第百五十七話 もう一人の『娘』
一体、目の前で何が起こっているのか?
エリカに引き離され、ぼんやりと成り行きを見守っていたリズの目の前に、慌ただしくドアを開けて入って来た内務局長のマーシャル、それに外務局長のユリウスの顔が映る。二人とも神妙な顔をしてロッテに一礼し、その姿を泣きながらエリカとシオンが見つめている。視界の端に入った浩太は唇を噛みしめている。
まるで、演劇の一場面を見ている様な、そんな、現実味の無い風景に、リズは思う。
一体、目の前で何が起こっているのか?
段々と、リズの中で『ロッテが逝った』という事実が実感として感じられる。『あの』ロッテが、だ。殺しても死にそうに無かった、何時でも飄々とし、時に叱り、時に怒り、それでもリズに対して最大限の愛情と笑顔を浮かべていた、優しいロッテが、だ。
一体、目の前で何が起こっているのか?
ロッテが、あのロッテが居ない。
何処を探しても、何処に呼び掛けても、泣いても、困っても、怒っても、笑っても。リズがどの様な表情を浮かべても、嬉しくても、悲しくても、辛くても、ロッテ・バウムガルデンは何も応えてくれない。人が死ぬ、とはそういう事だと、リズが回らない頭でようやくその事を理解する。
一体、目の前で何が起こっているのか?
ようやくロッテが、もう居ない事を知覚して、そうしてリズは考える。この、先程から渦巻く感情は一体なんなのかを。
――悲しい?
それは、そうだ。何時でも、本当に生まれた時から側に居てくれたロッテ・バウムガルデンが居なくなったのだ。そんなもの、悲しいに決まってる。
――寂しい?
それは、そうだ。何時でも、本当に生まれた時から側に居てくれたロッテ・バウムガルデンが居なくなったのだ。そんなもの、寂しいに決まってる。
――辛い?
それは、そうだ。何時でも、本当に生まれた時から側に居てくれたロッテ・バウムガルデンが居なくなったのだ。そんなもの、辛いに決まってる。
――それだけ?
それは、違う。悲しいし、寂しい、辛い。でも、それだけではない。それだけでは説明の付かない感情の奔流。その濁流に押し流されそうになりながら、リズはようやっとこの感情の答えを導き出して。
「………………あ」
――リズの頭の中で、何かが、弾けた。
「……あ……ああ……ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
喉が張り裂ける程の絶叫が室内に響く。俯き、母親譲りの綺麗な金髪を搔き毟るリズに、室内の全員が呆然としたのは、一瞬。
「リズっ!!」
慌てて駆け寄ろうとした体を制すよう、右手を出したリズにエリカは体を止めて――そして、『ひぅ』と息を呑む。
「り……ず……?」
リズは、笑っていた。
瞳孔まで開いた瞳のまま、楽しそうに笑おうとして失敗した様な、引き攣った笑みを浮かべて、笑っていたのだ。
「……マーシャル内務局長」
「は、はい!」
その笑顔のまま呼びかけられたマーシャルが、ビクリと体を震わせる。そんなマーシャルに気付いていない――否、そんな事はどうでも良いのか、リズは笑顔のままで言葉を続けた。
「誰が、やったのですかぁ?」
「……は?」
「もう、マーシャル? 鈍いですね~。三日も有ったのですよ? 誰がロッテを刺したのか、その犯人は攫めたのですか、と聞いているのです」
「いえ……そ、それは……その……」
「なんですか? まだ攫めて無いのですか? まあ、確かに? 衛士の管轄は警保局ですから、貴方の管轄ではないでしょう。ですが、マーシャル? 内務局長として最もロッテの側近く仕えた貴方であれば、何を差し置いても犯人を捜索すると思っておりましたが?」
「も、申し訳ありません! 現在、鋭意捜索をしておりますが――」
「明日までに見つけて下さい」
――そう。
「――依然足取りは……は?」
「明日までです。明日までに、必ずロッテを刺した犯人を見つけて下さい」
この感情は――『怒り』だ。
「貴方の権限外の事ですが、これは勅命です。何をしても構いません。何を言っても構いません。何を使っても構いません。どれだけの人を使っても構いません。どれだけの費用が掛かっても構いません。どれだけの物資が必要でも構いません。ロッテを刺した犯人を見つける為であれば、どの様な事であろうと無条件で承認します」
