第百六十三話 この広い世界に、ひとりぼっち
「陛下、早くっ!」
「ちょ、ちょっと!」
浩太に手を引かれるまま、リズは見慣れた王城内を駆ける。王城付メイドが見たら悲鳴を上げて卒倒しそうな、およそ淑女に、或いは女王に相応しくない自身の振る舞いだが、なんだかそんな自分の行動がまるで夢の中の様な、酷く現実味の無いモノの様に思える。何の説明もなく、寝ているベッドからたたき起こされ悲鳴も上げる暇もなく『逃げますよ!』と手を引かれ続けているのも、なんだか若干腹立たしい。
「ま、まつ……松代様っ! 何が! 一体何が起こっているのですか!」
だから、リズはそんな浩太の手を払って見せる。浩太の必死の形相に、今起きているであろう事態がただ事でない事も分かるし、遠くから聞こえるまるで獣の唸り声の様な怒号と、剣を切り結んだであろう高い『キン』という音に良からぬことであろう事も、想像は付く。
「私はフレイム王国第五十二代国王、エリザベート・オーレンフェルト・フレイムです! このラルキア王城は私が生まれ、育った家であり、そしてこの城の主は私ですっ!」
だが、それでも。
「この城で今、何が起きているか手短で良いので説明しなさい! そうで無ければ、逃げるのは此処で止めです!」
それでもこの城の主として――何より、女王陛下として、リズは唯逃げる事を『是』としない。自分の父の、そのまた父の、さらに父の、連綿と続く『フレイム王家』の血がそうさせる、と言っても過言ではない。
「松代様! 説明を!」
まるで睨み付ける様、リズがそう言って浩太に視線を向ける。思わず舌打ちしたくなる様なその視線と行動に、浩太は大きく息を吸って言葉を紡いだ。
「……この城に『賊』が侵入しています」
残酷な、言葉を。
「狙いは何か定かではありません。ですが、陛下。わざわざフレイム王城に乗り込んで来る様な輩です。貴方が狙われている可能性はゼロではない……というより、非常に高いでしょう。ですので、取り敢えず安全な場所まで避難しています。ご理解頂けましたか?」
ご理解、頂ける訳がない。泡を喰ったように、リズは浩太のネクタイに掴みかからんばかりの勢いでがぶり寄った。
「ど、どういう事ですか! な、なぜこの城に賊が侵入するのですか! そ、そうです! 近衛は! 近衛騎士団は!」
「ダンスパーティーが開催できる程の大広間があるでしょう? あそこに、カールさんを初め王城内に残っている近衛騎士は詰めています。数は三十人程度で……」
そこで、一息。言うべきか言わざるべきか、少しだけ躊躇し、浩太はそれでも言葉を続けた。
「……現在、東通りで大規模な火災が発生しています。街の衛士だけでは手が足らず、近衛騎士団を派遣して消火、及び治安維持活動に回しています。王城内の近衛騎士の数は極端に少ないのが現状です」
「だ、大丈夫なのですか!」
「……分かりません。賊の正確な数も把握できていませんし、近衛騎士の力量も……」
『その……近衛はフレイム王国全軍中で一番弱いんだよ』
「……」
カールの言葉が頭によぎる。そうでなくとも元々、『見栄えと家柄重視』で集められた近衛騎士団だ。一人一人が一騎当千の兵、と考えるのは希望的観測を通り過ぎて滑稽ですらある。
「……ともかく、近衛騎士の方々は陛下、貴方を守る為に大広間で賊と戦う決意を為されています。ですので貴方は貴方の仕事を――『逃げる』という仕事を全うして下さい」
ご理解頂けたか、という言葉を今度は掛けて貰えない。呆然としたまま手を強引に引っ張られ、リズは浩太と共に王城内を再び掛け――回らない頭が、王城内マラソンという運動により徐々にその錆を落として鈍く、そして確実に回り始める。
「……あ……賊?」
……なんで?
此処はフレイム王国の王都ラルキアの、その中心に位置するラルキア城だ。長きに渡り、フレイムのみならず、オルケナ大陸の中心として栄えた千年の城だ。
……その城に、賊?
