第百五十五話 『悪人』の居ない、モノガタリ
ロッテ過去編、終了! 今回で初期から言われ続けた『王族が政略結婚の道具にならないなんて……』を回収できたのではないかと!
急に――と言っても、何時だって急なのではあるが、急に始まったウェストリアとの戦争により延びに延びていたフレイム王国王太子、ゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムと、ラルキア王女アンジェリカの婚儀が行われたのはロッテとアンが出逢ってから二年の月日が経ってからだった。時を同じくして、こちらも待たせていたリーゼロッテの側室としての王城入りが王府から発表された。
国内の世論は当然、割れた。
殆ど毎年の風物詩と言っても良いぐらいに頻繁に行われるウェストリアとの小さな小競り合いは、終了したとはいえ何時再開するか分からない。今回のアンジェリカの輿入れがラルキア王国との友好の証であり、それは同時にウェストリアに対する牽制の意味合いを込めているのはフレイム王国民だって当然分かっている。そんな中で、リーゼロッテの輿入れはラルキア王国を刺激する事になるのではないか。そんな世論が噴出し、それは国内の世論の大勢を占めていた。当然、リーゼロッテへの風当たりは強かった。
そんなリーゼロッテを、アンジェリカは常に気に掛け続けた。生来の彼女の気質――と言うより、建国から続くラルキア国民の『優しさ』の気性そのまま、アンジェリカはリーゼロッテに接し続ける。リーゼロッテもそんなアンジェリカの気持ちを素直に受け付けた。王城内では、いつしか二人で楽しそうに談笑する姿が見て取れる様になった。やがて、その輪の中にゲオルグの姿が加わった辺りで、フレイム内の世論も徐々に沈静化していく。ラルキア王国から表立っての抗議が無かった事も影響した。何時しか、フレイム王国に住まう民は世継ぎの誕生を心待ちにする様になった。
だが、中々子宝に恵まれる事のないまま十年の月日が立つ。
暗いニュースの多い時代だった。先王は崩御し、即位したゲオルグの最初の戦争で、フレイム王国はウェストリア王国に敗戦した。景気は低空飛行を続け、一向に暮らし向きは楽にならない。少しでも生活に活力が与えられるニュースを国民は欲し、その期待にリーゼロッテが応えた。
リーゼロッテ妃、ご懐妊。
国民は狂喜した。親愛なる国王陛下の初めての御子。妾腹である事など関係ない、喜びに満ちたニュースは城下のみならず王国中を駆け回り、誰もが生まれて来る子供の健康と、これからのフレイム王国の未来に祈り――そして、それと同時にアンジェリカの評価は地に落ちる。
側室が『仕事』を果たしたのに、正室は何をしているのか。
子の望めない体では無いのか。
ラルキアは石女を寄越したのではないか。
もしや、フレイム王家の血を絶やそうとしているのではないか。
政略結婚が血の『結びつき』を重視している以上、アンジェリカは『欠陥品』であり続けた。悪意は悪意を呼び、更なる悪意を呼ぶ。表立ってではないも、王城内では実しやかに離縁の話が出てくるほどに。
王城内で『逆風』が吹き荒れる中、それでもアンジェリカはいつも通りにリーゼロッテに接した。妬まず、僻まず、羨まず。リーゼロッテのお腹が大きくなる事に、つわりで苦しむリーゼロッテに、それぞれ一喜一憂した。
リーゼロッテもアンジェリカに今まで通りに接した。自身が先に孕んだ事に幾ばくか抱えていた罪悪感をアンジェリカが笑い飛ばした事も一因にある。リーゼロッテはアンジェリカを信じ、陣痛が始まった時にリーゼロッテはいの一番にアンジェリカを呼んだ。十時間に及ぶ出産の際、リーゼロッテの手を握り続けたのはアンジェリカだった。やがて、リーゼロッテは珠の様な女児を産む。
『う……うわー! か、可愛い! リーゼロッテ! 抱っこ! 私にも抱っこさせて!』
アンジェリカはリーゼロッテの子、エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムを愛した。元来、子供好きと云うのもある。時に優しく、時に厳しく、愛を持ってアンジェリカはエリカに接した。『まるで、母が二人居る様だ』と言われる程に、仲の良い家族の群像がそこにあった。
