第百三話 エリカとシオンと男女のジジョウ
よく考えれば主人公、二か月も出てませんでした、どうも疎陀です。良いのか、おいって感じですが……出なくても話が回るしな~、と。いや、それも良いのか、おい。
ちなみに来週はちょっと投稿無理っぽいです。楽しみにしていただいている方には申し訳ございませんが、再来週にまたお逢い出来れば!
「……許さない……許さない……絶対、許さない……」
まるで、地の底から響くような怨嗟の声。その声に少しだけ体を震わせ――る事もなく、呆れた様にシオンは溜息を吐き、部屋の隅っこに堆く積まれた服とゴミの間、丸まって頭から毛布を被っているニーザを見やった。
「……何時までそうしているつもりだ? 先日は格好イイ事を言っていたじゃないか。『俺以上にアイリスを幸せに出来るヤツなんていねーんだよ!』だったか? 今のお前の姿を見る限り、何処をどう見てもアイリスを幸せに出来るようには見えんのだが?」
完全に小馬鹿にした様に、ふんっと鼻を鳴らして見せるシオンの姿に、小さいながらもはっきりしたニーザの声が毛布の隙間から漏れた。
「……ふん。『粗食』の類の癖に」
「だ、誰が粗食だ! お前だって粗食の癖に!」
「ええ、ええ! 俺だって粗食ですよ! でもね? シオンさんだって十分粗食じゃないですか! 残念が服を着て歩いている癖に、何が『アイリスを幸せに出来るように見えんのだが?』ですか! 人の幸せの心配する前に自分の心配したらどうですか! っていうかですね!」
そう言ってニーザは毛布の隙間からシオン・バウムガルデンに与えられた王城内のごみ溜め……じゃなくて、部屋を見回す。
「綺麗にしてくださいよ、この部屋! どんな生活をしたらこうなるんですか! 片付けようとしたら『勝手に触るな!』って怒るし! それならせめて自分で片付けて下さいよ! 本当に結婚出来ませんよ、これじゃ!」
「な、なんて可愛げのない……昔は『シオン先輩、流石です!』とか言ってた癖に! 試験のヤマを教えてやったのが誰だか忘れたのか!」
「称賛の意味の『流石』じゃないですから! それに、アンタこそ忘れたのかよ! 試験のヤマを教えてくれたのはクラウス先輩だ! シオンさん、『試験勉強? あんなもん、教科書を丸暗記すれば簡単だろう? なに? そんな事も出来ないのか、ニーザは』とか言ってたじゃないですか! 生まれて初めてですよ? 女性を本気でブッ飛ばしてやろうかと思ったの!」
ニーザの言葉に、シオンがついっと視線を逸らす。心当たりがありまくり過ぎて。当時はシオンもまだ若く、自身の能力に絶対の自信と、それに裏付けされたキツイ性格をしていたのだ。まあ、今とあんまり変わってはいないが。
「……いいんだよ、細かい事は! クラウスとベロア、それに私はいつでも一緒に居たんだ! クラウスが教えたという事は私が教えたも同義! クラウスの手柄は私の手柄だ!」
「世界はアンタの為にあるんじゃねーよ! なんでクラウス先輩の手柄がシオンさんの手柄になるんですか! だからいつまで経ってもシオンさんはシオンさんなんですよ! 最近バウムガルデン教授、めっきり白髪が増えてるのは何時まで経ってもシオンさんが嫁に行かないからだって専らの評判なんですからね!」
「ち、父は関係ない! そもそも、父にも言っているしな! 『孫の期待はアリアにしろ』と! 私は学問を究めんとする女だぞ? 恋愛なんぞに現を抜かす暇はないのだ、お前と違って!」
「世界に恋してるとか言ってるアンタに言われたかねーよ! なーにが世界に恋をしているだ! 紙一重って本当ですねぇ!」
「どういう意味だ!」
「そのまんまの意味ですけどぉ?」
「……オッケー、把握した。そこに直れ、ニーザ! ブッ飛ばしてやる!」
「やれるもんならやって見ろ!」
「言ったな!」
「言ったさ!」
「……何やってるんですか、二人とも」
掴みかかる、一歩手前。まるで猫のように全身の毛を逆立てさせたシオンとニーザが同時に声の方、ドアの方向に目を向けて。
「――って、な、何なのよ、この部屋! なに? なんなの? 何かの事件現場か何か? 一体、どういう惨状起こしたらこんな部屋になるのよ!」
