第百十七話 ちょー愛してる
驚愕に目を見張るニーザに一瞥をくれると、扉口に立った女性――アイリス・ファーバーは不満そうに鼻をふんっと鳴らし、そのまま室内に足を踏み入れる。不意なアイリスの行動に目を白黒させるニーザの前まで歩くと、そのままアイリスは右手に持った紙袋を鼻先に突き付けた。
「……え……っと……?」
未だに回らない頭のまま、目の前の紙袋とアイリスの顔を行ったり来たり。そんなニーザにしびれを切らしたか、少しだけ面倒臭そうにアイリスが口を開いた。
「……差し入れ」
「……は?」
「だから、差し入れです! なんですか! 耳まで悪くなったんですか、ニーザ!」
そう言って睨むアイリスの顔が朱色に染まっているのは怒りか、それとも照れによるものか、判断が付きかねるままにニーザは目の前の紙袋を受け取る。紙袋を通してでも伝わってくる食欲をそそる香りがニーザの鼻腔を擽った。
「……ありがとう」
「……どういたしまして」
そのまま、もう一度ふんっと鼻を鳴らし、アイリスはニーザの執務机まで歩みを進めてその場で立ち止まると軽く室内を見回す。やがて部屋の中央、円卓に置かれた椅子を見つけるとそこまで歩いていって一脚手に取り、そのまま椅子を持ってニーザの机の隣に置いた。
「え……っと?」
――俺、『えっと』と『ありがとう』しか言ってない。
再び逢い見える時が来たら、言いたい事が沢山あった。そんな思いがニーザの体と心を駆け巡り、前述の『えっと』と『ありがとう』だけじゃあんまりだと思い、ニーザは自身の中からこの場面に最適な言葉を探し出す作業に没頭。あれでもない、これでもない、そう思って、思って、思って、ようやく出て来た言葉が。
「……座ったら?」
なんか、色々、ダメダメだった。アイリスも同じ思いだったか、ニーザの言葉に小さく苦笑。そんな姿に、穴があったら入りたい様な気持ちを覚え、それでも緊張が解けたかニーザが言葉を続けた。
「ちょ、待て! 今のはなし!」
「なんですか、なしって。良いですわ。別にニーザに『甘い』言葉なんて期待していませんもの」
んべ、っと小さく舌を出して苦笑を微笑みに変えた後、アイリスはゆっくりと椅子に腰を掛けると机の上に置いてある書類を愛おしそうに一撫でし、その後『きっ』とした視線をニーザに向けた。
「何をぼーっとしているんですか!」
「……は?」
「貴方、仕事をする為にこんな夜中まで起きていたんでしょう! ならその様にぼーっとせず、さっさと席について仕事!」
なぜ怒られているのか分からない。そんな表情を見せるニーザに、アイリスが机をバンバンと叩いて見せる。
「早く!」
「は、はい! 済みません!」
『いいか、ニーザ? オンナ怒らしたら、取り敢えず謝っておけ。男が黙って頭下げときゃ、大体丸く収まるんだよ』という父の教えを忠実に守ってニーザは慌てた様に執務机の椅子に座る。アイリスから貰った紙袋を机の上に置き、それでは始めようかとペンを握った所で。
――きゅ~、っと。
「……」
「……」
可愛らしい音が鳴る。
「――っ! し、仕方ありませんでしょ! 私だってお腹ぐらい空きますわ!」
アイリスのお腹から。顔を真っ赤に――今度こそ、羞恥で顔を真っ赤に染めたアイリスの怒声に、溜まらずニーザは横を向いて口を押えた。
「あ、あー! わ、笑いましたね、ニーザ! 酷い! 酷いです!」
「っく……ぷっ……ご、ごめん……で、でも……その……あんまりタイミングが……くっくくく!」
「し、知りません! ニーザなんてもう、知りませんから!」
ふんっとソッポを向き、それでも席を立とうとまではしないアイリスに苦笑と微笑、どちらとも付かない笑みを作ってニーザは手に持ったペンを机の上に置くと、代わりにアイリスから貰った紙袋を手元に引き寄せる。
「食うか……って、アイリスから貰ったやつだけど」
「食うかって! そんなの、だ、ダメです! 大体、こ、これは貴方の為に――」