それから一年程して、ロッテは宰相に就任した。
過去、貴族階級、それも飛びっきり上位の公爵や侯爵クラスの貴族でしか就任する事が出来ない『宰相』という、この国のトップの地位にまで登り詰めたロッテは、今までよりも精力的に政務に取り組んだ。自身の身を大事にする事、その事すら厭う様な働きぶりと矢継ぎ早やに放たれる政策の数々。正に鬼気迫るその働きぶりに、王府の人間は畏怖と尊敬を込めた視線を向けた。最初こそ、『平民風情が』とあからさまにロッテを馬鹿にしていた貴族たちも、ロッテの的を射た政策の数々に徐々にその態度を改めていき――そして、いつしかロッテの事をこう呼ぶようになっていた。
――ロッテ・バウムガルデンは『王府』であり、『国家』である、と。
◆◇◆◇
「……いつも苦労を掛けるな、ロッテ」
フレイム王国国王に即位したゲオルグ・オーレンフェルト・フレイムの私室。召喚命令を受けたロッテは片膝を突いた臣下の礼を取ったまま、下げていた頭を上げる。
「勿体ないお言葉に御座います」
「何が勿体ないものか。お前のお陰でこの国は良くなった。正に忠臣の鑑と、そう思っている。これからも励んでくれ、ロッテ」
「はい。陛下の御心のままに」
そう言って一礼するロッテ。忙しい中、わざわざ私室に呼び出したのだ。まさかお褒めの言葉を賜うだけでは無かろうと思い次の言葉を待つロッテの頭上から、躊躇った様な溜息が聞こえて来た。
「……お前に、何か褒美を与えなければいけないと考えている」
「……褒美、ですか?」
「お前の為した施策の数々は、十分報奨に値する物だと私は考えている。だが、私はお前が為してくれた功績に対して何も返していない」
「平民の私を、宰相位に就けて下さったではありませんか。それだけで十分です」
「単純な適材適所に過ぎん。お前の能力を最大限に生かせる『場所』が宰相であっただけで、それ以上でもそれ以下でも無い」
「……有り難きお言葉に御座います」
「何が有り難いものか。それは私の方が言う言葉だ。お前には頭が下がる」
「失礼ながら陛下。国家元首たるもの、臣下の働きにわざわざ『礼』など不要に御座います。ただ一言、『大儀であった』と言って頂ければそれで構いません」
「お前で無ければ私もそうする。だがな、ロッテ。お前は『特別』だ。私の師匠だからな」
そう言って、ゲオルグは屈託なく笑う。
「……だから、私はお前に報いたい。どうだ、ロッテ。何か欲しいモノは無いか?」
今の俺なら、殆どの物は与えられるぞと笑うゲオルグ。そんなゲオルグに、小さく微笑を返してロッテは口を開いた。
「では、陛下。お言葉に甘えて私の望みを申しても宜しいでしょうか?」
「おう、言え言え! なんだ? 爵位か? 金か? 領地か? なんでも構わないぞ!」
嬉しそうにそういうゲオルグに、小さくロッテは首を振って。
「いえ。その様なモノでは御座いません。私が欲しいのは――」
言葉にするのに、少しの勇気が必要だった。
「――陛下と……アンジェリカ様の、『御子』に御座います」
「――っ!」
その言葉に、思わずゲオルグは玉座を蹴倒して立ち上がりロッテを睨む。そんな視線を意に介さず、ロッテは言葉を続けた。
「ご成婚為ってから、陛下はアンジェリカ様の寝室には頑なに足を運ぼうとは致しません。ご承知で御座いましょうが、陛下。アンジェリカ様と陛下の御子はフレイム王家とラルキア王家の血を引き継ぐ御子に御座います。その御子の存在が、フレイム王国の次の千年の発展の礎になるものと愚考します」
「……」
「……」
「……本気で……」
「……」
「……本気で言っているのか、ロッテ?」
チクリと、胸が痛む。
「……無論に御座います、陛下。陛下がアンジェリカ様を『蔑ろ』にされれば、フレイムとラルキアの間に亀裂が入ります。事実、ラルキア王国からもアンジェリカ様の御子様を望む声が強くなっております」
そんな胸の痛みを飲み干し、ロッテは胸を張ってそう答える。
「……」
「陛下」
「……はっ」
