#1 さすがに五徹はやり過ぎた
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「ん〜〜、めっちゃ良かったぁ〜〜!!」
劇場を出てすぐ、私は両手を組んで伸びをした。
やっぱりシアターで観る舞台は違う。
カーテンコールが終わってだいぶ経つのに、まだ胸が高鳴ったまま。
紅潮した頬に夜風が当たって、ちょうどいい具合に熱をさらっていく。
「だね! “萌え剣”最高! シアター上演も最高! 全部ぜんぶ最高! これもう、二・五次元沼るわぁ〜〜」
隣を歩く親友──文姫が応える。
私たちは幼馴染。二人して恋愛ゲーム“萌え剣”こと『萌えよ剣──三国に舞い散る桃の花』にどハマりし、今日は一緒に劇場公演を観にきた。
“萌え剣”は、魏・呉・蜀っていう三国が、中国で覇権を競った時代──
いわゆる“三国志”の世界を舞台に、小喬と大喬という美しい姉妹が、その三国のさまざまな英雄たちと恋に落ちる恋愛ゲームだ。
シナリオは史実とはだいぶ違うみたいだけど……そんなことはどうでもいいの。だって尊いから!
「伯符と公瑾、かっこよかったね〜。
役者さんは知らない人だったけど、ありゃ絶対売れるね」
「だよね。公式カップリングだけあって、あそこは鉄板だった。
でも私は孟徳推すけどなぁ〜〜。あの危険な香り……たまらんべ」
伯符と公瑾っていうのは、孫策と周瑜っていう『呉』の王子様とその親友。
孟徳っていうのは、敵国『魏』の王である曹操の字(別名)だ。
うちら“オタ女”の界隈じゃ、“推し”はこっちの“別名”で呼ぶのが当たり前になってる。
“普通に”三国志好きな人でも、別名まではあんまり知らないよね。
でもまぁ、それがうちらの“推し”に対する“愛”ってわけ。
「出たよ〜! 小紅ちゃんの孟徳推しが」
文姫があきれ笑いでそう返す。小紅っていうのは私の名前。
昔の人っぽいってよくいじられるけど、逆に今風じゃない? って私は思う。……え、違う?
続けて文姫が言う。
「確かに孟徳はカッコいいけどさ〜、性格は完全に鬼畜だからね?」
「え〜、あの強引さがいいんじゃん。欲しいものは何でも手に入れてきたっていう自信と、それでも届かないからってヤキモキしてさ。自暴自棄からどんどん苛烈になっていく、あの感じが可愛くって……」
「あーなるほど。ここにもっと鬼畜いたわ(笑)」
二人して笑った、そのときだ。
ふっと、足元から力が抜けた。
「えっ、なに!? 小紅ちゃん、大丈夫!?」
文姫があわてて肩を支えてくれたおかげで、なんとか倒れずにはすんだ。
「あー、はは。昨日ちょっと予習しすぎたかなー。“萌え剣”夜中に二周したから……」
「も〜〜。やめてよ、ビックリするじゃん!」
『嘘』だ。
この一週間、私はこの舞台を楽しみにしすぎて、ほとんど寝ていない。
「だいじょぶだいじょぶ。こんなの、いつものことで──」
軽口を叩きながら瞬きをする。けれど、目の前の景色はじわじわと暗くなっていく。
……あれ?
いつもの立ちくらみと、なにか違う。
足元から、すうっと、体が抜けていく。
夜風の感触も、文姫の手の温もりも、遠ざかっていく。
──あ。
***
目を開ければ、暗い部屋。
天蓋付きの大きなベッドの上に私はいた。
柑橘の香りが薄く漂う部屋を、小さな蝋燭の灯りだけが薄く照らしている。
すぐ側には、そんな暗がりで一心不乱に何かを読みふける少女。
歳は、小学生になるかならないか……ってところかな?
