第百四話 ニーザの美味しいコーヒーショップ
活動報告でも書きましたが、四巻発売延期になりました。楽しみにして下さっている方には大変申し訳ございませんが、なにとぞご理解賜れれば幸いです。申し訳ございません。
「私もですね、シオン? 別にそこまで細かい事を言うつもりは無いのです。生まれてこのかた王城暮らしですし、学術院の人間が身なりに頓着しない事も知っています。むしろ、部屋の掃除をする暇もないほど職務に邁進して下さっている証とすら思っております。貴方がたのその飽くなき探求心が、我がフレイム王国千年の発展を支えている事も承知しております。承知しておりますが――」
一息。
「貴方女の子でしょ、シオン! もう少し部屋を片付けなさい!」
エリザベート・オーレンフェルト・フレイム、リズの怒声がシオンの部屋に響き渡る。女王陛下その人に『部屋が汚い』なんて、この上なくどうでもいい理由で叱責されたシオンは、部屋の中央部、荷物をどかして開けられた小さなスペースにちょこんと正座をしていた。
「その……陛下? こう、一見この部屋は散らかっている様に見えるがな? 実はどこに何があるか、きちんとわかる様になっていてだな?」
「言い訳は結構です!」
「……はい」
「……はあ。先ほども言いましたが、あまり細かい事を言うつもりはないのです。ですが、シオン? 貴方が使用しているこの部屋は我がフレイム王国が貴方に『貸与』している部屋なのですよ? つまり、この部屋は『貴方の部屋』ではなく、今後部屋の主が変わる可能性があるという事ですよ? 無論、我が師であるシオン・バウムガルデンを放逐するつもりは毛頭ありません。ありませんが、貴方自身の都合でこの王城を退去する事もあるでしょう?」
長幼の序が逆転したかのよう、まるで幼子に諭す様にゆったりとした笑みを浮かべて見せるリズ。まるで先ほどのエリカの焼き直しの様なその姿に、『ああ、やっぱり姉妹なんだな』と場違いな感想を浩太は抱き――そして、本気で言っている意味が分からないとばかりに首を捻るシオンに視線を向ける。
「……なあ、コータ?」
「はい?」
「私が王城から退去する理由なんてあるか? 正直、陛下かロッテ翁に放逐される以外は考え付かないのだが」
「貴方の場合は放逐と言うより駆逐だと思いますが……多分、陛下が言っているのはアレでしょう」
「アレ?」
「寿退社」
「………………おお」
浩太の言葉に納得いったかの様にポンッと手を打って見せるシオン。此処まで言われてようやく気付くあたり、シオンの結婚に対する意識の『低さ』が垣間見えるというものだ。
「ようやく気付いてくれましたか。あまり言いたくは無いですが、シオン? 貴方もバウムガルデンの一族に連なる人間です。しかるべき人間と婚儀を結び、『家』の発展も考えるべきでは無いですか?」
「何だろう、この手のかかる妹に諭された感。まあ……そうだな、その辺りはおいおいと考えるとするさ」
「ロッテにしてもそうですが、バウムガルデンの家の人間はどうしてこう、『家』に関して無頓着なのですか?」
「無頓着な訳では無いが……」
「もしアレならば然るべき相手をこちらで見繕いますが?」
リズの提案に手を挙げて降参の意を示し、首を左右に振って見せるシオン。その姿を視界におさめ、リズも疲れた様に肩を落とした。
「……シオン」
「私の家はバウムガルデンでも分家の分家、利用価値は無い」
「そういう意味では!」
「分かっている。まあ、その辺りの……『政略結婚』はロッテ翁が嫌うしな」
「それは……そうですが」
肩を竦めて見せるシオンに、小さくリズも溜息を吐いて見せる。その姿を横目で見ながら、浩太はエリカに声を掛けた。
「政略結婚嫌うんですか、ロッテさんって」
「そうよ。イメージと違う?」
『戦争は他国に任せておけ。オーストリアよ、汝は結婚せよ』とは神聖ローマ皇帝の座を代々独占し、ヨーロッパ随一の名門王家と呼ばれたハプスブルク家を称した言葉である。無論、ハプスブルク家も戦争をしなかった訳では無いがそれでも他国よりも結婚、つまり『血の論理』でその名をヨーロッパ史に残したのは異論がないであろう。