立ち上がった椅子に、深く深く腰を降ろして溜息を吐き、ゲオルグは額に手を当てて二度、三度と頭を振って見せる。後、疲れた様に顔を上げた。
「……下賜しろ、と言って貰った方がまだマシだ」
「失礼ながら陛下。アンジェリカ様は『モノ』では御座いません」
「……そうだな。すまん、ロッテ。失言だ。許せ」
「はい」
もう一度、深く深く頭を下げるロッテ。その姿に、戸惑った様な瞳のままロッテを見つめるゲオルグ。が、それも一瞬、もう一度溜息を吐いて言葉を絞り出した。
「……分かった」
「……」
「……お前の望む通り、アンジェリカの部屋に『通う』事にする」
「……はい」
「……実は、リーゼロッテにも言われた」
「リーゼロッテ様に、ですか?」
「……『アンジェリカ様への風当たりが強くなっております。今はロッテ様が抑えて下さっておりますが、それが何時まで続くかは分かりません。どうか、陛下。フレイム王家の正統なお世継ぎを』とな」
「……」
「……俺の周りの人間は、人が好過ぎる」
少しだけ、呆れた様な――それでいて、悲しい笑顔を浮かべて。
「……国王陛下と傅かれても、所詮はこんなものだ。愛する人と、信頼する臣下、その二人にこれ程気を使わせる。なんとも情けない話だな」
「恐れながら陛下。それは陛下の御人徳に御座います。なにも情けない事など御座いません」
「……そうか」
「……」
「……」
「……不敬を」
「ん?」
「……不敬を承知で、敢えて申し上げれば」
「……なんだ」
「陛下の『愛する人』が、リーゼロッテ様だけではなく――」
願わくば、アンジェリカ様も、と。
「……分かった。下がって良い」
「……はい」
もう一度、ロッテは深々と頭を下げ、ゲオルグの私室を後にした。
◆◇◆◇
「……良い月ですね?」
ゲオルグの私室を後にし、見るとは無しに王城内の中庭で月を見ていたロッテは後ろから掛かる声に振り返り、そして臣下の礼を取る。
「……リーゼロッテ様」
「頭を上げてください、ロッテ様。私にその様な礼は不要ですよ?」
ニコニコと微笑みそう言って見せる女性――リーゼロッテの言葉に、ロッテも臣下の礼を解く。
「では、失礼して」
「ええ。側室の身である私に、宰相であるロッテ様が頭を下げる必要などありません」
返答に困る様な事を言うリーゼロッテに、思わずロッテも言葉に詰まる。が、それも一瞬、コホンと咳払いをしてロッテは言葉を続けた。
「恐れながらリーゼロッテ様? リーゼロッテ様は国母様に御座います。リーゼロッテ様の御子様、エリカ様は王位継承権第一位の――」
喋るロッテをリーゼロッテは手で制し。
「何を仰っているのですか、ロッテ様? 王位を継ぐのは陛下とアンジェリカ様の御子様ですよ?」
「……」
「陛下の下に、足をお運びになったのでしょう?」
「……はい」
「では……陛下からお聞きになられましたか?」
「…………はい。私も同じように陛下に進言申し上げました」
小さく息を吐き、ロッテは言葉を続ける。
「……私を恨んでいますか、リーゼロッテ様?」
「恨む? まさか」
「そうですか」
「そうです」
「……」
「……」
「……勿論」
「……はい」
「勿論、私は陛下を愛しております。陛下がアンジェリカ様の――」
一息。
「――いえ、私以外の誰かに、その笑顔を向けるという事実が、堪らなく悔しいのは事実です。狂おしいほどの嫉妬と、狂おしい程の劣情で、この身が焦がれそうです」
「……」
「足元に縋りついて、『行かないで』と泣きたい。その身を離さないように、きつく抱きしめたい。私だけのモノだと、貴方だけのモノだと証明して貰う様に、この身がバラバラになる程力強く、きつく、きつく抱きしめて貰いたいっ!」
とても、とても小さく、囁く様で。
「……そう、思います」
それでいて、まるで叫ぶ様に、力強く。
「……では」
「はい?」
「では、なぜ? そこまで陛下をお慕いなのであれば、アンジェリカ様の下に向かわせる必要も無いでしょう? 貴方が独占して置けば宜しい。なぜ、そうされないのですか?」
