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【二日目】7 灰色の悪意

第二章にあたる【二日目】パート7です。パート8まで続きます。

     7


 ジャスパーは地を蹴った。

 剣を抜くことも、穴を迂回することも頭になかった。

 あるのはただ一つ、最速で友のもとへたどり着かねばならないという認識だけだ。

 迷わずに跳んだ。底なしの穴の上を。

「てめえぇぇぇぇっ」

 ジャスパーは着地と同時に身をかがめ、渾身の力で肩から灰色のモノに体当たりした。

 重い衝撃が全身に伝わった。手応えは十分だ。この大きさのモノなら突き飛ばせる。

 そのはずだった。

 それはぐらりと揺らいだ。それだけだった。ジャスパーのタックルは受け止められていた。

 灰色の毛皮の下に分厚い筋肉の動きを感じる。

 本能的な直感に従い、ジャスパーは後ろに転がった。頭上を長い腕が横なぎに通り過ぎた。その先端に尖った爪が何本も生えているのが見えた。

 数回転がって距離をとり、立ち上がる。敵を真正面に捉えた途端、ぞくりとする感覚が身体を貫いた。

「……こいつ」

 ジャスパーはうめいた。敵の正体が分かる。知識ではなく、身体に流れる血が敵の本質を告げている。

 それは直立し、二足歩行する狼だ。自分のように獣の特徴を持った人間ではない。人間の特徴を・・・・・・持った獣・・・・

 人狼。

 それ以上にふさわしい呼び名が思いつかなかった。

 対峙するジャスパーの背筋に冷たいものが走った。理屈抜きで敵の強さが感じ取れる。勝てる気がしない。

 まずい。まずい。まずいまずいまずい――

 ひゅっと風切音がした。人狼の横腹に矢が当たり、弾かれて石床に落ちた。

「バケモノめ」

 穴の向こうでルピニアは歯噛みした。彼女の弓矢には人狼の肉を貫くだけの威力がないのだ。

 ルピニアを認識し、人狼はうなり声を上げた。狼の頭が横を向く。絡みついていた視線がそれ、ジャスパーは身体が軽くなった気がした。

「……剣……だよ……スパー……」

 人狼の向こうから弱々しい声が聞こえた。

「エルム」

 ジャスパーは自らの腰に手をやった。冷たく重い手応えが返ってくる。

 ――そうだ。オレには武器があった。

「エルミィさん。動けたら自分を治療してください。エドワード先輩が来るまで時間を稼ぎます」

 アトリの声は震えていたが、冷静さを失っていない。

 ――そうだ、エドだ。エドが来ればきっと戦える。それまでエルムたちはオレが守る。

 乱れていた思考がまとまり始める。友を傷つけられた怒りがよみがえってくる。

「おいバケモノ! こっちを見ろ!」

 ショートソードを抜き、ジャスパーは大声を上げた。

 人狼が首を回し、再び両者の視線が交錯した。

 湧き上がる恐怖をねじ伏せ、ジャスパーは剣と盾を構えた。怒りは彼に闘志を与えていた。

 人狼は動き出したジャスパーを見据えている。猛烈なタックルを仕掛けてきた彼に比べれば、他の三人は優先順位が低いのだろう。

「そうだ。オレを見ろ」

 ジャスパーは回りこむようにじりじりと移動し、空気穴を背にした。穴を飛び越えることが人狼にできないとは思えない。ルピニアやアトリに飛びかかられたら、彼女たちに身を守るすべはない。たとえ穴に突き落とされる危険があろうと、この方向は死守しなければならない。

「〈来たれ。汝は炎。汝はつぶて――〉」

 右後方からアトリの呪文詠唱が聞こえてくる。

「見とれ、バケモノ」

 左後方からはルピニアが弦を引き絞る音。

 人狼の向こう側で、倒れたエルムの手がかすかに輝いている。治療術だ。

 ――動けるのはオレだけだ。どうやって時間を稼ぐ?