「ええ……そうですね、正直『そういう』政略は好きな方かと思っておりましたので」
賛否はあろうが、政略結婚とは外交戦略上悪い方法ではないどころか、良い方に分類できる方法である。誤解を恐れず敢えて言えば、戦争をして領土を奪ったり、同盟の締結に時間をかけるよりもコストパフォーマンスが良い。
「私の場合は国母であるアンジェリカ様から政略結婚の道具にしないっていう御慈悲を賜っているからね」
「陛下は?」
「ロッテ、陛下には甘いから。それに……まあ、ロッテだし。そんなカードを切らなくても巧く外交を回せるわよ」
そう言ってチラリと視線をニーザに向けるエリカ。それに釣られるよう、リズが来てからすっかり固まってしまったニーザに浩太も視線を向ける。
「……本来ならニーザのしでかした事は取り返しの付かない程の大事件よ。平民階級の、しかも出入りの商人が貴族の娘を誑かしたんですもの。ロート商会は九人委員会の地位も剥奪、ロート家はお取り潰しでもおかしくないんだけど」
「ロッテさんが政略結婚が嫌いだから、助かった?」
「アイリスの立場なら確実に政略結婚させられるから。まあ、ロッテが私情を挟むとは思えないけど……でも、少しぐらいは『温情』が働いたかなって勘繰るわよ」
シオンに下衆の勘繰りって言われるけどね、と付け加えてエリカが肩を竦めて見せ、その後リズに向き直って片膝をついて見せた。
「……ご尊顔を拝しまして恐悦至極に御座います、陛下。本日はどの様な御用向きで御座いましょうか」
上に『バカ』が付きそうな程丁寧なエリカの仕草にリズの顔が歪む。
「……先日、宰相ロッテ宛に申し込んで頂いた地方債の件でお話に上がりました。お部屋をお訪ねしたのですが留守であった様でしたので、シオンの部屋に出向いたのです」
それも一瞬。普段通り、謁見の姿勢に戻ったリズの言葉に、エリカが一層頭を垂れた。
「それは……大変、申し訳ございませんでした。お呼び頂ければ、私の方から陛下に拝謁させて頂きましたのに」
「私が好きでやったことですので、どうぞお気に為さらず。それで、シオンの部屋でと思ったのですが……」
そう言って、もう一度ぐるりとシオンの部屋を見渡すリズ。
「……ここでは少し難しそうですね」
「……そうですね」
「申し訳ありませんが公爵? 貴方の部屋をお借りできますか?」
「陛下の御心のままに」
「それでは行きましょうか。シオン? 貴方も付いて来なさい。松代殿も宜しいですか?」
「私は構わん」
「私も問題ありません」
「そうですか。それでは――」
「コータさまー! 今帰りま――って、な、なんですかこの部屋は!」
「浩太、ただい――って、な、なに? 夢の島かなんかなの、此処!」
「――……丁度良いですわね。それでは皆様で行きましょうか」
異口同音、シオンの部屋の惨状に絶句する二人に対し、溜息を吐きながらリズが小さく首を左右に振って見せた。
◇◆◇◆◇
「……それで? 話とはなんだ、陛下?」
エリカの部屋に集まった六人――リズ、エリカ、シオン、ソニア、綾乃、そして浩太。その六人を代表するよう、シオンが口を開いた。ちなみにニーザはシオン部屋のお片付け中だ。
「先ほども申しましたが、先日、テラ領から頂戴した地方債の引受についてです。此処に居る皆様方は既に話が通っているかと思いますが……」
そう言って室内をぐるりと見回すリズ。全員に諾の意がある事を視界におさめ、リズは言葉を続けた。
「白金貨で五十万枚の地方債の引受、ロッテからは前向きに検討したいと聞いております。ロッテから聞いたスキームについても異論はありません。船舶を作り、その船舶を運用し、収益によって返済が為される。正直に言いましょう、他の領地の地方債の償還よりもより現実的な提案だと、掛け値なしでそう思います」
リズの言葉に、室内の空気が少しだけ弛緩する。何と言っても計画のキモとなる資金調達、どれ程素晴らしいアイデアだろうと、先立つものが無ければ何も出来ない。感謝の意を伝える為、笑顔を浮かべてエリカが口を開きかけ。
「――ですが、私は反対です」