まるで、詰問するかの様なロッテの口調。王府の部下であれば震えあがる様な、そんな低い声音に、それでも動じる姿を見せずにリーゼロッテは口を開いた。
「フレイム王国の為です」
「……」
「陛下とアンジェリカ様の婚儀は、ただの婚姻ではありません。ここ百年程無かった、ラルキア王国の姫を迎えた婚儀です」
「……そうですな」
「陛下とアンジェリカ様の御子が、このフレイム王国の正統な後継者であり、その後継者こそが、この国とラルキア王国との架け橋となる御子に成る筈です」
「……その為に……貴方は、自ら身を引かれると? アンジェリカ様に――『敵』に塩を送るのですか?」
「……え? て、敵?」
その言葉に、少しだけ驚いた様な気配と声が伝わってくる。予想とは幾分違ったその反応に、ロッテも視線をリーゼロッテに向けて。
「……ふふふ」
驚いた顔を、楽しそうな笑顔に変えたリーゼロッテの姿を見た。
「……おかしな事を言いましたかな?」
「いえ……ええ、そうですね。確かに私はアンジェリカ様と陛下を奪い合う敵なのでしょう。そう考えれば、ロッテ様の仰る通り私のしている事は敵に塩を送る行為なのでしょうね」
「……そう仰られるという事は、そうではないと?」
「ええ。そうではなく――」
そう言って、飛びっきりの素敵な笑顔を見せて。
「――きっと、私は大好きなんですよ。アンジェリカ様の事が」
「……大好き、ですか」
「アンジェリカ様はとてもお優しい方ですし、とても可愛らしいお方です。私はあの方が大好きで……そして、あの方にも幸せになって頂きたい」
「……それが、陛下の寵愛を受けるという事ですか?」
「……」
「……リーゼロッテ様?」
「その辺りは私の口からは言いかねます。私が感じる幸せと、アンジェリカ様が感じる幸せはきっと、違いますから。ですが、ただ一つだけ。一つだけ言える事は……陛下との間に御子を成さなければ、きっとアンジェリカ様は不幸になられます。そうは思いませんか、ロッテ様?」
「……そうですな。きっと、アンジェリカ様は『不幸』になられる」
「そして、それはフレイム王国に取っての不幸でもあり……そこに住む民、全ての不幸でもあります。ならば私は、それを是としません」
「……自身の幸福と引き換えでも?」
「エリカがおりますので。私には可愛い子がいる。愛する人の間に出来た、可愛い子が。それだけで、十分に幸せで御座いますよ」
そう言って、笑って見せる。そんなリーゼロッテの笑顔をポカンとしたまま見つめていたロッテだが、やがて諦めた様に小さく溜息を吐いた。
「……母は強し、に御座いますか?」
「どうなのでしょうか? ただ……そうですね、単純に私はこの国が大好きなだけなのでしょう」
「……」
「……ですが、それはロッテ様もでしょう?」
「私ですか?」
「良く仰ってますわよ? アンジェリカ様が」
「……なんと?」
「『皆が笑って暮らせる国。きっと、ロッテが叶えてくれる』と」
「……」
「素敵だと、そう思いますわ」
リーゼロッテの言葉に、ロッテが小さく肩を竦めて見せる。
「……そうですね。リーゼロッテ様の仰る通り、きっと私もこの国が大好きなのでしょう。そして、皆が笑える国を作りたいという思いに嘘はありません。誰も悲しむ事の無い国を作りたい」
「……なら、私達の想いは一緒です。恨む、恨まないという話にはなりませんわ」
そう言って、リーゼロッテはにっこりと微笑む。その笑顔につられる様に、ロッテも笑顔を見せた。
「……そうですね。恨む、恨まないと言う話にはなりませんな」
「そうですよ」
そう言って、リーゼロッテは小さく笑い。
「それに……貴方の方こそ、私を恨んでいませんか、ロッテ様?」
「……私が、ですか?」
「『敵』に塩を送ると仰られるのであれば、ロッテ様こそそうではないですか?」
「……なにを仰っているのです?」
「なぜ、陛下がアンジェリカ様の下へお通いになられないか、なぜ、ロッテ様はアンジェリカ様の風評を必死に抑えるか」
「……」
「そして、アンジェリカ様のロッテ様を見つめる視線を足せば、分かり過ぎるぐらいに分かる帰結ですよ、ロッテ様?」
相変わらずの、ニコニコとした笑顔。