――きゅ~。
「……食うか?」
「――……頂きます。頂きま――わ、笑わないで下さい!」
我慢の限界とばかりに俯いて肩を震わすニーザからまるで奪う様に紙袋を取ると、アイリスは袋を開けて中からサンドイッチを取り出して一口で被り付いた。その姿が『淑女』であった筈のアイリスにあまりに似つかわしくなくて、収まりかけた笑いの奔流に飲み込まれるニーザ。
「……あげませんわよ? 私一人でも食べれる量ですし?」
「くっくくく……ごめん、ごめん。頂く」
何とか笑いを堪える事に成功。黙って差し出す手を一瞬、不審者でも見る様な瞳で射抜いた後、アイリスは肩を竦めて紙袋を手渡した。
「味は……保証しませんから」
「……手作り?」
「? 勿論、そうですけど……」
ニーザの頭に蘇る、『オリジナル料理』の記憶。
「――……うん、いい香りしてるね」
「なんですの、今の間は!」
「い、いや……そ、そもそも! アイリスが言ったんじゃん! 『味は保証しません』って!」
「そ、そうですけど……そ、それはアレです! 謙遜です! じゃあ、ニーザは見たいんですか? 『自信作です。超おいしーですから!』とか言う私を!」
「なんだか逆に見て見たい気がするけど、それ――って、ちょっと待て! なんだよ『ちょー』って! アイリス、そんな事言ってたか!?」
「アヤノさんに教えて貰いました! 『アイリスぐらい可愛らしい子なら、『ちょー美味しいわよ! 食べてみて!』とか語尾にハートマークでも飛ばしときゃいいのよ!』って!」
「何教えてんだあの人!」
しかも『ちょー』とか言っとけば良いと思うあたりになんとなくノスタルジックな香りを感じる気がしないでもない。年の功である。
「……って、アヤノさん?」
「あ……はい。アヤノさんです」
「……えっと……アイリス、アヤノさんとその……知り合いだっけ?」
「少し前に、初めてお逢いしました。こう……なんと言いましょうか、物凄く……こう、モノスゴイ人でした」
「ああ……まあ、うん……そうだよな。こう、なんというか、『お姉さん』的な感じはするわな。シオンさんと同い年とは思えな――」
「私、生まれて初めてです。胸倉掴まれたの」
「――……」
「なにも返答してくださいませんの?」
「ああ……えっと、なんだろ? あの人、最後は良い話っぽくしめてたけど、そういえば包丁突きつけられたな~って思い出してた」
「ほ、包丁!? なんですの、それ! なんの話ですの!?」
「さっきの話」
あの人はあの人で規格外だし、となんでもない様に付け加えるニーザにしばし絶句。その後、少しだけ諦めた様に首を左右に振って見せた。
「ニーザがそう言うのであれば構いませんが」
「そういう事で」
この話はおしまい、とばかりにニーザは小さく笑んで手を左右に振って見せた後、紙袋の中を覗き込んで感嘆の声を上げた。
「うお! これ、サンドイッチ? しかもこの匂いって!」
「貴方が好きなローストビーフサンドです。結構良い食材、使っておりますわよ?」
「スゲーな!」
「し・か・も! ソースは私謹製のオリジナルソースですわ!」
「マジか! よし! それじゃコレは後で頂くわ!」
イイ笑顔でそう言って、いそいそと紙袋を閉めようとするニーザ。と、その手をアイリスがグッと掴んだ。
「……明日も仕事なんだよ」
「食べますわよね?」
「……アイリス?」
「……食べます、わよね?」
「……はい」
ニーザの眼に、後ろに『ゴゴゴッ』となにかの影を背負うアイリスが飛び込んだ。
「……アイリス、なんかちょっと怖いんだけど?」
「アヤノさんに教えて頂きましたので」
「……アヤノさん」
「私の師匠ですわね。さあ、ニーザ! お話ばかりではなく、食べて下さいまし!」
ニーザの眼に映ったのは綾乃の影だったらしい。碌な事を教えない師匠だな! とはニーザも言わず、観念したかのように紙袋からローストビーフサンドを取り出すと、自身の目の前に掲げて見せた。