その口を閉じる。
「……陛下」
「テラ領の考え自体は分かりますし、『返済』という観点から見れば間違いでは無いでしょう。事実、ロッテ自身もそういっておりますし」
「では」
「ですが、あまりにもリスクが高過ぎます。ソニア殿下?」
「は、はい!」
「ソルバニア王国は三つの大きな港を持つ海洋国家。私共よりも船での商いは詳しいと思いますが、どうですか?」
「は、はい。その……失礼ながら、陛下のおっしゃる通りです。我がソルバニアには建国以来、海と共に生きて来た国家。オルケナ大陸でも随一の知識と経験があると思っております」
「そうでしょう。では、ソニア殿下。そんな蓄積された知識と経験があるソルバニアでは所謂『海運事故』は一件も無いのでしょうか?」
「それは……」
少しだけ、躊躇。
「……残念ながら」
嘘を吐いても仕方ない。観念したソニアの口から洩れた言葉に、リズが小さく頷いて見せる。
「そうでしょう? 海上帝国として、確固たる地位を築いているソルバニアですらそうなのですよ? それを……失礼ながら、船に関しては素人なテラが運用をして、本当に巧く行くと思いますか? 残念ながら、私にはそうは思えないのですが」
「……陛下」
「なんでしょうか、公爵?」
「陛下の仰ることは至極尤もです。ですが、陛下? お言葉を返す様ですが、多少のリスクを冒してでも、やる意味はある計画かと愚考します」
「公爵の言う通り、やる『意味』はある計画なのでしょう。私も……そうですね、これが白金貨で十万枚程度であれば何も申しません。ですが、白金貨で五十万枚ですよ? その様な計画に、直ぐにお金を出せるとお思いですか?」
「それは……」
「船舶の運用には危険が伴います。極端な話、五十万枚掛けて作った船が一度にダメになる可能性だって無い訳じゃない。違いますか?」
確認するよう、室内を睥睨するリズ。
「ですが……陛下? その様な事を仰られたら何も前に進まないではありませんか。新たに何かを行うという事は、ある程度の危険を伴うモノです」
「公爵の言う通りです。ですが、今、この場で、敢えてその様な危険を冒す必要があるか、という話に御座いますよ?」
「……」
「……」
「……陛下は……貴方は、どうされたいのですか?」
「質問が曖昧です、公爵」
「この案件はフレイム王国側から依頼された事と私共は認識しております」
「ええ、間違いではありません。ですから、お願いしているのですよ?」
計画の再考を、と。
「……話はこれで終わりです。現状の案では、私としても無条件に地方債の引受は認可出来ません。計画の再考を」
「陛下!」
「三度目はありません」
「……」
「……」
「……本気で……本気で言っているのですか、陛下?」
「もちろん、本気です」
リズとエリカの視線が絡む。まるで睨みつけるかのよう、そんな視線を鷹揚に受け流し、リズはスカートを翻して背を向けた。
「リスクを分散出来る案があるであれば、それをお聞きしましょう。裁可はその後に」
その言葉を残し、リズの姿がドアの向こうに消える。その背をじっと見続けてしばし、エリカの、机を力一杯叩く音が室内に響いた。
「――なに考えてるのよ、あの子は! ベッカー貿易商会に恩が売れれば、通貨の発行権だってぐっと近くなるのよ! やらない手は無いでしょう!」
「え、エリカさん! 手! 手が!」
叩きつけた拍子に少しだけ血が滲むエリカの拳。その拳に、浩太がスーツのポッケから出したハンカチで即席の包帯を作り巻く。
「……ありがとう」
「応急処置です。直ぐに医務室……みたいな所ってあるんですかね?」
「大丈夫よ、これぐらい。あーもう!」
そう言ってガシガシと頭を掻くと、エリカは室内の椅子にドカッと腰を降ろす。あまりお行儀の良い態度とは言えないソレに、綾乃が眉根を寄せた。
「あんまり褒められた態度じゃないわね」
「分かってるわよ!」
「……八つ当たり、格好悪い」
「わ、分かってるわよ! その……ご、ごめん」
綾乃のジト目に少しだけ冷静さを取り戻したエリカが素直に頭を下げる。そんなエリカに少しだけ溜飲を降ろしたか、綾乃が小さく溜息を吐いて近くの椅子に腰を落とした。
