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第百二十九話 剥がれ落ちた『仮面』

 

 日本式に言えば二十畳程度ある、ベッカー邸のリビング兼パーティールームに置かれたテーブルの上には所狭しと料理が並べられていた。仮にも千年続く商会の、そのリビングにしては『大きい』とは言い難いそこに足を踏み入れたエミリは、普段とは違った光景に二、三度目を瞬かせた。

「ごめんね~、エミリ。本宅でやればもっと広い場所もあったんだけど、あそこはホラ、人の出入りも激しいじゃん? 落ち着いてやろうと思うとどうしてもこっちになっちゃうんだよね~」

 呆然とリビングを見つめるエミリに、済まなそうにそう言ってビアンカが声を掛ける。その声に慌てた様に首を左右に振ってエミリは言葉を継いだ。

「そ、その様な事は御座いません。御座いませんが……」

 これは? と首を捻るエミリに、ビアンカはにっこりと微笑んで。

「――パーティーだよっ!」

「……は、はぁ……」

 言い切った。これぽっちも疑問の解決に役に立たないその言葉に、尚も首を捻り続けるエミリに、微笑みを苦笑に変えてビアンカは言葉を続けた。

「えっとね? コータ君のアイデアなんだ」

「コータ様の?」

「そ。『デート終わりで食事をしたいのですが、場所を提供して貰えますか?』って聞かれたからね。二つ返事でおっけーして、全員で準備したんだ!」

「……」

「まあ、折角の『デート』だし、最後まで二人っきりでもイイかな~とは思ったんだよ? でも……まあ、皆心配してたから」

「……心配?」

「その誤魔化し方はどうかとおねえちゃんは思うな~」

 苦笑を浮かべて『ん?』と首を捻るビアンカ。その姿に、言葉を紡ぎかけて、それでも何かを諦めた様にエミリは肩を落とした。

「……バレていた、と言うのはおこがましいですか?」

「まあ、気持ちは分からないでもないんだけどね。私にも責任があるし」

 そう言って御免、と頭を下げるビアンカ。その姿に慌ててエミリが両手を左右にわたわたと振る。

「お、お義姉様は悪くありません!」

「そう? まあ……んー……そうだね。どっちかっていうとエミリに、っていうより他の人に悪いかな? お義父様がこちらに来られたのは予想外だったけど、想定内ではあったからね。その辺りの気が回って無かったのは私のせいかなって思うのよ。だから、エミリの『行動』の一端には私の責任が結構あるかな~って、そうも思うのよね」

「……」

「……エミリの気持ちは分かるけど、それで皆に心配を掛けるのはダメかな、って思うし。そういう意味では一番悪いのはエミリかな?」

 にこりと笑みを浮かべてそういうビアンカに、エミリは黙って頭を下げる。

「……申し訳御座いませんでした、お義姉様」

「ん。それでおっけー。後は、今日来た皆にソレを伝えてあげれば完璧かな?」

「……はい」

「うし! それじゃエミリ、楽しもう! それが一番、皆が喜ぶから」

 そう言って、『にこり』を深くした笑みを浮かべて――その後、乾いた視線をリビングの端の方に向ける。つられてエミリも視線をそちらの方に向けて。



「……大丈夫、ソニアちゃん? 指、何本立ってるか分かる?」

「……さん……いえ、二本、です」

「名前は?」

「ソニア・ソルバニア……です」

「お父さんは?」

「ソルバニア王、カルロス一世です。わたくしは第十一子です」

「此処は何処か分かる?」

「ベッカー家の別邸です」

「まだ戦える?」

「戦えます!」

「……おっけー。浩太、ソニアちゃんはもう大丈夫よ!」

「……ボクサーか。っていうか真面目にやれ、真面目に。ソニアさん? 大丈夫ですか?」

「大丈夫です! わたくしの冒険はこれからですから!」

「……大丈夫じゃなさそうですね」

「シ~オ~ン~! 貴方ね! 包丁は握るなって言ったでしょ!」

「ほ、包丁は握ってないぞ! 鍋に調味料をぶち込んだだけだ! 包丁は握ってない!」

「トンチしてるんじゃないの! 包丁を握るなって言ったら料理するなって意味でしょうが! 大体分かるでしょ!」

「き、きちんと言ってくれないと分からんな! 言葉という便利なツールがあるのだから、それを正確に活用するべきだろう!」

「なに屁理屈捏ねてるのよ、貴方!」

「……皆さん、遊んでいないで料理を運ぶのを手伝って下さい」



 椅子に座らさせられたソニア、その前に立つ綾乃と浩太、その隣では床に正座をさせられたシオンと、腰に手を当てて怒鳴るエリカ、その後ろから大皿を両手に抱えて疲れた様な溜息を吐くエリザの姿が映った。

