはそっと抱きしめる。どうしたら良いか、困った様な表情そのままの視線を浩太に向けた。
「……松代様」
まるで縋りつくようなリズの瞳。その視線に息を呑んだのは一瞬、浩太は諦めた様に苦笑を浮かべてゆるゆると息を吐いた。
「……陛下もアリアさんも、玉間までの道は分かりますね?」
「……はい」
「……ええ」
「現状では恐らく、後ろからの追撃に備えていれば良いと思われます。お二人はただ前を向いて玉間に走って下さい。エリカさん達が居れば、一緒に逃げる事。イイですね?」
「……宜しいのですか?」
「どの道、此処で見捨ててさっさと逃げるという選択肢は、少なくとも今の私にはありません。まあ、見つけたら怒鳴り散らしてやろうかとは思ってますが」
「松代様が?」
「普段はしませんけどね。まあ、シオンさんですから」
そう言って肩を竦める浩太に、リズが小さく微笑みを浮かべる。それも一瞬、浩太に向かって丁寧に頭を下げた。
「……大変、申し訳御座いませんが……私の師匠とこの子の『姉』を、どうぞ宜しくお願いします。ですが、何よりもご自身の安全を重要視して下さい」
リズ同様、慌てた様に頭を下げるアリアに肩を竦めて見せて。
「――任されましょう。何処まで出来るかは分かりませんが」
◆◇◆◇
「シオンさん!」
「ん? おお、コータか。何をしている? 此処は今、危険な状態だぞ? さっさと逃げろ」
運良く『敵』に見つかることなく学術院まで走り抜けた浩太は、飛び込んだ研究室で『あーでもないこーでもない』と言いながら本棚や机をひっくり返すシオンの姿を見た。
「何をしているって……いや、それはこっちの台詞ですよ! 何をしているんですか、貴方!」
正直、浩太だって相当焦っていたのだ。ようやく見つけたシオンの姿にほっと一息吐いたと思ったら『何をしている?』である。ちょっとだけイライラしながら、浩太はズカズカとシオンに歩み寄るとその手を掴んだ。
「おい! 此処は研究員以外は立ち入り禁止だぞ!」
「そんな事言っている場合ですかっ! いいからシオンさん! 早く逃げましょう! 此処は危険ですよ! さあ、早く!」
「危険?」
そんな浩太の言葉に『ん?』と言わんばかりに首を捻って見せるシオン。その後、『やれやれ』と言わんばかりに首を左右に振って見せた。
「……何が嫌いってコータ、私は『そんなに煙草ばっかり吸っていたら病気になりますよ!』と怒られる事程、嫌いな事は無いんだ」
「なんの話ですか!」
「だから! 煙草が決して健康に良くない事など、一々指摘されんでも十分に分かっている。『えー! 煙草って健康に悪いのか?』とでも言うと思っているのか、馬鹿め。そんな事は知っていながら、それでも止めれんから煙草を吸っているんだ」
「だから、なんの話ですか! それ、今関係ありますか!?」
「分からん奴だな。此処が危険な場所だという事ぐらい、百も承知しているという話だ。一々コータ、お前に指摘をされんでもそんな事は重々承知している。承知して、それでも敢えて此処に居るんだ、私は」
そう言って、堂々と胸を張って見せるシオン。その姿に、一瞬『あれ? 俺が間違ってる?』と呆気に取られた様にポカンとした後、はっと何かに気付いた様に浩太は捲し立てた。
「胸張って何をしょうもない事言ってるんですか! 此処が危険って分かっているなら、さっさと逃げるべきでしょう! 子供でも分かりますよ、そんな事!」
「そういう訳には行かん。まだ『忘れ物』を見つけて無いからな。くそ! こんな事なら、アリアのいう事を聞いてきちんと整理整頓して置けば良かった」
「シオンさん!」
「ともかく、コータ。逃げるなら勝手に一人で逃げれば良い。今ならまだ逃げ切れるだろうしな。何、心配するな。死ぬつもりは無いし、目当てのモノが見つかれば直ぐに逃げる。邪魔をするな」