「ま、どんな時だってお金は借りる方が弱いからね。貸主が無理って言うんだったら、別の方法を考えるしかないんじゃない?」
「なによ、アヤノ。随分達観した意見じゃない」
「銀行員ですから、私。計画に無理があると思ったら貸さないわよ。融資の基本は回収だもん」
「回収出来ないって思ってるってこと、貴方も?」
「私たちがどう思うかは重要じゃないでしょ? 女王陛下を納得させる事が重要でしょ」
ぐうの音も出ない正論に、エリカが言葉を詰まらす。
「……だって……これだって、きっと……リズの為にもなるのに」
やがて、絞り出したかの様なエリカの言葉。
「……エリカ?」
「きっと、きっとリズの助けになるのよ! あの子は、『国王』として一人で頑張っているの! 私は姉として、何にもしてあげれてないの! だから……だから! 少しでも、フレイム王国の財政が良くなればって! そう思ってるのに……リズのバカ!」
「……まあ、別に陛下の肩を持つわけじゃないけどさ。陛下の言ってる事も一理あるわよ? 一度港から出ちゃえば、後は何処に行ったか分からないんだもん。難破しているか、海賊に襲われているか……ひょっとしたら、船ごと乗っ取られて何処かに逃げられるかも知れないでしょう? そんなリスクの高いモノにお金を出すのはちょっち厳しいんじゃないかな~って」
「返せばイイんでしょ! 船がどうなろうと、フレイム王国にきちんと返済すれば問題ないでしょう! 貴方、さっき言ったじゃない! 融資の基本は回収だって!」
「いや……まあ、それはそうだけど」
「初期投資には確かにお金がかかる。でも、その『初期投資』のお陰でベッカー貿易商会は味方になってくれるのよ! 違うの、アヤノ!」
「まあ……そりゃそうだね。言ってみれば、陛下的にはお金が返ってくれば問題無い訳だし。自分の腹が痛まないって言えば痛まないんだけど」
「万が一、船がダメになったとしても償還分くらいのお金は今のテラ領なら稼ぐことが出来るわ! そうよね、コータ!」
「年間十万枚、という返済額は決して少額ではないですが……まあ、他に設備投資を行わず、私たちが質素な生活を続ければ何とかなるでしょうか」
「でしょう!」
五十万枚、一括で払うのは厳しいが年に十万枚ずつのキャッシュならば何とかなる。そう言って見せるエリカに、困ったように浩太と綾乃が顔を見合わせる。『お前、イけ!』と目だけで訴える綾乃に、溜息を吐いて浩太は口を開いた。
「……設備投資とは本来、そういうものではありません。機械であるとか、工場であるとか……まあ、それが『利益』を産む装置であるのなら、それで返済して行くのが基本です。船がダメでも他の収益で返せるから、という理論は」
「分かってるわよ! その設備で返せないなら最初からするな、って意味でしょう! でも、今回は違うでしょう? 船を造ることによって――」
「ストップだ」
「――利益が……って、シオン?」
気炎を上げ続けるエリカを、シオンの短い声が制す。エリカの、ソニアの、綾乃の、浩太の視線がシオンに集まる。その視線を一身に集めたままシオンは組んでいた腕を解き、ゆっくりと室内を見回して静かに口を開いた。
「――トイレに、行きたい」
物凄く、残念な事を。王族に、というより年頃の女性にあるまじき盛大な『ずっこけ』をして見せた後、エリカはジト目でシオンを睨む。
「……シオン……貴方ね!」
「実はエリカ嬢が私の部屋に来た辺りから結構、我慢していてな。流石にそろそろ限界が近い。この部屋で粗相をしたらエリカ嬢にも迷惑をかけるだろう?」
「私の迷惑より自分の恥の心配をしなさい!」
「それもある。エリカ嬢も冷静では無いようだし、少し休憩を挟もうじゃないか。誰よりも私の為に」
そう言ってにっこり笑うと、シオンは大股に部屋を横切ってドアを押し開けると室外にその身を押し出す。その姿を半ば呆然と見送って、エリカは小さく溜息を吐いた。
「……どれだけ自由なのよ、あの子」
◆◇◆◇◆