ドア口ですっかり呆れ返った表情を見せる浩太の後ろ、『見てはいけないモノを見てしまった』と言わんばかりに顔を顰めるエリカの姿が目に入った。
「……エリカ嬢? どうして此処に?」
「『どうして此処に?』じゃないわよ! コータから聞いたわ!」
「き、聞いた? 何を?」
「とぼけないで! 貴方とクリス殿下でアイリスとニーザを匿って居たらしいわね! しかも、シオン! 元々の元凶が貴方って本当なの!」
問い詰める様なエリカの視線にもう一度、ついっとシオンが視線を逸らす。その後、その逸らした視線で若干……というより、物凄く恨めしそうな視線のまま浩太に向って口の端から唾を飛ばして怒鳴った。
「おのれ、コータ! チクったな!」
「チクったって……」
そんなシオンの唾の射程から距離を取るように一歩下がり、肩を竦めて溜息ひとつ。
「まあ、状況だけ見れば『チクった』とも言えるかも知れませんが……お話していませんでしたが、エリカさんは陛下よりファーバー伯爵の『説得』をお願いされています」
「それが!」
「ニーザさんとアイリスさん、このお二人を秘密裏の内に『仲直り』させてファーバー伯爵の下に連れて行く、という当初案であればエリカさんに黙ったままと言うのも考えたのですが……」
そこまで喋り、チラリと視線をニーザに向ける浩太。
「……ここまで話が拗れてしまうと流石に内緒、という訳にも行かないと思いまして。独断ですが、エリカさんにもお話させて頂きました」
「なんだかコータが一人でコソコソ動いている様だから白状させたのは私よ。責めるのなら、無理やり聞きだした私を責めなさい」
エリカが一歩足を踏み出して、シオンの視線を遮るように浩太の前に立つ。そんなエリカの姿を若干白けた様に見やって、先ほどの浩太同様シオンも溜息を吐いて見せた。
「美しい庇い合いだな」
「茶化さないで」
「失礼。まあ別にエリカ嬢の耳に入れた事を責めるつもりは無いさ。どの道、こうなればいつか説明に行かなくてはいけないとも思っていたし……味方も減ったしな」
「誰のせいかは問わないわ」
「そうしてくれると助かる。まあ……別に責任転嫁するつもりは無いが、大元の責任はさっきまでそこで丸まっていたバカのせいだがな」
そこまで喋り、シオンは視線をニーザに送る。不意の来客にポカンと口を開けたままのニーザにやれやれと首を左右に振ってシオンは言葉を継いだ。
「いつまでそうして呆けている。こちらは第五十二代フレイム国王、エリザベート・オーレンフェルト・フレイム女王陛下の姉君、ロンド・デ・テラ領を治めるエリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイム公爵閣下だ」
「……へ?」
「バカ面を晒すな。お前だってロート商会の子息だろう? エリカ嬢の名前ぐらいは聞いたことがあるのではないか?」
シオンの言葉に、ニーザも慌てて居住まいを正すと丁寧にその腰を折って見せた。
「お、お初にお目にかかります。私、ロート商会会長マインツ・ロートが子、ニーザ・ロートと申します。ロンド・デ・テラ公爵閣下のご高名はかねがね伺っております」
「初めまして、ニーザ。エリカ・オーレンフェルト・ファン・フレイムよ。貴方の事は優秀な商人だと聞いているわ」
そう言って、溜息ひとつ。
「……まあ、今は別の意味で貴方の事を聞いているけどね」
「その……た、大変ご迷惑を……」
「私の迷惑は良いわ。アイリスやファーバーとも知己だし、こう言っては何だけど貴方たちの気持ちも分からないでもないから。決して褒められた事じゃないけど」
「返す言葉もありません」
先ほど以上に『小さく』なるニーザにもう一度エリカは溜息。少しだけ不憫になったか、シオンから助け舟が入った。
「そう責めてやるな、エリカ嬢。ニーザにも悪気があった訳ではない。若さゆえの過ちだ」
「貴方が言うかしら、そういう事? ニーザを責める気は無いけど、シオン? 貴方は責めるわよ、私! 何考えてるのよ!」
藪蛇。そんなエリカの言葉についっと気まずそうにシオンが視線を逸らす。これで、この話はお終い、そう言わんばかりのその態度にエリカも矛を仕舞う。