「形は綺麗でしょ? 香りだって悪く無い筈ですし」
「アイリス、この世の中には形も香りも、味だってイイのに『事件』を起こす食べ物だってあるんだ。よく考えたらスゲーよな。あれで味は抜群に良かったんだから」
「……なんの話です?」
「食材に対する冒涜の話だよ」
無駄話をした事によって覚悟が決まった。そう思い、ニーザは心の中で神に祈りつつ件のサンドイッチを口の中に放り込む。噛んだ瞬間、少しだけレモンの利いたあっさりとしたソースと絡みながら、濃厚な肉汁が溢れだす様なローストビーフの味が咥内を満たす。一緒に挟んであるレタスのシャキシャキ具合も程よく、一口、もう一口と食べたくなる。空腹、という最高のスパイスが利いている事を加味してもこれは。
「……うまい」
「! ほ、ほんと――こ、コホン! で、でしょう! え、えへへ!」
少しだけ不安そうに見つめていたアイリスの顔にぱーっと笑顔が花開く。その表情のまま、心持胸を張って見せた。
「まあ、私は昔から料理は得意ですから!」
「……俺、難聴になったのかな? えっと……得意?」
何言ってるんだ、こいつという表情を見せるニーザに、一瞬だけきょとんとした表情を見せるアイリス。後、なにかを思い出したようにポンと手を打って見せた。
「先日の料理の事ですか?」
「ああ……うん、そう。あのオリジナル料理」
「アレはオリジナルではなく、ローレント王国の方で食べられている郷土料理です。確かに見た目もあまり宜しくは無いですし、味も……その、独特の『クセ』はあります」
「……郷土料理なんだ、アレ」
「冬のローレントは雪深く、作物もあまり取れません。加えて険しい山脈もありますので、食材は高価になりがちです。ですので……まあ、確かに保存の利き易い、所謂『残り物』で作った料理ですが……その、栄養は満点らしいですので」
「……マジか」
「ええ! だ、だというのにニーザは言うに事欠いて……そ、その、げ……と、吐瀉物とか言いますし!」
「い、いや! だってアレは……つうか、なんでそもそも貴族のお嬢様がローレントの郷土料理知ってるんだよ! 普通は思わねーだろ!」
「家庭教師がローレントの方だったのです! 『冬はコレです!』と言って私に振る舞って下さったんですよ!」
「最初に作って貰った料理がローレントの郷土料理ってハードル高すぎるだろうが!」
「だ、だって! ニーザ、あの時は元気が無かったし、少しでも元気を出して貰おうと思ったんです! で、ですからあの料理を作ったんですわ!」
「いや、でも!」
「な、なんですか!」
「な、なんだよ!」
そう言って、睨み合う。一瞬とも、永遠とも取れる時間、お互いがお互いを見つめ、怨嗟の籠った視線をぶつけ合い。
「「……ぷっ」」
そして、どちらからともなく笑い出す。最初は小さな、それが一瞬で大きな笑いとなる。ニーザはお腹を抱えて机をたたき、アイリスは顔を逸らして肩を震わせた。
「……申し訳御座いませんでした」
どれくらい、そうしていただろうか。
目元を拭いながら、そう言ってアイリスはニーザに向き直ると深々と頭を下げる。机をバンバンと叩いて笑っていたニーザは不意のこのアイリスの仕草に驚いた様に手を左右に振って見せた。
「い、いや、アイリスが悪い訳じゃないよ! その、俺が文句ばっかり言って! こう、折角アイリスが作ってくれた料理なのに!」
「いえ……やはり、私が悪かったのですよ。きちんと説明をしてからお料理をお出しすれば良かったのです。そうすればニーザ、貴方も文句を言わずに食べてくれたでしょう?」
「そりゃ……まあ……少なくとも、頭ごなしに怒鳴ったりは……しなかった、かな?」
予備知識無しでいきなりあの料理だから驚いた面もあるにはある。『どうせお嬢様で料理なんかした事ないんだろう?』という偏見もあったし……こう言ってはなんだが、シオンの料理という実地の経験もあったのだ。そういう面では情状酌量の余地もある。あるが。