王城内に造られた小さな中庭。訪れる人の少ない、極々簡素な造りの中庭に一歩足を踏み入れると、漂う花の香りを胸一杯に吸い込み、フレイム王国女王陛下、エリザベート・オーレンフェルト・フレイム――リズは、小さく溜息を吐く。
「……はあ」
本来であれば中庭に吹く風にかき消されてしまう様なそんな小さな溜息に、返答する声があった。
「溜息を吐くと幸せが逃げると言うが?」
聞こえる筈の無い声に、少しだけ驚いた様にリズは後方を振り返り、そこに居た人物に緊張した顔を少しだけ弛緩させる。
「……なにをしているのですか、貴方は」
「なに、少しだけ部屋の空気が悪くなったのでな。トイレに行くと言って逃げて来たところだ」
そう言ってヒラヒラと手を振って見せるシオンに、リズがもう一度、盛大に溜息を吐く。その姿をおかしそうに見やり、シオンはリズの隣に並んだ。
「……お姉さまは」
風だけが二人の間を通り抜ける様な沈黙が、しばし。その沈黙を破ったのはリズの言葉だった。
「うん?」
「……お姉様は私の事、悪く言っていましたか?」
「……まあ、褒めてはいなかったな」
「……」
「エリカ嬢の気持ちも分からんでもない。今回の船の建造についても、ロッテ翁から来た話なんだ。一生懸命にやろうとしている所を、トップダウンで『ダメよ』と言われれば……まあ、腹も立つさ」
そこまで喋り、シオンは懐から一本タバコを取り出して火を付けて見せる。美味そうに紫煙を燻らせて、手に持ったタバコでリズを指した。
「……不敬ですよ、シオン」
「不敬? 師が弟子を指さすのが不敬にあたるか?」
「私は国王陛下で――」
「リズ様、だろ?」
「――……」
「貴方は幼い頃から嫌な事があるといつも此処に逃げ込んで来た。アンジェリカ様が手掛けた、この小さな中庭にな。私の推測だが、此処はリズ様? この王城内で『女王陛下』が、唯一『リズ』で居られる場所だと認識しているのだが?」
「……」
「沈黙は肯定か?」
「……敵いませんね、貴方には」
「私を誰だと思っているんだ?」
「部屋の汚いシオン・バウムガルデンでしょ?」
「貴方の『師匠』のシオン・バウムガルデンだ。師は、弟子の言に耳を傾け、よりよい方向に導く義務と責任と……そして導く事が出来る権利があるんだ」
「権利なのですか?」
「国王陛下に大上段から物申せるんだぞ? 権利以外の何物でも無かろう?」
茶目っ気たっぷりにそう言って笑んで見せるシオンに、釣られるようにリズも口の端を少しだけ綻ばせて。
「……お姉様の考えも、分かるんです」
後、ポツリと。
「ふむ」
「私の、フレイム王国の為にやって下さっている事も良くわかるんです。有り難いとも思っているんです。ですが……それでも、今回の件はリスクが大きすぎます」
「まあ船の運用は素人が手を出せる分野ではないしな。野菜を売ったり、アクセサリーを作ったりするのとは訳が違うのは私も分かる」
「地方債の償還金額や、上がってくる報告書でテラの財政自体はある程度推測が付きます。現在、白金貨五十万枚の地方債の引受、並びにその償還に耐えうるだけの財力にテラはありません。全てが巧く行って……それで、ようやく返せる程度です」
「エリカ嬢は何とかなると言っていたが?」
シオンの言葉に、リズは小さく微笑みを浮かべる。
「……何もしなければ、返済は出来るでしょうね。今以上に発展させる、その施策を何も打たなければ」
「……」
「お姉様、喜んでいたんです。ようやくテラの領地運営も軌道に乗って来たんです。テラは、これからの街なんです。現状のテラの財務状況では失敗してしまうともう、取り返しがつきません。ずっと、ただこの白金貨五十万枚を返済する為だけに領地経営をしなければならないんです。白金貨で五十万枚という金額はそれ程に大きな金額何です。そんなもの……そんな重荷、お姉様だけに背負わせるわけにはいきません」
「……ほう」
なんでもない様にそう言って見せるリズに、シオンの口から感嘆の声が漏れる。その声に少しだけ訝しげな視線を向けるリズ。
「なんですか?」