「……」

「……」

「……ホントに良かったよ。重大な国際問題に発展する所だった」

 この義姉にしては珍しく疲れた表情を浮かべてあははと乾いた笑いを上げるビアンカ。なんだか背中が煤けて見える。

「……その……どう申しましょうか。申し訳御座いませんでした。私の為に開いて頂いた会で、この様な事になってしまいまして」

「いいよいいよ。別にエミリが悪い訳じゃ無いしね。だから謝らな――」

「そうよ。エミリが謝る必要は無いわ」

 ビアンカの言葉を遮る様、エプロン姿のエリカがリビングの隅から二人の傍に近寄る。その姿に姿勢を正しかけたエミリを目で制し、視線を下に向ける。

「悪いのはぜーんぶこの主任研究員サマなんだから!」

 右手でシオンをズリズリと引き摺って。首根っこを掴まれた猫の様なシオンの姿に、何処かしらから小さな笑いが漏れた。

「違うんだ、エミリ嬢! 話! 話を聞いてくれ!」

「は、はあ。その……話はお聞きしますが……」

 喋りかけ辛い事この上ない体勢に、ついつい困ったような言葉が漏れる。そんなエミリにシオンは言葉を続けた。

「折角のパーティーで、しかも皆が皆、料理を手伝っているんだぞ? そんな中で私だけが『食べる専門』では具合が悪いだろう!」

 具合、全然悪くない。むしろ平和の為にも食べる専門であって欲しいとエミリが思いかけ――そして、気付く。

「……え? 料理? その……エリカ様も?」

 自身の言葉を確認するよう、視線がエリカの指先へ。そこには、無残にも包帯でグルグル巻きにされた指が目に入った。

「……あ、あはは。ま、まあ……な、慣れない事をするとね、うん」

 照れたようにそう言ってソッポを向くエリカの姿に、エミリが言葉を詰まらせる。

「……エリカ様」

「だ、大丈夫! 味見はきちんとアヤノにもして貰ったから! そ、その……お、美味しい筈よ、美味しい筈! ちょ、ちょっと不格好だけど、その、ま、まあ……え、えっと……し、シオンみたいな事にはならないと思うから!」

「ちょ、待て! 失礼な事を言うな! 言っておくけどな、エリカ嬢! 私と君ではそんなに料理の腕は変わらないぞ! 危険物と爆発物ぐらいの違いしかないからな!」

「貴方こそ失礼な事を言わないでくれるかしら! っていうか、自分で爆発物だと思ってるなら作らないでよね!」

「私は危険物の方だ! 一歩間違えればエリカ嬢、この家が吹き飛ぶ様なミスをしたくせに!」

「ちょ、それを今言う!? ち、違うのエミリ! ちょ、ちょっと手順を間違えただけで、きちんと成功したから! 結果って大事だと思う!」

 非常に五月蠅く言い合う二人を見つめるエミリ。と、その袖をくいっと引くモノがあった。

「……エリザ?」

「色々言いたい事はありますが……取り敢えず、エミリお姉様は私の作ったモノだけを食べていれば大丈夫です!」

「……エリザ。そういう事を言ってはいけませんよ?」

 屈んで人差し指を立てるエミリにペロッと舌を出して見せた後、エリザは引いた袖を先程より心持強く引く。

「え、エリザ!」

 思わずたたらを踏むエミリに華が開くような笑顔を見せて。

「――さあ、エミリお姉様! 冷めない内に頂きましょう!」


◇◆◇◆◇


「……ねえ、エミリ?」

 お酒を片手、なんだか若干目の据わった綾乃がリビングのテーブルの『お誕生日席』に座ったエミリの隣に腰を降ろす。瓶を掲げて見せる綾乃にありがとうございますとコップを差し出した。トクトクとなる音の後、杯を満たしたコップに口を付けて――隣の視線の圧に耐え兼ねて言葉を発した。