「……リーゼロッテ様」
「無論、誰にも言うつもりはありません。王城内でも気付いている方は……カール様ぐらいでしょうか?」
「……」
「ああ、別に責めている訳ではないのです。無論、アンジェリカ様の事だって。ただ……ロッテ様と、同じ想いを共有していると、そう思っただけです。そして……済みません、『私だけでない』という事が、今の私には……その、ちょっと必要です。傷の舐め合いに過ぎないでしょうが」
「……」
「……」
「……この御恩は必ず返しましょう」
「お気に為されないで下さいませ。恩を売ったとは思いませんから」
「では、エリカ様にお返しさせて頂きましょう」
「エリカに、ですか?」
「いつか……そうですな。エリカ様のお立場が悪くなる事の無いよう、私は全力を尽くしてエリカ様をお守り致します。このロッテの名前に掛けて」
「……そうですか」
「……そうです」
「……分かりました。それではロッテ様、どうぞ宜しくお願いします。あの子を……エリカを、守ってやってくださいませ」
そう言って頭を下げるリーゼロッテに、ロッテも同様に頭を下げる。そんな二人を、玉響に輝く満月だけが静かに見守っていた。
◆◇◆◇
エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムの生誕から二年後、アンジェリカ懐妊の報がフレイム、ラルキア王国を駆け回った。二年前同様――否、それ以上にフレイム王国臣民はこの朗報に狂喜した。誰もが無事の出産を願い、やがて生まれた女児にフレイム王国の未来を願った。
エリザベート・オーレンフェルト・フレイム。
輝く栄冠をその頭に抱く事を約束されたその少女と、王位から滑り落ちたもう一人の少女――エリカとの関係は、国民の誰もが驚く程に良好な関係を築いていた。自身の妹であるエリザベート――リズに接する姉と、そんな姉に良く懐く妹。かつて、リーゼロッテとアンジェリカの二人のお茶会であった時間は、ゲオルグとエリカ、そしてリズを含めた五人による家族の団欒の時間となった。端から見ると歪な、おかしな家族関係であっても、フレイム王家は幸せな時間を過ごしていたのだ。まるで、何時までも何時までも続くようなそんな時間。
そんな時間を壊したのはアンジェリカだった。
『何言ってるのリーゼロッテ! 次期国王はお姉ちゃんであるエリカに決まってるでしょ!』
『いいえ、アンジェリカ様。幾らアンジェリカ様でもこれだけは譲れません! 次期国王陛下にはリズ様になって頂きます!』
『何でよ! エリカが可哀そうだと思わないの! 長子なのよ!』
『アンジェリカ様こそ、リズ様が可哀そうだと思わないのですか! 正室のお子様ですよ!』
――ゴネたのだ、アンジェリカは。王位をエリカに継がせろ、と。
◆◇◆◇
「……イヤ」
ゲオルグ、リーゼロッテの説得も虚しく、断固拒否の構えを見せるアンジェリカの説得にロッテに白羽の矢が立ったのは当然と言えば当然。少しだけ足取りも重く、それでもアンジェリカの部屋に向かったロッテに、開口一番アンジェリカは『イヤ』と言って見せた。ソファに寝そべる様に座り、顔だけをロッテに向けた体勢で。はっきり言って、結構だらしない。
「……アンジェリカ様」
「イヤって言ったらイヤ! ぜぇぇったい、イヤ! なんでエリカが国王になれないのよ! だってエリカ、長子なのよ? お姉ちゃんなのよ!」
「……アンジェリカ様とリーゼロッテ様では御身分が違います」
「……だから?」
「アンジェリカ様、貴方はラルキア王国の王族であり、このフレイム王国の正妃です」
「……だから、なによ?」
「爾来、側室の御子よりも正室の御子が、その継承権が上である事は珍しい事では御座いません。それは、生まれの後先に優先される事実です。ですので――」
「そんなの関係ないっ!」
ロッテの言葉を遮り、アンジェリカはソファから立ち上がるとロッテを睨む。
「リーゼの身分が低いから? 私が、ラルキアの王女だったから? そんな事、なんの関係があるのよ! そんな事が、王族である事が、貴族である事が、それがどれ程貴い事なの? そんな事が、あの愛しくて、可愛くて――哀れなあの子に、なんの関係があるのよっ!」