「帝国時代から比べれば小さくなったとは言え、フレイム王国の領土は広大だ。幾つもの貴族が各々領地を持ち、決して少なくはない報告書をあげて来ているだろうに良くテラなんていう片田舎の報告書にまで目を通しているな、とな? 職務熱心なその態度は素晴らしいと思った。勘繰るな、普通に称賛だ」
「それは……その、それが私の仕事で……」
しどろもどろ。言い淀み、口を二、三度開閉した後、諦めたように小さくリズは首を左右に振って見せた。
「……お姉様の領地ですから」
「ふむ」
「……お姉様はずっと我慢して下さっていました。本来であれば長子であるお姉様が、このフレイム王国の女王陛下として即位なさってもおかしくありません。それなのに、私に気を使って……王城から、出ていかれて……」
「その可能性もゼロではないな」
「お姉様のお母様、リーゼロッテ様もお父様を愛し、また愛されていました。確かに、私の母であるアンジェリカの方が王族・貴族としての『箔』はあるでしょう。ですが」
巧く言葉に出来ない。そんな感情のまま、まるで縋る様な視線をリズはシオンに向け。
「――あ」
その視線の先に、優しい瞳と仕草でそっとリズの頭に手を置くシオンを見た。
「……軽蔑、しますか?」
「なにがだ?」
「そ、その……お姉様から上がってくる報告書にばかり目を通して、それで、その……」
「一般的に『国王陛下』とは公平であるほうが望ましい。最高権力者が特定の勢力に肩入れをすると、それはそのまま組織の歪みとなり、やがて破滅の引き金になり兼ねんからな」
「……そう、ですよね」
「が、まあそんな小難しい事はどうでも良い。女王陛下でござい、と幾ら言ってみた所で、リズ様はまだ十六歳である事も厳然たる事実なんだ。身内の事を、それも大事な大事な姉の事を気に掛けて、一体誰に憚ることがあろうか。内と外、しっかり切り替え出来る方が望ましいのは百も承知だが……そんな簡単に割り切れるモノでも無かろう」
「……はい」
「少なくとも私は、リズ様の様に迷い、悩み、それでも『姉』の事を心配する『妹』の方が好きだ。同様に、『妹』の事が心配で心配で仕方ない『姉』もな。全く、いい姉妹だよ、あなた方は」
「……シオン」
「まあ、その辺りの所をもう少し巧く立ち回れば言う事はないのだが?」
少しだけ探る様なシオンの視線。その視線を受け、リズは少しだけ寂しそうに首を左右に振って見せた。
「無理ですよ」
「そうか」
「私は女王陛下です。このフレイム王国の統治者であり、誰も私と並び立つ者はいません。私の一言で政治が、外交が、経済が回ります。お姉様に……エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムにだけ『肩入れ』する様な事は到底出来ません」
「実の姉だから余計に、か」
「そうです」
「難儀だな、権力者は」
「そうですね。ですが……これも、仕方ありません。それに、私は幸せな方です。お姉様はきっとわかって下さいますから」
そう言って、笑うリズの微笑みは少しだけ悲しそうにシオンに映った。
◆◇◆◇◆
「……シオンが全然帰ってこないから、始めちゃおうか。取り合えず浩太、ただいま」
「お帰り。それで? 首尾はどうだった?」
鎮静効果を期待した訳では無いが、それでも紅茶の一つでも飲んだ方が落ち着くだろうという浩太の案で紅茶を注いでしばし。室内に紅茶の芳醇な香りが充満しだした頃、綾乃が口を開いた。
「……減点、2」
「……なにが?」
「アンタね? アンタの依頼を受けて私はテラに行ってたのよ? それが『お帰り』の一言ってどうなの? もうちょっとあるでしょう? 『ありがとう』とか『お疲れ』とか『風邪とか引いてないか』とか『愛してる、綾乃』とか」
「最後なんだよ! いや……まあ、その、なんだ。悪い。ちょっと素気無かった。元気だったか?」
「まあね。精神はガツガツ削られたけど、体自体は元気よ」
「精神?」
「こっちの話」
「どっちの話だよ。それで? もう一点は何の減点だよ?」
「『首尾はどうだ、げへへ』なんて、悪役っぽくて私、嫌い」
「げへへなんて言ってねーよ!」
「まあ、それはどうでも良い。取り合えず、首尾は上々。幾つかの商会にテラの船を使う事の承諾は得たわ」