声は、徐々に。
「……方法は問いません。手段は問いません! 生死も問いませんっ!! ただ、ロッテを刺した犯人を必ず見つけなさい! 手足でも構いません! 指でも構いません! 目玉の一つでも構いません! どんなことをしても、どんな状態であろうとも、明日までに私の前にロッテを刺した犯人を連れて来なさいっ!」
だが、確実に、大きく――叫ぶ様に。
「……へ……いか?」
「聞こえなかったのですか、マーシャル? 返事は!」
「……お、恐れながら陛下! 無論、ロッテ閣下を刺した犯人を全力で見つける所存であります! ですが、予算案や人員にも限りがあります! 街の衛士にしても……全ての人員を犯人の捜索に当てるのは無理です!」
マーシャルの言葉に、リズは深々と、まるで深呼吸をする様に息を吸う。
「……ならば、王府は当分休みにしなさい。近衛も、王城内にそれ程の量が必要な訳ではありません。最低限の供回りだけ残し、残りの全員をラルキア捜索に当てなさい。そうすれば人員は足りるでしょう?」
「へ、陛下! そ、そんな事をしたらラルキアは……フレイム王国は回りません! 完全に機能停止します!」
「構いません。全ての政務よりもロッテの犯人の捜索を優先させなさい」
「陛下!」
「……どうしてもやりたくないと言うならマーシャル? 王府を辞めて貰って結構です」
「なっ!」
「ユリウス? 外交局長である貴方が指揮をとるかしら? 内務局長と兼務、という形で。無論、勅命も出しますよ?」
「……わ、私も反対に御座います、陛下!」
「……そう。貴方がたは私に……この、フレイム王国の女王である私に、逆らうと言うのですね?」
そう言って、リズはマーシャルとユリウスを睨みつける。その視線に少しだけの怯えを浮かべながら、それでも二人はリズに対して毅然とした視線を向けた。
「……お赦し下さいませ、陛下」
「……その勅命だけは、何卒ご容赦の程を」
「……分かりました」
そう言って、溜息を一つ。
「……貴方がたには頼りません。私が自ら指揮を執ります。マーシャル? ユリウス? 荷物を纏めてさっさとこの王城を出て行きなさい。私の命令が聞けないのであれば――」
「いい加減にしなさい、リズ!」
「――なんですか、お姉様?」
エリカの言葉に、胡乱な視線を向けるリズ。その瞳を睨み返しながら、エリカは言葉を続けた。
「悲しいのは分かる! でもね? だからと言って、何をしても良い訳じゃ無いでしょう!」
「……何をしても良い訳じゃ無い?」
そんなエリカの言葉に、リズは心底分からないという風に首を捻って見せる。
「……何をしても良いに決まっているじゃないですか、お姉様」
「リズ!」
「だって、ロッテですよ? 他の誰でもない、ロッテ・バウムガルデンが永遠に、永久に、この私の前から奪われたのですよ? 私の父であり、祖父であり、師であり、誰よりも尊敬し、誰よりも兄事し、誰よりも信用し、誰よりも信頼していた、誰よりも大好きだったロッテ・バウムガルデンが、ですよ? そのロッテが、凶刃に奪われたのですよ? なぜ、私が遠慮をしなければならないのですか? なぜ、我慢をしなければならないのですか? そんなもの、認められる訳がないじゃないですか」
「リズ、貴方ね!」
「お姉様には分かりませんっ!」
エリカの言葉を制する様に、リズの怒号が響き渡った。
「……お姉様には分かりませんっ! 私に取って、ロッテがどれだけ大事だったかなんて、お姉様に分かる訳がないじゃないですか!」
「……それは」
「お父様も、お母様も、リーゼロッテ様も逝ってしまわれて、お姉様がテラに行ってしまって、それでもロッテだけはずっと私の傍に居てくれたんです! ロッテだけが、私の味方だったんです! そんなロッテの為なら、私はなんだってします! なんだってできます! 例え、悪逆非道の国王と後世に罵られようと、必ずロッテの仇を討つんです!」
リズの視界が滲む。
「――ロッテの為なら、私はどれだけの汚名を被っても構いません! ロッテに報いるんです! だって……だって……そうじゃないと……もう……それぐらいしか……ロッテに出来る事がないんだから……」
その場にペタリとへたり込み、両手で顔を覆うリズ。その姿に、エリカは小さく息を吐いてその肩にそっと手を置いた。