「バカ野郎、そいつから離れろ!」

 先行していたエドワードが事態に気づき、大声を張り上げた。しかし四人までは距離があり、駆け寄るには慌てふためく初心者たちをかき分けねばならない。

「邪魔だ! お前らはさっさと逃げろ、直進して左だ!」

 人狼が騒ぎに気づき、首をめぐらせた。

 ジャスパーは覚悟を決めた。睨み合いはこれ以上続かない。先手を取れるチャンスは今しかない。一撃でいい、注意を引きつけておけばエドワードは間に合う。

「うおおおおっ」

 ジャスパーは雄叫びを上げ、猛然と地を蹴った。

 人狼が即座に反応し、右腕を横なぎに振るった。鋭利な爪がたいまつの明かりに鈍く輝いた。

 ――腰を落とせ。

 ジャスパーは思いきりしゃがみ、爪に空を切らせた。

 人狼の防御に穴が開いた。

 ――脇を締めろ。迷ったらど真ん中だ。

 胴体の中心をめがけて全力でショートソードを突き出す。人狼が身体をひねる。刃はわずかに狙いを外し、右の脇腹に深く突き刺さった。

 人狼は怒りに咆え、右腕を外へ振った。

 至近距離からバックハンドの一撃が迫る。

 かわせない。ジャスパーはとっさに剣を手放し、右腕を思いきり脇に引きつけた。

 右肘と脇腹に衝撃が走り、ジャスパーは横へ跳ねのけられた。

 床に倒れながら転がり、勢いが減じたところで身を起こす。腕が少し痺れているが、深刻なダメージは受けていない。攻撃を受け止めたのが肘だったことと、懐に入っていたおかげで爪を使われなかったことが幸いした。

 しかし、もうジャスパーの手に武器はない。

 立ち上がって左手の盾を構え、あとは耐えるのみと覚悟した時だった。

 つんざくような風切音とともに矢が飛来し、人狼の腹に突き刺さった。

 人狼がよろめき、たたらを踏んだ。

「……な」

 ジャスパーは目を疑った。今までの矢とは威力が違う。本当にルピニアの矢なのか。

 思わず後方に目をやると、人狼に杖を向けて決然と詠唱を続けるアトリが見えた。

「〈来たれ! 来たれ! 汝らは砕き焦がすもの!〉」

 叫びにも似た力強い詠唱が終わるや否や、杖の先に拳大の火の玉が三つ出現した。

 アトリが杖を振った。火の玉が猛烈な勢いで宙を駆け、狙いあやまたず次々と人狼を撃った。

 人狼の上半身が激しく燃え上がった。苦悶の咆哮がとどろいた。

 ジャスパーは目を見張った。訓練で見た火弾の術だろう。火の玉を飛ばし敵を燃やす、初歩的な火系の魔術。たしか一度に一つの火の玉しか呼び出せず、敵も一体しか選べないとアトリは言っていた。それがなぜ三つも飛んだ?

「なんちゅう無茶を……」

 ルピニアが険しい顔で次の矢に手を伸ばす。

 人狼は薄煙を上げながら左右を見回した。立て続けに強力な攻撃を受け、倒すべき敵を決めかねているように見えた。

「下がれジャス公!」

 障害を突破したエドワードが駆けてくる。彼が空気穴の横、ルピニアと跳ね飛ばされたジャスパー側を通ると察した瞬間、人狼は反対側へ走った。

 その先にいるのは倒れたエルムと、杖で身体を支え荒い息をつくアトリだ。

「くそっ」

 ジャスパーは人狼を追って飛び出した。素手で掴みかかって止めるしかない。しかし反応の遅れと彼我の距離が致命的だ。手が届く前に、人狼の爪は無防備なアトリを悠々と引き裂くだろう。

 人狼の過ちは動かないエルムを警戒せず、彼の近くを走り抜けようとしたことだった。

 エルムは倒れたまま、地面すれすれに蹴りを放った。不意を突かれた人狼は足払いを避けそこね、転倒した。

 ジャスパーは再びタックルを仕掛け、立ち上がりかけた人狼を壁に叩きつけた。痛烈な一撃に人狼はうなりを上げた。

 人狼が強引にジャスパーを押しのけた時には、短剣を抜いたエドワードがその眼前に迫っていた。

「なんでてめえまで二階にいやがる」

 人狼の爪牙を避けながら、エドワードはめまぐるしく刃を振るった。繰り出す一撃は浅いものの、手数が圧倒的だ。人狼はまたたく間に全身を切り刻まれていった。

「……す、すごい」

 人狼のそばからエルムを引きずり出しながら、ジャスパーはエドワードの動きに目を奪われた。攻撃をかわす体さばきは素早く滑らかだ。余裕を持って避けられるのは、敵の動きを予測しているからに違いない。速さと技術と、おそらくは積み重ねた経験の成せる業だ。