「大体ね! 普通、『駆け落ちしてみろ!』とか言う? 言わないわよね! そこは冷静さを求める所よね? シオン、貴方、学術院の主任研究員よね? フレイム王国の『知』のその頂の、それもトップに近い人間よね? 学術院の人間はもっと思慮深いと思っていたんだけど、私!」
仕舞う、訳がない。シオンやクリスも大変だが、エリカだって大変なのだ。言ってみれば、シオンのせいで。
「貴方の不用意な発言で一体どれ程の人が迷惑をしているか、貴方本当に分かってるの?」
「いや、そ、それは……その、重々承知しているのだが……」
「ファーバー家も、ロート商会も、ロッテだって陛下だってよ? 陛下なんて、私に頭を下げて『とりなし』を頼んだのよ? わかってる? フレイム王国の女王陛下が、一公爵に『借り』を作ったのよ? 貴方の不用意な発言で!」
「い、いや、でもそれは……」
「無論、私だって別にこれを『ネタ』に陛下を強請ろうなんて思ってないわよ! でもね? 『陛下が頭を下げた』のよ! 学術院の、主任研究員の、シオン・バウムガルデンの……一臣下の為に!」
「……」
「よく考えて行動しなさい、シオン!」
「……はい」
シオン、涙目。色々と――主に、エリカに言われることに――釈然としないものがあるも、それでも言ってること自体は正論なのでシオンも黙って頭を下げて見せる。その姿に少しばかり溜飲を下げたか、エリカが大きく深呼吸を一つ。
「……まあ、今回の事は『リズとエリカ』の話で片をつけるわ。妹が、自身の師の為に姉に頭を下げたと、そういう事にしておきます。此処で貴方を責めても仕方ないし、前向きじゃないから」
「……散々責めた癖に」
「あら? 何か言ったかしら!」
「言ってません!」
「……いいわ。ともかく、私はそんな事を言いに来た訳じゃないの」
「……まだ、何かあるんですか?」
すっかり敬語のシオン。そんなシオンをジロリとにらみ、その後視線をニーザに向け。
「――なんでシオンの部屋にニーザが寝泊まりしているのよ!」
「「……は?」」
エリカの、部屋中に響き渡る絶叫にシオンとニーザが顔を見合わせて首を捻る。そんな姿に、興奮と羞恥に頬を赤く染めてエリカが一気に捲し立てた。
「何考えてるのよ、シオン! 嫁入り前の女性が、男性と、そ、その……ひひひひひとつ屋根の下なんて! なんて汚らわしい! 不潔よ、不潔!」
「いや、不潔って……え? 何を言っているのだ、エリカ嬢は?」
少しだけ困ったような視線を向けるシオンに、浩太も小さく肩を竦めて見せる。
「この部屋の不潔さに比べれば大した事ではない気もしますが」
「……おい」
「失礼。その……エリカさんに今までの経緯を説明したんですよ。そうしますと当然、殿下とアイリスさんの話になりますよね? それで……」
「……ああ、なるほど。ニーザの所在についての話をしたらエリカ嬢がテンパった、と」
「まあ、概ねその通りです」
アイリスの『殿下に輿入れします』宣言からこっち、ニーザは王城内に与えられた『研究員官舎』とでも呼ぶべきシオンの部屋に寝泊まりしている。言ってみれば殿下はニーザにとって愛しのアイリスを誑かした悪い奴、そんな人間の庇護は受けてられるか、という話である。ちなみに殿下の方は『いつまで居ってもええで~』と軽く言っている辺り、既に勝負ありの感もあるのだが。
「だが、エリカ嬢? 仕方なかろう。今、ニーザを放り出す訳には行かんし」
かといって、ニーザを王城内から放逐する訳にも行かない。当たり前と言えば当たり前、今ニーザを身一つで放り出した日にはファーバー家かロート商会に身柄を拘束されてしまうのである。そうなると、王城内でも比較的『自由』の効くシオンの部屋へ、と言うのは自然と言えば自然な流れだ。元を正せばシオンのせいでもあるし。
「しししし仕方ないって何よ! シオン、あ、貴方、二十六歳でしょ! ニーザだって二十歳よ? いい年をした男女が一つ屋根の下なんて、何考えてるのよ! 男女七歳にして席を同じくせず、はアレックス帝から連綿と続くフレイム王国の伝統でしょ! 変な噂が立ったらどうするのよ、バカ!」