「な、なんでしょうか、アヤノ様?」

「さっきからずーっと気になってたんだけど……その、首元で光る黒真珠のネックレスってさ? 朝から付けてたっけ?」

 じとーっとしたアヤノの視線に、エミリは自身の顔が真っ赤に染まる感覚を覚える。慌てる様をそのままに、エミリは口を開いて。

「……え? そ、そのこれは――」

 一息。

「……と、言うかアヤノ様? 朝から付けていた、とは? 今日お逢いするのは初めてだと私は記憶しているのですが……」

「……」

 分かり易い、『しまった!』の顔。その表情の変化に、今度はエミリがじとーっとした目を向ける番だ。

「……アヤノ様? まさか……」

「ち、違うから! 私は別に、私の時みたいにエミリとかエリカとかソニアちゃんみたいに最後まで付け回してた訳じゃないから!」

「……つまり、『何処か』までは尾行していた、と?」

「そ、それは……と、ともかく! そんな細かい事よりも、どうしたのよ、それ!」

「……全く細かくないのですが?」

「お互いさまよ、お互いさま! イーチアザー! それよりも! それ……まさか、コータに買って貰ったの?」

 好奇心と――少しの嫉妬。先程の失言よりも分かり易い表情の変化に、エミリが体を強張らせる。

「その……は、はい」

「……うわー……マジか。アイツ、あんだけ催促した私より先にエミリに渡すとか……マジ無いわ~。流石、浩太。空気を読んでるようで読んでないわ~」

 ショックを覚えたかのようにテーブルに突っ伏す綾乃の姿に、エミリが慌てた様に言葉を続ける。

「も、申し訳御座いません!」

 不意に降って来た謝罪の言葉。その言葉に、きょとんとした表情で綾乃が顔を上げた。

「へ? な、なに? なんの謝罪よ、今の?」

「そ、その……わ、私だけ、コータ様から……プレゼントを……」

 もごもごと言葉を詰まらせるエミリ。その姿に苦笑を浮かべて綾乃は首を左右に振った。

「あー、別にそういうつもりじゃ無いわよ。エミリがプレゼント貰ったのは……そうね、羨ましいのは羨ましいけど、だからって別にエミリが罪悪感を覚える事じゃ無いわよ」

「で、ですが……その、私だけが……」

「……あのね、エミリ?」

「……はい」

「プレゼントを渡したいって思ったのは浩太。私に渡す前に、エミリに渡しちゃったのも浩太で……まあ、エミリより先に貰えなかったのは私自身の魅力の無さが問題なのよ。だから、別にエミリが『申し訳ない』とか思う必要は無いの。そういう奥ゆかしいっていうか……まあ、人の事を気に掛けるのはエミリの美点だとは思うけど? そんなんじゃ自分の幸せが逃げて行っちゃうよ?」