「……そうね。貴方の気持ちは良く分かるわ」
「……お姉様……」
「……ロッテの仇を討ちたいものね? 私だって、気持ちは同じよ?」
「……はい……」
「でもね? きっと、ロッテは仇なんて取って欲しくないんじゃないかな?」
「そんな事は!」
「ああ、ごめん。そうじゃなくて……リズが、『悪逆非道の国王』なんて汚名を被ってまで、仇を討って欲しいとは思ってないと思うわよ?」
「……そんな事……わかりません」
「そうかしら? だってロッテ、言ってたじゃない? 『幸せであれ』って。『笑顔の溢れる国にしてくれ』とも言ってたわね? ロッテはね、リズ。貴方と、そしてこの国の事が大好きだったのよ。だから、そんなロッテがリズに汚名を被せてまで自分の仇討を望んでいるなんて、私には到底思えないのよ」
「……でも……でも……それぐらいしか、私には……」
「うん、その気持ちは分かるわ。きっと、ロッテを刺殺した犯人は見つけましょう? 勿論、衛士の皆にも頑張って貰いましょう? でもね? 王府の仕事を止めてまで、この国の行く末を止めてまで犯人を捜すのは止めましょう? きっと、そんな事をしたら」
ロッテが、悲しむから、と。
「――っ! お姉様っ!」
「……うん、うん」
「……辛いんです! 悲しいんです! 寂しいんです! ロッテが、ロッテ・バウムガルデンがもう居ないって、私の事を見てくれないって、笑いかけても、叱っても、怒ってもくれないって、それが苦しいです!」
「……うん、そうね」
「憎くて、憎くて、憎くて、憎くて、憎くてっ! ロッテを殺した犯人を、私自らの手で殺してしまいたほど、憎いんですっ!」
「……うん、気持ちは分かる。でもね、リズ? そんな事、ロッテは望んでいないと思うから」
「でも! でも!」
「ロッテは貴方が笑った顔が大好きだったんだから。貴方の手が血で汚れてしまわないように、ロッテはずっと、貴方を守ってくれていたのよ?」
「でも! 私はそんなロッテに何も返せていません!」
「そんな事ないわ。貴方が笑っているだけで、ロッテはきっと幸せなんだから」
唯の『爺バカ』よ、と笑って。
「……今は一杯泣きなさい、リズ。そして、明日からはまた、ロッテの大好きだった笑顔を見せてあげなさい。きっと、それがロッテが一番望む事だから」
「……」
「……ね?」
「……ねえ……さま……」
「リズ?」
「――お姉様! お姉様、お姉様、お姉様、おねえさまぁーーーーーーーーーーー!!」
エリカの胸に顔を埋め、リズは声を大にして泣く。そんなリズの背中をよしよしと撫でながら、エリカも瞳から涙を零す。そんな姉妹の触れ合いは、リズが泣き疲れて眠るまで続いた。トントンと、リズの背中を優しく叩いていたエリカがその手の動きを止めて大きく息を吐いた。
「……お疲れ様です、エリカさん。陛下は?」
「……この子も寝ずにずっとロッテの看病をしてたからね。流石に疲れても居たんでしょう。コータ? 悪いんだけど、外に居るエミリに声を掛けてくれる? ベッドまでリズを運んでって」
入って来たエミリにリズを託し、室外に出た事を確かめた後、エリカは視線をマーシャルとユリウスに向ける。
「……貴方達も大変だったわね」
「いえ」
「その様な事は」
「リズ……陛下には私から進言しておきます。ロッテ亡き今、貴方がた王府の幹部の双肩にこの国の運営が掛かっていると言っても過言ではありません。王姉として、またフレイム王国第五十一代国王ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムの第一王女として、貴方がたの今後の働きを頼りにしています。陛下を支えて差し上げてください」
「……勿体ないお言葉です、エリカ様」
「……このユリウス、ロッテ閣下に比べれば非力・非才の身ではありますが全力を尽くす所存です」
「宜しくお願いします。今後の事についての協議と献策を早急に。それと、ロッテの葬儀についても。国葬で盛大に執り行って下さい。まあ……ロッテはあんまりそういう派手なのは好きじゃないでしょうけど」
そう言って、少しだけ寂しそうにエリカは笑う。そんなエリカの肩に、浩太がそっと手を置いた。