「……えー」
シオン、困り顔。
エリカの言は基本的に正しい。浩太が王城を追い出されたのだって、要は『フレイム王国女王陛下の悪評』が立ったら不味いという、いわば男女のごにょごにょの話だ。
「どれだけ潔癖なんだ、エリカ嬢」
が、シオン的には頭に疑問符。新妻に貞淑を求める癖に、と言われるとアレではあるが、フレイム王国はオルケナ大陸では比較的男女同権の意識の強い国だ。男女同『権』、権利があるという事は同時に『義務』が生じるという事でもある。主任研究員である以上、シオンにも同様に義務があり、いい意味でも悪い意味でも『女性だから』と特別扱いなどして貰えない。つまり。
「別に……なあ、ニーザ? 研究室ではこんなモンだろう? 男女数人雑魚寝なんて別に珍しくも何ともないが?」
こういう事だ。育ってきた環境が違いすぎる。
「えっと……まあ、そうですね。シオンさんの卒業研究の時もクラウス先輩とかベロア先輩も一緒に雑魚寝でしたし」
学術院の主任研究員である以上、シオンには多くの『責任』が生まれる。何時までに仕上げなければならない仕事、何時までにこなしておかなければならない実験、何時までに行うべき会議など、多岐に渡る『責任』が。昼夜問わず、何時でも、だ。学術院の研究員以上の職位の人間には王城内に部屋が与えられるが、これを『王城内に住まう事の出来る特権』ではなく『王城内で飼い殺し』と取る研究員が多いのはこういった事情によるものである。要は『帰る暇があるならキリキリ働け』という事だ。ブラック、万歳。
「ざ、雑魚寝! い、良い年した男女が雑魚寝って、何考えてるのよ! 恥を知りなさい、恥を! これだから学術院の人間は! 研究出来ればそれでイイって考えなんでしょ!」
まあ、学術院が少しだけ特殊な事情もある。能力第一主義であり、言ってみれば何時でもデスマーチを繰り広げる学術院の人間は性別が男か女かなど大した問題ではないのだ。判断基準は出来る人間か、出来ない人間かだけなのである。細腕一本、テラを支えて来たエリカではあるがそうはいっても箱入り娘、この辺りの微妙な感覚は伝わりにくく。
「…………むっつりが」
だからこそ、シオンの琴線にビシビシ触れる。
「む、むっつり? な、なにがよ!」
「『むっつり』だから『むっつり』だと言ったんだ。大体、コータを屋敷に住まわせてるエリカ嬢に言われる筋合いは無い」
「し、失礼な事言わないでくれる!」
「それとも、なにか? まさか自分も『そう』だから、そういう勘繰りをしてしまうのではないのか? それは下衆の勘繰りと言うやつだぞ?」
一見分かりにくいが、こう見えてシオンだって主任研究員という職にプライドが無い訳ではない。軽々と掴み取った職では無いし、『世界に恋をしている』と言い切った程、研究に熱意だってある。その為にしてきた努力を『不潔』と言われれば……まあ、あんまり心中は穏やかではない。
「げ、下衆? 下衆の勘繰りですってぇ!」
「望む、望まないに関わらず、学術院の仕事とはそういうモノだ。皆誇りを持ち、それに邁進しているんだ。それをまあ、すぐさま色恋に結び付けるなど……下衆の勘繰り以外の何物でもないだろう?」
「訂正しなさい、シオン! 私は貴方の評判を心配して言ってるのよ!」
「余計なお世話だ、はん! 訂正などするか! やーい、エリカ嬢のむっつり~」
「む、むきぃー!」
「ん? なんだ? 図星か?」
「ず、図星じゃないわよ!」
「じゃあ怒る必要はないだろう? 『もう、バカなシオンね』とでも言っておけばいいんじゃないのか? 箱入りのお・じょ・う・さ・ま?」
真っ赤に染まったエリカの顔が、怒りを通り越し過ぎて真っ青に染まる。行き過ぎると人間、意外に冷静になるものだ。
「……そうね。貴方の言う通りだわ、シオン」
一つ大きく息を吐き、エリカがにこやかに微笑みながら言葉を紡ぐ。
「学術院は王国のみならず、オルケナ大陸の発展に寄与をして下さった組織。その功績は多くの研究員が日夜、寝食を忘れて取り組んだ成果ですものね。そこに男女の別はなく、皆が皆己の職務に邁進しているからこそ出来る業績だったわ。非礼を詫びるわ、シオン」