「……そう、でしょうか?」

「そうそう。だから、『へへーん、イイだろ! 悔しかったらお前も貰ってみろよ、仔狸!』ぐらいなモンで良いのよ?」

「そ、その様な事は!」

「じょーだん。そんな事、エミリが言うハズも無いと思ってるしね。まあ、ともかく? そんな事で『申し訳ない』って思う必要は無いわよ」

 ね? と笑う綾乃にエミリもおずおずと、でもしっかりと笑顔を浮かべて。

「ですが、それはわたくしも気になります!」

 直後、綾乃の逆隣に腰を降ろす少女。言わずもがな、ソニアだ。

「ソニア様?」

「ネックレスもそうですが……あの、何処となくコータ様に似た熊のぬいぐるみ! あれは何ですか!」

「そうよ。アレもコータからのプレゼントだったりする訳?」

「え、エリカ様?」

 声は後ろから。肩に手を当てて、エミリの耳元でそう囁くエリカは中々に色っぽい――ではなく。

「も、申し訳ございません! 直ぐに席を!」

 従者であるエミリが座り、主であるエリカが立っている。その事実に気付いたエミリが慌てて席を立とうとして、ゆっくりとその行動をエリカに制された。

「いいわよ、そんなに気を使わないで。今日は貴方が主役だし」

「で、ですが!」

「あーもう! あんまり言いたくないけど……命令です、エミリ! 座ってなさい!」

「……はい」

 命令と言われれば仕方ない。先程よりも座りが悪くなった気がする椅子に腰を落ち着かせ、エミリは視線だけを後方に送り。

「……それで? アレはコータからのプレゼントなの、エ・ミ・リ?」

 にやーっと笑うエリカを見た。目は、笑ってなかったが。

「え、エリカ様?」

「さあ、答えて頂戴、エミリ? まさか貴方、ネックレスに加えてぬいぐるみまでプレゼントして貰った訳?」

 慌ててエリカから視線を逸らすエミリ。が、右にも左にも似た様な視線をむけて居るだろう恋敵の姿を思い浮かべ、助けを求める様に視線を泳がして。

「……エリカ様?」

「なによ? 誤魔化す気?」

「出来れば――ではなく。その……なぜ、シオン様は泣き出しそうな目でサラダばかりを食しておられるのでしょうか?」

「シオン? そんな人いたっけ、ソニア?」

「シオンさん、ですか? わたくしの記憶にはないのですが……ああ、でもエミリさん? 今日のサラダは私が料理しましたので、是非食べて下さい! きっと美味しいです! ね、アヤノさん!」

「洗って、千切って、盛り付けたのを料理と言うかはともかく……まあ、一応ソニアちゃんの手作りね。ちなみにそこの鳥料理はエリカ謹製よ。そっちは結構おいしいから。後、話が続かないから言っておくけど、シオンは罰ゲーム中。あわや大惨事になるところだから、反省の意味も込めてね」

「……シオン様、物凄く恨みがましい視線を向けておられますが?」

「まあ、良い薬でしょ。ちなみにお酒も厳禁にしてるわ。そっちは浩太もだけど」

「コータ様も? その……コータ様もなにか粗相を……?」

「ううん。アイツ、酒乱だから。あっちはあっちで大惨事になり兼ねないし」

「……」

 エミリ、言葉もない。が、浩太の酒癖の『被害者』であるエミリから出せるフォローは無い。パルセナでの一件はご褒美だろうという説もあるにはあるが、酒癖が悪いのは事実ではある。

「……それで? エミリ、ぬいぐるみについての説明をして欲しいのだけれど?」

 誤魔化したつもりは無かったが、出来れば流して欲しかった。そう思うエミリの意思を許さぬ、まるで底冷えするかのような鬼――じゃなかった、エリカの言葉。その言葉に、背筋に寒いモノを覚える。

「……エミリ?」

「え、えっと……あ! エリカ様の作って下さった料理、頂戴いたします!」

「ちょ、エミリ!」

 少しでも時間を稼げ。

 自らの内なる声に従う様、制止するエリカの声を聞こえなかった事としてエミリは目の前の肉料理に手を伸ばして。


「――あ」


 フォークで突き刺した鶏肉を口に運び、思わず感嘆の息が漏れた。

「あ……え、えっと……ど、どう?」

「……」

「え、エミリ?」

「……おいしい」

「え? お、おいしい? ほ、ホント?」

「……美味しい、美味しいですよ、エリカ様!」

「そ、そう? その……お、お世辞とかは要らないわよ?」

「お世辞ではありません! 焼き加減や味付けも実に素晴らしいです! これなら、何処に出しても恥ずかしくありません!」

「お、オーバーよ! そんな……」

「まあ、私もそう思うわよ?」

「……アヤノ?」

「流石にお金を取れるレベルではないけど……でも、家庭料理として、男の胃袋掴むなら合格点じゃない?」

「そ……そう?」

「どう、エミリ?」

「アヤノ様の仰る通りです。所謂一流店で出される料理と比べれば、確かに劣る部分があるのは当然です。ですが、この味ならば何処の家庭でお出ししても喜ばれる味だと愚考します」

「そ、そう……え、えへへ……」

「……むう! エミリさん、わたくし! わたくしのサラダも食べて下さい! エリカ様ばかりじゃなくて、わたくしのサラダも!」

 エミリに褒められたのが余程嬉しかったのか、にやにやとした笑いを浮かべるエリカと、それが面白く無いのか、ソニアがエミリの袖を引っ張る。まるで手のかかる妹を見ている様なその姿に苦笑を浮かべながら、エミリがソニアのサラダにフォークを刺した。