浩太から視線を外し、そのまま彼女のいう『忘れ物』の捜索に戻るシオン。浩太の焦燥やアリアの気遣いなど一切気にした風もなく、いつも通りの『我儘』を貫き通す、そんなシオンの姿に無性に腹が立ってきて。
「――いい加減にしろ!」
浩太の怒声が、広い研究室内に響いた。
「皆、心配しているんだぞ! 『死ぬつもりはない』? 誰だって死ぬつもりはねーんだよ! 陛下も、アリアさんも心配しているんだ! どれだけ研究成果が大事か知らねーけどな! 命に代えてまで守る程の物じゃないだろう! 玉間で二人が待ってる! いいからさっさと逃げるぞ、シオン!」
何時にない浩太の激しい怒声と、罵倒。それに、先程の浩太同様ポカンとした顔を浮かべて――
「…………研究成果?」
その後、不思議そうに首を捻って見せるシオン。少しだけ拍子抜けするようなそんなシオンの姿勢に、先程までのトーンはナリを顰め、浩太も訝し気に言葉を継いだ。
「……違うのかよ? 此処、シオンの研究成果が残っている大事な場所なんだろう? だから、それを取りに来たんじゃねーのかよ?」
「……まあ、否定はせん。ラルキア大学時代からちょくちょく遊びにも来ていたし、奉職してからは殆ど研究室住まいだったからな。そういう意味では此処は私の城とも、家とも……そうだな、思い出の場所とも言えない事もない」
「だろ? だったら……」
「だが、まあそれはそれだ。確かに失ってしまうには惜しい大事な研究成果もあるにはあるが……既に導き出した答えだぞ? 仮に失われたとしても、言ってみればそれは一度完成したパズルを壊すようなものだ。『出来た』という実績があれば、もう一度作り直すのは幾分か容易だろう。確かに、此処の施設でしか出来ない研究というのもあるにはあるが……どうしてもその答えを導き出したければ、何処かで施設を拵えれば良い。ラルキア王国辺りは喜んで金を出してくれるんじゃないか? あそこは優秀な研究者を欲していたからな。ソルバニアだって、ローレントだって、何処だって研究は出来る」
「……えっと……」
「つまりは、そういう事だ。少なくとも、今の私には自身の命と引き換えにしてまで守らなければならない様な『研究成果』は此処にはない。ああ、勿論研究が大事ではないという訳じゃないぞ? ただ、失われたならもう一度作れば良いじゃないか、という気概であるというだけの話だ。お前と一緒だ、コータ。私は『努力』は苦手では無いからな」
そう言って笑うシオン。その姿に、何がなんだか分からなくなり困惑する浩太。
「……じゃあ」
「うん?」
「……じゃあ、なんで逃げないんだよ? 忘れ物、あるんじゃないのかよ? それって研究成果の事じゃないのかよ?」
「……」
「……」
「……あー……うん、まあ……その、なんだ」
なんだかとても言い難そうに、もじもじとするシオン。明後日の方向を向いて、『ぴゅーぴゅー』と下手くそな口笛を吹いて見せるその姿に、浩太の視線の温度が徐々に下がっていく。
「……おい。もしかして、もっとしょうもない事じゃないだろうな?」
「……」
「おい!」
「しょ、しょうもない事ではない! 無いが……そ、その……」
本当に言い辛そうに、視線を外すシオンにジトッとした浩太の視線が突き刺さる。なんとかその視線から逃れようとし、あちらこちらに目をやった後、シオンは諦めた様に溜息を吐いた。
「……アレイア文書だ」
「……アレイア文書?」
「そうだ。忘れ物……というよりは、探し物だな。アレイア文書を探していたんだ」
「……ちょっと待ってくれ。シオン、アレイア文書を『読めない』って言って無かったか?なにか? それは文化的価値があるとか、そういう意味か?」
「研究資料として一級ではあるし、文化的価値もある。あるが」
そうではなく、と言って照れ臭そうに頬を掻いて。
「その……それがあれば、もしかしたら『帰れる』かも知れないだろう?」
お前とアヤノが、と。
「……は?」