「い、いや! でも! それでも『美味しいよ』って食べるのが男の仕事ってモンだし!」
こういう事だ。女性が一生懸命作ってくれた料理、例え真っ黒焦げな消し炭みたいな料理であってもにっこり笑って『美味しいよ』と食べるのが礼儀という考え方もあるっちゃある。そんなニーザの言に、微笑んでアイリスは首を左右に振った。
「……私は貴方の『お人形』になりたかった訳ではないですよ、ニーザ」
「……」
「私は貴方と支え、支えられ、背中を押し、背中を押され合う関係でありたかったのです。前でも後ろでもなく、隣で歩みたかったのです」
「……アイリス」
「私も貴方も……きっと、我慢し合っていたのでしょう。言いたい事も言わず、我慢だけしていたから」
「……ボンってなった?」
「違いますか?」
「……ちがわ、ないかな?」
環境が違う中で育った二人が、いきなりストレスフルな環境に置かれながらもお互いの事を考えあい、そしてすれ違う。悲劇とも喜劇ともいえる関係性を思ってか、アイリスが薄く微笑んだ。
「……先程の『言い合い』の様な事を、もう少し早くから出来ていれば……きっと、私達は今の様に皆様にご迷惑をお掛けしなかったのではないかと思っております」
「……かもな」
残ったサンドイッチを一口で口の中へ。ゆっくり咀嚼した後、それを飲み込むと水差しに入れてあった水を二杯、コップに注ぐ。
「……それで」
一つのコップを手渡した後、ニーザは覚悟と共にその水を飲み干す。
「……俺たちは……今からでも、その関係に……なれるかな?」
今、水を飲んだのにカラカラに乾く喉。その喉に、まるで口から出たく無いとばかりに引っ付いて離れない様な言葉を、どうにかこうにか絞り出したニーザの眼に、ゆっくりと頭を下げるアイリスが映った。
「――申し訳ありません、ニーザ」
◇◆◇◆
「……」
「……」
「……」
「……なあ、シオン? その……そろそろ正座、止めても――ああ、分かった。分かったからそんな怖い顔せんでくれんじゃろうか?」
部屋の中央、正座するクリス。そんな自身を中心にぐるりと円陣を組むシオン、浩太、綾乃、エリカを順々に見渡した後、クリスは大きく溜息を吐いて、ボソッと呟いて見せた。
「……一応、ウェストリアの殿下なんじゃけどな、私」
「あん? なにか言ったか、クリス殿下?」
そんな、聞こえるか聞こえないかの小声を耳に挟んだシオンが肩を怒らせながらクリスを下から覗き込む。正座しているクリスを下から、である。結構な美女であるシオンの、まるで因縁を付けるヤのつく自由業の方の様なその残念な仕草にエリカが慌てて制止の声を発した。
「し、シオン! 幾らなんでもやり過ぎよ!」
「黙っていてもらおうか、エリカ嬢! 今回の件は誰がどう考えてもクリス殿下が悪い!」
「いや~……ほいでも、やろうって言ったのはシオンじゃし……」
「なんか言ったか!」
「い、いや、なんでもない。なんでもないからそないに怒らんでや。な?」
宥める様なクリス、怒れるシオン、慌てるエリカ。そんな三人を見ながら、困った顔の浩太は隣で呆れた様にそれを見守る綾乃に声を掛けた。
「……良く気付いたよな」
「何が?」
「いや、何がって……」
「し、シオン! 落ち着いて!」
「落ち着けるか! 私がどれだけ悩んだと思っているんだ! それが……それが! 『結婚するって言うのは演技、ウソでした~。ごめんね』だと! そんなの……そんなの、許せるかぁーーーー!」
「……アレだよ、アレ」
再び怒りを爆発させるシオン火山を見やって掛けた浩太の声に、肩を竦める綾乃。
「結構好きなのよ、私」
「なにが? っていうか、なにを、か?」
「少女漫画」
「…………………………へえ」
「おい。なんだ、今の間は」
「いや……綾乃が少女漫画って、と思って」
「あによ? 私が壁ドンとか顎クイとか憧れちゃおかしいって言いたいの?」
「いや……」
