381.ボクは、ずっと――
春希にとって、初めての母親とのぶつかり合いだ。
この機会を逃したら、今度はいつあるかわからない。
(まったく、色んな人を巻き込んだスケールの大きい母娘喧嘩だな)
隼人はなんて不器用だと思いながら苦笑い。
やがて真央は片手で頭を掻きむしり、苛立ちをぶつけるように口を開く。
「わかるわけないっ! だってあなたは突然周囲から憐れむような目を向けられたり、お金が無くてひもじい思いをしたり、明日を無事過ごせるのかと怯えたことないじゃないっ!」
「それは……」
「惨めだったわ。お金がないと、どんどん負の連鎖が重なって不幸になっていく。そこから抜け出すために、今の私がどれだけがむしゃらに働いたか! その苦労を知らず、ぬくぬくと暮らしているあなたが! 軽々しく自分のことだからわかるなんて、いわないで頂戴!」
真央の言葉を受けた春希は、ビクリと怯えたように肩を震わせる。
まるで親に叱られた子供のようだ。そして反射的な反応のようにも見えた。
きっとこれまで春希と真央の間であったやり取りそのものなのだろう。そしていつもなら、ここで春希が謝罪なりの言葉を口にして終わっているところだ。
しかし今の春希は、いつもの聞き分けの良い娘でない。過去の千尋という仮面を被っている。
春希はその仮面を盾にして、確認するかのようにとつとつと話す。
「確かにその通りね。親の庇護の下で好きなものを食べ、着て、遊んで、安穏と暮らしている。明日への心配をして怯えたことなんてない」
「えぇ、そうでしょうね」
「学校では成績優秀、文武両道の優等生、両親のこともあって誰からも一目置かれている。経済的にも不満はなく、裕福な暮らしをさせてもらっている。傍から見れば多くの人が憧れるような生活をしている」
春希はそこで俯き胸に手を当て、大きく息を吐く。
そして春希は顔を上げ、懇願するように真央へ告げた。
「でも、思い出して」
「思い出す、……って何を?」
「確かに私の生活は豊かだし、周りからの評価も高い。何も不自由はなく、羨むものなのかもしれない。だけど、ただそれだけ」
「それだけって! それがどれだけ得難いものなのか――」
「私はっ、ずっと、一人だった!」
「――っ!」
真央が何か言おうとしたのを遮った春希は、感情を露わに叫ぶ。
「外では親の評価もあって、いつも誰かの目を気にして、猫被って、良い子を演じて! でも家に帰れば誰もいなくて、寒々とした部屋で一人。何かあった時に頼れたり話せる人もいなくて。そういうの自分でなんでもこなさなきゃいけなくて、辛くて苦しくて、心がどんどん擦り切れていっちゃって……」
「それ、は……」
「普通がよかった。普通に憧れた。望んだのは些細なことなんだ。家に帰って『ただいま』って言ったら、『おかえり』って言って欲しかっただけ。ボクは――」
そこで一度言葉を区切り、まっすぐに母親を見据えた春希は、役の仮面をかなぐり捨てて今まで抱えていた想いを、一番に伝えたかったことを真っ直ぐいぶつけた。
「ボクはずっと、寂しかった……あ……あぁ……うわぁ……ああぁああぁぁああああっ」
そして感極まった春希は一目を気にせず、それ以外自分の表現手段がないとばかりに泣き出した。涙は両手で拭っても拭っても止まらない。まるで泣きじゃくる幼子の様。
隼人は完全にありのままの姿を、恥も外聞もなく自分の気持ちを見せる春希を前に、驚きを隠せない。真央もまた、明らかに動揺していた。
――寂しかった。一人はイヤだ。
シンプルかつどこまでもわかりやすい、春希の本音の言葉だ。
これまで春希は何があっても、母の前では良い子を貫いてきた。世間からの評価も、親として誇れるものばかり。
そんな娘から初めての甘えにも似た、可愛らしく、ささやかな願いは、真央の様々な仮面を壊すのに十分なものだった。
いつしか真央もまた、ポロポロと涙を零す。フラフラと大事なものを離さないといったように、そっと春希を抱きしめる。春希を、受け入れるかのように。
その瞬間、何よりも綺麗で尊いと思ってしまった隼人は、写真を撮らずにいられなかった。
もう大丈夫。
切っ掛けは掴めた。
(……よかったな、春希)
隼人もまた涙ぐみながら、互いに泣きながらも抱き合う母娘を温かく見守る。
とはいえ、これは映画の撮影だ。
皆、春希と真央の演技に見入っている。
母娘の和解に水を差すのも気が引けるが仕方ない。
隼人は祝福の気持ちを籠め、2人を現実に引き戻す呪文を紡いだ。
「カーーーーット!」




