有り得ない。そんな事は、有ってはいけない。だって此処はラルキア王城で、この城を建設したのは、この国の、この大陸の『カタチ』を作ったのはアレックス帝なのだ。此処はアレックス帝の都なのだ。その都の中心に、敬意も払わず土足で踏み込まれる様な真似は有ってはいけない。腹立たしくて、腹立たしくて、腸が煮えくり返りそうな程の怒りを覚えながら、それでもリズはその溜飲を静かに降ろす。非礼な振る舞いであっても、女王陛下なのだ。女王陛下は軽々に取り乱すような事はしてはいけないし、するべきではない。
「……そもそも」
そもそも、怒る必要もありませんでした、とリズは内心で可愛らしくペロリと舌を出す。そうだ。確かに、このラルキア王城に、千年王城に土足で踏み込まれたのは腹が立つ。腹が立つが、そこまで怒る必要なんてありはしない。
「……」
だって、ロッテが居るのだ。父王の代から宰相としてこの国を支えて来た、稀代の忠臣ロッテ・バウムガルデンが。
「……陛下、少しスピードを上げま――陛下?」
ロッテなら、きっと巧く処理をしてくれる。ラルキア王城に侵入した賊を退治してくれる。否、ラルキア王城に侵入した賊だ。ただの街の野盗崩れではない、きっと組織的な関与をしているのだろう。ロッテなら、その黒幕まで引きずり出し、白日の下に曝し、そしてその首謀者を追い詰め、そして必ずやフレイム王国に『利』を齎してくれる。だから、何も心配することなんて――
「……あれ?」
そこまで考えが至り――そして、違和感に気付く。
「……?」
なにか、とてもとても大事な事がある事に。
知らないわけでは、ない。
思い出せないわけでも、ない。
忘れたなんて、そんな訳、ない。
ただ、『無かった』事にしたかっただけで――そして、そんな事は出来ないから。
「…………あ」
――ロッテ・バウムガルデンが、もうこの世にはいない事実を、リズは知覚する。
「あ………………あああ……ああああああああああああああああああああああああああ!!!」
「へ、陛下!」
不意に蘇った記憶に、リズは浩太の手を払いのけてその場にしゃがみ込む。目からは滂沱の涙を流しながらそのままの姿勢で浩太を見つめて。
「もう……もう、嫌ですっ!」
血を吐くような叫びが。
「なんで! なんでこんな事になるんですかっ! 一体、私が何をしたんですかっ!」
後から後から、堰を切った様にリズの喉から漏れる。張りつめていた糸がプツンと切れた様にへたり込んだまま、リズは言葉を続けた。
「ロッテを、信頼する、とても大事な臣下を失い、そして今度は王城に賊? なんで? なんでこんな事になるんですかっ! 私は……私はっ!」
蹲り、嗚咽を漏らすリズ。その姿を上から見つめたまま浩太は掛ける言葉を探して――そして、言葉が見つからず黙り込む。
「……なんで……なんで……」
国家の長として、女王陛下として、国家の頂きに立ち続け、曲がりなりにもその地位に相応しく生きて、生きようとしてきたリズが見せた年相応のその姿に、掛けるべき言葉が見つからないから。
「……陛下」
「こんなに辛い事ばかりで……こんなに悲しい事ばかりで……もう、もう! これ以上、私は『走れ』ません!」
それはきっと、ずっと女王として『走って』来たリズの本音の言葉で。
「お父様も! お母様も! ロッテも! カールも! 私が信頼し、信用する人は皆逝ってしまいました! お姉様だってずっとテラに居ます! 私は一人ぼっちなんです! 一人ぼっちなんですよっ!」
「……」
「仮に生き汚く生き延びて、それでどうするのです? 私には『もう』誰もいないのですよ! そんな世界で、私は一人で生きてなど行けません! ロッテもカールも居ないこの国を運営していくなんて……そんな事、出来ませんっ! もう……もう、無理です! ですから……ですから!」
――こんなに辛いなら、死んだ方がマシです、と。
「……ふむ」
後から後から漏れる嗚咽の声を聞きながら、浩太は顎に手を当てて考え込む。怒声と剣戟の音が聞こえるその空間で、およそ場違いな姿勢のままで考え込み。
「……なるほど、理解しました」
「……納得して頂けたなら幸いです。では、松代様。私を此処に残して、早くお逃げ――」
「納得はしていませんよ。理解しただけで」
「――くださ……え?」
浩太の言葉に、瞳に涙を浮かべたままでリズは顔を上げる。その姿を視界に入れて、浩太は言葉を続けた。
「納得はしていませんが……まあ、理解は出来たと言っています。色々お話を伺いましたが、詰まる所、陛下は誰の助けもない現状で、このまま女王陛下としての責務を果たす自信がない、という事ですよね? そして、そんな世界を生きるぐらいであれば、死んだ方がマシだ、と」