「私が調べた研究なら良い。『控え』は頭の中に入っているとまでは言わんが、ある程度は思い出す事も出来るしな。だが、アレイア文書に関しては無理だ。コータ、お前の言う通り私はアレイア文書が読めないからな。内容も分からん。分からんが、アレイア文書の中には『アレイアの遺産』の取扱い説明が入っていたんだ。もしかしたら、設計図もあるかも知れんだろう? 現に、アリアはアレを見ながらアレイアの遺産を直していたんだし」
「……」
「本当は『アレイアの遺産そのもの』を運べれば良いが……それは中々、サイズ的に難しいだろう? だから、設計書と説明書を兼ねるアレイア文書を探していたんだ」
「それって……なにか? その……俺らを向こうの世界に返す為に、シオンが危ないおもいをしてまで探してるって事か?」
「……」
「……なんだよ?」
「いや、そう言われるのがイヤだから黙っていたんだ。そして、コータ? お前はこう言うんだろう? 『そんな事の為にこんな危険な事をしたのか!』って」
「……」
シオンの言葉に、思わず言葉に詰まる。純粋に、シオンが自分と綾乃を返す為の手段を確保してくれようとしてくれた事は嬉しいのだ。嬉しいのだが。
「……いいんだよ、俺らは。綾乃も俺も、この世界で生きて行くのにそこまで痛痒を感じてる訳じゃねーんだから」
「ほら、言った」
「『ほら、言った』じゃねーよ!」
「お前ならそう言うと思った。だがな? 私は昔言っただろ? 『お前を幸せにする』と。今はある程度幸せかも知れんが……それでもある日、お前があちらの世界に帰りたいと思った時、帰れないのは困るだろうが?」
「……」
「違うか?」
「……違わない。違わないけど……シオンに命を懸けてまでして貰いたいとは思ってない。シオンが生きてくれてる方が……その……う、嬉しい」
「……」
「……なんだよ」
「……バカ。そういう事を言うな。嬉しくて惚れ直すだろうが」
耳まで真っ赤にしてそう微笑むシオン。ふんわりと優しいその笑みに、思わず浩太も頬を赤くする。
「……ん。まあ、ともかく、だ。私はお前を幸せにしたいんだ。他ならぬ、私の為にだ。さて、それでは捜索を再開する」
そう言って、まるで照れ隠しの様に浩太から視線を切って捜索を再開するシオン。その姿を呆れた様に見つめ、浩太も小さく溜息を吐いた。
「……なんだ?」
「俺も――」
一息。
「――いえ、私も一緒に探します。その方が早いでしょう」
「おや? 『タメ語』はもう止めか?」
「……悪かったですよ」
「別段、気にしてない。というかだな? むしろお前と私は同い年なんだし、普通に話してくれれば好いんだぞ?」
「向いてないんですよ、タメ口」
「アヤノにはタメ口なのに?」
「……随分絡みますね? 口より手を動かして欲しいんですが?」
「分かれ。なんだが区別されてる様で若干気分が悪い」
「……まあ、前向きに善処します。それより――」
そこまで喋り、浩太の手の動きが止まる。その動きに、訝し気な表情をシオンが浮かべて見せた。
「コータ?」
「……」
「……どうした?」
「いえ……あの、シオンさん?」
そう言って、浩太はそっと手に持った本を持ち上げて見せる。
「ええっと……『これ』ですよね?」
「これ……おお、そ、ソレだ! 何処にあった、コータ!」
「いえ、何処に有ったって……」
そう言って、浩太はシオンの目の前に堆く積まれた本、その一番上を指差した。
「……思いっきり、『ポン』ってシオンさんの目の前に置いてあったんですけど?」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……コメントのしようが無いんですが」
「……」
「……シオンさん?」
「……あ、あはは」
ツツツと視線を逸らすシオンをじとーっとした目で見つめる浩太。が、それも一瞬。小さく溜息を吐くと浩太は口を開いた。