「……エリカさんもお休みください。貴方だって寝てないでしょう?」
「……ありがとう。そうさせて貰うわ。リズもまだ冷静ではないでしょうし、これから色々と考える事もあるものね」
無理やりに笑顔を作った様な痛々しい表情。その姿に、浩太は言葉を続けかけて。
「――し、失礼しますっ!」
不意に、ドアがけたたましい音を立てて開く。国王、王姉、それに王府の重鎮を前にしては余りにも礼儀作法に欠けたその音に、マーシャルが眉根を寄せた。
「無礼者っ! 此処を何処だと心得る!」
「た、大変申し訳御座いません! し、しかし、緊急の事態で!」
「緊急? 緊急だろうとなんだろうと――」
「マーシャル、構いません」
尚も言い掛けるマーシャルを手で制し、エリカは入って来たその役人に視線を向ける。
「どうしましたか?」
一瞬、目の前に居るのが王姉であるエリカと知ってはっとした様に敬礼をした後、役人は居住まいを正して言葉を継いだ。
「火事です! 『東通り』から大規模な火災が発生しております!」
◇◆◇◆
「――は? か、火事!?」
「は、はい! 火元は東通りです! 現在、東通り詰の衛士による消火活動が行われておりますが、風も強く、また露店も密集しているため消火活動が儘なりません! このままでは東通りのみならず、王城にまで火勢が届きますっ!」
「な!」
「また、東通りの火事の影響で治安の悪化も懸念されます! 東通り詰の衛士だけでは最早対応が出来ません! 至急、応援を要請致したいとの事です!」
そこまで喋り、一息。入って来た役人は窺う様にマーシャル、ユリウス、そしてエリカに視線を飛ばした。
「その……い、如何致しましょうか……?」
その言葉で、半ば呆然としていたエリカは慌てて口を開く。
「マーシャル! 至急、衛士の派遣を!」
「そ、その……」
「貴方、内務局長でしょう!」
エリカの言葉に苦い顔をし、言い難そうにマーシャルが言葉を続ける。
「……お言葉ですがエリカ様。先程陛下も仰られた通り、街の治安維持に関しては警保局の管轄になっております。私には、権限がありません。衛士の異動に伴う許可に関しては、彼の決裁が無ければ……そ、その……」
「じゃあ、警保局長は! 警保局長を呼びなさい!」
「警保局長はイーリスですが……彼は、その……現在、ソルバニア王国に出張中でして……ロッテ閣下の件を直ぐに報告に出しておりますが、その……」
ラルキアからソルバニアは高速馬車で十三日の距離だ。ソルバニア出張中のイーリスは未だにロッテ刺殺の事実すら知らないのである。
「誰かいないの! イーリスの代わりに決裁できる人間は!」
「……王府の内規により、各局長に分課分掌が行われております。また、衛士の異動は一級権限に属しますので、局長級以上の決裁が無いとこれを認められません。局長級以上という事は、当然に代理権限は局長より職位が上の人間だけになります。その……つ、つまり」
部長が居ない以上、課長が部長の代わりに決裁するのではなく、その上の担当役員に判子を貰うのと理屈は一緒である。そして、王府という組織に当てはめるのではあれば、局長以上の役職は王府の次長と総長であり、それはつまり。
「……ロッテ閣下が宰相に就任して以来、総長と次長を兼務されておられましたので……」
それはつまり、誰も『責任者』が居ない、という事だ。
本来、フレイム王国の『宰相』とは貴族階級が就任する名誉職だ。いわば国家の『顔』であり、そんな貴族が恥を掻かないように、『王府』という組織が徹底的にサポートするのであるが、その実務の最前線の担当者は内務局、外務局と言った各部局の局長クラスである。次長や総長は、いわば王府双六の『あがり』でしかない。
ロッテはフレイム王国初の平民階級で、王府出身の宰相であった。それも、王府の各局長から次長、総長を経験した、言ってみれば行政のスペシャリストだ。宰相の能力が抜群に高い以上、決裁印を押すだけの言ってみれば神輿、大した仕事もしない癖に高い俸禄だけは食む様な総長、次長ポストは不要なのだ。
「……そんなのって……」
「……今までは各局長が出張に出る場合はロッテ閣下がラルキアに居られましたし、その為の権限委譲についてもご指示頂いておりました。ロッテ閣下、局長不在の時も……その……」
視線をチラリと、リズの出て行った扉の方に向ける。