そう言って、丁寧に腰を折って見せるエリカ。その姿に一瞬呆気に取られ、それでもシオンは大きく胸を張る。
「ふ、ふん。分かればいいんだ、分かれば。その……わ、私も少し言い過ぎた。その点はあやま――」
「まあ? こーんなばっちい部屋で色恋なんて生まれる訳なんてないですものねぇ!」
「――る訳ないだろう、ドチクショウ! ばっちい部屋だと!」
「私がバカだったわ、シオン。こんな部屋じゃ百年の恋も冷めるわよね~」
ごめんごめんと言いながら小さく舌を出し、コツンと自身の頭を握り拳で叩いて見せるエリカ。明らかに小馬鹿にしている態度である。
「……っていうか、貴方一応『女』でしょ? 服装は結構小奇麗にしているのに、なんで部屋だけこんなに異常に汚いのよ? 人が生活出来る水準じゃないわよ、コレ。病気になるんじゃない?」
そんな態度を一転、エリカがシオンの部屋――ごみ溜め――を見渡し、一周回って感心したような声を上げる。その声に、うぐっとシオンが言葉に詰まった。
「い、一応って、なんだ! 女だ、私は! 異常とか言うな! 後、急に冷静に指摘をするな!」
「いや、だって……そりゃ、私だって屋敷の掃除とかはエミリがしてくれるから人に自慢できる程、掃除が得意な訳じゃないわよ? それでも流石にこれは……」
「し、仕方なかろう! 私だって忙しいんだ!」
「ねえ知ってる、シオン? 使ったモノを使った場所に戻すだけで部屋って案外汚れないのよ? 埃なんかは毎日……とまでは言わないけど、五日に一度ぐらい、ちょっと掃き掃除するだけでも随分違うわよ? そこから始めましょう? ほら! 一度部屋を綺麗にすると、『なんだか汚すのが勿体ないな~』って思うでしょ?」
「子供に諭すお母さんか! し、しかし……」
「貴方、いつも恰好はさっぱりしてるじゃない。身だしなみに気を使わない訳じゃないんでしょ? だったら、それぐらい出来るんじゃないの?」
エリカの言葉に、シオンが気まずそうに視線を逸らす。その視線のあからさまな逸らし方に、訝しんだ表情を浮かべるエリカ。
「……その……身だしなみは、妹が……」
「……は?」
「だ、だから! アリアが『お姉さま! 幾らなんでもズボラ過ぎます! 流石に恥ずかしいですので、せめて身だしなみだけでも!』って……綺麗にアイロンのかかった白衣とかを準備してくれる訳で……」
「……」
「……」
「……うわー……」
「い、忙しいんだ!」
「いや、それにしたって……でも、それならアリアに頼むのはどう? 部屋の掃除も」
「そんな事頼めるか!」
「まあ妹に頼むのは流石に恥ずかしいか。アリアだって忙しいだろうし」
「そうではない」
「え?」
「この部屋は……まあ、こんな感じだが一応、私の『研究室』でもある。研究者にとって研究室は言わば城だ。その城を、身内とは言えど軽々に荒らされては敵わん。アリアだってそうだ。私がアリアの研究室に許可なく入ったら烈火の如く怒るぞ、きっと」
「そうなの?」
「研究者はそんなモノだ。私の部屋も一見散らかっている様に見えるが――」
「いや、見えるっていうか思いっきり散らかってるんだけど」
「見えるが! これでも何処に何があるかは把握している。これが一番、分かりやすい配置なんだ」
お片付け出来ない子の常套句の様な事をのたまうシオン。ちなみにシオン、アリアの部屋に入って勝手に本を盗って――取って来た実績があるが、アリアの部屋はシオンと違ってプライベートスペースと研究スペースがきっちり分けられているので、シオンも研究スペースにまで入る様な愚行はおかしていない。蛇足ではあるが、一介の研究員であるアリアの部屋はシオンの部屋より狭いのに、である。
「だから! こんな部屋でも別に私は痛痒を感じてはいない! そんな事、エリカ嬢に言われる筋合いは無いんだ!」
「いや、まあ……貴方はそうでしょうけど」
そう言ってチラリと視線をニーザに向ける。何を問われているか敏感に悟ったニーザは、まるで聖者の様な顔を見せてみせた。
「……厄介になっている身です。何の文句も御座いません」
「……そう」