「センパイ、左や」

 エドワードは躊躇なくサイドステップで左に避けた。

 高速の矢が人狼の胸板に突き立った。

 ごはっ。

 人狼が血を吐き、あえいだ。その瞬間、短剣が人狼の喉を真横に切り裂いた。

 崩れ落ちる人狼を横目に、エドワードは油断なく周囲を見回した。

「ルピニア、新手はいねえか」

「なんもおらん。大丈夫や」

 短剣を振って刃についた血糊を払うと、エドワードは傷つき消耗した四人を睨みつけた。

「お前ら。言いてえことは山ほどあるが――」

 武器を鞘に収め、エドワードは深く息をついた。

「……褒めてやる。よく生き残った」



 エルムを壁にもたれて座らせ、ジャスパーは人狼に刺さったままのショートソードを引き抜いた。筋肉が固く締まっており、刃を引き抜くにはかなりの力を要した。

「こいつけっこう固いぞ。よく矢が刺さったな」

「そんなことはどうでもええ! アトリ、あんな無茶して大丈夫なんか」

 ルピニアはもどかしげに弓を背負い、杖にすがって立つアトリのもとへ駆け寄った。

「必死でしたから、つい」

 荒い息の下、アトリはかすかに笑った。もともと色白の顔から血の気が失せている。急激な魔力の消耗と、極度の精神集中の反動だった。

「拡大魔法とか言ったか。ジャス公もお前さんも無茶しやがる」

 エドワードの顔は険しかった。

 拡大魔法という言葉の意味はジャスパーには分からなかったが、何が起こったのかはアトリの様子を見れば明白だった。彼女は自分に劣らず危険な橋を渡ったのだ。その結果があの三つの火の玉に違いない。

 苦しげなアトリと、彼女を気遣うルピニア。二人を案じていたジャスパーは、座り込んだエルムに近付いていくエドワードの姿を見落とした。

「エルミィもよくやった。立てるか」

 エドワードが手を差し出した。

「あ、センパイだめだ!」

 ジャスパーが慌てたように手を伸ばし、エドワードの手を掴もうとする。

 怪訝な顔で振り向いたエドワードの前で、エルムの肩がびくりと動いた。

「……う、わああああっ」

 エルムが跳ねるように身を起こし、エドワードが差し伸べた手に噛みついた。

「いてえぇぇぇぇっ!?」

 エドワードが手を引き戻そうとするが、エルムの顎は緩まない。その目は見開かれ、明らかに焦点が合っていない。

「エルム、落ち着け」

 ジャスパーはエルムの横にかがみ、肩に腕を回した。

「大丈夫だ。誰も死なない」

 ゆっくりとエルムの目の焦点が合い始める。やがてエルムは口を開け、エドワードの手を解放した。

「……ジャス、パー」

「ここにいるぞ」

「ねえさん……は……」

 ジャスパーはかすかに顔をしかめ、肩越しに背後を指した。

「あっちだ」

「あ……」

 うつろな視線が指先を追う。その先に、ようやく呼吸が整いつつあるアトリの姿があった。

「……え?」

 顔を上げたアトリは、呆けたようなエルムの視線に気づき目をしばたいた。

「あの、エルミィさん……?」

「……よかった」

 エルムが安堵したようにつぶやき、微笑んだ。

 当惑する三人の前で突然ジャスパーが拳を握り、エルムの脳天に落とした。

「あいたっ」

「起きろ、エルム。朝だ」

 エルムは両手で頭を押さえ、恨めしそうにジャスパーを睨んだ。

「ひどいよ、叩き起こすなんて……え?」

 エルムはきょろきょろと周囲を見回した。呆気にとられた三人を見やる目には、理性の光が戻っていた。

「あれ、アトリちゃん……? 先輩……」

 視線がエドワードに止まる。くっきりと歯形の浮かんだ右手を凝視しながら、エルムの肩は次第に下がっていった。

「……そっか。ボク、またやったんだね」

 壁にもたれ、エルムは力なくうなだれた。

「……ごめんなさい、先輩」

 ジャスパーはため息をついた。

「センパイ。エルムもきつそうだ」

「みてえだな」

 エドワードは顔をしかめながら右手をぶらぶら振った。

「さっさと一階へ引き上げてえが、これじゃ階段を上れねえな。予定変更だ。近くの部屋に入るぞ」

「部屋?」

「そこそこでけえ部屋がある。扉を閉めちまえばとりあえず安全だ。野営もできなくはねえ。ルピニア、アトリに肩を貸してやれ。荷物は持ってやる」

「あの、わたしなら自分で」

「鏡を見てから言え。ぶっ倒れそうな顔してるぞ」

「まったくや。……けどセンパイ、逃げた連中は大丈夫やろか」

 ルピニアは五人組が走り去った方向を見やった。闇を見通す彼女の目にも、動くものの姿は映らなかった。

「大丈夫だろ。この先は」

「……この先は通路の幅が広くて見通しが利きますし、1番通路はわたしたちが最初に通って安全を確認しました。よほどのことがないかぎり階段に着けるはずです。一階へ上がってしまえば広間までは一本道ですし」

 エドワードは苛立たしげに額を押さえた。

「いいから頭冷やせ。気負いすぎだ。鼻血出るぞ」

「そりゃあかん。野営の準備はウチらがするから、アトリは横になっとき」

「え、でも」

 ルピニアは片眉を上げ、アトリの顔に指を突きつけた。

「鼻血やで? 女の子には一大事やんか」

「女が鼻血出すと何か問題があるのか?」

 エルムに肩を貸しながら、ジャスパーが首をかしげた。

 ルピニアは盛大にため息をついた。

「ほんま、女心を分かっとらんわ」

【二日目】ラストのパート8へ続きます

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