「……陛下が」
権限を持つ人間は、その権限に比例して給料が上がる。その人数を限りなく少なくし、最低でも誰か二人がラルキアに居る様にする。総長、次長などの無駄なポストを省いても回る様、本当にギリギリの人員で王府を回していたのがロッテなのである。苦しい台所事情のフレイム王国ならではと言っても良い。或いはこれはロッテらしからぬ『危機意識の無さ』と言い換えても良いかも知れないが、そもそもロッテ、リズ、内政のエキスパートである局長が同時に居ない状態のフレイム王国に局長級以上の決裁が必要な異常事態があった場合、どの道フレイム王国自体が立ち行かなくなるであろうという見方もあるにはあった。
「……今は緊急事態よ?」
「……」
「……」
「……マーシャル? ユリウス?」
「……緊急事態だからといって、何をしても良いとは言えません」
「……マーシャルと同意見です、エリカ様」
「……くっ」
伏し目がちの視線を逸らすマーシャルとユリウスを睨みつけようとして、エリカはその視線を力なく床に落とす。
マーシャルもユリウスも間違いなく優秀な人間だ。人にも自分にも厳しいロッテが局長級の職を割り振っている以上、それは間違いない事実である。そして、彼ら二人はロッテの薫陶を身近に――それこそ、王府に奉職してからずっと――受けて来た人間でもある。仮にどちらかが警保局長の地位に就いていれば、満点の答案を用意する事も出来る人間である。
だが、彼らに出来るのは『そこまで』だ。
自身の職務内容内では完璧な答えを用意出来ても、それ以上の仕事は出来ない。だから、ロッテ不在のこの状態で、『何をどうしていいか』、それが分からない。分かったとしても、それを実行するだけの勇気もまた、ない。誰だって、責任を取るのは怖いのだ。
「……マーシャル」
「……はい」
「参考までに聞くけど……衛士の異動については賛成なの?」
「……東通り詰の衛士で足りなければ、他所から衛士を異動させる方法しかないかとは思います。衛士は消火の訓練も受けておりますし、異動は最善かと」
「……わかった」
それだけ聞ければ十分。
「……事は緊急を要します」
そこで一度、言葉を切り、視線をぐるりと室内に回す。緊張した面持ちで見つめる面々の顔に、場違いとは知りながらもなんだか可笑しくなってエリカはその表情に微笑みを浮かべて見せる。それも一瞬、直ぐに真剣な表情に変えてエリカは言葉を継いだ。
「――各通りの衛士を直ぐに東通りに派遣しなさい。また、王都内の治安維持の為に近衛の一部を派遣し、警備に当たらせなさい」
室内の時間が、止まった。
「え、エリカ様!」
最初に声を発したのは、マーシャル。
「なに? なにか問題でもある? 間違った事を言ってるかしら、私?」
「い、いえ。方策としては間違っては……で、ですが、その……け、権限が……」
「フレイム王国第五十二代国王、エリザベート・オーレンフェルト・フレイムの名代として、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムが命じます」
「そ、その……し、失礼ながら、え、エリカ様にはその様な権限は……」
「国王が国務を遂行できない状態の場合、王位継承者が代務するのは前例がない訳ではないでしょう? 私はフレイム王国王位継承権第一位、その権限はあるわ」
「そ、それは陛下より権限委譲なされた場合の話です! エリカ様は決して陛下から権限を委譲された訳では御座いません!」
「ああ、もう、五月蠅いっ!」
言い募るマーシャルを、制し。
「許可なら後でリズから貰うっ! とにかく、今は鎮火と街の治安を優先しなさいっ!」
そう言って、室内をもう一度、今度は睨み付ける様に睥睨して。
「ロッテが生きてたら、きっとそう言ってくれる! 全責任は私が取る! リズに勝手な事をしたと言われたら、スキップしながら断頭台に上がってあげるわ!」
そのエリカの言葉は。
「無駄な議論をしてる余裕はないの! 分かった? 分かったならさっさと口より手を動かしなさい! 犠牲者を可能な限り少なくする様に、全力を尽くしなさいっ!!」
ロッテ・バウムガルデンが間違いなく愛した、『もう一人の娘』の戦いの時間の始まりを告げる合図であった。