「っ!」
「ああ、失礼。責めている訳では無いのですよ。仰っていることは良く分かります。私もロッテさんには随分と煮え湯を飲まされましたし。そんな偉大な宰相であるロッテ・バウムガルデン亡き後、この国をたった一人で切り盛りしていく自信がないと……まあ、そういう事ですよね?」
「……」
「……陛下?」
「……笑いますか? 情けない女王だと」
「笑う?」
そんなリズの言葉に、浩太は心底『分からない』と云った風に首を捻って。
「笑う訳ないでしょう。むしろ、『一人でも大丈夫』なんて言った方が心配しますよ。自棄になってるんじゃないかって」
「……え?」
「日本……私の居た世界では陛下ぐらいの御年の人は概ね『高校』という所に通う、高校生です。親の庇護の下、勉強するのが仕事の……私塾に近いのですかね、こちらでは。まあ、そこの生徒です。言い方は宜しくないのでしょうが、大した責任も、大した義務も、勿論一国の運営を一人で切り盛りしていく様な人間は皆無と言って良いでしょう。無責任に生きる事を許される、ただの若者である事が多いです」
「……」
「そんな『若者』である陛下が、祖父の様に、父の様に慕った人間を失い、居城には賊の侵入を許したのですよ? 物語の主人公ならともかく、血の通った人間である陛下がこの状況下で心が折れずに立って居られたら、そちらの方が余程不気味です」
少しだけ、唖然とするリズ。その姿から視線を外さず、浩太は尚も口を開く。
「そして、誠に残念ながら陛下、現状で私には貴方を発奮させる程の説得力のある論陣を張る能力も、そして貴方を説得する自信もありません。再び前を向いて貴方が走り出せる程の力強い言葉を掛けて差し上げる事は出来ません。貴方が女王陛下として一人でやっていく自信が無いのと同様、私も勇者ではありませんので」
唯の銀行員ですから、と笑って。
「本当は物語の主人公の様に貴方を説得し、奮い立たせる事が出来れば最善なのでしょうが、残念ながら先程も申した通り私にはその自信はありません。また、『私がロッテさんの代わりに助けて差し上げます』とも言えません。貴方とロッテさんとの間にあった信頼関係以上の信頼関係を現状で構築しているとは思えませんので。陛下も私にそんな事を言われても困るでしょう?」
リズの瞳が揺れる。浩太の言を真とし、それでもそれを認めてしまうのは失礼ではないかとありありと分かる困惑の色に小さく浩太は苦笑を浮かべて見せた。
「当然の事ですので、気にされる必要はありません。そして、それはエリカさんにしても同様です。あの方はお優しい方ですし、貴方の事を心底愛しているでしょう。陛下がお困りであれば、貴方を助ける為にこの『異変』が解決するまで王城に留まって下さるかも知れません。ですが、陛下? エリカさんはいつかは必ずテラに戻ります。だって、テラの領主ですから。そしたら陛下、貴方はまた一人ぼっちです」
「……あ」
「能力的には成長する事はあっても、何処まで行っても一人ぼっちです。経営者とは孤独なモノだ、とは私の居た業界では良く言われていましたが、国家を『経営』するという点では陛下、貴方は常に孤独と向き合い、戦わなければならないでしょう。そして、それはきっととても辛く、悲しく、大変な事だと思います」
そこまで喋り、一息。
「――だから、貴方が女王陛下という責務を投げだしたいと言った事に対して私は理解できると申したのです。これだけ不運が重なれば、投げ出したくなる気持ちは理解しますので」
「……では、納得もして下さい。そして、放って置いて下さい!」
「出来かねます」
「なぜ!」
喰ってかかる様なリズの台詞。その言葉に浩太は泰然と構えて。
「女王陛下としての責務を投げだす事は理解しましたが……エリザベート・オーレンフェルト・フレイムとしての……一人の少女としての命を投げ出す事は承服しかねますので」
「……え?」
「無責任極まりない言葉ですが、女王陛下としての責務が厳しいのであれば投げ出して仕舞えば宜しいでしょう。フレイム王国の歴史に左程詳しい訳ではありませんが……全ての国王陛下が、陛下の様に悩み、傷付き、それでも必死に足掻いて政務を行って来たのですが? 陛下やエリカ様の御先祖様を貶す様で気が引けますが、殆ど政務に口を出さずにのんべんだらりと遊んで暮らしていた国王だっていたのでは無いですか?」
「そ、それは……そ、その……」
「おられるでしょう?」
「で、ですが! そんな事は出来ません!」