「……そういうモノに御座います」
「知ってるの? あの子は、『自分が側室の子だ』って、どれ程周りに気を使っているか! 実の父にも、実の母にも甘えられないあの子が、どれ程可哀想か、貴方に分かるの、ロッテ! そんなあの子に、煌めく王冠を授けてあげたいのよっ!」
「……アンジェリカ様」
「だから! だから私は認めない! このフレイム王国の次期国王はリズじゃない! エリカ――エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムが成るべきなのよっ!」
肩で息をしながら、『きっ』とした視線をロッテに向けるアンジェリカ。そんな視線を受けながら、ロッテは平静を装ってアンジェリカに相対する。
「……分かってる」
一体、どれ程そうやって見つめ合っていたか。
「……分かってるのよ、そんな事」
すとん、とアンジェリカが椅子に腰を降ろす。
「……そんなの、我儘だって。私と陛下の間の子であるリズには、フレイムとラルキア、その両王家の血が流れている。それが、どれ程『重要』な事かぐらい、分かっているのよ」
「……そうに御座います」
「でも……それでも……エリカが可哀想なのよ。あの子の為に……私は、何かをしてあげたいのよ……」
まるで、搾り出す様なアンジェリカの言葉。その言葉に、ロッテも大きく頷いて見せた。
「はい。それは、私もそう思います。エリカ様には然るべき爵位と領地を陛下より下賜して頂くのが妥当でしょう」
「然るべき爵位と領地って……ローラ? それともチタンとか?」
「ローラ、或いはチタンは国政の要所に御座います。王族とはいえ、軽々しく下賜は出来ません。フレイム王国が傾きますので」
「……じゃあ、何処よ?」
「――テラ。ロンド・デ・テラが妥当かと」
「テラ?」
悩む様に、顎に指をあてるアンジェリカ。しばしそうやって悩んだ後、諦めた様に頭を振った。
「……聞いた事ないんだけど」
「海沿いの、小さな寒村にございます。有史以来、一度も栄える事の無かった領地です。潮風が強く、ために農作物もまともに育たぬ領地です」
ロッテの言葉に、驚いたの一瞬。
「そんな所にエリカを!? 貴方、エリカを邪魔者扱いする気!」
やがて、ロッテを怒鳴りつけるアンジェリカ。そんなアンジェリカに、ロッテは指を三本立てて見せた。
「そんな所をエリカ様に下賜する理由は三つです。お聞きになられますか?」
「……なによ?」
「一つ。そもそも、あの領地は不毛の大地に御座います。論功行賞にも使えない、その様な大地は王族に名誉と共に与えるのが妥当かと」
「だから、邪魔者にするつもりかって言ってるのっ!」
「二つ。その様な領地を下賜されたエリカ様に、権力欲に目が眩んだ、魑魅魍魎の類の様なバカな貴族共が群がる事があるでしょうか?」
「……あ」
「エリカ様には陛下の血が流れております。どう言い繕っても、これは純然たる事実で、そしてその『血』はフレイム王国の貴族に取って、喉から手が出る程に欲しい『権力』でもあります。ですが、テラをエリカ様に下賜すれば? 有史以来、一度も栄えた事のない不毛な大地に降った王族を、さて、世の貴族たちはどう見るでしょうか?」
「……王家から放逐された、『邪魔者』に見える?」
「そうです。きっと、『邪魔者』に見えるでしょう。そして私の知る限り、王族の勘気を買うリスクを取ってまでエリカ様に近付こうとする気骨のある貴族は居りませんからな」
「……自由に生きて行けるって事?」
「王城内ではしがらみも多く御座いますので。窮屈な暮らしをするよりは幾分マシかと」
「……三つ目は?」
「テラは貧困な領地です。そして、貧困である以上、領地の経営にかかる経費だって高々知れています」
「……どういう事よ?」
「仮に地方債の引受をエリカ様が依頼されても、フレイム王国としては受けて差し上げる準備が容易に出来るという事ですよ」
「……」
「領地経営に失敗しても、我々の懐で賄う事が出来ます。元々、直轄領ですし、その為の予算は計上してありますので」