「……美味しいです」

 口に運ぶ瞬間まで緊張した面持ちで見つめていたソニアの顔が、そんなエミリの言葉でぱーっと綻ぶ。

「ホントですか!」

「ええ、とても美味しいですよ、ソニア様」

 えへへと笑うソニアの頭を撫でる。一瞬、不敬かとも思いながら、それでも気持ちよさそうに目を細めるソニアに安心したかのようにエミリも撫でる手を少しだけ強めた。

「……美味しいって……そりゃ、サラダだもん。食材が良かったら美味しいに決まってるじゃない」

 そんな二人に、不満そうな顔を浮かべるエリカ。その声に敏感に反応した綾乃が、口の端をにやーっと上げて見せる。

「……なによ?」

「……おや? おやおや? あれ~? どうしたのかな、エリカ? まさか、嫉妬? ソニアちゃんが褒められたから?」

「し――し、嫉妬じゃ無いわよ! そ、そうじゃなくて!」

「照れるな照れるな。どう、エミリ? エリカの頭も撫でてあげたら?」

「あ、頭を撫でて欲しい訳じゃないわよ! べ、別にそうじゃなくて! そ、その……」

 もごもごと、口の中で声にならない言葉を出す。口を二、三度開閉し、それでも言葉にならず、それでもなんとか声を発して。


「……エミリがどうしても撫でたいって言うなら……な、撫でさせてあげる」


 綾乃の口が、ポカンとバカみたいに開いた。

「な、なによ! 違うわよ! ち、小さい頃はよくエミリが撫でてくれたから――じゃなくて! も、もう! もういい!」

「……いやー……どうなんだろう? 流石に驚き過ぎて『ツンデレ乙!』とかも言えなかったわ。え? なに? エリカ、撫でて欲しいの?」

「……撫でて欲しいっていうか……そ、その……ち、小さい時はエミリ、褒めてくれる時は撫でてくれてたから、ちょっと懐かしいなって思っただけで、べ、別にどうしても撫でて欲しいって訳じゃないけど、そ、その……」

 顔を真っ赤にしてソッポを向くエリカ。そんなエリカに、慈しむ様な笑みを浮かべてエミリはソニアの頭から手を離す。

「……まあ、此処はエミリさんの第一の妹分に譲りましょうか」

「ありがとうございます、ソニア様。宜しいですか、エリカ様?」

 エミリの言葉に『ん』と頷いて見せるエリカ。承諾の意を貰ったエミリはエリカの頭に手をのせて、昔を思い出すようにゆっくりと頭を撫でた。

「……っく……からかってやろうって思ったのに、なんだか凄く絵になるよ、ソニアちゃん!」

「え、ええ……なんというか……そこにあるのが当たり前の様な感じですね。初めて見る筈なのに」

 周囲の雑音を気にする事無く、エミリはエリカの頭を撫でる。心地よいそんな感覚に浸りながら、エリカが小さく口を開いた。

「……あんまり」

「……はい」

「……あんまり、心配かけないで」

「……申し訳御座いませんでした」

「貴方の心配をするのが苦だと思ったことは無いけど……でも、出来れば貴方にはずっと笑っていて欲しいんだから」

「……はい。申し訳――」

 違う。

「――ありがとうございます、エリカ様」

 その言葉が正解だったのだろう、エリカの顔が明るい笑みに変わった事に、エミリも、なんだか胸の奥が温かくなる気がして、思わずエミリも素晴らしい笑みを浮かべて。


 ――不意に、『キー』っと。


 ドアの開く音がして、何の気なしにそちらに視線を向ける。今まさに浮かべていた笑みそのままの、心の底から浮かんだ柔らかな笑みのまま。


「――……あ」


「……済まない、アロイス、ビアンカ。遅くなったな。本日はお招きいただき、どうもありがとう」

 入って来た男性――フランツ・ノーツフィルトを前に、その柔らかい笑みが固まった。


◆◇◆◇


 ――巧く、笑わなければならない。


 今日一日、自分は幸せだった筈だとエミリは思う。浩太にデートに誘われて、二人でギャンブルの真似事をして、プレゼントを貰って、最後は皆と食事会だ。皆が皆、自分を、エミリ・ノーツフィルトという一人の女性を心配し、案じ、彼女の為になにかをしようと動いてくれたのだ。幸せじゃない筈がなく、そうであるのであれば自分はにっこりと、微笑む事ぐらいはしなければならない、とエミリは思う。そう、エミリは思うのだ。


