#2 小紅はお嬢さまに生まれ変わってしまいました
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「仲穎さま?」
その名前──聞いたことがある。多分、なんか三国志で有名な武将が同じ名前だったと思うけど、たくさん居るから思い出せない。というか、何? ここどこ? わたし、誰?
「お爺さまのお名前まで!? ああ、ダメだダメだ。もう私はお終いだ……この“蔡邕”。仲穎さまの信にお応えできませんでした。かくなる上はこの命……」
蔡邕はブツブツと何やら物騒な独り言をいっているが、その名前──知ってる。
『蔡邕』。三国志の物語序盤で登場する、漢の学者であり文豪だ。数々の著書を執筆して世に名を轟かせたけれど、その功績を妬んだ者たちに諮られて僻地に追いやられた──と、講談社の三国志入門書には書いてあった。
そんな彼を救ったのが、確か……。
「──董卓」
自然と、その名が口を吐く。
「いま、なんと!?」
蔡邕がばっとこちらに向き直る。その眼は恐々として輝き、涙さえ浮かんでいる。
「え。えと……わたしのお爺ちゃんは、董卓……さんですか?」
恐る恐る、私はその名を口にする。
『董卓仲穎』、時の皇帝を毒殺し、擁立した幼い帝を補佐する名目で自ら相国(当時の官職の最高位)に就くと、その私利私欲を満たすためにあらゆる暴政を敷いた。
殷の時代の愚帝、紂王を真似て『酒池肉林』の宴を何日も催したなんて逸話もある。
その全盛は僅か数年ほどだったが、それでも二千年先の現代にまでその悪名が轟く……三国志にして最狂最悪、稀代の大悪党だ。
「はい! ええ、そうですとも。小紅さまのお爺さまは董卓さまでございます。そしてわたくしは──」
「蔡邕」
被せ気味に答えると、今度こそ蔡邕は安心しきったように大息を吐いた。
「ぶっはあ〜〜。あっぶねぇぇぇ! いやいやいやいや、焦りますよ小紅さま! ダメです五徹なんて! まだ五歳なんです、五歳!! どこの世界に徹夜で文字を書き続ける五歳児がいますか!? ええ、居ませんよ!! 養育係の私の身にもなってください!! あやうく責任者として処罰されるところでしたよ!!」
めちゃくちゃ怒ってる。え、キャラ変わり過ぎじゃね?
っていうか五徹……? いや、覚えはあるけど。でも私がやってたのはゲームで、書き物をしていたのは“この娘”だろう。いったい、それだけ熱心に何を書いていたのか。
そういえば、さっきの少女が必死に読んでいた竹簡。……もしかして、あれがそうなの?
「まあ! お父様いけませんわ! 小紅さまはまだ病み上がりなのですから、大きな声を出さないで下さい!」
そこで、水をとりに行った少女が帰ってくる。名前は確か──
「小紅さま。この文姫、もっと強くお止めするべきでございました。ここ数日の小紅さまのご様子は、確かにおかしかったのです。それに気がついておきながら……どうか私を叱って下さい」
ふるふると、頭を下げて謝る少女。文姫、この名にも覚えがある。
『蔡琰』、またの名を『蔡文姫』。蔡邕の娘で、女性ながら数々の著書を残した文学者。
確かに賢そうな顔をしている……っていうか、思い出した! この娘、幼馴染の『文姫』の小さい頃に瓜二つだ! “読み方”は違うけど名前も同じだし、これってどういうこと? でもとにかく、こんな小さな子が謝る必要なんてない。っていうか、勝手に夜更かししたの小紅だろ。
「文姫ちゃん。いいのよ。いまは少し記憶が曖昧だけれど、休めばよくなるわ。その時のこと、後でまたお話を聞かせてもらえないかしら」
そう言って、私は差し出された頭をそっと撫でる。サラサラとした水色の髪が気持ちいい。私の手も小さかったが、幼稚園児ほどの相手に対して、こうする他に接し方がわからなかった。
「ええっ!?」
びくりと文姫が顔を上げ、私を見る。
「お父様! やっぱり小紅さまが、変!」
「こら文姫!」
蔡邕は文姫の頭をぽかりと叩いた。でも文姫の話は止まらなかった。
「だって、いつもの小紅さまなら私を蹴っ飛ばして『この愚図、もういいからあっち行って!』って言うわ! 蹴飛ばされても良いように、お水は少なめに入れてきたのに!」
「だ……こら、ほんとダメ! それ以上はいけない!」
蔡邕と文姫は揉み合いながら、何やら言い合っている。この二人、仲が良いのか悪いのか……。でも、そんな様子を見ていると、なんだかおかしくなって笑ってしまった。
──くすっ
「ええっ!?」
私の笑い声に、今度は二人揃ってこっちを見た。あまりに揃った動きとよく似た驚き顔に、私はまた可笑しくなって──
あははは!
ついに声を出して笑ってしまった。
「小紅さまが──むぐっ! むむむ〜〜」
「さあ小紅さま、今日はもうお疲れでしょう。夜分ゆえ、このままお休みになって下さい。お水はこちらに置いておきます。また明日の朝、起こしに参ります」
蔡邕はその身体に似合わぬ機敏さで文姫の口を塞ぐと、その身を抱えたまま入り口まで下がる。
「ええ、そうさせてもらうわ。蔡邕、文姫──」
「はい」
「お休みなさい。貴方たちもゆっくり休んで」
そう声をかける。すると一瞬、蔡邕の眼が今日一番大きく見開かれ、すぐに優しく細まった。
「ありがたきお言葉」
そう言って、蔡邕は文姫を連れて部屋を出る。
静かに扉が閉じられると、またふわりと風が吹いた。月明かりが照らし出す鏡には、やはり見知らぬ金髪赤眼の少女が映り込んでいる。
「って、結局私は誰よ!?」
わからない。私の知っている三国志列伝にこの娘はいない。董卓の──孫娘!?
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