一息。
「………………いや、おかしいだろう?」
素の表情を浮かべてそんな事をのたまう浩太。確かに綾乃のキャラでは――無い事も無いが、とにかく綾乃だって女の子、そういう憧れだって無い訳では無い。そんな綾乃の気持ちを一刀両断で切り捨てる浩太を半眼で睨み付けながら、言葉を継ぐ。
「……まあいいわ。いや、全然良くないんだけど……ともかく! まあ、結構ある展開なのよ。『好きな人の気を引くために、別の女と付き合ってみる』っていうの」
「……あんの、そんな展開?」
「ヒロインはやらないけどね、叩かれるから。何時だって浮気者は男の方なのよ」
「それは言いがかりな様な気がするが?」
「ソースは浩太」
「うぐぅ!」
「ま、ともかく。それでも終いには、『やっぱり綾乃の事が好きなんだ!』ってなるのよ」
「……おい」
「私の事じゃないわよ? 綾乃ってヒロイン多いのよ、結構。まあともかく! 恋のライバル、喧嘩、付き合ったフリは少女漫画の醍醐味だからね。喧嘩して、恋のライバル出したんでしょ? んじゃ付き合ったフリもあるんじゃない? ってカマかけたら」
「見事に白状した、と」
「ちなみにアイリスに裏も取った。説教しといたから。最後は『アヤノさんは私の師匠です!』とか言われたけどさ」
「説教の部分が激しく気になるが、スルーしておく。乱暴な事はしてないよな?」
「ブッ飛ばすポンはしていない、と言っておくわ」
「……もう、いい。ポンってなに? とか聞かない」
怖いから。そう思い、未だにぎゃーすか騒ぐ三人に視線をやって、溜息交じりに浩太は仲裁の労を取った。
「三人とも、その辺りで」
「おお、コータ! なあ、そろそろ正座、止めてもエエじゃろうか?」
「甘やかすな、コータ! 甘やかすとダメな王族になる!」
「ちょ、シオン! こ、コータ! 助けて! シオンが――って、シオン! 引きずってる! 私を引きずってるから! こ、コータぁー!」
「……本当に、その辺りで。取り敢えずシオンさん、ストップ。殿下も正座はもうイイです。エリカさんは……うん、手を離してもイイですよ。なんだか西部劇で馬車に引きずられる人みたいな格好になっていますから」
ほっとした顔、怒ったままの顔、半泣きの顔。三者三様の顔を見せながら、それでも仲良く浩太の意見を聞き入れる三人。その姿にうんと一つ頷くと、浩太は視線をクリスに向けた。
「それで……まあ、事情は大体伺いましたが……事実ですか?」
「ええっと……まあ、そうじゃの。今のままじゃ不味いと思ったから、ちょっと一芝居打ってみたんじゃ」
「……あまり良い作戦だとは思いませんが?」
「ほうかの? ほいでも、アレじゃ。追い詰められたからニーザも気合を入れ直した所もあるんじゃないかの?」
「まあ……そうでしょうが」
大事業のプレッシャーもさる事ながら、『打倒殿下!』という気持ちがニーザに無い訳でもない。そう言った意味ではクリスの言も間違ってはいない。いないが。
「じゃあそれを何故私達にまで内緒にする必要がある!」
シオンからクレームがついた。仰る通りではある。
「秘密は知っている人間が少ない方が守れるけんの」
「だが! 私達にぐらいは言ってもいいだろう!」
「誰にも知られたくない事は、誰にも喋らんのが一番じゃけん。それに……シオンじゃで?」
「どういう意味だ!」
「シオン、知っとったら絶対手、抜くじゃろ? 『ふん。そういう事なら少しくらい手を抜いてもいいな。何、巧くやるさ』とか言いそうじゃし」
「失礼な事を言うな! 私だってやると――」
「ああ、言いますね」
「言いそうね、確かに」
「絶対言うわよ! だってシオンだもん!」
「――きはやるに決まってるだろうが、おい、お前ら、流石にそれは酷いだろうが! やるよ! 私だってやる時はちゃんとやるさ!」
三者三様、異口同音の突込みに思わずシオンが叫ぶ。そんなシオンを見やりながら、エリカが肩を竦めて口を開いた。