「言葉は正確に使いましょう、陛下。『出来ない』のではないです。『やらない』だけです。無論、良い意味で」
そこまで喋り、浩太は言葉を切ってリズの目をじっと覗き見る。
「……『やる』『やらない』の判断はその時々ですれば良いでしょう。ですが、『出来ない』と端から決めつけるのは少し違うと思います。あれもしなければ、これもしなければ、そうやって、なにもかも一人で背負い込んでも……まあ、プレッシャーが人を育てる事もありますので一概に悪いとは言えませんが、あまり精神衛生上好ましいやり方とは思えません。経営者の一番の素質は『楽天家』である事だと思っていますので。幸い、フレイム王国には優秀な官僚組織である『王府』があるでしょう?」
「……はい」
「出来る所は権限委譲をして、少しずつでも『信頼』出来る臣下を育てれば良いではないですか。その……少し言い難いのですが」
「……言って下さい」
「……不幸にもこういう事態になりましたが……きっと、ロッテさんは陛下よりも先に逝かれます。覆す事のできない、絶対的な年齢差がありますので」
「……」
「……ですので、遅かれ早かれこの『結果』は訪れていた事ではあると思います」
リズの瞳に涙が滲む。やがて、その瞳から流れ落ちる涙に数秒考え、浩太は少しだけおどおどしながら、それでもしっかりと右手の人差し指でリズの涙を拭った。
「……ロッテさん、言ってたじゃないですか。『幸せであれ』って。別にロッテさんは陛下に苦しんで欲しかった訳じゃないと思います。私はロッテさんじゃないんで分かりませんが……きっと、女王陛下としての職務に悩んで命を投げ出すぐらいなら、女王陛下なんてさっさと止めて『生きろ』って言うと思いますよ?」
なんせ、陛下大好きのロッテさんですから、と笑う。その姿に、呆れた様にリズは溜息を吐いて。
「……甘いですね、松代様」
「甘い、ですか?」
「ロッテの事です。『悩みがある? では、悩む暇もないぐらい、仕事を差し上げましょう』って無茶苦茶な量の仕事を振って来るに決まってます」
「そんな事は…………ああ、いや。ありそうですね」
「あるに決まってます。ロッテですもの」
そう言って、リズはおかしそうに笑った後、浩太に頭を下げた。
「……無駄な時間を取らせました。もう、大丈夫です。こんな所で拗ねて賊の手に掛かったら、ロッテになんと言われるか分かりませんから。生き汚く生きて見せましょう」
「……そうですね。きっと、悪く言われますよ。なんせ、ロッテさんですから」
「ええ、ロッテですからね」
もう一度、声を立てて笑った後、リズは少しだけ照れ臭そうに浩太をチラチラと見やる。その視線に気付いた浩太が小さく首を傾げて見せた。
「どうしました?」
「その……済みませんでした。フレイム王国の女王ともあろうものが……その、あんな情けない弱音を」
「……」
「……正直、まだ迷っていますし、とても怖いです。たった一人でこの国を運営して行く事に、恐怖だって覚えています。でも……取り敢えず、生きて見ようと思います。弱音を吐くのは、その後です」
そんなリズに、浩太は優しい瞳を向けて。
「女王だって人間ですよ、陛下。辛ければ弱音の一つや二つ、零せばイイじゃないですか」
それぐらい、何時でも聞きますよと笑った後、浩太はリズに手を差し出す。
「さあ、陛下? あまり時間もありません。どうぞ、お手を」
「ありがとうございます、松代様」
差し出した浩太の手に、リズの手が重なる。どこか吹っ切れた様な、そんな極上の笑みを浮かべるリズに小さく苦笑を浮かべ、浩太がその手を引っ張って走り出そうとして。
「――っ! って……あ、ああ! 陛下、御無事で! コータさんも!」
通路の向かいから走って来た影が見えた。一瞬、怯えた様に立ち止まったその影は、そこに居るのが浩太とリズである事を認めるとほっと息を吐く。
「アリア!」
「アリアさん! 良かった、御無事だったのですね!」
肩で息をしながら、コクリと頷いた影――アリアに、リズと浩太から歓喜の声が上がる。その声に、一瞬だけ嬉しそうな顔を浮かべたアリアだったが、直ぐにその顔が焦燥感に溢れる表情に変わった。
「アリアさん? 一体、どうし――」
「コータさん!」
「――たんですか……って、ち、近い! アリアさん、近いです!」
鼻先がくっつく程、アリアがまるで子犬の様に浩太の胸に飛び込んで潤んだ瞳を向ける。その彼我の距離感に浩太が頬を赤らめて。
「――お姉様が……お姉様が! コータさん、お願いです! お姉様を助けて下さい!」
赤らめかけた頬から、一気に熱が引いた。