「そっか。さんきゅ」
「まあ、ニーズのある所に案件持ってっただけだし、それ自体は簡単。加えて、ソルバニアとラルキア王国に書状を送っといた」
「書状?」
「『信用状』の発行をして下さいってね。ちなみに、そっちも成功よ?」
綾乃の言葉に、少しだけ驚いた様に浩太が目を見開く。そんな浩太を面白そうに見やり、綾乃は右手を小さく上げた。
「いえーい、ですわ」
その手にソニアの小さな手がパチン、と合わされる。してやったりと言わんばかりの綾乃とソニアの顔に、驚愕を浮かべていた浩太の顔に微苦笑が浮かび、その表情のまま両手を上げる。
「降参。流石、綾乃とソニアさん。想像の斜め上だよ」
「ふふーん。言われた事だけやるんじゃ詰まんないもんね~、ソニアちゃん?」
「そうですわ、コータ様。私たちだって自分で考えて動きますもの」
心持、胸を張って見せる二人に浩太も微苦笑に『微』の割合を上げる事で応じる。そんな浩太の笑みに気を良くしたのか、ますます笑みを深くする綾乃とソニアは。
「……まあ、船が造れないと意味が無いんだけどね」
そんなエリカの一言に、がくっと肩を落とし、その視線に『ジト目』の割合を多くのせてエリカを睨んだ。
「……エリカ」
「……エリカ様」
「な、なによ、その眼。いや、だって……」
「いや、確かにエリカの言った通りなんだけどね、ソニアちゃん?」
「ええ。確かにエリカ様の仰る通りなんですが……なんでしょう? 頑張って来た事を一刀両断で否定された様な気がそこはかとなくしますわね」
「ねえ~。感じ悪いわよね、あの平面」
「そうですわ。感じ悪いですわよね、あの絶壁」
「あ、貴方達ね! そりゃ、確かに私も悪かったけど……っていうか、アヤノ! 平面って何よ、平面って!」
「へ? 凹凸が無いって意味に決まってんじゃん」
「し、失礼ね! あるわよ、凹凸ぐらい! そりゃ、確かに仄かではあるかも……って、なに言わせんのよ、バカ!」
「「勝手に自分で言った癖に」」
「う、五月蠅いわよ!」
三人でギャーギャーと言い合う姿に、先ほどの『微』の割合を『苦』に振り分けて浩太は紅茶を啜る。三人と対照的なその姿に、綾乃の眉根が少しだけ寄せられる。その視線に気づいたか、浩太が綾乃に向き直った。
「ん? どうした」
「いや……なんていうか、結構余裕だなって思ってね。アンタの事だからもうちょっとテンパるかと思ってさ」
「別に余裕じゃないけど……まあ、此処でジタバタしても仕方ないしな。陛下の言う通り、確かにリスクは高いからさ」
「最初から分かっていた事ではあるんじゃない」
「船舶なんてそりゃ、リスクたけーよ。だからシップファイナンスは難しいんだし」
「そうね。それで?」
「それでって?」
「そういう誤魔化し方、あんまり好きじゃないかな? あるんでしょう?」
何か方法が、と。
「そ、そうなの? 何か方法があるの、コータ!」
「そ、そうです! コータ様、何か現状を打破出来る様な、そんな素晴らしい方法があるのですか!」
先ほどまで言い合いをしていたエリカとソニア、それに綾乃の視線が浩太に集まる。そんな視線を受けながら、浩太はゆっくりと紅茶のカップをソーサーの上に置いた。
「フレイム王国に来てからこっち、紅茶ばかり飲んでいますよね。いえ、別に紅茶に不満があるわけではないですし、これだけ美味しい紅茶を頂いているので文句を言ったらバチが当たるとすら思っているのですが」
「……何の話よ、コータ?」
「日本に居た時はコーヒーばっかり飲んでいたんですよね、私。こっちに召喚された時もコーヒーのテイクアウト持ってましたし……まあ、根っからのコーヒー派なんですよ」
そう言って、もう一度三人に順々に視線を送る。エリカ、ソニアの頭に浮かぶ疑問符と……何かに納得した様にうんと頷く綾乃をその視界に捉えると、浩太は言葉を続けた。
「ですのでコーヒーショップでも開きましょうか。店名は……そうですね」
『ニーザの美味しいコーヒーショップ』とか、どうです、と。
「「……はい?」」
そんな浩太の言葉に、エリカとソニアの疑問符を浮かべた声がハモった。