「それに、エリカ様。住めば都とも申します。朝起きたら服の雪崩に巻き込まれていても、寝返りを打った先に鋏が置いてあっても、急に夜中に包丁が上から落ちてきても……住めば都です」
「最後の二つは命に関わると思うんだけど……」
達観しきったニーザの声に、エリカもついっと視線を逸らす。慣れって怖い。
「その……コータは?」
「本人が良いならいいですよ。まあ、綺麗な方が良いのでしょうが……シオンさんですし」
「おい! どういう意味だ、コータ!」
「いえ、私自身も毎日部屋の掃除をしなくちゃ落ち着かないなどと言うつもりはないんです。埃が溜まったら掃除しようかな、とかは思いますけど、精々そんなレベルです。で、ですね? そんなレベルの私から見ても、この部屋は……その……端的に言って酷いんですよ」
「うぐぅ!」
「ただ、これって結局『習慣』なんですよね。外野がワイワイ言ってもどうしようもないですし……まあ、シオンさんが良いなら」
「でも! 流石にこれはちょっと酷いんじゃない?」
「いいんじゃないですか、別に。シオンさんは優秀な方ですし、血筋も良いんです」
「……それが?」
「料理も洗濯も掃除も、しっかりやってくれる家政婦さんがいる家に嫁ぎますよ、きっと。別に家事が出来る事だけが女性の魅力ではありませんし」
そんな浩太の言葉に、顎に手を置いてしばし考え込むエリカ。
「……ん……そうね。分かった、コータの言う通りだわ」
その後、納得したように『うんっ!』と一つ頷くと。
「ごめんね、シオン。良いわ、別に掃除が出来なくても! シオンはそのままのシオンでいいんだから!」
そう言って、聖女の様な微笑みを浮かべるエリカに、シオンの頬も綻び。
「――って、お前らいい加減にしろ! なんだ、三人して人を馬鹿にして!」
綻ぶ訳がない。遠回しですらない、直接的な『女子力低い』発言にシオンが気炎を上げる。
「大体、ちょっと――分かった、だいぶ汚い。だいぶ汚いのは認めるからその眼をやめろ! とにかく! 私だってやれば出来るんだ!」
「やれば出来るっていう子は結局やらない子なんですけどね」
「コータ、五月蠅い! とにかく! そこまで言うなら見とけ! 今日の晩御飯、私が作って――」
「「「遠慮します」」」
「――最後まで言わせろ! なんだ! お前ら、イジメは格好悪いぞ!」
「いえ、別にイジメているつもりはありませんよ? ただ、事実を言っているだけです」
「お前はなんで私にだけ異常に冷たいのかなぁ! 優しさと努力を取ったらコータ、お前に何が残るんだ!」
「……酷い言い草ですね。っていうかシオンさん? 御自身の言動を省みてからそういう事言って下さいよ。自業自得です、自業自得」
「そうよ、シオン。貴方、自分の行いをもう一度見直した方がいいんじゃない?」
「ええっと……お二人とも? シオンさんは学生時代からこんな感じですし、今更ちょっと見直した所でもう、どうしようもないんじゃないかと……」
「ああ分かった! グれてやる! もうグれてやるんだからな! 盗んだ馬車で走り出してやる!」
シオン、我慢の限界。頭から湯気を出しながら、もうこんな奴らと一緒に居られるかと思い、自室のドアまで歩きそこで歩みを止める。
「――いいんだな? 止めるなら今の内だぞ!」
「頭が冷えたら帰ってきて下さい」
「時間が勿体ないから早くしてね」
「怒っても無駄ですよシオンさん。まあ、早めに」
「お、お前ら……知らん! もう知らんから――ぷぎゃ!」
三者三様、冷たい言葉を発す三人にプルプルと怒りを溜めるシオンのおでこを、内開きのドアがきつくノックする。額を抱えて蹲るシオンに、今度はゆっくりとドアが開いた。
「も、申し訳ございません! 何だか物凄い音が響いたのですが……って、シオンですか?」
ドアの外側、窺うようにそーっと視線が室内に向けられる。その視線の主に、シオンを除く部屋の中の三人がそちらに意識を向けて。
「――って、な、な、なんですかこの部屋は! シオン! 一体どんな生活をしたらこんな部屋になるんですかぁ!」
視線の主、エリザベート・オーレンフェルト・フレイムの、姉妹そっくりの怒声を聞いた。