「貴方のやる時とやり方は、私達と認識にちょっとズレがあるのよ。まあ、殿下の考えは分かったわ。とにかく、殿下はアイリスとは……」
「何もないで? 全部演技じゃ、演技」
「そう。何も無かったのね」
そう言って、一息。その後、少しだけ顔を赤く染めて上を見たり下を見たり、視線を右往左往させる。そんなエリカを訝しげに見つめる全員の視線を受け、少しだけ覚悟を決めた様にエリカが小さく口を開いた。
「えっと…………その…………ホント?」
「…………は?」
「だ、だって! 二人きりで夜もずっと一緒だったんでしょ! そ、それって、あの、その、え、えっと……」
先程まで少しだけだった頬を真っ赤に染めてわたわたと手を振って見せるエリカ。そんなエリカに胡乱な表情を見せたまま、シオンが言葉を続けた。
「……なあ、エリカ嬢?」
「な、なによ!」
「いや……まあ、その、なんだ? ニーザの時も思ったんだが……君は少し『ムッツリ』過ぎやしないか?」
「む――! ち、違う! 違うわよ!」
「まあ、イイ年頃の男女の話だ。そういう興味が湧くのも分からんでは無いし、浮いた話は貴族の……というか、社交界か? 社交界の嗜みであるのも否定はせんが……」
「そ、そうじゃなくて! わ、私が言いたいのは……そ、その…… っ! そ、そう! ニーザは気にするんじゃないかって!」
今、思い付きましたを地で行くような苦し紛れなエリカの言葉。シオン辺りが突っ込みそうな所ではあるが、流石にシオンも空気を読んだか目だけで浩太を促して見せた。
「エリカさんの言う事も一理あります」
「随分、下世話な話じゃけどな?」
「……否定はしません。否定はしませんが……」
「まあエエよ。ただ、『していない』事の証明をせーと言われたら困るんじゃけど……」
そこまで喋り、クリスはにやりと口の端を釣り上げて見せた。
「……普通は、じゃが」
「つまり、証明できると?」
「今すぐに証明せー言われたら難しいけど……ほいでもいつかは証明出来るじゃろうな」
「……随分含んだ言い方ですね? なんです?」
「うーん……まあ、エリカ殿下が言い出した事じゃしな」
そう言って浩太、シオン、綾乃、そしてエリカに順繰りに視線を飛ばす。全員の視線が集まっている事に一つ頷くと、クリスは重々しく口を開いて。
「フレイム王国では、求めるじゃろ? 『新妻』に」
「「「「…………ああ」」」」
全員がその言葉を理解するまで、さして時間はかからなかった。
「……こう……何というか……判断に迷うぞ? 私はニーザの鉄の意思を褒めるべきなのか? それとも『このヘタレが!』と罵るべきなのか?」
「な、何言ってるのよ! だ、大事な事でしょ、大事な!」
「聞いた、浩太? アンタも少しは見習えば? 節操のないの止めてさ?」
「言い方! 節操がない訳じゃないぞ、俺!」
カオス。
「あれ? エリカ殿下、少し残念そうな顔してる様に見えるんじゃけどな?」
「ざ、残念そうな顔なんかしてない!」
「ふむ……確かにエリカ嬢、少し残念そうに見えるな。なんだ? お得意のムッツリか?」
「だ、誰がお得意よ! ち、違う! 違うから!」
そんなカオスの中に、更なるカオスを放り込むクリスと、それに乗るシオン、簡単におちょくられるエリカに呆れた様に深く溜息を吐き、浩太が綾乃に向かった言葉を放った。
「……で?」
「ん? 『で』とは?」
「トボけるなよ。どうせお前の事だから、アイリスさんをニーザさんの所にでも行かしたんだろ?」
「流石、浩太。勘が良いわね」
「長い付き合いだからな」
そこまで喋って言葉を止め、じっと綾乃を見つめる浩太。その視線を受けて、綾乃はゆっくりと右手を上げて見せた。
「喧嘩、ライバル、付き合ったフリと少女漫画のオンパレードよ?」
そう言って、右手の人差し指を中指を立ててピースサインをして見せて。
「――最後は『元鞘』って相場が決まってんのよ!」
◆◇◆◇◆