「――あ……う……」


 だって云うのに、エミリの顔に笑顔は浮かばない。いつも通り、その表情の上から『仮面』を張り付けて笑えば良い、ただそれだけの事で、それだけの事の筈なのに。

「お……」

 さっきまでが、幸せだったから。

「とう――」

 とても、とても、幸せだったから。

「――さ……ま……」


 現状との、『落差』に、上手に、笑えない。


「ふ、フランツ! 久しぶりね! 元気にしてたかしら?」

 エミリの崩れた表情になにかを悟ったか、エリカが庇う様にエミリの前に出て無理やり笑顔を浮かべる。そんなエリカの行動に一瞬表情を曇らせた後、フランツは満面の笑みを浮かべて見せた。

「――ご無沙汰しております、エリカ様。この老骨は何時だって元気です。エリカ様は……と、そうですな。噂はかねがねお伺いしております。ご壮健の様で」

「噂って……なに? どうせ碌なモンじゃないんでしょう?」

「そんな事は御座いませんよ。ロンド・デ・テラの発展は遠くノーツフィルト領にも聞こえております。憚りながら、私も我が事の様に喜んでおりますよ」

 そう言って、心底嬉しそうな笑みを浮かべるフランツ。自身の母、リーゼロッテの幼馴染であり、エリカ自身も幼い頃から知っているこの『近所のおじさん』の言葉と笑顔に何の裏も無い事を読み取ったエリカも、先程までの強張った笑みを嬉しさに綻ばす。

「……ありがと、フランツ」

「なにか必要な事がありましたら申し付け下さい。なんでも――とは申しませんが、可能な限り善処はさせて頂きますので」

「あら? そんな事言っちゃっていいの? むしろフランツ、貴方の方が私達に頼るんじゃないの?」

「……そうならない様にしなければなりませんな。エリカ様に助けられた等と言うと――呼び捨てで失礼ながら、リーゼに怒られてしまいますので」

 肩を竦めて見せるフランツに、エリカが心底楽しそうに笑う。屈託のない、まるで身内に見せる様なそんな笑顔に。


「――あ……」


 エミリの心の奥底で、何かがチクリと刺さる。

「……フランツさん」

「久しく――もないな、コータ・マツシロ。どうだ? なにか不便をしているのなら用意させるが?」

「いえ。先日も申しましたが、今の生活で十分満足しておりますので。なんの問題もありませんよ」

「そうよ、フランツ。なに? 貴方は親愛なる我らが女王陛下が用意した部屋にコータが不満を持っているとでも言うつもり?」

「そうではありませんが……それでも見る限り、コータ・マツシロは慎み深い御仁だと思いましてな。不満があっても不満を漏らす事はされないでしょうし、それなら当方で先んじて手を打っておこうかと思いましてな。他ならぬ、親愛なる女王陛下の名を汚さぬためにも」

 本来であれば不敬と断じられる様な台詞だ。だが、此処は『身内』の集まりだし、何よりも既にフランツは隠居の身、好きな事を言ってしまおうと言わんばかりのフランツの態度にすっとエリカが目を細める。その表情の変化に、フランツは小さく腰を折った。

「失礼。非礼が過ぎ――」

「貴方……まさか、コータの引き抜きでも考えてるの?」

「――まし……は? 引き抜き?」

「だ、だって! そうやってコータに恩を売って、『ウチに来ないか?』とか言うつもりかなって! あ、あげないからね! コータは私達の所にずっと居るんだからね!」

 フランツ、きょとん。後、声を上げて大笑して見せた。

「はっはっは! なるほどなるほど。そういう方法もありましたか。どうかな、コータ・マツシロ? 給金はテラ領の二倍までなら出すが……我が領に来て、魔王たるその智謀を活かしてみないかね?」

「だ、ダメよ! コータ、あれは悪魔の囁きだからね! 聞いちゃダメ! ウチは……そ、その二倍も出せないケド……で、でも! こう……な、なんかイイ事があるわ、テラに居たら!」

「アバウト過ぎでしょう、エリカさん。ですが……フランツさん、折角のお誘いですが行くつもりはありませんよ?」

「そうかそうか。それは残念だ」

 口で言う程残念そうでも――まあ、当たり前だが――残念そうではなく、そう言って肩を竦めて見せるフランツ。その姿にほっとした様に息を吐くエリカの姿と、困ったようにやれやれと肩を竦める浩太の姿に。

 

 その、『仲の良い』姿に。


「……あ……」


 ――エミリの胸の奥の奥が軋み、彼女に張り付いていた『仮面』が剥がれて、落ちた。


「あ……や……」

 思わずといった風に、エミリが浩太の服の端をぎゅっと摘んだ。和やかにフランツと談笑をしていた浩太はその摘ままれた服の意外な強さに驚いて視線をエミリに向け、今にも泣きだしそうな、苦しそうなエミリの表情に息を呑む。