だけど、どこかで会った覚えがある。そんな気がした。
「あの……」
声をかけようとして気がついた。
なんだか、喉の調子がおかしい。私は何度か咳をする。
その音で私が目覚めたことに気がついた少女は、持っていたものを放り投げてこちらに駆け寄ってきた。
「小紅さま! よかった。意識が戻られたのですね!」
その顔には、恐れと不安が浮かんでいる。
でもそんなことよりも、私が気になったのは彼女が呼んだ私の名前。
「……しょうこう?」
聞き慣れない呼び方に、私は首を傾げる。それに、そもそも初対面だ。
「……!? 小紅さま……まさか、自分の名前をお忘れに!? 少々お待ちください。父を呼んできます」
青ざめた顔をして、少女はすぐに誰かを呼びにいった。
蝋燭がゆらゆら揺れる。部屋に一人残された私は、少女が読んでいたものに目を落とす。
「これって……“竹簡”?」
竹簡というのは、竹札に文字を書いて麻紐で綴った巻物だ。
昔の中国ではよく使われていたみたいだけれど、当然、今の時代じゃ全く目にする機会はない。
いや、さっきの演劇では見たけどさ。
「あ……え? もしかして、劇場の人に助けてもらった?」
演劇? あ、そっか。じゃあ目の前の道具はセットか。
あのまま気を失っちゃったみたいだ。たしかに、劇場を出てからすぐにぶっ倒れたもんな。
いくら楽しみにしていたからって、さすがに五日徹夜はやり過ぎた。
そんなふうに反省をしていたころ──
「小紅さま」
部屋の入り口に、先程の少女ともう一人、男が立っていた。
歳は二十代後半くらい? 後ろで束ねた髪に布が巻かれている。あ、こんな髪型の人……さっきも見たね。
きっと役者さんかな。
「お手間をお掛けしてしまってすみません。少し疲れていたみたいで……けどもう大丈夫です。帰り道なら分かりますので、荷物を……」
そう言ってベッドから降りようとした私は、どういうわけかバランスを崩した──あれ?
「小紅さま!」
少女が駆け出す。まさか、私を支えるつもり?
そんな小さな体で?
危ないよ!? 私こう見えても結構体重あるから!!
なんとか身体を戻そうとしたけれど無理だった。ごめん!
──ぽすん。
そんな軽い音が聞こえ、私の身体は少女の腕に抱き止められる。
──え?
思わず自分の足元に目がいった。
裾の先からのぞいているのは、小さな足に白い指。
続いて見た、手と腕も。何もかも全部が小さくて、短い。どう見ても、私の知っているそれじゃない。
え……身体が、縮んでる?
これじゃあまるで──幼女じゃないか。
その時、窓からふわりと風が吹いた。
それは壁に立てかけてあった“鏡”の布を攫い、蝋燭の炎を吹き消す。
ボボという、寂しげな音だけを残して。
思わず鏡に目をやった。
でも、暗い。鏡の中の私は、影の輪郭だけを残して沈黙していた。
雲間から差し込む月明かりが、ゆっくりと足元から伸びてくる。
それは私の姿を徐々に、でもはっきりと鏡の前に照らし出していく。
映っていたのは、目を開いて固まる一人の少女。
その眼は深紅── 長い睫毛に縁取られたルビーのような赤い瞳が、私を見つめていた。
髪は金糸のようにサラサラとして、月光を反射して黄金に輝く。
これ……もしかして、わたし?
「うひゃあ! なんで!?」
思わず変な声が出た。もちろんその声も、いつもの私の声じゃない。
見た目も声も、誰か全く別の人間になってしまっていた。
「やっぱり! お父様、小紅さまがなんだか変!」
少女が男を振り返って言う。
「ううーん、そうだね。記憶が少し混乱しているみたいだ」
「失礼します」
男は少女から私の身を預かると、ベッドの上に戻して毛布をかけてくれた。
彼はそのまま、私の額に手を当てて顔を覗き込んでくる。
「熱は下がったようですが……。文姫、お水を持ってきてくれるかい?」
「わかりました!」
文姫と呼ばれた少女は、またぱたぱたと走り去っていった。
部屋に残ったのは、私と男の二人だけ。
「小紅さま、私がわかりますか?」
小さく、男が尋ねる。
「……いいえ」
私は正直に答えた。
「そうですか……」
答えを聞いてうんうんと頷く男。
でもやがて天井を見上げ、小さく呟く。
「ああ……、こりゃ私。仲穎さまにこっぴどく絞られるなぁ」
その顔には諦めにも似た、薄い笑みが乗っていた。
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