「……」
「……」
「……あ……あはははは……」
「に、ニーザ! しっかり! しっかりして下さい!」
アイリスから、一連の『告白』を――まあ、要は『ウソでした、てへぺろ』を聞いたニーザは執務机の椅子に腰をかけたまま、真っ白に燃え尽きていた。そんなニーザをおろおろとした様子で見ながらアイリスは頭を下げ続ける。
「す、済みませんでした! 本当に、ニーザにどう謝っていいかも分からないぐらい、酷い事をしたと反省しています! その……ほ、本当に! 本当に申し訳御座いませんでした!」
既に、何度下げたか分からない頭をしきりに下げるアイリス。そんなアイリスの髪の上を、ゆっくりとニーザの手が撫でた。
「……ニーザ?」
「その……なんだ、謝らなくてもいいよ、アイリス」
「で、ですが……」
「いや、マジで。それに、別に怒っている訳じゃ無いんだ。なんていうか……」
実際、『全部演技でした、許してね?』と言われてもニーザは別段怒っている訳ではない。怒っている訳ではなく、どちらかと言えばこの感情は。
「……ほっとした、っていうかな?」
安堵、である。
「その……許して貰えるのですか?」
「許すも許さないもねーよ。俺にだって原因が――」
言葉を切る。
「――いいや。俺にこそ、原因があるし」
「そ、そんな事はありません!」
「あるさ。だって俺、マジで情けなかったしさ。駆け落ちしよう、って言って連れ出しておいて、やってる事は殿下とかシオンさんに頼って毎日毎日ぼーっとしてるだけだろ? そのくせ、アイリスのしてくれた事に一々難癖つけて……こう、なんて言うか……男として情けないって言うか……こう、さ? アイリスに楽をさせてやりたかったのに、出来ない自分が不甲斐ないっていうか」
「……」
「……あれ? 不満?」
ニーザの言葉を頬を膨らませたまま聞いていたアイリスが、こくんと首を縦に振る。
「……先程も言いましたが、私は貴方の『お人形』ではありません」
「ああ、分かってる。分かってるんだけど……そうだな。支えて貰いながら、それでも『お人形』の様に可愛がるって言うのは両立すると思うんだよ。お人形、は言い方悪いか。いつもじゃなくても、たまにはお姫様扱いをしたいんだよ、俺は」
「……」
「お姫様扱いはお気に召さない?」
「……そんな事は……まあ、ないです。嬉しくないといえば、ウソにもなります」
「良かったよ。だから……まあ、なんだ? そんな事も出来ない自分が情けない……というか、格好悪くて……」
「そんな事は! そ、それにそれだったら私だって情けないです! なにもしていませんよ! ニーザだけじゃありません!」
庇うかの様なアイリスの発言に小さく苦笑。そのまま、ニーザはアイリスの手を取った。
「……あ」
「綺麗な手だったのにな」
「……」
「こんなに、『あかぎれ』させちゃった」
「……貴方の役に立てる事は嬉しいですよ?」
「そう言って貰えるから、それに甘えるってのは格好悪いって思ってたんだよ。思ってたんだけど、でも……まあ、なんだ。考え方を変える」
「考え方、ですか?」
「ああ。格好悪い俺が、どれだけ頑張って格好良く振る舞おうと思っても無理があるから」
「……」
「熊蜂って知ってるか、アイリス?」
「熊蜂、ですか? 存じ上げませんが……」
「熊蜂って蜂は、理論上は飛べないんだってさ。でもな? 熊蜂は飛んでいるんだよ。なんでだと思う?」
「……なぜでしょうか?」
「熊蜂は――」
そこで、言葉を止める。『なぜ言い淀むのです?』と言わんばかりの視線を向けるアイリスに、微笑みを浮かべて。
「――自分が飛べるって信じているから、飛べるんだってさ」
「……信じているから、ですか……」
「そ。だから、俺も信じてみるよ。悩んだからって飛べる訳じゃないからな。取り敢えず、我武者羅にでも色々やってみて、格好悪くても、ダサくても……とにかく、何時か絶対お前を幸せにするって『信じて』やってみるさ。何時か、絶対『飛べる』まで、諦めずに、信じて……そうやって、やってみる」