「え、エミリさん?」

「ちょ、え、エミリ? どうしたのよ、貴方! 顔が真っ青じゃない!」

 動揺がそのまま出た浩太の声。困ったような、狼狽える様な浩太の表情の後ろで驚いた様な、心配そうな表情を浮かべるエリカの姿が映り。


「――イヤ、です」


 もう、止まれなかった。

「イヤです! コータ様を奪わないで下さい! もう――もう、イヤですっ! これ以上、これ以上私から奪わないで!」

 ――まるで、絶叫。

 綾乃が。

 ソニアが。

 シオンが。

 ビアンカが、アロイスが、エリザが。

 そして、浩太とエリカが。

「もう、イイじゃないですか! これ以上、私から何を――何を!」

「……」

「ちょ、え、エミリ! コータを奪うって……ち、違うのよ? ごめん、ちょっと冗談が過ぎたわ! ね、ね、コータ!」

「そ、そうですよ! 大丈夫です、エミリさん! 何処にも行くつもりはありません、ありませんから!」

 全員が呆然と見つめる中、意識を最初に取り戻した浩太とエリカからフォローの言葉が入った。いつもなら素直に『引く』エミリだが、あくまで泰然とした表情を崩さないフランツに、ついぞ見た事の無い厳しい視線を向けたまま。

「お父様は――お父様は、『もう』いいじゃないですか!」

「……」

「貴方は、望んだ生活を手にしたじゃないですかぁ! 不要な娘を他所に出し、自身は幸せな生活を手にしたじゃないですか! 『忌子』の私を捨て、『可愛い子供達』と過ごしているじゃないですか!」

「……」

「与えて下さいとは言いません! なにかが欲しいとは言いません! 施しを下さいとも言いません! なにも、なにも望みません。望みませんから――望まないから! もう、貴方から『貰う』モノなんて、なにも無いから!」


 ――幸せな、一日だったのだ。


 浩太にデートに誘われてラルキアを散策し。

 浩太にプレゼントをして貰い、それを手自ら付けて貰い。

 エリカに料理を作って貰い。

 シオンや、綾乃、ソニアまでが参加をした、本当に、本当に楽しいパーティーを開いてくれて。ビアンカやアロイス、エリザが『身内』として大事にしてくれて。


「これ以上――」


 だから、エミリは思ったのだ。だから、エミリは信じたのだ。私の両親は私を捨てても、それでも私は、私の『存在』は、此処に在っても良いのだと、本心から信じて、信じたのに、信じたから。 



「――これ以上、私から『居場所』を奪わないでよ、おとうさまぁーーーっ!」



 目の前で、自分を蔑ろにした『父』と仲良く話をするエリカと浩太の姿が、どうしようもなく悲しかった。

「……」

「……いいじゃない、ですか……」

「……」

「……貴方には、大事な『家族』があるんじゃないですか。貴方を愛し、貴方に愛される家族があるじゃないですか。これ以上、私から奪わないでも……私の大事な、大事な『家族』まで手に入れようとしなくても」


 もう、いいじゃないですか、と。


 ポツリと漏れたエミリの言葉に、空気が一気に静まり返った。誰も動けない静寂な空気の中、最初に行動を起こしたのはフランツだった。

「……エミリ」

「――っ!」

「聞いてくれ、エミリ。私は――」

「イヤ! イヤ、イヤ、イヤ!」

 両耳に両手を当て、イヤイヤと首を左右に振る。そんなエミリの姿に一瞬戸惑い、それでも己の勇気を振り絞ってフランツは一歩足を踏み出し、手を伸ばして。


「――イヤっ!!」


 その手をエミリにバシンと払い除けられる。呆然と固まるフランツの姿に、エミリの視線が一瞬揺れた後、そのまま腰を深く折って頭を下げた。

「わ、私、帰ります! 済みません、今日はありがとうございました!」

「ちょ、エミリ!」

「エミリさん!」

「済みません! 子供の様な事を言って――済みません! 頭を冷やします、済みません!」

 そう言ってもう一度頭を下げるとエミリはその身を翻して走り出す。しばし後、バタンという玄関のドアの閉まる音がリビングに響いて消えた。



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