「……そう。そっか……」
「はい」
「……分かった。それと、ありがとう。貴方も色々考えてくれているのね」
「アンジェリカ様の為では御座いません」
「あら? エリカの為?」
「リーゼロッテ様とのお約束に御座います」
「……」
「……」
「……ちょっと」
「はい?」
「……ちょっと、妬ける」
「……」
「……まあ、いいわ。それじゃロッテ。エリカにロンド・デ・テラを下賜する様に陛下に進言をして下さい」
「御意」
「それと、もう一つ。これは私からの命令です」
その言葉に、イヤそうにロッテは顔を顰める。
「……命令、に御座いますか?」
「……なによ、その顔?」
「いえ……アンジェリカ様のご命令は大体ロクな事がありませんので」
「し、失礼ね! そんな事ないでしょう!」
「……」
「……な、なによ?」
「いえ……ご自分の胸にお手を当てて考えて頂ければ」
「むきー! と、とにかく! これが守れない以上、私は延々とごね続けるわよっ!」
「……はあ」
「なによ、そのイヤそうな顔は!」
「……いえ、失礼しました。分かりました。それではお聞きします。お聞きしますが……ですが、アンジェリカ様? 出来る事と出来ない事があります。幾らご命令と言えども、出来ない事はありますので」
「分かってるわよ、そんな事。これは『出来る事』――ううん、ロッテにしか出来ない事ね!」
「……不安になってきたのですが」
「良いから黙って聞く! 私がリズの立太子を認める条件は二つ! 一つはエリカに領地と爵位を与え、王城から出す事! もう一つは――」
そう言って、言葉を切り。
「――エリカには、本当にエリカが愛した人と結婚させてあげて」
アンジェリカの言葉に、ロッテは息を呑む。
「……政略結婚なんかじゃなく、本当に愛した人と結婚出来る様にしてあげて。国の都合で、愛した人と引き裂かれる事のない、そんな国にして」
「……あ」
「これは、ロッテにしか出来ない事よ。フレイム王国の宰相である、ロッテ・バウムガルデンにしか」
出来る? と、問うアンジェリカに。
「……約束、しましょう」
ロッテは、力強く、頷く。
「――この、ロッテ・バウムガルデンの名に掛けて、必ずお約束をします」
「……うん、うん」
「エリカ様を――否、エリカ様だけではなく、リズ様も、その他の誰も、政略結婚の道具になる事のない、しなければならない様な、そんな国ではない、『強い』国を作って見せましょう」
「……うん、うん、うん!」
「誰も悲しむ事のない、誰も辛い思いをする事のない、誰も泣く事のない、そんな国にして見せましょう。愛する人と結ばれる、その彩を、輝きを、喜びを、そのただ、当然の権利を奪う事の無い、そんな国にして見せましょう。誰もが――」
――誰もが、『笑顔』になれる国にして見せましょう、と。
「……うん」
「……」
「……貴方なら、出来る。お願い、ロッテ。誰も――誰も悲しまない国にして」
「……はい」
「愛した人と……本当に、愛した人と、笑い合える国にして」
「……はい、はい」
「……」
「……」
「……もし」
「……」
「もし、よ? もし、貴方の様な人が、あの時に居たなら……政略結婚なんかじゃなく、ただ、愛した人に嫁ぐ事の出来る未来を、そんな未来を選択しても良いと、そう言ってくれる人が居たなら」
――私の人生も、もう少し違ったものになったかしら、と。
「……戯言です」
「……アンジェリカ様」
「……下がりなさい、ロッテ・バウムガルデン」
「……はい」
一礼し、頭を上げたロッテの視線の先に。
「……」
ソッポを向き、瞳に涙を浮かべたアンジェリカの横顔が映っていた。
◆◇◆◇
「……って……ろ……」
ふと、誰かが遠くから呼び掛ける声にロッテは瞑っていた眼を開ける。と、同時に視界に飛び込んで来た光景に、思わずロッテは眉根を顰める。
「っ! ロッテ!! 目を覚ましたのですね! 医者! 誰か、医者を呼んでください! ロッテが、ロッテが目を覚ましました! 早く! 早く呼びなさいっ!!」
そこに映ったのは、『笑顔』を約束した少女の――リズの、泣き顔だったから。