「……まあイイです。いや、なんで目の前にあるのに見つからないんですかとか、貴方部屋の中の物は何処に何があるかすぐ分かるって言ってたじゃないですかとか、ホラだから部屋は片付けた方が良いでしょうとか……言いたい事は腐る程ありますが」
「そ、そこまで言わなくても好いじゃないか! っていうか、全部言ってる!」
「ありますが! ともかく、何時までもこんな所に居ても仕方ありません! さっさと逃げますよ!」
そう言って、浩太は手元の本を脇に抱え入口に向かおうと歩みを進めかける。と、そんな浩太の袖をきゅっとシオンが掴んだ。
「? シオンさん?」
「何処に行くんだ、コータ?」
「何処にって……目当てのモノはもう見つけたでしょ? さっさと――」
「いや、そうじゃなくて。お前、普通に入口から出てみろ? 一発で見つかるぞ? お前はしっかりしている様で、そういう所が抜けているな?」
君は実にバカだな~と言わんばかりのシオンの言葉に若干『カチン』と来ながらそれでもシオンの言っている意味が分からず、首を捻る浩太。その姿をチラリと見やり、シオンは足元の床を踵でカンカンと二、三度叩く。
「……何してるんですか?」
「……学術院の仕事は激務だ。私はした事がないが、昔は数日から数十日、研究員を缶詰にした上司も居たそうでな」
「……それが?」
「だから……と、此処だ」
歩き回り踵を打ち付け、カンカンという音が軽い音に変わった事にシオンが大きく頷き、その場にしゃがみ込む。そのまま、床板に手を掛けて力を入れて。
「………………は?」
「まあ、余りの激務に逃げ出した研究員も居たんだ。その名残だな、この『隠し通路』は」
剥がした床板の下には、まるで吸い込まれそうな暗闇が口を開けていた。
「……」
「この通路を辿って行けば、王城の外に出られるようになっている。途中で玉間からの隠し通路と合流するから、他の皆とも会えるだろう。さ、行くぞ、コータ」
「さ、行くぞって……え、ええ!? は? か、隠し通路?」
「私も若い頃は良く使った。最近では使わなくなったが、埋めたという話も聞かなかったのでな。あると思ったんだ」
「……アリアさん、何にも言ってなかったんですが?」
「アリアは優秀だからな。この通路の存在自体知らなかったんだろう」
「えっと……じゃ、じゃあシオンさんは、その……最初から此処を使って逃げるつもりだったのですか?」
「当たり前だ」
「……アリアさんにも教えて上げれば宜しかったのに」
「此処に来るまでは少々難儀だからな。私一人ならどうとでも逃げれるが、アリアはどんくさいから。それなら玉間に向かわした方が安全だという判断だ」
「……危険は?」
「通路の高さが低いから頭をぶつけるのに気を付けろ」
何でもない様にそういうシオンに、思わず浩太が肩を落とす。
「……結構、真剣に心配したんですが?」
「分かってる。まあ、正直に言おう。ちょっと嬉しかった」
「今、私は無性に恥ずかしいんですが!」
必死こいて『逃げろ!』と言った相手がセーフティな逃げ道を持っていたのだ。浩太でなくとも穴があったら入りたいだろう。
「さっきも言ったが、死ぬつもりなど毛頭ない。死して残すもの、というのもあるが……少しだけ自惚れても良いか?」
「……どうぞ」
「きっと、私が死んだらお前は悲しんでくれるだろう? 『シオン』と名前を呼びながら、涙ぐんでくれると思っているんだが……どうだ?」
「……そうですね。否定はしません」
「それはお前にとって幸せな事か?」
「……ああ、もう! 不幸せですよ! 不幸せな事ですよっ!」
拗ねた様な、照れたような浩太の言葉にシオンが気を良くした様に笑顔を浮かべて見せて。
「――だから私はお前の為に死んでなどやらない。お前の為に生きてやる事はあってもな!」
他ならぬ、お前を幸せにする為にな、と、そう言って笑みを一層深くするシオンに、浩太は諦めた様に肩を竦めて見せた。