だから。
「……アイリス、俺が飛べるまで、さ」
側に居てくれないか? と。
「……」
「……」
「……お断りします」
「……」
「もう、何度目か分かりませんが……私は『お人形』ではありません。貴方が飛ぶまでただ側で待っているなど、ふるふる御免です。ですから……」
「……」
「ですから……私は貴方と一緒に『飛び』ます」
「……」
「貴方が羽の動かし方が分からないというなら、私も一緒に考えます。貴方が地面に打ち付けられて痛いと言うのであれば、私が包帯と傷薬で処置をしてあげます。貴方がもう無理と言うのであれば、私が喝を入れて差し上げます。ですから」
じっと、ニーザの眼を見つめて。
「――貴方がそれを望んで下さるならば、私は貴方と一緒に居たい」
「……」
「……」
「……参ったな」
「参る事などありませんでしょう?」
「参るさ。俺が、お前を『高み』に連れて行きたかったのに」
「それはそれで魅力的ですが……折角です。一緒に高みを目指しましょう」
ね、と笑って見せるアイリスに、降参する様に両手をあげるニーザ。その姿をおかしそうに見つめた後、アイリスはむん! と一息。腕まくりをして見せた。
「さあ、ニーザ! それではこの資料、片付けてしまいましょう!」
「……今から?」
「そうです! 折角やると決めたのですから、早い方が良いです!」
「いや、そうだけど……結構いい時間だぞ? 寝なくていいのか?」
「大丈夫です! さっきサンドイッチも食べましたし!」
「関係あるの? 腹は膨れたけどさ」
「関係大有りですよ! こんな状態で寝たらきっと、お腹周りにお肉がついてしまうじゃないですか! ニーザはイイんですか? 私が豚さんになっても!」
「……うわー」
「な、なんですか、その眼!」
「いや……なんて言うか……まあ、イイけどさ」
「イイならやりましょう!」
「あ、イヤそうじゃなくて……別にアイリスが太っても痩せても構わないけど……それより良いのか? 寝不足はお肌の大敵じゃないのかよ?」
「私、まだ若いですから!」
「……シオンさんの前で言うなよ、絶対」
『うぐぅ!』とか変な声を出すアイリスにやれやれと首を振って、ニーザは視線を書類に落とす。船の数、航路の距離、そこから算出される保険料を導き出す公式を見つめて。
「……あれ?」
「どうしました? なにか問題でも?」
「ああ、いや……問題じゃなくて」
そう、問題じゃない。
「……これ……こんなに簡単だったかな?」
「はい? なにか言いました?」
はてな顔を浮かべるアイリスになんでもない、と首を左右に振って……気付く。
「……そっか」
「なんですか、さっきから。気になるんですけど」
「いや……なんでもない」
隣にアイリスが居るという事実が、これだけ心強いという事に。
「……おかしなニーザですね」
「ははは。だよな」
自分でも笑ってしまうぐらい、単純なその事実についつい声にも笑みが混じる。そんなニーザを少しだけ変な人を見る目で見た後、アイリスも視線を紙の上に落として。
「……ニーザ?」
「なんだ?」
「その……今まであまり言った事がなかったですが」
相変わらず、視線は書類の上に落としたままで。
「――私、ニーザの事……ちょー愛してます」
耳まで真っ赤にしたアイリスの、そんな言葉についついニーザの頬が緩む。
「……アヤノさん、マジで半端ないな」
「……ちなみに私、結構嫉妬深いですから。幾ら師匠と言えど、名前を出されると少し不機嫌になります」
「そんなキャラだっけ?」
「私も変わろう、と思いまして。言いたい事は言いますし、主張したい事はします。その……ニーザ?」
少しだけ、不安そうに顔を歪めて。
「……こんな私は……嫌ですか?」
そんな心配そうなアイリスの頭を軽く撫でて。
「――んな事ない。今のアイリス、ちょー可愛い」




